プロローグ『空白、パリへ』
灰色に閉ざされた空。赤色に染まった大地。人や車両の轍すら残らない、硬く冷え切った地面。辺りに聳え立つような建造物はない。有るのは文明の残骸———かつては住宅や駅、ショッピングモールであったもの。それらはもはや、原型を失っている。まさしく骸だ。
———2100年12月31日。人類は『上位存在』に敗北し、抵抗虚しく、その大多数が殺害された。そして人類の存在証明———築かれた文明の産物を悉く破壊していった。
……これは、あまりにも不可解に過ぎる。
なぜ自分たちは剪定される必要があったのか。かつて空に浮かんでいた空中要塞は一体なんだったのか。地球がこの状態に至ったのには、あまりにも謎が多すぎる。
その謎を解き明かすため、今日も終わった地球を渡り歩く人間がいた。
「……この辺りか」
少年は小さく呟く。その右手にはコンパスが収められている。
とはいっても、これはただのコンパスではない。少年が扱いやすいように、改造した『ハイブリッド・マッピングコンパス』なのだ。
彼は数少ない人類の生き残りだ。
少年はこれといって、尖った特徴を持っているわけではない。ツンツンとした黒い短髪。掠れて読めなくなったブランドもののリュックサック。気だるげを感じさせる三白眼。どこにでもいるような、普通の大学生だった。最も、それはつい先日までの来歴であるのだが。
『遺物の反応も近い。目的地も、もうすぐだよ』
少年の呟きに、傍らに浮遊する幼女が答える。彼女の見た目は、少々人類とは異なっている。白いワンピースと白いミニスカート。背中には金色の両翼を携え、頭上には『わっか』を浮かべている。
———そうして、暫く彼らは歩き続ける。残された文明の残骸も、今となっては少ない。経年劣化で自然と崩壊していく残骸がほとんどだ。
数分歩いて、彼らは『目的地』に辿り着いた。そこには、圧倒的な違和感があった。紅く染まった地平に、錆びた鉄のドアのようなものがある。
「……当たりだな」
少年は口元を緩めると、しゃがみ込んで、鉄のドアの取っ手部分を掴む。そして持ち上げるように力をかけると、鉄の扉もグギギギ……と耳障りな音を立てながら開いていく。
『ほんと……いつも我慢してるけど、この鉄のドアうるさすぎ!』
幼女は両耳を手で覆って主張する。
「我慢しろアトゥム。オレも辛いんだ」
『むうう……』
少年は、アトゥムと呼んだ幼女の糾弾に賛成しつつ、我慢してくれと宥める。アトゥムは、それに対して少し不服そうな表情を浮かべて、手で耳を覆うのをやめる。
開き切った鉄の扉の向こうには、地下へと向かう梯子がかけられている。それも古いのか、随分と錆びてしまっている。錆びた匂いが気に食わなかったのか、アトゥムは鼻を塞ぐ。
「降りるぞ。聖遺物の反応はあるんだな?」
「うん、二つある。間違いないよ』
少年の確認に、アトゥムは応じる。アトゥムの返事を聞いた少年は、さながらゲームのキャラクターのように、梯子を滑り降りた。アトゥムもそれに、自分のペースでついていく。
赤い地平とは真逆の空間。夜の黒に包まれた地底———開拓された地下領域、梯子の終着点にはまた鉄製の大きなドアがあった。少年はアトゥムを待たず、躊躇なく扉を開く。
『ちょっと待ってよ〜! 置いてかないで陽太〜!』
アトゥムの呼びかけに応じて、陽太と呼ばれた少年は歩みを止める。右手でドアノブを持ったまま、ようやく追いついたところのアトゥムに言葉を投げる。
「……マジかよ。研究所の記録は嘘じゃなかったのか。世界単位の隠し事とか、すごいな、ほんと」
陽太は感心の言葉を漏らす。そして、彼は引き寄せられるように、扉の奥へと進んでいく。そこは棄てられた文明圏。今や露呈した地球の秘密。人類が抵抗として遺した武装の、強化素材を得るために。
『陽太、構えて。あれ』
アトゥムは、白い通路の奥を指差す。そこには、中世騎士の甲冑が、無造作に置かれている。何かを察した陽太はリュックを下ろして、得物を取り出す。
「手荒い歓迎だな、まったく。礼儀は守れって、習わなかったのか?」
騎士に鋭い視線を向け、得物———パイルバンカーを構える。少年の臨戦態勢に歓喜を示すように、入れ物のはずの騎士は剣を振り上げて、陽太へ突進する。
『———陽太!』
「任せろ」
アトゥムの叫びに一つ返事。陽太はパイルバンカーを胸の前で両手で支える。数秒。騎士が陽太の前に迫り、斬撃を振り下ろさんとする。そして、稲妻のような一閃が振り下ろされる。だが、陽太はそれを
「———甘い!」
自身の眼前で弾いてみせた。騎士の膂力を上回り、一撃を防いでみせた陽太は攻勢に転じる。押し付けられた力の反動で持ち上げられたパイルバンカーを、右腕の力だけで腰の位置まで振り下ろす。
「装填」
陽太のその呟きと同時に、武装が蒼く灯る。騎士が見せた隙は、少年の反撃を許してしまうものだ。少年の得物の切先が、騎士へと向けられる。そしてそこから一瞬の間もなく、パイルバンカー……槍のような形状をした武器で、騎士の身体を貫く。騎士はその攻撃に反応を示さない。元よりそれは、空の器。無反応も道理といえば、道理なのだが。陽太はトドメと言わんばかりに、
「発射」
槍の切先部分で小さな爆発を起こす。その一撃が致命となったか、騎士は元の在り方に戻るように、ガラガラと崩れていく。
『……油断できないね、これは』
「ああ。アトゥムも警戒を頼む」
2人は警戒を強め、文明の跡の奥へと進む。
★
その施設は、研究施設のようだった。白い天井、床、壁。白一色で支配されたこの空間には、ところどころ生活の痕跡が残っており、パンの破片や破損したモバイルバッテリー等が落ちていた。これまでに立ち入ってきた残留物に遺された情報を元にすれば、ここで終末の余暇を過ごしていたのは、国家の要人だろう———と陽太は考える。
日本。中国。ロシア。似たような施設は、これらの国家の首都近郊に存在している。陽太はその全てを探索し、人類剪定の謎を暴くため、資料を集めた。だが記されていることは、どれも一緒だった。
『2050年、地球は異星人の宣戦布告を受けたこと』
『動機は不明』
『世界政府特殊部門の設立案提出』
『人工人類補佐端末の作成』
「フランスには目新しい情報があるといいんだけどなあ」
陽太は、リュックサックから取り出したクロワッサンを口にしながら言葉を紡ぐ。警戒を強めたものの、護衛騎士はあの一体以来出てこなかったので、すっかり気を抜いて、陽太は腹を満たそうとしていた。
『三カ国とも同じこと書いてるなんてね〜。私の知識に『研究施設』のこと入ってなかったから驚いたよ』
アトゥムは、陽太が美味しそうに食べるクロワッサンを横目でみながら答える。
「よっぽど国は隠したかったんだろうな。侵略者ってやつの存在を」
陽太がこれまでに手に入れた資料……『モスクワ文書』、『東京記録』、『北京書物』には“侵略者”の存在が示唆されているが、それだけなのだ。侵略者の宣言をどのように傍受したのか。そもそも人類はどのように滅びたのか。そして文書にしばしばに見られた謎の単語……『22世紀防衛戦争』とはなんなのか。目覚めてまだ一年もしていない陽太からしてみれば、それらはあまりに謎すぎる。
「……アトゥムには『22世紀防衛戦争』とやらはわからないんだよな」
『そうですね。情報にアクセスできないし、きっちし蓋がされてる』
「……そうか」
しかし、粗方見当はついている。わざわざ『防衛』という単語を使っているのだ。おそらくは、『異星人の侵略行為』に対する防衛戦争だろう。
数分が。
そんな考察のような会話を続ける2人は、ある部屋にたどり着く。
「なんだこりゃ……?」
『研究室のようだけど……』
2人は部屋の正面……入り口の扉の前に立つ。扉の上部の壁には、木製の札が立てられている。腐っていない。まるで新品のような美しさだ。
木製の板には粗雑に、『外宇宙対策兵器製作部』と刻まれている。
「……これは」
『今までにない新しいパターンだね。入る? 陽太」
「……当たり前だ。今回のは、核心に迫れそうだ」
少しだけ間を空けて、陽太は返事をする。
ドアノブに手をかけて、右に回して、扉を開ける。
少年の目に飛び込んできたのは———
人間の死体と、腐った手に握られた文書———
そして、人間の大きさほどのクロアリが死んでいた。