プロローグ-2『風雲、何を告げる』
ノルマンディの『絢爛都市』から離れた場所。アトゥムが展開した簡易結界の中で3人は休息していた。
結界。2100年までその威容を示し続けた神秘の技術。現実とその空間を隔絶する“区切り”とようなものだ。その『区切り』は基本的には不可視のもので、優れた魔術師でなければすり抜けることはできない。何かしらの工作が必要になるのだ。
「寝れないの? リアムちゃん」
持ち運び型のテントから出てきたのは、白い羽根を4枚携えた少女……アトゥムは瞼を擦りながら、気怠げに言葉を紡ぐ。
「……少しだけ、考え事を。てか、もう私の名前覚えてくれたんだ」
「瞬時に記憶する能力……これも人工補佐プログラムとして当然の力です! 陽太の名前もすぐ覚えた!」
調子良く言葉を返すアトゥムを見たからか、リアムは少しだけ口元を緩める。
———まるで、あの時みたい。……いや。
「いけない。私としたことが重ねちゃった」
リアムは額に手を当てて、声を低くして言葉を紡ぐ。アトゥムには、それが『過去を振り返らないようにしている』ように見えた。
「リアムちゃん、もしよかったら、なんであんなところで倒れていたのか話してくれない?」
「……少しだけなら。なんとか落ち着いたから」
言葉を紡ぎながら、リアムは胸元のポケットに手をあてる。
「私は2人の姉妹とお母さんとで、生存圏で暮らしていたの。すごく幸せだった。管理人さんは優しいし、食べ物も美味しいものをくれた」
アトゥムはその言葉を黙って受け止める。
「友達だってたくさんできた。アカリちゃんにセイギくん、オフェリアってことも仲良くなった。毎日が楽しかった。……初めは不安だらけの日々だったけど、ようやくそれも晴れてきたってときに」
リアムの語尾が強まり、両拳が強く握られる。さながら、吐き出せない無念が滲み出たかのようだ。
「……私は……あいつに……ッ!」
「リアムちゃん、もう大丈夫だよ。教えてくれてありがとう」
リアムの目には涙が浮かんでいる。思い出していく内に涙腺の限界値を迎えてしまった。それを察したアトゥムは、優しさを込めた温かい声色で言葉を紡ぐ。ただ、これだけの情報でも収穫だ。この惑星には、悪意を持って活動している人間がいる……暫定だが、アトゥムはそのような思考をした。それからは2人の間に静寂が訪れる。
だがその沈黙も、結界を破ってきた者も足音によって破壊される。
「誰ッ……?」
アトゥムは一気に警戒心を高める。左腕を広げて、庇うようにリアムは自らの後方へと隠れさせる。足音の主は、背丈の低い少年のものだった。灰色のパーカー、緑色のズボン。だらしないシワの入った、年季を感じる代物。幼さが残った童顔は、愛くるしさを感じさせると同時に、確かな殺意を感じ取らせる。少年は右の口角を吊り上げながら、陽太の眠るテントへと視線を向ける。
「随分とこじんまりした拠点だな。『金星』を堕とした英雄が、この様とはね」
憐れみを込めた声で、少年は告げる。
「……陽太のことを知ってるの?」
アトゥムは、依然として強張った声色で問う。少年はその問いの答えを濁すように『あー……』と呟きながら、右手を後頭部に当てる。
「あー……まあ、昔のよしみ……みたいな感じだよ。まあ、とんでもなく昔の話だし、関係ないよ。それに、今の僕の目的は君たちの捕縛だ。陽太は関係ない」
「なんだって?」
警戒を強めながら、アトゥムは陽太に一瞥する。
その視線の動きを感じ取った少年は薄ら笑いを浮かべる。
「女王の命令なんだ。『人類の残党のお仲間を捕らえてこい』ってね。だから、悪く思わないでね」
その言葉とほぼ同時、少年の表情が笑みが消える。
一瞬の切替。谷本は人差し指をアトゥムに向けて、殺意をその一点に凝縮する。無論、彼女がこれを黙って見逃すわけがない。
「アトゥムちゃん……!」
「任せて、リアムちゃんを危険な目には合わせない」
アトゥムは強引に笑みを浮かべる。リアムにも、それが強がりであることは容易に理解できる。しかしながら、その不安は信頼を捨てるに値せず。アトゥムはその信頼を背負って、魔術を具現化させる。
魔術。それはかつて神が生きていた時代に存在していた秘術。現実における物理理論を白紙に返す超常現象。その超常現象は『属性』を持ち、『威力』を有する。少女が拳に宿した魔術の属性は『雷』だ。そして、その威力は第三位に匹敵する。魔術礼装と呼ばれる『防護服』がなければ、およそ感電して即死する……!
「守れるなら、守ってみるといい」
その雷電を前にしても、少年は余裕の笑みを浮かべる。
その言葉が、アトゥムの心に火をつけた。直後、アトゥムは少年を目掛けて飛びかかる。高電圧を纏う鋼の拳が、たった1人の人間に向けて振るわれる。
そして、その拳はついに少年の眼前にまで迫る。
「盗め」
瞬時、誰かに引きずられるように、アトゥムは後方に仰向けで倒れる。糸が切れた操り人形のように、力なく崩れていく仲間の姿を直視して、リアムの表情は絶望に染まる。彼女はすぐに、倒れた少女の元に駆け寄る。
「アトゥムちゃん! ……貴方……何をしたの……!」
涙を浮かべるリアムは、力強く、怨念を込めて敵を睨む。
「気力を預かった。……もう少しわかりやすく言うと、彼女が動くためのエネルギーを僕が全て吸い取った、ってことだ。だから彼女はしばらく目覚めない。陽太が寝込んだのも、同じ原理さ」
少年は憐憫にも似た視線を、アトゥムとリアムに向けて言葉を紡ぐ。リアムは言葉の半分の理解を拒絶した。理解してしまうと、もう心が立ち直らない気がしたからだ。
「さあ、任務完了だ」
少年は軽く腕を上げて、今度は人差し指をリアムに向ける。
———私、せっかく生き残ったのに、死ぬんだ。
———どうなるんだろ、私。
リアムの心に不安が押し寄せる。堤防は決壊寸前。しかし、彼女は泣くこともなく、静かにその運命を受け入れるように目を閉じる。
「———盗め」
リアムの脳内に響いたのは先ほどと同じ言葉。その言葉を最後に、彼女の意識は断絶した。