【第四章 結局夢が一番じゃね?】
あれから俺は夕食を食べてシャワーを浴び、今まさに就寝せんとしている。そう、『就寝』したいんだよ今は。
現夢は夢みたく『身体が休んで意識下で見ているような状態』ではない。肉体ごと現夢に滞在してそのまま朝を迎えた昨日の俺は、一日オールしたみたいなもんだ。だから今の俺は疲労困憊だ。
「はぁ……疲れた……今日こそは『現夢』じゃなくて普通に『夢』に行きたい――――――――Zzzzz……」
そうして俺は死んだように眠りに就いた。
次の日。俺はいつもどおり学校に足を運ぶ。
ぽすんぽすん……ぽすんぽすん……
今俺は電車に揺られている。と、今日は違うか。今日は俺が電車を運転している。
「今は、時速三百キロ、と。もうちょい飛ばそうか」
『え~この先、天比嘉、幻影峠、蛍光西の内いずれかに停車します。お出口は交互にとめどなく開きます。注意して降りるように~』
車内アナウンスが流れた。とにかく今は運転に集中しよう。
そのあと俺は、校門の前に電車を停めて、運転を交代してもらい、電車から降りた。そして校門に足を踏みいれる。
一時間目の授業が行われるのは二十七階の教室。階段はしんどい。俺は教室までエレベーターを使った。
「えー、今日は前回の続き、スイートポテトの作り方からやっていきます。まずサツマイモ、これな~? これを、レンジで温めて――――」
一時間目が始まり、家庭科担当のマサ先生がスイートポテトの作り方を解説し始めた。
「柔らかくしてから~、はい何を加える? 昏藤」
「えっと、チンゲン菜です」
「そうだな~? はいここで、すり潰したチンゲン菜を――」
休み時間に入り、俺は友人と他愛もない話をしていた。
『最近洗顔に使ってるドレッシングまじで効果あってさ~』
『まじ? 俺はヘアオイルにごま油使ってていい感じよ!』
「まじ? それっ……て……え? いやそうだよね……!」
なんだろう、なんか違和感を感じる……いや気のせいか。
『おいどうした? 湊太朗』
「…………あ、ううん! なんも!」
『大丈夫か? お前』
「……うん、! だいじょう……」
その時、背後にいつもの気配。
「元気にやってるかしら?」
「?! って、その声は……」
『おい? 湊太朗どした?』
「あ、いや~、なんでもないよ!」
少し慌てながらも俺は小声で彼女に話しかける。
「……ボックスちゃん、学校ではやめてよ……。今は姿が見えないんだし、俺が一人で喋ってるみたいじゃ――――」
「夢、それはニンゲンの理想が空間化されたディメンション」
「え……?」
「自分に話しかけてくるストレンジャー、どこまでも追いかけてくる化け物、意味深なメッセージ……」
「―――え? あ~皆ごめん! 気にしなくても……」
その時俺は、確かな違和感を感じた。
目の前に居た二人は中学の頃の友人と高校の友人。互いに面識はなかったはず。そして視界に広がっていたのは見覚えのある場所。やたらと横幅の広い廊下、木造の扉と壁、天井には天窓がついていて光が入ってくる。外装はコンクリート造りの校舎、二つの校舎の間を覆う巨大なドーム。
おかしい、さっきまで確かに俺は高校に居た、けど間違いなくここは……
俺が通っていた中学校…………
「……なんで……」
「気づいたかしら?」
「これは……夢か……?」
「そう、夢よ」
確かに言われてみれば変なことだらけだった。そもそも今、俺の姿はFPSゲームみたいに三人称視点で見えている。なのになぜか、夢を見ているときはその違和感に気づけない。のちのち考えたら不自然な所しかない夢を見ていても、夢を見ている時は夢だと気づけない。
「ねぇ……頬をつねってみてちょうだい」
…………ぐにっ――――――――――――
「……痛くない――――――」
――――トゥルルルトゥルルルトゥルルル……トゥルルル――――
「――――はっ……」
朝の六時四五分、この日も不愉快な目覚ましが鳴り響く。
「今回は、ただの夢か……」
俺はすぐに顔を洗いに洗面所に向かった。
「さっき俺は確かに頬をつねった」
あざもなにもない。
「あれが……夢……」
今日の日も補習。今の空間は、夢じゃないよな? と俺は何度も頬をつねって痛みを確認しながら登校した。周囲からはよっぽど変人に見られていたことだろう。
「え~、去勢というのは――――」
今日もいつもどおりに糸尾眞紗先生の授業を受けた。
家に帰り、俺は机に向かって考えた。現実、夢、現夢。三つの空間を経由した俺のあくまで個人的な感想になるが、
「やっぱり……夢がいちばんじゃね?」
これといって現実に支障をきたすわけでもない。自分がなにか失うわけでもない。夢は自分のユートピア。誰にも邪魔されない。
「今日も寝ーようっと」
そしてもう、彼女は話しかけてこなくなった。
気がつけば月日は流れ、十一月半ばに入っていた。今年の暑さは異常なほど続いたが、ピークは山場を過ぎ去り、耳障りなほどうるさかった蝉の声は次第に町から消えていった。
彼女の声は、今日も聞こえてこない。
「そういやあの出来事は、一体なんだったんだろ」
現状俺は、現実では不自由なく生活できている。毎日見る夢だって今までどおり充実している。
「……現夢…………」
そう口にしながら机の引き出しの中に手を入れる。雨の日の犠牲になった教科書ようなシワをつけたメモ帳が手先に当たる。
『わかりやすい! 現夢の入り方マニュアル』
長すぎて暗唱する気も起きなかったこの文章。
「俺は……またボックスちゃんに……」
その日の夜から俺は、マニュアルの文章を一ページずつ暗記していった。英単語を暗記するのに加えて。目標があるから頑張れた。
悔しみに暮れたあのとき――――そう、一学期期末テストを思い出して。
「……今、夢とうつつの間にいらんとする者ここなり――――」
ただ俺は……もう一度…………。夜十二時前、ベッドに横になりながらマニュアルを読む。
ザァァァ…………ゴロゴロ……ゴロゴロゴロ…………。
「……………………」
外は雷鳴を鳴らしながらザアザアと季節外れの豪雨が降っている。
「あの日と……似てるな……」
こんな日の就寝時間、一般的にはどう過ごすだろうか。『どうもこうも目閉じてるだけだよ』そんな模範解答は、俺には当てはまらない。
『(湊太朗の脳内)現夢は見かけ上現実。空間の構造は現実と全く同じ。だがあの時俺が宙に浮かんでたみたいに夢っぽい要素ももつ、ということはつまり――――――――――――――宇宙の果てまでだって行ける? ってことはその様子を自分の目で確かめもできる……! 宇宙が存在する……夢と現実、いずれの要素も持つディメンション、これが現夢の……全て?』
俺はこんなふうに考えごとをしてしまう。最初に現夢に入り込んだ日から、三カ月半ほどの時間がたった。かつての俺が寝る前に考えることと言えば宇宙のことだった。それが今は、現夢のことになっている。
いまだに俺は、現夢について深層部分を全く理解できていない。
『そもそも、現夢って……どこにあんだよ……』
『それより現実がどこにあるかも証明できなくね……?』
あああああわかんねええええええぇぇぇえええ。こういうのは考えるほどわからくなってくる。まぁそこに趣があっていいのだが。
そして、どうしても忘れられない人がやっぱりいて。
『なんで、俺にだけにずっと話しかけてきたんだろう――――ボックスちゃん……。世の中には八十億人あまりの人間がいるのに、なんで俺にだけ……。そして、いちばんの謎……。俺は現夢に入ったとき、なんで死ななかった、んん……』
そろそろ……眠くなってきて…………
「…………湊太朗、君……」
「んえ……」
まさに眠りに就かんとしていた瞬間だった。聞き覚えのある声がうっすら聞こえてきて、とっさに俺は目を開いてしまう。
「……ん? な、う……、ああぁあああぁあああああああああああ!!!!!!」
雷に打たれたような、あの衝撃が身体に走る。
「…………」
「ひ、久しぶり……ボックスちゃん……」
気がつくと空の上にいた。目の前には彼女の姿。しかし、
俺の目に映る彼女の顔は、少し複雑な表情を浮かべていた。