【第二章 三つ目の次元】
結局俺は、あれだけ準備してきた世界史も、英語も古典も受けることはできなかった。
「さ、最低ラインの……五日が過ぎたら、行こう……」
という気持ちだけで、辛うじて考査三日目から参加したものの、体調が悪化して次の日から撃沈。結果受けることが出来たのは、数学、コミュニケーション英語、生物の三教科だけに終わった。
そして、中間考査で青点を取って期末考査を受けなかった現代社会が成績不振認定、三年生の一学期追認考査が確定。一学期が終わり、夏休みに突入、俺は追認考査を受けてきた。
ここでようやく序章の冒頭へと戻ってくるわけだ。
周りとの遅れを取り戻すべく、夏は毎日勉強に励んでいこう。そんな気持ちを胸に抱え、夜十二時前、ベッドに横になった。
ザァァァ…………ゴロゴロ……ゴロゴロゴロ…………。
「……………………」
外は雷鳴を鳴らしながらザアザアと豪雨が降っている。こんな日の就寝の時間って皆どんな感じで過ごしてる?『どうもこうも目閉じてるだけだよ』そんな答えが返ってくるのが妥当だろう。しかしこんな人もいるのではないだろうか。
『(湊太朗の脳内)宇宙の始まりはビッグバンって言われてるけど、その前はなんだったんだろう。そもそも何もなかったってこと? 何も無かったらなぜビッグバンは起きた? 宇宙を空間として捉えれば今の宇宙にも外が存在し得る……? いや時間か? 宇宙とは時間の流れそのものなんじゃないか……?』
つい考えごとをしてしまう。俺はそのタイプだ。
『そもそも俺たちってなんなんだ……?』
そしてニンゲンとは、人生とは何か。そんな方向にまで思考を飛躍してしまう時もある。
『このだだっ広い宇宙の中の地球の表面で、生まれてちょこっと生きて死んで……。なんのためにこんなことしてるんだろ』
そんな考えごとが、頭の中をぐるぐるとかき乱していく。これはおそらく哲学的に生じる疑問であり、方程式のように解の公式を使って簡単に答えを求められるような問いではない。
考えて考えて、答えが出る前にだんだん眠くなっていき……
『……Zzzzzz…………』
こうして今日も眠りにつくことができ……
どおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおん!!!!!!
「な、なんだあっ?!」
どうやら雷が我が家に直撃したらしい。
「はぁ、撃たれたかと思ったわ……。いやある意味打たれたのか。しかし、これはマズいな……」
ここで俺はある回想を始めた。時は俺が幼稚園児ぐらいの頃。我が家は以前、雷に打たれて全電灯がショート、エアコン故障、受話器故障、その他もろもろ特大被害を受けたことがあった。
「今回もいろいろ総とっかえかぁ。あぁ、ありゃ駄目だ。アンテナ完全に逝ってるわ。ん? アンテナ?」
えーっと今の状況を説明すると、俺は家の屋根に付けられたアンテナが壊れている様子を何故か上から見下ろしている――――そう、上から。
まるで神になったかのように、マ●ンクラフトのクリエイティブモードでプレイしているかのように、空に浮かんで上から近藤邸を眺めていた。
「これは――――夢か?」
「そう。夢よ」
「うわぁ! ビックリしたぁ……」
突如として背後から聞こえたのは女性の声。それに対し俺は、物凄く間抜けた返事をしてしまった。
「夢だけど……夢じゃないわ」
「……はい?」
「これは夢だけど、夢じゃないって言ってるのよ」
「となりのト●ロ?」
わけのわからない状況で、わけのわからない事を言われ、わけのわからない返しをしてしまった。
とりあえず声の正体を確認しようとするが、周りの暗さがその人物の姿を打ち消している。声色で女性ということは識別できた。他になにか情報を……
「あ、あのー…あなたは一体誰――――」
「昏藤湊太朗」
「!?」
俺の問いかけを遮るように、彼女は俺の名を口にした。
「あなたはね、ついさっき眠りに就くその瞬間に雷光を身体に受けたのよ」
なんで俺の名前知ってんだ……? ってか雷を身体が受けた?!
「えっ、俺って、死んだってことなn――――」
「そんなこと言ってない」
また途中でカットインしてきた。
「別にあなたに雷が直撃したわけじゃない。雷光を受けたって言ってるの。そしてその際に鳴ったけたたましい雷鳴であなたは目を開けた」
「……………………」
まるで俺の部屋で起きていた一部始終を監視していたかのような説明具合、コイツは……一体……。
「その一連の行動がね……夢と現実を融合させたこの世界……『現夢』へ入る方法なのよ!!」
「な、なんだそれ……?!」
その瞬間、豪雨はサッと音を消し、一瞬にして止む。そして雲の隙間から月の光が差し込み、
「私の名前はボルテックス。よろしく」
明るめの茶髪ボブ。左耳にピアスを開け、首にチョーカーを巻き、革ジャンを羽織った彼女の姿があらわになる。
雲の隙間から差し込んだ光に辺りがパっと照らされ、改めて自分が宙に浮いていることに気づく。
これもう夢だろ。
「あぁ、あははは~……いやぁ、よくできた夢だなぁ」
「夢じゃない」
「いや夢でしょ!」
「現夢よ!」
現実と夢の間をとって現夢……そのまま過ぎる。これがもし小説の世界とかなら、作者のネーミングセンスを疑ってしまう。ひどいもんだ。
「じゃ、じゃあ夢じゃなくてこの空間がその現夢とかいうやつだって証明してみろよ! ボ、ボル、ボルなんとかさんよ!」
「ボルテックスよっ!! いいわ、この空間が現夢だと証明するための……とっておきの方法があるのよ――――――」
なんだ、一体何を始めるというのだ……? コマでも回し始めるのか、そ、それとも――――――
「頬をつねりなさい」
「なんだそりゃ」
頬をつねる。いわずと知れた夢か現実かの確認方法。だが、この方法で答えを導けるのは『夢か現実か』の二択問題。現夢とやらの確認方法にはならないんじゃないか……?
「こ、こうですか?」
ぐにーっと俺は自分の頬を軽くつねって彼女に問う。
「全っ然だめよ。もっとこう……」
「い、いだぁぁぁぁああああああぁぁああ!」
つねる、というより引きちぎる勢いで、彼女は遠慮なく俺の頬を引っ張ってきた。
「いぃ痛い痛い!! マジでちぎれる!! おれの皮膚があああああああああ――――――」
――――トゥルルルトゥルルルトゥルルル……トゥルルル――――
「……え……?」
朝の六時四五分、聞き慣れた携帯のアラームが鳴り響く。ここは…………俺の部屋だ…………。
「やっぱり、ただの夢か……」
昨日の豪雨が嘘のように、カーテンと窓の隙間からは灼熱の光が入り込んでくる。
ジリリリリ………………
昨夜の雷鳴に代わって、聞こえてくるのは蝉の声。
「…………暑い……昨日エアコン付けてなかったっけ……」
雨上がりの朝というのはとてつもなく蒸し暑いものだ。
「リモコンリモコンっと」
かちゃ。
「………………………………」
エアコンは反応しなかった。雷はまじで直撃したっぽい。
「まじか」
いつもなら二度寝に就くところだが、エアコンが機能しない今の部屋は最早蒸し風呂状態。暑くて寝る気にもならない。
廊下は涼しかった。いや、部屋が暑すぎてそう感じたのだろう。風呂上がりの脱衣所が若干涼しく感じるあの現象みたいなもんだ。それにしてもだな……
「……エアコン付けてないだけであんなに暑くなるか?」
「起きる瞬間君がもがいていたからよ……」
「えぇっ?!」
背後からあの女の声……!! う、嘘だろ…やっぱり夢じゃ…なかったのか……?!
「あんたなんでここに――――」
振り向いても誰もいない。返事も返ってこない。
「……疲れてんのかな、顔でも洗おう」
洗面所について鏡を見た瞬間、俺は戦慄を覚えた。
「…………え」
俺の頬にあざがついていた。
「お、おいおい……これって」
ガチャっ――――――――――――――――――
俺は勢いよく外に飛び出し、
タっタっタっタっタっ――――――――――――
「……はぁ……はぁ……」
アンテナの様子を確認しに行った。
「………………」
昨晩、空から見た通りに壊れていた。既視感のある曲がり方が、上から見たあの光景を頭によぎらせる。
「ね? 言ったでしょう。昨日の出来事は夢じゃない……」
「はっ……!!」
「夢と現実の融合世界、『現夢』……あの空間は現実とリンクしているのよ……。だから、昨夜のことが……現夢で起きたことが、今こうして現実に反映されている」
「あんた……一体どこから話しかけてるんだよ!」
「現夢から」
「……え?」
「いい? 現夢に存在する私はね、現実にも夢にもアクセス可能なのよ。あなたから姿は見えないけどね。あ、あなたの夢の中でも私はあなたに話しかけれるわ。あなたから姿は見えないけれど」
「……でも昨日は、あんたの姿はっきり見えたぞ。覚えてだっている」
「あなたって鈍感ねぇ……。いい? 昨日のは『現夢』だって言ってんの。普通人間は入れないディメンションなのよ」
「これは……本当に現実か……?」
「えぇ。今あなたがいるディメンションは現実よ」
いやそういうことじゃない。マジで日本語って難しい。
「この世界はね、三つのディメンションで構成されているの。夢、現実、そして現夢。その中でひとつの生命が肉体をもてるディメンションは一つだけ。例えば人間は現実でしか肉体を持つことができない。だから夢の中で頬をつねっても肉体に傷ひとつ残らないのよ」
人間は現実でしか……? それって…つまりこの人は、いや、ボルテックスさんは……
「気づいたかしら? そう、私はニンゲンではない」
「……あんたは何なんだ……幽霊か?」
「あいつらと一緒にしないで頂だい。そもそもあいつらは肉体をもっていない。あれはいわば、この世界のバグよ」
なんだそれ……何となく納得するような、しないような。
「私はね………………」
「………はい……」
「人間からしてみれば『神』という存在にあたるわ」
「……か、神……?!」
「そう、神。ニンゲンたちが崇めてる神って存在はみーんな、現夢の中に存在しているの」
にわかに信じがたい話だった。しかし、しかしだ。もしここまでの話が全て真実というのなら、聞いていて一つ疑問に思ったことがある。そもそも話題そのものが疑問なのだが。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! あんたの話を聞く限り、あらゆる生命体はひとつのディメンション……空間のことだよな? でしか肉体をもてないんだろ? でも俺は昨日現夢にいた……あんたに頬をつねられて痛みも感じた…………」
「ふうん?」
そして、辻褄が合わなくなる決定的な事象。
「現実のディメンションにいる俺は今、頬にこんなあざができてるんだぞ! これはつまり、俺の肉体が二つのディメンションを行き来したってことじゃ……!」
「……へえ~……ふっ……」
彼女は、「鈍感なあなたにしてはやるじゃない」と言わんばかりの笑みを浮かべ、
「さっき言ったことをよく思い出してちょうだい。現夢は普通、人間には入れないディメンションって言ったわ。あなた、現夢に入り込む方法って覚えてる?」
えっと、確かあの瞬間だろ……?
「眠りに就く瞬間に身体に雷光を受けて、雷鳴が眩しくて目を開けたら入れた……とかだったような……」
「まぁぶっちゃけ雷光とか雷鳴はどうでもいいわ」
「え?! そこ結構重要そうなのに?!」
「意識が現実から夢に切り替わる瞬間……コンマ一秒でもズレたら駄目。まさにその刹那に目を開く。これよ」
じゃああの「雷光を受けたのよ……!!」とかは全部ただの雰囲気づくりだったと。ややこしい……。
「まぁ、そんな奇跡みたいなこと、滅多に起こらないかもしれないけど、そ、それでも確率的に起きるっちゃ起きる話だろ?」
「えぇ、起きるわ」
「ほら。それじゃやっぱおかしいじゃんか。俺は昨日、二つのディメンション間を肉体で行き来したってことになるだろ」
「まぁ、あなたの言ってることもかなり的を射ているわ。そう、普通の――普通の人間なら、現夢に肉体移動をしてしまったら、最期」
「さ、最期……?」
「死ぬわ」
「現夢怖えぇええええぇええええ」
「現実では幽体離脱? とか言われているあれよ。あれは現夢の世界に入り込もうとして死んでるって認識が正しいわ」
何でもありかよ現夢。でもなんで俺は助かったんだ?
「あなたがなんで助かったかは、今は内緒」
「そこ一番知りたいのにいいぃぃ!」
俺の心を読んで応答したかのように彼女はそう言った。
「とにかく、そのあなたの頬のあざが、現夢と現実を行き来した証、あなたが現夢を信じる証拠になってるじゃない?」
確かに、気づけば俺はかろうじて現夢の存在を受け入れつつあった。一体それがどんな仕組みで現実や夢と繋がっていて、どこに存在していて、そもそもどんな空間なのか…………その辺はまだ全く理解できていないのだが……。
……多分、彼女の言ってることは本当なんだろう。
それに、どんなものか全くわからない空間がこの世に存在しているなんて、オカルト好きな俺にとっては超ご都合展開だ。
なんだ、面白くなってきたじゃんか……!
「というよりあなた、学校は大丈夫なの? もう七時よ」
「え? まだ、じゃなくて? もう?」
「あら? 0限目の英語補習って七時半からじゃないの?」
「あ」
やっべえぇぇえええ! 呑気に話してる場合じゃなかったあぁぁぁあ!! 俺は大急ぎで支度を済ませた後、自転車を飛ばし込んだ。
ちなみにあの後から彼女の声は聞こえなくなった。