古書店「噺堂」 綺麗なアイシャドウ
「お前、もう少し身なりに気を付けたらどうだ?」
「人の顔を見るなり出た言葉がそれかよ。相変わらず失礼な奴だな」
茹だる様な暑さの中訪れたいつもの店に入り俺の顔を見た店主が、開口一番に放った言葉に眉を顰める。
「いやなぁ、いつもビシッとキメろとまでは言わんが流石にいつもその無精髭に着古した作務衣と毛羽だった草履というのは如何なものか、となぁ」
「いいんだよ。今日はどうせ誰も来やしねぇんだから」
「急な来客、というのもあるだろうに」
「・・・今日急に来るような客は碌なもんじゃねぇ・・・だから、良いんだよ」
「フム・・・お前のそういう勘はよく当たる。お前がそう言うならそうなんだろうさ。
だがなぁ、それと身なりはまた別の話だろう?まぁ、あまり見てくれに囚われ過ぎるのも良くはない、がな」
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた店主に、また何か新しい話しを仕入れたのかと入り口に立ったままだった姿勢から店主の前へと移動し、手近な椅子を引き寄せて腰を下ろす。
俺が話を聞く体勢になった事に笑みを深めた店主は、組んだ手の上に顎を乗せながら、ゆったりとした口調で話し始めた。
これは、美しさに執着した女の話さ。
彼女は幼少の頃から整った顔立ちをしていてな。両親のみならず、周りの大人も友人たちも、皆彼女の容姿を褒め称え羨んだ。
成長するにつれて、彼女のその美しさは益々磨きがかかり、誰も彼もが彼女の美しさに見ほれるほどだった。
そんな様だったからか、彼女もいつしか美しく在ることが自身の存在する価値であると思い込んだのさ。
だから彼女は、常に美しく在る為の努力を惜しまなかった。
様々な美容法、体型を保つための食事制限や運動、自分をより美しく見せるためのメイク術など、美しさに関する事への知識を貪欲に学び、実践した。
その甲斐あってか、彼女の美しさは年齢を重ねても衰えはしなかったが、それでも、人間である以上加齢には抗えなかった。
他者よりはその老いは露見し辛いとはいえ、確実に体は老い、所々で老いによる変化は彼女の心を苛んだ。
周囲の人間からすれば、年を重ねても美しく、努力し続ける彼女の姿は羨望を通り越して尊敬の念すら抱くほどのものだったのだが、彼女自身は、そんな周囲の評価では満足出来なかったのさ。
『私は、まだまだ美しくいたい。もっと美しく、老いにも負けない美しさが欲しい。』
それは最早、欲望というよりは執念だ。
美を求め続ける彼女は、最新鋭の美容法を試し、その内ついには効果の程も分からない怪しげなサプリにまで手を出し始め、近しい友人たちが心配する声も聞かず、美しくなるためならばと手段を択ばなくなっていった。
そんなある日、いつもの様に買い物に出ていた彼女の目に見慣れぬ一軒の店が映った。
『この通りにこんなお店、あったかしら?』
その店は少し古めかしい木造の雑貨屋の様で、普段の彼女であれば絶対に近寄ることすらしないような外観の店ではあったが、不思議とその店に吸い込まれるように躊躇なく扉を開く。
中は、外観と同じく木目調の棚が並び、そこには見たことも聞いたこともないブランド物らしい品々が所狭しと陳列されていた。
化粧水や化粧品は勿論の事、メイク用の動道具や香水アクセサリーなど商品の種類も数も豊富で、彼女は最初に感じていた店への違和感も忘れ店内の商品に夢中になった。
その中でも一番彼女の目を惹いたのは、一つのアイシャドウパレットだった。
光沢のある夜空の様な深い青色のパレットの中には、数種類の青系統のアイシャドウが嵌っていてそのどれもが彼女の心を掴んで離さない。
彼女が思わずそのアイシャドウを手に取ってうっとりと眺めていると、いつの間にか傍に来ていた店員らしき男が彼女へ声を掛けた。
『いらっしゃいませ。』
『えっ・・・』
『お客様、そちらの商品は気に入って頂けましたか?そちらは本日入荷したばかりの一点物の商品でしてね、私のお勧めなんですよ。』
女性ものの商品を取り扱う店には、あまり似つかわしくない海松色の着物を着た丸眼鏡の男は、突然声を掛けられて驚く彼女に微笑みかけ店主を名乗ると、彼女の手にしているアイシャドウに目をやり流暢に説明を始めた。
『そのアイシャドウは私の取引先が独自に開発したモノでしてね、特殊な製造法故に量産も困難でまた世界に一つしかない商品なんですよ』
彼女は、手に持ったままのアイシャドウを見ながら店主の言葉を頭の中で繰り返す。
『世界に一つしかない』
誰にとっても、まだ誰も手にした事がないと言う物はそれだけで価値がある。
彼女も例に漏れず、その言葉の魅力に憑りつかれていたが、何よりも彼女の心を惹いたのはそのアイシャドウの美しさと、それを塗れば自分の美しさをより高めてくれるという謎の確信で、迷うことなく購入を決めると店主の見送りの言葉すらも聞かずに店を飛び出した。
『早くこのアイシャドウを使ってみたい!』
もう、彼女の頭の中はそのアイシャドウの事で一杯だった。
いつもならば運動も兼ねて電車で帰るところを、歩く時間も電車を待つ時間も惜しいとタクシーを拾って急ぎ帰り、靴を脱ぎ散らかしたまま部屋に入ると化粧台の前に座り、使い慣れたメイクボックスを引っ掴むと手早くメイクを落とし、いつも通りベースケアと下地を丁寧に施し、自分の肌に一番合うファンデーションとパウダーを乗せ、左右均等に眉を描くとアイシャドウをグラデーションになるよう瞼へと乗せる。
そうして完成したメイクに、彼女は鏡を見つめたまま惚けたように溜息を吐いた。
普段ならアイラインもチークも口紅もきっちりと塗ってようやく満足のいく仕上がりになるはずが、眉を描きアイシャドウを塗っただけのメイクなのにも関わらず、彼女の顔は自身が見惚れるほどに美しく完成されていた。
まるで月明りのない、星だけが瞬く夜空のような深い青は冷たく、けれども圧倒的な美しさを放ち、見る者の目を捉えて離さないだろう。
彼女は頬杖をつき、満足げに微笑んだ。
『これよ。これこそが、私が望んだ最高の美しさ。』
その日から、彼女は毎日このアイシャドウを使った。
彼女の美しさに、誰もが振り返り、うっとりと熱に浮かされたように見惚れ、その様を見て彼女の心は満たされていった。
けれども、その美しさは長くは続かなかった。
アイシャドウを使用するようになってから一週間、瞼に違和感を感じた。
鏡で見ても特に変わった様子はなかったが、少し赤みが出ているような気がした。
心なしか痒みもある。
彼女はそれでも、花粉症にでもなったのかと深く気に留めることはなかった。
しかし、赤みは日に日に増し鏡で見ても分かるほどに、痒みは次第に痛みへと変わり、瞼が少しずつ膿みだした。
病院へ行き薬を処方されたが、塗り薬も飲み薬も効果はなく、膿は悪化して爛れ痛みは常に痛み止めを飲まなければ耐えられない程にまで酷くなっていった。
それなのにも関わらず、あのアイシャドウを塗ると途端に膿んで爛れていたはずの瞼はいつも通りの美しさを保ち、痛みも消えていた。
それからは眠るときですらアイシャドウを塗ったままにするようになってしまった。
しかし、物とは使えばその分消費する。
残り少なくなり、底の見え始めたアイシャドウに、彼女は焦った。
『これが無くなってしまったら、私のこの美しさは失われてしまう』
美しさが損なわれることを恐れた彼女は、アイシャドウを買った雑貨屋を探すがあの日行ったはずの場所に店はなく、その周辺を探し回っても、終ぞ店を見つけることは出来ないまま、とうとうアイシャドウを使い切ってしまった。
そこからの日々は、彼女にとって絶望そのものだった。
膿んで爛れた瞼は腫れあがり、膿から流れ出る汁は悪臭を放ち、耐え難い痒みと痛みに襲われては堪え切れずに掻き毟り、掻いた後からは血が流れそれが更に膿を酷くする悪循環。
病院で検査を受けても原因は分からず、薬はどれも効果がなく、症状は改善されず悪化していくのみ。
美しかった顔は、目も当てられぬ程醜く変貌し、もう以前の彼女の面影はそこにはない。
薄く開く目で鏡を見る度、醜く悍ましく変わっていく自分の顔に、彼女は心を病み終にはその醜い顔を見なくて済むようにと強く瞼を掻き毟って絶叫しながら眼球を抉り取り、発狂しながらベランダから身を投げこの世を去った。
彼女の周囲の人間は、突然の自殺に心を痛めた。
特に彼女の近しい友人たちは、彼女が唐突に醜くなっていき心を病んでいる様を見ていた者もおり、自分たちがもっと早くに彼女の異常に気付き支えていれば、こんな結末にはならなかったのではないかと後悔していた。
しかしなぁ、彼女らがいくら後悔していたところで、本人が美しく在ることに囚われていた時点で、こうなることは決まっていたのさ。
そもそも、彼女はなにも病に罹り心を病んで自ら死を選んだ訳じゃあない。
原因は、あのアイシャドウと、それを売っていた店にあったのだから。
あのアイシャドウは、とある女の遺骨を用いて、あの店の店主が作った呪具だったのさ。
使われた遺骨は、美に執着した女の遺骨。
その女は生まれながらにして醜く、自分の容姿を憎み、美しい容姿をもった女に嫉妬した。
自我が芽生えてから、彼女は常に妬み、嫉み、憎み、恨み、醜い自分と美しい女たちを呪いながら、鏡の前で眼球を抉り取り、そして飛び降りて死んだ。
女の死後、どうやったのかあの店主は女の遺骨を手に入れ、ソレに加工を施して、美しさを求める女を惹きつける呪具にした。
醜い女は美しく、美しい女は更に美しく。
誰もが見惚れるほどの美しさを手に入れられる。
その代償として、使えば使っただけ、次第に醜くなっていく。
そうして醜くなっていくにつれ美しさへの執着が増すのに比例するかのように、美しさからは遠ざかってしまうことに心を病み、最後には皆眼球を抉り取って飛び降りる。
そういう呪具を作った男の目的は分からない。
だが、あの男はいつだって、人間の命を、魂を、狙っているのさ。
「だからお前も、不用意に見知らぬ店には入らん方がいいぞ」
「いや、俺の身なりの話はどこいったんだよ・・・つか、そんな店が本当に存在すんのか?」
「お前の身なりの話で思い出したってだけさね。
だが、この話に出て来た店は実在する。
しかも厄介なことに、この店はその時々で売っている品が変わり、店に入ったものが欲しいと思うものが置いてある。
思わず手に取ってしまう様な物が、な。
人間は誘惑に弱い。お前も精々用心することだ。」
「つまり、俺の前にも店が現れる可能性がある、と?」
「あぁ。
仮に店が現れなかったとしても、お前はあの店主と何らかしらの縁で結ばれる可能性は否定しきれん。
なにせお前は、不思議な因果を持っているから、なぁ」
店主は言外に、この店を見つけた事も含めているのだろう。
口元だけはいつもの様に薄気味悪くニヤついているが、その目は笑っておらず、真剣に忠告されているのを悟って茶化すようなこともはぐらかすようなこともせず、小さく頷いておくに留める。
俺が頷いた事に満足そうに目元を緩ませた店主は、その後仕事があるからと珍しく店から俺を追い出した。
「この店の仕事って、話しの仕入れか・・・?」
どのようにして店主が様々な話を仕入れているのかは謎であり、気にならないと言えば嘘になるが、知っても碌なことはないだろうと素直に日の沈み始めた小道を歩いて帰る。
そして自身の管理する寺に着いた時、俺は驚愕した。
俺を待っていたという、とある参詣客が持ち込んだ品。
自殺した友人の遺品の中から見つかった一つのアイシャドウ。
夜空を思い浮かべる様な、美しく深い青色のそれは、つい今しがた噺堂の店主に聞かされた話に登場したそれだった。
参詣客はそのアイシャドウに何かを感じ、友人の死がこのアイシャドウによるものなのではないかと考え、お祓いを頼みたいと俺に言った。
あの話を聞かされた後で、正直この依頼は断るべきかとも考えたが、目の前で涙を堪えている参詣客を見て一度深くため息を吐いてから、お祓いを受ける事を決めた。
「アイツの言った通り、縁が出来ちまった、って事なんだろうなぁ。
ったく、やっぱり今日来る客は碌な客じゃねぇ・・・」
溜息混じりに出た言葉は、重々しく夕闇へと溶けていった。