17
「状況は?」
すぐの問いかけに、三人とも顔を見合わせる。アンだ。
「私もファルテさんも御者さんも無事です。ラファドさんと会って友だちになりました」
「ラファドおじ様……?」
アンは驚いたように息をのみ、ふっと吐き出す。
「ミーニャといいラファドおじ様といい、引きがいいのね。これも神の思し召しかしら」
「あはは、本当に。神様に感謝しないとですね」
私たちの会話の端で、ラファドとファルテが肩を寄せている。
「ありゃ皮肉か?」
「アンはそうですが、弥生様のは本気かと」
「っぽいよなぁ」
アンは、さっきまでこの世界の医師の問診を受けていたのだそうだ。私の体は元気だと教えてくれた。
「必要なことだから、この体の血をとらせたわ。検査の結果と、滞在期間によっては、この国の予防接種を受けてもらう。抵抗感や懸念事項はあるかしら」
「アレルギーとかもありませんし、たぶん大丈夫だと思います。あ、でも、注射なら体を戻してからにしましょう」
「私が針で刺されるごとき恐れるわけがないでしょう。そもそも、もう採血済みなのだから問題ないわ。こちらからは以上よ」
まだなにかあるかと無言で訴えてくる彼女に、私は言った。
「実はアンさんにお願いがあります。体を戻してほしいんです」
「嫌よ。お兄様がいるのなら鈴を渡して代わりなさい」
「ファルテも私の味方です。とりあえずそっちにみんなで行きますね」
「……あなた、なにを」
鈴をからんとふった。
しばらく、ちりちり着信があったけれど、すぐに行くからとそれを、ラファドの馬に託すことにした。
私たちが乗ってきた馬車の御者に牽いてもらい、水場のあるところに待機してもらう。
別れる前に思い出して、私はファルテに見守られながら御者に駆け寄った。今の私はアンの見た目をしているから、彼は恐縮したように首を縮める。
「大変な役目をまっとうしていただき、ありがとございました。馬にも、もし他の御者さんとも繋がりがあるなら皆さんにも、そうお伝えください」
「仕事ですので。またなにかあれば、どこまでもお連れいたします」
また今度は、坂木弥生として、彼とも話してみたい。馬を操るってどんな感じなんだろう。聞けたら嬉しいと思った。
うまく行くか不安だったけれど、アユパヤを信じてみる。一応、二人と手を繋いだ。紋章を空に掲げる。
ベリーピンクの光に包まれた。
二回目のアンの仮部屋には、おばけがいた。
頭からシーツをかぶり、私からの直の接触を拒むことにしたらしきそのふわりとした輪郭からでも、彼女が腕を組み、こちらを睨み付けていることがわかる。立ち上る威圧感。さすがだ。
笑いかけたらしきラファドがすばやく口に手を押しつけ咳払いをする。ファルテは妹の拙いいたずらを見るように微笑む。
私はそろりと彼女に近づいた。
「アンさん。こんばんは。晩御飯はもう食べましたか?」
「当然でしょう。私があなたの体を蔑ろにするとでも? そんなことが聞きたいだけなら、帰ってもらえるかしら」
布越しでも凛とした声。
「お願いがあります」
「聞けないわ」
「いい方法を思い付いたんです。提案を聞いてもらえませんか」
「簡潔になさい」
「私、この世界に召喚されたんじゃなくて、勝手に来ちゃったことにしようかなって思うんです」
シーツおばけはぴたりと動きをとめ続けている。
「この世界が大好きで、来てみたいなって思ってたら来ちゃっただけの一般人。神様に遣わされた救世主じゃないから、私はなにも救えない。皆さんが持ってる不安を一瞬で失くしたり、この世界が一変するような技術をもたらしたり、すごいことはなんにもできない。でも、もう来ちゃったから、良ければ仲良くしてくださいって、言おうかと思います」
「あなた」
アンの表情は見えない。
けれど、震えた声がなにが言いたいのかはわかる。
アンは苛烈だけれどお嬢様だから、人に対して、馬鹿なの?って言う発想がないんだろうな。理解に苦しむ発言に非常に困惑しています、って感じだった。
「そんな戯けた言い分がまかり通ると、本気でお思いなのかしら。人の時間を奪ってまで提案したいと言うのなら、最低限の客観性は保持なさい。あなたにとっては虚構じみた世界かもしれないけれど、ここは現実なのよ」
寄る辺も見せないアンに、ファルテが語りかけた。
「現実だからこそ、意外となんとかなると私は踏んでいるよ。どうせ、このことを受け入れなくても、腹はすいて、眠くもなる。明日はくるし、時間はすすむ。未来は嫌でも今になる。人はどうしようもできないことにばかり気を取られては生きられないのだから、弥生様のことも日常に馴染ませていけるかもしれない」
「時間の悪用と間違った学習ね。ことなかれ主義のお兄様が考えそうなことだわ。……ラファドおじ様のご意見は聞かずとも当ててさしあげる。やればなにかしらの結果はでる。停滞よりは価値あるものだ、でしょう」
「正解だ、お嬢。今度アイスクリーム奢ってやるよ」
「結構よ」
アンは額に手を当てた、のだと思う。シーツのなかが動いている。
「お兄様とラファドおじ様は、ご自分の立場と役割を理解なさい。それと、あなたは」
「諦めたくありません。この世界の人たちは優しいです。私は何度も助けられてる。もちろん今この時も。恩は必ず返します」
「私たちは民に恩を貸し付けたりなどしないわ。生まれの責務をまっとうしているだけのことに、見返りなどいらない」
「立派だねぇ。つまり、交渉は決裂?」
「そうなるわ。お引き取り願えるかしら」
「いいぜ。……目的を果たしたらなぁ!」
「弥生様!」
「アンさん、すみません!」
ファルテと共に、わっとシーツおばけに飛びかかる。
アンは予想していたような動きでそれを避ける。さらには布の下からがらんがらんとベルが鳴らされた。大きな音に、耳がふさがる。彼女がシーツを被っていたのは、警報となるそれを隠し持つためでもあったのだろう。さすがだ。
しかしファルテはすばやい動きでアンの退路をたち、私は彼女に手をのばす。その体にしがみついた。
「離しなさい。あなたをまだこの体に戻すわけにはいかない。狙われてるのよ? どうしてそれがわからないの」
「守ってくれてありがとう。でも、歩く道はもう決めました」
「ファルテ兄様」
「アン。手荒な真似をしてすまない。すぐには触れないから、シーツをとって彼女の目を見てごらん。お前も、さっき呼んだ助けがくるまでの時間稼ぎがしたいだろう」
そう言われて、アンはゆっくりと抵抗をやめた。私が手を離すと、ファルテがそのシーツを優しく剥ぎ取る。
顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうなアンが私を睨んでいた。優しい眼差しだ。
「大々的にあなたを公表すれば、今あなたを追いかけ回している愚か者は黙るでしょう。その代わりにあなたに注がれるものは、決して心地よいものではなくってよ。あなたは坂木弥生ではなく、救世主でもなく、得たいの知れない異世界人。悪意も欲望も奇異も、欲しくもない好意も期待も集まるわ。巻き込まれただけのあなたが、それを背負うの? 貴族でもないのでしょう?」
「それは、背負いきれないかも」
ほら見ろ、といわんばかりのアンに、私は手を差し出してみる。
「その時はアンさんがまた私に言ってくれませんか。名前を呼んで、あなたならできるでしょって。それか、私が泣きたくなったら、アンさんの名前を呼ばせてください。来てくれなくてもいいから、私の心のなかに居てほしい。知らない人のためには無理だけど、アンさんに格好いいところ見せたいなって思えたら、私は頑張るから」
「……どうして」
「好きな物語があるんです。異世界にやってきた女の子が頑張る話。それを読んで憧れてきました。私もできるなら、あの子みたいになりたかった。でも一人じゃ全然できなくて、助けてもらってばかりでした。だからもういっそ開き直って、可哀想な異世界人で通じてる間に、助けてくれる人をかき集めてみようかなと思います」
同情するなら友をくれ。というやつだ。
「お願いします。アンさん、守るんじゃなく、隣から助けてくれませんか。あなたの力が必要なんです」
彼女の大きな瞳にさまざまな感情がめくるめくようだった。困惑。義憤。哀れみ。不安。慈悲。そして、人のために身をも投げ出す気高さが、中心に据わる。
「……なによ。こちらの尽力を無視したわりに、他力本願な甘い考えね」
アンは肩の力を抜いて、ふっと笑った。
「野放しにするのは、危険だわ」
「でもなにかをしてくれそうな予感がするだろう」
背後からのファルテの言葉に、アンはいよいよ呆れたようだった。
「聞いたでしょう。こういうのに利用されていくのよ、あなた。……力がないと守りきれないわ。私も、アン・メナードに戻らなくては」
柔らかな手と触れる。
驚いた。
「うわ!? 私の手、一日だけですごくスベスベになってる!? 高貴な人の魂って手のケアまでできるんだ!? ……あれ」
私の声だ。
続いて、ラファドの大きな笑い声が響いた
「戻って第一声がそれか。このお嬢さん、大物だな」
背中側からもファルテに笑われている気配がした。
目の前の赤毛の少女は額に手を当てていた。
「乾燥していたから薬を塗ってたのよ。環境が変われば体の不調は必ず起こるわ。適切に対処してただけのことに、騒がないで」
「アンさん……すみません、私、その体に無茶ばかりさせて……」
「そのようね。屋敷で暴れたの?」
節々に違和感があるのか、アンは自分の体をぎこちなく動かしている。
ファルテがその肩を軽く叩いた。
「彼女は寝室の窓を割ってそこから外への脱出もするし、屋敷から馬車も使わず走って町に向かったようだし、なかなかの行動派だよ」
「なに? 窓を割……? ………………?」
「へえ、やるな。お嬢さん」
「誠に申し訳ございません……」
ファルテの密告にアンは処理落ちした。
ラファドがにやついている。
私はひたすら頭を下げるしかなかった。