20
「面白いことを始めたな」
広場の噴水の縁に腰掛け一息つく私の足に、白猫が頭を擦りよせてきた。ベリーピンクの鼻と灰色の瞳がチャーミングだ。
「アユパヤさん。抱き上げていいですか?」
「頼んだ」
しなやかな体をよいしょと膝にのせる。
可愛い。
「猫の扱いがうまい。撫でて良い」
この人、隙あらば褒めてくるな。
ありがたく撫でさせてもらう。アユパヤはごろごろ唸った。
「もう会えないんだって思ってました。今回はもうこれ限りって言われたから」
「ミーニャの魔術師としてはそうだが、友人になら会いに来る」
「ありがとうございます。会いに来てくれたのも、あの魔方陣も。助かりました」
今の私の手には魔方陣はない。アンの手からも消えていた。ラルケにもリックにも見て貰ったけれど、跡形もなく。
すこし寂しかったのだ。
「私、救世主じゃなかったんです。だから自分のやりたいことをすることにしました。友だちをたくさんつくって、この世界を遊びつくそうと思います」
風をはらんだ柔らかな毛並みを丁寧に撫で付けていく。
「あなたが教えてくれたんです。友だちになろうって、嬉しい言葉ですね」
「そう私に言わせたのはおまえさんだよ。結果、良い友人を得た。素直で、人に礼が言えて、私のことを好いている。猫を撫でるのもうまい」
「可愛くて、優しくて、褒め上手。自由気ままな姿勢に元気をもらえる人。アユパヤさんが、私の最初の友だちでよかった」
「なんだ。会いたがってたアンはどうした」
「まだお返事もらえてなくて」
「応答があるから友人なのではない。おまえさんならわかっているな」
「はい」
アユパヤを最後に抱き締める。
「気が向いたらまた来てください。いつでもあなたを歓迎します」
アユパヤはするりと抜け出し、尻尾をふった。そのまま、ととと、と去っていく。小さな姿が雑踏に紛れ、見えなくなるまで手を振りかえした。
すると、そこにいた人々の歩みがとまり、徐々に左右にわかれていった。道ができていく。馬の蹄の音に、私は立ち上がった。
栗毛の馬に乗ったラファドが、私の前で立ち止まる。やっぱり有名人なのか、彼の名を呼ぶ声がちらちらと聞こえた。
ラファドにも聞こえているはずなのに、彼は表情を変えず、私には騎士の礼をする。びしりと型にはまった所作が、格好いい。
「お初にお目にかかる。騎士ラファド、通りすがりに貴殿の噂を耳にし、馳せ参じた。異世界からのお客人で間違いないか」
「ラファドさん。はじめまして。日本人の坂木弥生です」
彼はこくりと頷く。
「失礼だが、お一人か。異世界からのお客人は手厚く歓迎するのが、我が国のやりかたのはずだが」
「すみません。どこかに届け出なくてはいけませんでしたか? 来たばかりでなにもわからなくて」
「なぜ。召喚されたのだろう? 周囲に人がいたはずだ」
ラファド、演技もうまい。本当に不思議がっている様子が伝わってくる。
そして彼のよく通る声が、広場に響いている。皆が知る英雄に、ひっそりと耳を傾けていた。
「召喚なんてされてません。私は自分でここに来ました」
「なに、自分でここに来た? では貴殿は救世主殿ではないと?」
ぎろりと見下ろされる。
「ダダ家が預かる辺境でも、日夜あらゆる問題が起こっている。私が今日ここにいるも、その窮状を陛下へ御知らせするため。貴殿はそれを払拭するのではないのか。先代の佐倉富士子は、それを成したぞ」
ずしりと重い、期待。
それはファルテが友だちになろうと言ってくれた時のものとは違う。私がなにをするのか見たいと背を押すのではなく、おまえはそうすべきなのだと押し付けられるもの。
怖かった。ラファドの人となりを知っていても、怖い。頷かなければ、価値がないと一刀両断されそうだ。
それでも、顔を上げて、親しげに微笑む。
「あなたの言っていることが、私にはまだよくわかりませんが、お話があるのなら喜んで聞きますよ」
なにも持たない手を差し出しながら。
「よければ、私の話も聞いてください。お友だちになりましょう」
「…………」
「……ラファドさん? ぎゃっ!?」
手を捕まれて肩に担がれた。やばい、スカート。中みえちゃう。違う、こんなの聞いてない。
「ラファドさん!?」
「怪しい奴め! 陛下のもとに連行する!」
ようやく予定の台詞を言って、ラファドは私を馬に乗せた。自分もその後ろに跨がり、手綱を手にする。しっかりと支えてくれる。
「気を楽に。安心しな、この別嬪は女子供にゃ優しいさ」
小声で囁かれる。応えるように振り向いた馬の目が優しい。
「馬のるの初めてです。楽しみ。よろしくお願いします」
「よしきた」
どっと縦に揺れる。高い視点で風を切る。
生き物の背に乗るのは、車とかと違って、すこし怖い。だけど、私にはラファドがいるし、なによりこの馬が私の焦りを感じた時に速度をゆるめて気遣うように鳴く、気がした。通いあってるようだ。
そういえばランデリア物語にもあったな、こういうシーン。ラファドと富士子の乗馬。
「富士子の奴は好奇心旺盛でな。どんなことでも知りたがった。あれはなに、これはなに、それはどうして?ってな」
街をかけながらラファドの話に耳を傾ける。
「でも、あいつには役目があった。瘴気を祓うため各地で祈りを捧げる。気づけば聖女だなんだと呼ばれて……嫌がっちゃないんだぜ。実績がちゃんとあっての賞賛だ。それを受け止めて、覚悟決めて成長していく富士子は、美しかったよ」
でもなぁ、とラファドは言う。
「これ食いつくだろうなとか、ここは違う時に来たほうがいいなとか、いろいろあんのに、時期良くは行けねぇのさ。世界を救わなきゃならん。時間も旅順も決まってた。そんで、また今度は二度ときやしねぇ」
「それは、残念ですね」
富士子も。ラファドも。
「このラファドの唯一の後悔っていや、それだ。あいつにもっと与えてやりたかった。いつか置き去りにされるこたわかっててもな、見てもらいたいもんが山ほどあった」
大陸の北から南、西から東。諸島をめぐり、主人公サクラもとい異世界人、佐倉富士子はこの世界をまたにかけた。
子供にも読みやすい文章で綴られる豊かな情景の数々は、彼女の経験したすべてが込められていたのだと思う。見たままの景色ではなく、その時々の気持ちを含めて。
だから富士子に不満はなかったのだと思うけれど、そんなのは関係ない。ラファドがもっと与えたかったというからそうなのだ。ラファドはそうしたかったんだ。
「お嬢さんはあいつとは違う。代わりにしようって腹もねぇつもりだ。でもせっかくなら楽しんでくれよな、この世界。お嬢さんはやりたいことをやりゃいい。自由に、好きなまま。そのために爵位なんて柄じゃねぇもんもらって、この世界の安全を保ってきたんだ」
富士子やそれより前の私の世界の人たちが必死で救って、ラルケやラファドたちこの世界の大人が安寧を繋いできた世界。
「燃料が問題でな、車も汽車もないんだが、馬はいる。背に乗れる鳥も魚もいる。街にでてどうだ、なんか気になるもんあったか?」
「正直、ぜんぶ気になってます!」
「上等、上等。馴染みの店も紹介してやる」
「あ、でも私、お酒は」
「酒飲んだら判断力が鈍るんで俺も飲まねぇよ。ラルケは好きだけどな。馴染みの店ってのは、うまい魚料理を出すんだ。生け簀があって、目の前で調理してくれる。魔術でな。見たいだろ?」
「魔術調理、見たい!」
「気張ってくぞ。 ほら、正面に見えてきただろ」
ひときわに目立つ大きな建物。
白い壁に青い屋根。夜になったらプロジェクションマッピングされて、背後から花火でも打ち上がりそうな荘厳で綺麗なお城。
「王様……どんな人なんですか」
緊張してきた。
「あー。今代のはな、俺も良く知らんのだ。先代は子供の頃から知ってたんだがなぁ。辺境に流れてくる噂といや」
「噂といえば?」
「南の小国から嫁いできた王妃の尻に敷かれてるってよ」
緊張、解れてきたかも。