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傍目からみると真昼の町でイブニングドレスを来た女性と貴族っぽいけど薄汚い女の子が一緒にいるのは目立つだろう。
ミーニャの魔術師はまず、姿眩ましの術を使ってくれた。これで人目につきづらくなるらしい。
大通り中ほどにある広場の噴水の縁に腰かけて、私はミーニャの魔術師にこれまであったことの全てを話した。
彼なんだか彼女なんだか変幻自在なその人は、ほどよい相づちをうちながら、私の足の治療や飲み水の手配を手際よくこなし、自分は自分でコーヒーを喫し、ころころと笑った。
特に、アンが私に女性を頼ってミーニャ様の礼拝をしたいと言え、と指示を出したところで。
「それは、その子なりにおまえさんを慮ったのだろう。変な男に引っ掛かるなよ、だな。実際、性別がこうだから安全とも限らないが、同性だからこそ親しみを持ち、手を尽くすものが多いのも事実。偉い子だ」
そして私の頭を優しく撫でた。
「そしてその情報しか与えられなかったのに、爺の私をよく信頼してくれた」
「それは、あなたが先に私に心を開いてくれたからですよ」
「それはそうだな。私も偉い。よくやった」
さて、とミーニャの魔術師は指に挟んでいたカップを手品のように跡形もなく消す。
「アンに会いたい。それが望みか」
「そうです」
元の体に戻って、元の世界に帰りたい。そう言うこともできるけれど、今、私の熱をもっとも高くするのは、やっぱりその願いだった。
「容易い望みとも言える。おまえさん、その子が身に付けているものと対になるものを持っているな」
「はい」
私は鈴を取り出して見せた。
ミーニャの魔術師はライトブルーに塗った爪先でそれを指差す。なにかを呟く姿は見覚えがあった。リックが私にかけられた魔術を探るのに、魔方陣を呼び出した動きだ。
予想通り、鈴からは赤い光が放たれ、光はすぐに綺麗な魔方陣にかわる。
「ああ。これは良い。良き研鑽を重ねた魔術師の陣だ。こういう時でなければ、じっくり見させてもらいたいものだな」
私にはわからない良さがあるものらしい。
「ありがとうございます。恩ある人の一人なので、褒められると私も嬉しい」
リックというんですよ、と言いかけて、やめた。面識のないひとに自分の名が知られるのは、怖いことだ。
かわりに声には出さずピンクのウサギ、ピンクのウサギと心のなかで唱えた。
ミーニャの魔術師は必要な情報は得たのか、すぐに陣を閉じる。
続いて、私に手のひらを差し出した。
「手を貸してくれるか」
重ね合わせるように手をとる。
「くすぐったいかも知れないが、我慢してくれ。陣が乱れると効果も変わる」
そう言うと、指先で私の手の甲に魔方陣を描き始めた。その指先がなぞったところに、ベリーピンクの光が残る。
好きなのかな、ベリーピンク。
「この色は私の好きな果実の色なのだ」
「え、いま、心を?」
「ん。なんだ、ちょうどそのことを考えていたのか。おまえさんは目の付け所がいい」
この人、すぐに褒めてくれるな。
好きになりそう。
「魔術師の陣の光は、実のところ何色でもいいのだ。なにも考えずに描くとたいていは好きな色になる。発動効果によって色分けをするマメなものもいるな。学んだ師のをそのまま真似たりもする」
「あえて変えたりもできるんですね」
「そうだ。術には特に意味がない要素だから自由にできる。だが、こだわるものはこだわるぞ。さっきの私のように、魔方陣は人に見られることもある。そして、力自慢はあえて痕を残したがる」
「この色といえば自分だぞ、みたいな感じで印象付けておくんですね」
「飲みのみが早い。良い子だ」
ミーニャの魔術師は、すこしだけ人の悪い顔で口の端をつり上げた。
「そうなるとな、あいつと同じ色使うのはやめおくか、なんて忖度も生じてくる。厄介だが、魔術師は研鑽により力を伸ばすもの。自分より多くの知識を有する先人に砂をかけては成り立たない」
そこまできいて、ふと、私のなかで疑問が頭をもたげた。
「もしかして、白色って特別な人が描く魔方陣の色なんですか」
私は白い光によってこの世界にやってきた。
そして、リックが見てくれた魔方陣も白かった。激烈なあの白い光。すべての始まり。
ミーニャの魔術師は良くできましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべ、その名前を口にした。
「白といえば今は一人しかいない。ラルケ・アヴァシャ。……意外とラストネームは知られていないのが、いかにも有名人らしいとは思わないか。齢八十を過ぎてなお、アヴァシャ家の当主を勤めていると言うのにな」
皮肉げな響きが頭のなかで反響する。
ラルケ様。ランデリア物語にも出てきたその人は、いまや神殿の重鎮なのだとファルテが言っていた。
それに、アヴァシャも同じ馬車のなかで聞いたはずだ。メイヤー家と結び付きが強い家だとファルテが言った。
私を呼んだのはラルケ。
体をアンと入れ替えたのもラルケ。
アンを匿っているのも、ラルケが権力をもつ神殿。
メイヤー家と仲良しの、アヴァシャ家のラルケ。
ぞっとした。
知らない間に大勢の人に囲まれていた自分に気づいた気分だった。
そして、次に思い浮かべたのは、優しげな眼差し。燃えるような赤い髪にエメラルドの瞳を持つファルテ。彼は、なにを、どこまで知っているのだろう。
「さあ、できた」
肩を叩かれ、私は自分の手の甲を覗き見る。
そこにはベリーピンクの魔方陣。リックのびしっと整ったものに比べると、丸っこくてのびのびした、植物画みたいな紋様だった。
「かわいい」
思わず呟く私に、ミーニャの魔術師がふわりと笑う。
「私はミーニャの魔術師の一人。アユパヤ・マルカ」
私は弾かれたように顔を上げる。チャーミングな灰色の瞳が、ゆらゆらと揺れながら私を見つめ返した。
「ミーニャの魔術師だからと自分の名を教えてはいけないわけではない。自分の名を知っていてほしい人には教える。友人になりたいから」
「……友人……なんで、私と?」
「なんとなく。それではだめか?」
いたずらに首を傾げるアユパヤの切り揃えられた髪がさらさらと流れた。手入れの行き届いた、ベリーピンクの髪。
私はそれを一生、忘れたくないと思った。
「坂木弥生です。よろしくお願いします」
「よろしく、サカキヤヨイ。……ちなみアユパヤは北領の言葉で、水たまり、という意味になるのだが」
「水たまり?」
「あればわかるが、いつなくなるのかは誰も知らないもの。誰も終わる瞬間を見届けられないもの。なのに、いつもどこかにはあるもの。名付け人はそこに永遠という願いを込めて、私をそう定義した」
「素敵ですね」
「だがそのせいか、いつもあちらこちらに点在する神出鬼没の放蕩ものになった。おまえさんは?」
名前の意味は、と聞かれている。
「私の場合は、坂木が家族の名前です。坂の上の木。弥生は、草木が勢いをまして生い茂っていく様を表します。私が、どんどん豊かに新しく、広がっていくようにって名前です」
「良い名前だ」
「そうなんです。私も、そう思います」
両親の顔を思い浮かべながら私は、ふと肩の力をぬいた。会いたいとか、帰りたいとかではなくて、ただ、二人に惜しみ無く注がれてきた記憶がふわふわと私を包む。
「落ち着いたな?」
アユパヤからの問いかけに、素直に頷く。
ラルケのことやファルテのことで感じていたもやもやから、心を遠ざけられていた。
「ミーニャの魔術師は手助けしすぎないのも鉄則だ。今回に限っては、私の役目はここまでになるだろう。弥生。頑張って」
「ありがとうございます、アユパヤさん。……私、人の背を押してくれるミーニャが大好きでした。そして、今日友人になったあなたのことは、もっともっと大好き」
良い子、と言うように、アユパヤは私の頭を撫でて、ベリーピンクの光に包まれ消えた。
残された私は噴水を背にして立ち上がり、すこし考えてから、リックの鈴をさっきまで座っていたそこに置いた。
空に手をかざす。
これがどういう魔方陣かは、さっき手本を見せてもらったばかりだ。魔方陣はベリーピンクに輝いて、その光は私の全身を覆った。
視界がぱっと切り替わる。