第3話『慚愧も慟哭も書き捨てて』
フランス•パリ。かつて華の都と謳われたその場所の地下に眠っていた『研究所』。ナニかによって滅ぼされた地球文明を渡り歩く少年は、人類が遺した文明の痕跡を訪れていた。少年……仮称、陽太は探索の中で解錠されている研究室を発見する。
「なんだよ……これ。ってか、酷い臭い……人間、腐ってるんじゃねえの……」
陽太は酷い臭いに耐えきれなかったのか、鼻を手でつまむ。
「ああ、腐敗臭ってやつ? 私には検知機能がないからわからないや。ふふ、面白い顔」
フフ、と陽太の顔を指差して可愛く嗤う少女。
彼女は、人類補佐端末アトゥム。『侵略』の生存者である陽太をサポートし、彼の目的である『人類壊滅の謎を暴くこと』のお手伝いをする少女だ。
「なに笑ってるんだよ。ったく、ロボットはいいよな。視覚も聴覚もあるのに、嗅覚だけないなんて。都合のいい身体だよな」
陽太は、研究員が握っている書類を手にとるようにしゃがみ込む。今はなんでもいいから情報が欲しい。地球文明壊滅の謎を暴く手がかりがあれば万々歳だ。
「実際最適化されていると思うよ。人類とのコミュニケーションには、喋る力と聴く力があればいいんだから」
アトゥムは、研究員のすぐ隣で絶命している『アリ』に視線を向ける。
「……それよりも、これって」
書類を手に握って立ち上がった陽太に、アトゥムは問いを投げる。
「クソアリの残党か。……親を殺しても、子が死ぬわけじゃないしな。コロニーを作られてたら面倒だし、非重要任務程度に考えておくか」
陽太はそこまで真剣に捉えることはなく、血で汚れた書類の束を指でパチン、と弾いて、アトゥムに返事をする。巨大なアリ……より正確に言うなら『ヒアリ』はひっくりかえって、無様に力尽きていた。陽太はその親個体との戦闘経験もあるが、さしたる脅威でもなかった故に、その子どもを危険視することはしない。陽太の行動原理と照らし合わせて見れば、巨大火蟻の残党問題は大したものではない。
「それよりも今はこっちだ。どれどれ……ったく、題名は読めないな。まあいいや、本文が読めたらそれでいいや」
陽太の意識はてっきり文章の方に写っている。アトゥムも呆れ気味に、陽太が目を通している書類を覗き見る。
“『■■■—作戦及び■■■■——作戦:提■書』……——は自国の防衛の為に■■を濫用することを、正式に——に■■■■た”
“我々は■■に浮かぶあの要塞、忌まわしい——を■■■■す為、『世界戦力』の■■を行う。■■改定時刻:——時間PM 12:38”
「……なんだよ、本文もまともに読めないじゃん。いや待てよ『世界戦力』ってのは、初めてみたぞ」
「最後の文は読めるよ。“また、世界戦力の詳細については2枚目を参照せよ”……だって」
陽太は素早く、一枚目を3枚目の後ろに移動させ、2枚目の書類に目を通す。
“世界戦力の一騎目、仮称/ジュワユーズの完成を報告。魔術の質においても、肉弾戦においても上質な戦果を得られるよう、調整した。彼の投入は、地球の保護のため正当化されるものとする”
「……アトゥム以外にも補佐稼働式が作られていたのか?」
“ジュワユーズ。我が国が全力をあげて作成した、人間兵器。魔術適性を人為的に向上させ、個人の戦闘力を上昇させる。また、身体能力に関しても同様に設計する”
「人間を兵器に……倫理的に大丈夫なのか? 法律とかで規制されてるんじゃないのか?」
当然の疑問。少なくとも陽太が最後に目覚めていた時代……2015年では、すべての人間に権利が与えられ、尊厳凌辱の禁止を敷いていたはずだ。それとも90年もの年月があれば、国家の考え方も変わってくるのか。
『余裕がなかった。なりふり構ってられなかったんだよ、きっと。緊急時には君だって、自分のために見ず知らずの他人を利用することだって憚らないはずさ」
「…………」
悍ましい結論だ。いくら人命のためとはいえ、一人の人間を蔑ろにするなんて、どれほど差し迫っていたというんだ。陽太は唇を噛んで、胸の中でそんな疑問を抱く。
“被験改造体 名前 ■■■■■・■■■■。
改造者 ■■■■■■”
「被験改造体……被験? 待て、それじゃあ。そのジュワユーズってのは」
「生身の人間だったんだよ、多分。政府に抜擢か、申告か、どうしたかはわからないけど。人類の終末期……2099年には、『生身の人間を兵器として扱ってはいけない』、そんな当たり前の法律すら軽んじられたんだろうね。地球という財産を守るためなら、人一人の命なんてアリみたいなものなんだよ」
「…………」
胸が痛む。この被験者は、見ず知らずの大人数を救うために、その尊い命を投げ打った。彼にも家族がいただろうに。彼にも友人がいたんだろうに。
「憐れむのはダメだよ、陽太。それは彼に対する侮辱だ。彼は自分の意思でそれを望んだんだ。その覚悟を憐れむのは、失礼になるよ」
言葉が出ない。陽太は黙ったまま、書類を読み進める。
“戦闘記録:移動侵略要塞ウラヌス
被験者戦果:討伐”
機械的な報告が、そこには記してあった。血に汚れて、かすれた『討伐』の文字。生身の人間が改造を経たとはいえ、侵略者を討伐した。その価値は計り知れないはずだ。こんな紙っきれの片端にポツリと記述されて、済まされるはずではないのに。彼には、その歴史に見合うような報いが与えられたのだろうか———
「いや、今はそっちじゃないな。空中侵略要塞………ロシアと中国のやつが書いてたのは本当だったのか」
空に浮かんでいたという空中要塞。その威容は失われて久しい。人類を殲滅し、文明を侵蝕し、地球を漂白したもの。ロシアでは『戦闘機』。中国では『蠢く巨城』。そしてここパリでは———
「『植物』……城で戦闘機で植物って、どういうことだよ。侵略者ってのは物理法則とか無視できるのか」
性質を比喩してそう記述されているのか。
それとも、それ自体なのか。陽太には判別することができない。なんせ相手は超文明。どんなインチキ性能を備えてるかもわからない。疑問を積もらせながら、陽太は資料を読み進める。数分読み続けたところで、陽太は『よし』と言って踵を返す。
「もういいの?」
「おう、収穫はあった。『世界戦力』と『要塞』の情報が得られただけで上々だしな」
この研究室で得られた成果は大きい。分岐点は2050年であり——分岐を決定的にした出来事が2099年にあった。詳細は記されていなかったが、次の研究所への期待が高まった。
「じゃあ、本題いくか」
研究室を出た陽太は右へと曲がり、『本来の目的』を果たすべく、研究所のさらに奥を目指していく。