16
気づけばおおきく揺れている。
からからからから、私の鈴が小刻みに震える。
「あ、あれ。こんなにスピード出てましたっけ」
座ってられずに、壁にぶつかる。
外に耳を澄ませていたファルテが、唯一ある扉と私の間に体を滑り込ませ、庇うように抱き締められた。
「そちらの魔方陣がアンのもとに繋がるのだと思ってよろしいですね。まだ使えますか」
「使えると思いますっ」
「アンに連絡を。向こうが安全そうならすぐに飛んで」
「それが、さっきから揺れの振動で鈴は鳴ってるはずなのに応答が……」
その時、馬のいななきと共に衝撃に襲われた。甘いかおりにぎゅうと押し潰される。
それがファルテだとわからないまましがみついた。
馬車がとまった。とめられた。
心臓が暴れだす。
もう魔方陣を使った方が良い? 飛べるのって私だけなのかな。そうしたらファルテはどうなるの?
がちゃりと扉が開く音がする。
そして、暴風が吹き込んできた。
「おう、生きてるな」
朗々とした声。口調も響きも豪放なのに、よく使い込まれた道具のような艶がある。
私を守る手が緩む。覆い被さるファルテからなんとか顔を出すと、まずはそのカンテラの明かりが目に飛び込んでくる。
外は宵の始め。青みがかった夜に小さな火を携え、大きな影が馬車の出入り口を塞いでいる。
「良い御者だ。まず馬の扱いが良いし、忠義も篤い。報酬は弾んでやりな、坊っちゃん」
「そういたします。……すこしお待ちいただけますか」
ファルテは私を解放し、姿勢を整えるのに手を貸してくれる。
「弥生様、ご無事ですか」
「なんとか……あの、この人、私、知ってます」
右目を縦に両断する特徴的な傷は、ワユタ神殿に向かう途中についたもの。分厚い体に纏うのは騎士の礼服。とび色の目がにやりと笑う。顔に刻まれたシワが、彼をよりニヒルに見せた。
「いいぜ、当てさせてやる。俺が、誰だって?」
挑戦的で不遜な態度がよく似合う。
「ラファド・ダダ。この世で一番、勇猛な騎士」
そしてサクラの最初の仲間で相棒だった人。
彼は白髪を撫で付けながら、シワを深くして笑った。
馬車の中は狭いとラファドが言って、私たちは外におりた。お店の集まっている通りなのか、真っ暗なガラス扉なんかが、ずうっと奥まで伸びていた。この時間だと人気もなくなるようで、眠りについたように静かだった。
ファルテが御者と馬に怪我がないかを確認してる間、私とラファドと、彼が乗ってきた鞍をつけた馬は、レンガの壁に寄って待機する。
どきどきした。あのラファドがすぐそこにいるなんて。なにを話せばいいのか固まる私に、彼は気負いもなく、愛馬を労うように撫でている。
視線はそのままに、彼が口を開いた。
「メナードのお嬢じゃないんだろ。名前は?」
「坂木弥生です」
異世界人です、と私が名乗る前に、彼が感心したような声をあげる。
「弥生っていやぁ、春が始まる頃に生まれたのか? いいね、お嬢さんの雰囲気にぴったりだ」
「ご存知なんですか」
思わず顔を上げると、彼と目が合う。
お父さんみたいな、先生みたいな、大人の眼差しのなかに、淡い親しみがまざってる。
「異世界人と旅したことがある。お嬢さんよりかお転婆だったが、年の割に物知りだったよ。好きだったんだな、そういうのが」
そう、そして彼女は後に小説家になる。
私とこの世界を繋げてくれた。
「サクラフジコさんは、私のいる世界で、この世界のことを物語にして書き残してくれました。私はそれが大好きで、だからここにいます」
ラファドなら、きっとこれを聞いて大きな声で笑うだろうと思った。
そうかそうか、あいつがねぇ。なんて、すこし茶化したように喜ぶのだと。ランデリア物語の彼はそうした豪快さがあったから。
けれど、ラファドは、すこし目を開いて驚きを見せたあと、静かに微笑んだ。じわりと顔が滲んだように見えて、彼から溢れ滴るのがどんな感情なのか、私にはわからない。
「いい仕事するじゃねぇか」
ぽつりと呟くの聞いて、私は顔を伏せた。私に向けた言葉ではないそれを、聞いてはいけなかった気がした。
頭にずしりとしたものが乗る。それがラファドの手なのだと、私は自分のお父さんの顔を思い出しながら知った。
「よく言ってたよ。元の世界に帰ったら、自分の旅のことを本にする。俺たちのために、いつかここに喚ばれるかもしれない誰かのために、ランデリアが好きになるような話を書くんだって……お嬢さん」
「はい」
「あいつの夢を汲んでくれてありがとな」
スッと頭が軽くなる。温もりだけが残って、脳のなかにある芯みたいなものが、びりびりと痺れた。
顔をあげると、ラファドは私から視線を外していた。清々しげな横顔だった。彼の視線の先から、ファルテがこちらに駆け寄ってくる。
「お待たせしました。ご挨拶は済まされましたか?」
「ああ、このお嬢さんが異世界人だってことはわかった。解せんのは二つ。異世界召喚をするのは明後日だったはずだ。それに、お嬢さんの見た目、っていうよりか、体が変わってんのか? どうしてそうなった」
私が来たのは発言力の高い人たちを集めて召喚ができないことを証明する前の、準備の時だった。ラファドは、本当ならこの後にするはずの方に呼ばれていたのだ。
ファルテを見る。彼は私にうかがうように視線をくれた。頷き合う。
ラファドなら、きっと大丈夫。
ファルテが簡潔に事情を話すと、ラファドはだんだんと呆れた顔になっていった。
「こう言っちゃなんだが、世界危機が十年単位で起こってた頃の方が、文句垂れつつ全員同じ方を向けてた気がしてくるな」
彼の目が鋭く尖る。
「それに引き換え、メナード家は相変わらずだ。あのお嬢ならそりゃうまくやるだろうが、体を入れ換えるなんざ」
「こちらの事情で動ける、弥生様と寸分違わぬものを用意するのには、最短で確実な手段です」
「ラルケは? 嫌がるだろ、こういうの」
「術をかけてくださったのが、そのラルケ様ですよ」
ラファドは肩をすくめた。
「野郎、俺が辺境に行ってる間に貴族に目覚めたか。勤勉な奴め」
「あなたも貴族でしょう。ラファド・ダダ侯爵」
「んなもん、とっくに甥に譲ってるよ」
ラファドが荒っぽく自分の白髪を撫で付けた。ため息をついている。
「あの、ラファドさんはどうして私たちの乗ってた馬車を停めたんですか?」
「似たようなもんが町中何台も走ってたら気になるだろ。はやくこっちについたから馴染みの店に顔でも出そうとしてたら、ちらちらちらちら目にはいって仕方ねぇ。いっちょ話してみるかと思ったんだよ」
「まさか……他の馬車も同じように襲ったのですか」
顔をひきつらすファルテを、ラファドは鼻で笑った。
「するかよ。覚えとけ、坊っちゃん。馬車に人乗せたらな、その重みの分だけ馬の足取りも馬車の揺れ方も変わるんだ。なにより御者の緊張が違う。撹乱のつもりだったんだろうが、バレバレだったぜ?」
「……走る馬車を見てそこまでわかるのは、あなたくらいのものですよ」
「そうか? まあ、いい。俺の疑問は解決した。あとは」
ばちりと目があう。
「お嬢さん」
言われるのを首をふって制した。
「私の気持ちは、さっきお話しした通りです」
「そうか。なら俺も、お嬢さんへの感謝を取り下げたりはしねぇよ。そんで、もしお嬢さんにやりたいことがあんなら、このラファドが力を貸すぜ」
「ありがとうございます。さっそくですが、お言葉に甘えていいですか?」
「おう、なんだ」
私は、彼に手を差し出した。
緊張する。ファルテもこんな気持ちだったのかな。
「友だちになってもらえませんか。どうせすぐに帰れるかわからないなら、この世界を楽しみ尽くしたいと思ってます。いろいろと教えてもらえると嬉しいです」
ラファドは、片方の口の端だけ器用に持ち上げて、笑った。手を強く握り返される。
「いいね。案内してやるよ。代わりに、富士子がどんな物語を残したか、あいつが今どんな世界で生きてるか。俺に教えてくれねぇか」
「はい! ぜひ!」
なにから語ろう。なにから聞いてみようか。
ラファドを見上げていると、同時に彼の後ろに、たくさんの星が見えた。
あまねく輝き。それらすべてに、こうして手を差し出したい。そう思った。
星がささやくように、鈴の音が聞こえる。




