第4話『ユメの痕』
パリの地下に隠された研究施設の最奥部。『特設特科研究室』と看板が吊るされた部屋の前に、陽太たちは辿り着いた。不思議なことに、道中であの『兵士』に出会うことはなかった。もしかすると、あれは最後まで使命を果たそうとした、人類の文明の痕なのかもしれない———陽太は、そんな考えを巡らせていた。
「入ろう陽太。回収さえ行えば、ミッションコンプリートだ」
「わかってる。急かさなくても、手早く済ませるつもりだ」
陽太はアトゥムの催促を受け流すし、ドアノブを掴む。そして、一切の躊躇もなく、勢いよくドアノブを右に回して、扉を開ける。目の前に真新しい風景が広がる。凍えるような冷気。鉄で囲われた、牢獄にも似た個室。
「さっむっ! 冷房の設定温度どうなってるんだ……」
「温度検知、推定7度。むしろ人類がここまで高性能冷房を開発していたことに驚きですよ」
陽太は腕を交差させて、肘の上あたりを擦りながら、部屋の中を見回す。その中で、彼の興味を惹くものがあった。
「ロボット?」
部屋の片隅で眠るように倒れている人型の機械。首には『707』と刻まれた木製の看板をぶら下げている。個体の識別番号だろうか。だが、その下には『ライラ』と刻まれている。
「専属の従者ってやつだったのかな。ほら、人間界でいうところの、秘書官的な」
アトゥムは自らの見解を口にする。
「冷凍保管を受ける前でも、日本はハイテクだった。それから何十年も経てば、自立した機械人間も創れるか」
「はへ〜。その時は私まだ創られてないから、わからないや。地球人類ってほんと技術の進歩が早いよね。私自身も驚くよ」
「……まあ、本題はこっちじゃない」
陽太はもう一つの気掛かり———机の上に散らばった白い画用紙に視線を向ける。机の上には、本棚がある。机上と本棚と隙間には、無造作に万年筆が置かれている。———蓋は、取り外されているようだ。散らばった画用紙の上、机の右端にはコーヒーカップが置かれていた。おそらく研究者が口にしたものの残りだろう。探し物の邪魔になるから、と陽太はコーヒーカップを手にとって別のところに置こうとした時———
「……」
「どうしたの?」
「熱いんだ。このコップ」
「……?」
陽太の言葉を半信半疑で受け止めたアトゥムは、再度温度検知システムを稼働させる。アトゥムに備えられた機能の一つ、温度検知触覚機能。『いつでもどこでも温度計』、的なシステムであるのだが、その検知範囲は狭い。
「検知……! 確かに温度が在る……この空間で熱を保つなんて……文明力の賜物ですかね?」
「警戒だ、アトゥム。ここで死んだら、オレの目的の一割も果たされないことになる。生体検知反応機構、ぶんまわしとけ」
周囲の警戒をアトゥムに任せ、陽太は資料漁り……そして目的で在る『武器の強化パーツ回収』に勤しむ。
陽太の武器である『穿孔爆槍』。日本で回収した人類の文明の遺産。身長の半分くらいの大きさのサイズで、カラーリングは赤。圧力を加え、『杭』を高速射出する機構を有する槍。陽太も男の子。初めて使ったときは胸が躍ったものだ。さらに驚いたのは、拡張機能があるということ。ロシア、中国を巡る中で、すでにいくつかの改良を施している。
「……」
気になる書類……興味を惹く見出しのレポートがたくさんある。『防衛戦争:要塞攻略計画』『研究成果:中途記録vol.65』『防衛戦争:生存見込み予測』『■■■製造記録』……。
「あった!」
陽太が手に取ったのは、『武装改良パッチ:加熱聖傷』と記された書類。
ストライクボンバーの強化素材が添付されている。陽太は意気揚々とそれを引き剥がす。強化パーツはマイクロチップのような見た目をしている。
「見つかった? なら、早く出よう。私の検知機能も無限には使えないから!」
「ああ、そうだな」
昂る気持ちを抑えつつ、陽太は返事をする。そして来た道を引き返そうと、扉のドアノブに手をかけたとき——
「待ちなさい、侵入者。人の部屋を荒らして、おいてよく———!」
「ッ!」
陽太は振り返りながら、背負っている武装に手をかける。埒外の女性の声に緊張が高まる。アトゥムもまた、警戒心を抱いて、正面からみて右奥の扉から出てきた女性に視線を刺す。闖入者は“いかにも”な服装だ。ボロボロになった白衣に、黒いローファー。落ち着いた白色と対極的に、傾いた金色で染められた長髪が特徴的だ。
「誰だ、あんた」
「ちょっと、それはこっちのセリフなんだけど。なに、空き巣? それとも侵略者?」
表には出さないが、女性も陽太たちを警戒している。アトゥムが感じ取っている魔術元素の流動の激しさが、それを明確に示していた。
———あの女の人が攻撃したときの、反撃準備と思って。
アトゥムも魔術元素を流動させる。互いが牙を研ぎ、刃を構えている状態。まさに一触即発の状態だが———
「……いえ、待って。あなたが持っているその武器」
ハッと我に返ったように陽太を指差して、女性は言葉を発する。動揺の原因は陽太の担いでいた武装だ。
「それに、貴方も———ああそう、そういうことね」
一人で納得する女性。気づけば、先ほどまでエーテルの流動は無くなっていた。
———フェイントか?
矛を収めたのは陽太も感じ取っている。が、しかし。それは彼も矛を収める理由にはなり得ない。故に、警戒心は保ったままで、陽太は言葉を返す。
「……フェイントのつもりなら、悪い。オレはそんな甘い罠に引っかからない。それに、オレのこの武器がどうかしたのか?」
「フェイントって……私は戦闘中毒じゃないし。相手の素性にあらかた見当がつけば、矛を収めるべき場面ぐらい間違わない。んで、貴方の持ってるその武器。日本から盗ってきたもの?」
女性は弁明と同時に、問いを投げる。その穏やかな表情からは敵意は感じられない。むしろ今は疑問の方が大きいのだろう。なぜその終末期に青年が生き残ったのかは理解できている。だが、その抵抗手段はどこから調達したのか。それこそが女性の問いだ。
「……日本にも同じような施設があった。これは、そっから借りてきたもんだ。だから、盗ったっていうのは語弊がある」
「陽太! そんなに正直に話しちゃっていいの!? 擬態してる侵略種とかだったら———」
「いや、大丈夫だ。ほら」
槍を担いだ青年は、アトゥムの声を遮って言葉を紡ぎ、女性の胸ポケットを指差す。そこには、『■■■■■■研究所特科特設研究員 ステラ』と記された白い名札がつけられている。陽太はそれを『人類の証明』とした。
「大丈夫じゃないって! 誰かから奪ったやつかも知れないじゃん!」
「それならもっと早くに殺しにかかってるって。だから、大丈夫だ」
「陽太っ……、はあ……仕方ないなあ、もう」
アトゥムは、青年の警戒心の薄さと人の良さに呆れる。これまでの付き合いで、彼が『よっぽどのことがない限り、基本的に人の言葉は信じる存在。が、情報リテラシーはある人間』ということは理解していたが、今回はその性質が露出した結果だ。
「信用は勝ち取れたみたいね。話に戻るけど、『日本にも似たようなところがあって、そこから借りている』ってことでいいのよね」
陽太はコクリと頷く。それから女性は少し考えた様子をみせてから、言葉を紡ぎ始める。
「うん、その行動原理なら納得できる。私の確認作業は終わり。強化物資も回収してよし。未来への博打になっちゃうけど」
女性は椅子に座り込み、机の上のコーヒーカップに手を伸ばして、『バイバイ』と手を振る。
「待ってくれ。あんたの素性を知りたい」
「———人に名乗らせるなら、自分から名乗るべき。とは言わないわ」
唇からコーヒーカップを離して、椅子から立ち上がる。
研究者らしく、キリッとした目つきで———女性は言い放つ。
「私はステラ。ステラ・アッカーマン。特科研究員の一人よ」
▼△
陽太たちと、ステラと名乗った研究員。互いは自己紹介を済ませ、ステラは陽太が次々に飛んでくる問いに答えている。そこに、先ほどまでの緊張は感じられない。
特科研究員の生き残り。後を託されたなんでもない『今を生きる人類』だったと、ステラは語る。そもそも特科研究というのは、2050年から問題となった『侵略者対抗計画』の一環であり、パリや日本の施設もその中で生まれたものだという。武器の開発。相手の戦力の推定。その他もろもろ。決して世間には出回らない、『裏方』の来歴を、陽太は数多く知った。
「とまあ、私の仕事はそんな感じよ。どちらかというと、当時は助手としての業務が多かった。だから、知っていることもそこまで多くない。陽太くんの要望には、あまり応えられなかった気がするけど……」
ステラは少し悲しげな表情を浮かべる。
「大丈夫ですよ、ステラさん。陽太はそういうの気にしないから」
「アトゥム……。別に大丈夫なんだけどな……。うん、それに貴重な話も聞けた。謎を解くのに一歩前進だ。———っと、そうだ。最後に聞きたいことがあるんだった」
「なに?」
「この部屋の隅のアンドロイド……みたいなやつ、なんなんですか?」
部屋の片隅で倒れている人型の機械を指差す。すると、ステラはさらに表情を曇らせる。その反応をみて、陽太は“何かまずいこと言ったかな”と内心慌てる。
「その子はね、昔特科研究室の偉いさんだった人が作った人型人間補佐機構。もう今は、機能を停止しちゃったけど。……さて、まあまあ気にしないで。特科研究室の実情は基本、世間には出回らない。それより、これからどうするの?」
ステラは曇った表情を振り払い、笑顔を浮かべて質問を投げかける。陽太は複雑な感情のまま、言葉を紡ぐ。
「……えっと、あんまり決めてないな。とにかく適当に歩いて、ココみたいな施設を見つけたら、資料を漁ろうかと」
「生き残るための情報収集……まあ、陽太くんは陽太くんできちんと目的があるようですね。なら、私が方針を示しましょう! 一応!」
冷めたコーヒーを喉に流し込んで、ステラは言葉を紡ぎ始める。
「ここから少し進んだ先に、人類の生存圏があります。所在地はパこの紙に」
陽太は差し出された小さな紙を受け取る。そこに座標……らしきものが記されている。
「休息、戦力補充のために立ち寄ることを提案しておきます。私は賭けに出ているんですから、手助けはします」
———まあ、謎を解くためには、生きた人の話も必要だよな。
そういう意味なら、立ち寄っておくべきか……。
陽太の目的を果たすには、たくさんの人の話を聞く必要もある。資料だけでは解らないこともあるかもしれない……という漠然とした不安であるが、その不安の解消ができるなら、立ち寄る価値もあるか……と陽太は考える。
「アトゥム。次の目的地はその生存圏にしよう」
「はいはい……了解です。私は人類の補佐。危機的状況にさえならなければ、静止プログラムは働きませんよ」
気だるげに、翼を揺らしながらアトゥムは答える。それを受けて、ステラは口角を上げる。足を組み、伸ばしているステラに対して、陽太は挨拶する。
「それじゃあ、オレたちそろそろいきます。貴重な話、ありがとうございました」
「はい。良い旅を」
快い笑顔だ。ステラは旅立っていく生存者を見送って、椅子ではなく、床に座り込む。だらしなく手をついて、四つん這いになって、片隅に倒れるアンドロイドの隣で、壁にもたれかかる。
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金髪の研究者の意識は朦朧としていた。意識を保つのが精一杯で、喋ることだって、かなり無理をしていた。身体がぶっ壊れそうな負担であった。彼女は思い出の詰まったこの場所で、静かに死ぬつもりだった。そんな時に姿を見せたのが、あの少年たち。棺桶であるこの空間を荒らされると思うと、虫唾が走った。負担にだって耐え切れるぐらい、その嫌悪は彼女を突き動かす原動力となった。あそこまで喋ることは、想定外だったが。女は、自分の心に問いかける。
——はあ、無理しちゃって。久々に人間をみれて、嬉しかったのかな。
女の口から息が漏れる。事実、研究者は生存者と出会うことができて舞い上がっていた。人類はてっきり侵略者に敗北したと思っていた。悍ましい蟻も、外殻要塞も、仲間割れで勝手に滅んでいったと考えていたけど。どうやらまだ、人類の芽は摘みきられていないみたいだ。
女は目を瞑る。そして———人類が滅んでから今までの短い間を過ごした『■■■』に思いを馳せる。
——ああ、まったく無念だよ。研究者でありながら、『わからない』なんて結果を打ち出してしまうなんて。ほんと、家族も趣味も、何もかもを捨てたのに、最後の結末がこれなんて———うん、うん。私だって、好きで捨てたわけじゃないんだ。宣言の存在を知った時は戦慄した。だから、私は未来の幸せのために、現在持ってる幸せを切り捨てた。……ああ、何食わぬ顔で平穏で過ごしていた方が楽だったかも知れないね。まったく、息子の言う通りだ。
——……それに、『彼女』の願いも、叶えてあげられなかった。いつも言っていたよね。“世界はここまで灰色なのですか?”って。ううん。違う、違うんだ。本当の世界は———綺麗な青空が広がっているんだよ。
弱々しい残滓は、音もなく消えていった。研究者は安らかに眠り、地下研究所に残るは、次なる旅路を辿る少年と天使のみ。
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パリ研究所を巡る物語は、ココでおしまい。
生存者たちの紡ぐ歴史は、新たな幕開けへと向かう。