第7話 ダンス
夜会会場で、招待客達の注目を浴びていたのは、今夜、実質的に正式なお披露目となった、カルロスとリリアの二人であった。
2人を大勢が囲み、口々にお祝いの言葉を述べる。
そんな雰囲気を一変したのは、この夜会の招待客の中で一番位の高い存在が到着し、会場に足を踏み入れた時であった。
招待客の視線が、そちらへ一斉に降り注がれる。
そしてその視線は、彼がエスコートしているパートナーへ、集中した。
普段ならば、誰も相手を伴う事のないレイモンドが、パートナーを伴っている事も、その相手に興味をひかれた理由の一つなのかもしれない。
だが、一番の理由は、先程まで注目されていた一組の存在と、大きな関わりのある人物であったからだ。
シルヴィア・ラウシュ侯爵令嬢。
心優しく可憐で繊細な妹を苛め、性格の悪さを露呈したあげく、婚約者から婚約破棄を衆人環視の中で言い渡された令嬢。
そして、婚約者を妹に奪われた、愚かな姉と──
殆どの者は、そんな印象を彼女にもっていた。
あちらこちらから、出席者達の声が聞こえてくる。
「殿下が何故、シルヴィア嬢をエスコートなさってるの?」
「婚約破棄されて間もないのに、今度は立場も弁えずに、殿下に言い寄ったのではないか?」───
その声の多くは、シルヴィアの事を蔑むような言葉ばかりであった。
しかし、シルヴィアの整った容姿は、彼女に対してそんな酷い印象を持つ者達の目でさえも、惹き付ける。
見目麗しいレイモンドの隣に立っていても、遜色はない。
何故、レイモンドがシルヴィアを伴っているのか知りたい者達は、挨拶をする名目で彼から聞き出そうとした。
「それにしてもレイモンド殿下、今夜は珍しくパートナーを伴っておられるのですね」
出席者達からの言葉に、レイモンドは笑みを浮かべながら、にこやかに答えた。
「僥倖な事に、彼女をエスコートする権利を得てね」
その言葉に、周囲の者達は様々な面から、さらに興味を持つ。
シルヴィアへ侮蔑を含む視線を向けながら、さらにレイモンドへ問い掛けた。
「僥倖などと、またお戯れを
レイモンド殿下であったなら、傷のないもっと素晴らしいお相手が、幾人もおられるでしょう?
ラウシュ侯爵から、頼まれたのですか?」
レイモンドの隣に、シルヴィアが居るにも関わらず、彼女を目の前にしながらも、そのような蔑む言葉を投げ掛ける者もいた。
しかしシルヴィアは、酷い言葉の数々にも表情を変えずに、凛とした姿でレイモンドの隣に立つ。
レイモンドは、シルヴィアのそんな姿を確認すると、彼女を蔑む言葉を投げ掛けた相手へ、乾いた笑みを向けた。
「彼女に幼い頃からついていた、家庭教師やマナー講師は、私もよく知っている者でね
彼女の優秀さを、以前からよく聞いて知っていたんだ
だからこそ、彼女に婚約者がいなければ、親しくなりたいとも思っていたのだよ
だが、そんな優秀な彼女を易々と手放すとは、何というか……」
そんな言葉とともにレイモンドは、離れた場所にいるカルロスへ視線を向ける。
レイモンドの言葉を聞いてもなお、周囲の者達からのシルヴィアを蔑むような言葉は、止まる事はなかった。
「器量や頭が良くとも、やはり淑女とは、振る舞い方や内面が、一番重要ではないですか?」
その言葉にレイモンドは、普段とは違う冷たい笑みを、問い掛けた者へ向ける。
「そのような事を言うそなたは、噂ではなくシルヴィア嬢の、真の内面を知っていての、その言葉なのだろうか?
振る舞いとは、どういう時の事を言っているのかな?
以前の、ルーベンス公爵家で行われた夜会での事を言っているのだろうか?
その場には私もいたが、彼女の振る舞い方に非はなかったように思えるが?」
レイモンドの言葉に、周囲の者は何も言えなくなる。
そして、レイモンドはそのまま言葉を続けた。
「彼女の人となりを何も知らない者が、悪意ある噂を広める事は、面白くも何ともないと思うが……
そう考える私が、間違っているのだろうか?」
レイモンドの鋭い視線と言葉に、周囲の者達が言葉を濁し始めた頃、会場内にダンスの曲が流れ始める。
「ただの憶測でしかすぎない話は、面白くはないな
気分を変える為にも、シルヴィア嬢、私のダンスの相手をしてくれるだろうか?」
「ええ
もちろんにございます」
シルヴィアの手を取り、ダンスフロアへ足を向けるレイモンド達へ、出席者は様々な意味合いで興味を示していた。
ダンスフロアへ向かう途中、シルヴィアはレイモンドへ、ポツリと言葉を溢す。
「殿下
あまり、わたくしの事を庇うようなお言葉は、殿下のご評判に傷を付けてしまいます
わたくしは、あのような言葉は慣れておりますので、気になさらないでください」
そんなシルヴィアへ、表情に笑みを浮かべたままレイモンドは答えた。
「君の事を、敢えて庇ったり擁護したつもりはないよ?
私の君への評価を、ただ言葉にしただけだ
それに、あんな酷い言葉に慣れる必要はないと、私は思うけどね」
レイモンドの言葉に、シルヴィアは何とも言えない気持ちになりながら、彼の事をじっと見つめた。
ダンスが始まり、シルヴィアの身体をホールドし、ステップを踏みながらレイモンドは呟く。
「何というか、拙いな」
「え?」
レイモンドの呟きに、シルヴィアが彼を見詰め返すと、レイモンドはある方向へ視線を向けた。
「本来ならば、実質的な彼等のお披露目というのに、拙いという言葉が、彼等には似合うと思わないかい?」
レイモンドの視線の先には、カルロスとリリアの姿があった。
レイモンドの、言わんとしている事に気が付いたシルヴィアは、言葉を返す。
「………妹は、……ダンスの練習が、あまり好きではなかったので……」
「まぁ、そういう感じであるように見えるよ
良く言えば、ほほえましいで今は済むのかもしれないが、今後公爵夫人となるならば、彼女はもう少し学ぶ必要があるだろうね
彼も、ダンスが得意な方ではないようだ
相手がダンスが苦手でも、リードの仕方で目立たなくする事は出来る
彼自身では、彼女をフォローするよりも、自分のステップを踏む事で、精一杯なのであろう?」
「それは……」
レイモンドの言う通りであった。
幼い頃から、カルロスのダンス練習の時に、シルヴィアは何度も彼の相手をつとめた。
しかし、カルロスはダンス練習をあまり好んではおらず、嫌々やっている姿が多かった。
それでも、長年ダンスの相手であったシルヴィアと共に踊る時は、まだみられる姿であったのだ。
「君と彼とのダンスを見た時は、ここまで拙さを感じなかった
その理由が良くわかったよ
君が、リズムを上手く捉えてステップを踏めるから、彼もリードがとりやすかったのだろうね」
「それは、わたくしはカルロス様のお相手をつとめている期間が、長いこともありましたから
わたくしのダンスの技量は、人並みでしかありません」
「そうかな?
じゃあ、先程君へ対して、失礼な言葉ばかり並べていた者達へ見せ付ける事も含めて、少し目立つ事をしてもいいかな?」
「え……?」
レイモンドは、シルヴィアの返事も待たずに、難しいステップを入れ始める。
そのステップについていくには、かなりの技量が必要に思えたが、シルヴィアは慌てる事なく、彼に合わせていった。
そんなシルヴィアの様子に、レイモンドは感心する。
「へぇ? 君は、ダンスも得意であるのだね」
「得意ではありませんが、一通りの事は学んでおりますので……」
2人のダンスは、出席者達の目を惹き付けていった。
難解なステップを踏み、初めて一緒に踊るとは思えない程、息の合ったダンス。
殆どの出席者達の視線を、釘付けにする。
さらに、もっと難しいステップを踏むレイモンドに、シルヴィアの今までの淡々とした表情が、少しずつ変わっていく事を、レイモンドは見逃さなかった。
「ダンスが好きでなかったら、ここまで難しいステップを覚えられないのではないかな?」
「……嫌いでは、……なかったですから」
少しずつ表情が綻んでいくシルヴィアに、レイモンドは微笑みを向ける。
「それを、好きと言うのだよ」
「それは……」
「(君の頑張りを、もっと周囲が認めていたら、君も素直に感情を表現ができるように、なったのだろうけどね)」
レイモンドの次の言葉は、ダンスが終わり出席者の大きな拍手で、シルヴィアには届かなかった。
シルヴィアは、ダンスを踊り終え、聞こえる多くの拍手は、今夜お披露目となった、カルロスとリリアに送られていると思い、複雑な想いを胸の奥に感じていた。
そんなシルヴィアへ、レイモンドは言葉をかける。
「ここまで、私についてこられる相手は久しぶりであったよ
楽しかった
君は?」
無邪気という言葉が、似合うような笑みを浮かべるレイモンドの問いに、シルヴィアは先程まで感じていた複雑な感情が、軽くなっている事に気が付く。
昔から大好きだったダンス。
しかし、婚約者であったカルロスは、ダンスなどただの遊びであるのだから、真剣にやる人間はくだらないと、いつも言っていた。
そんなカルロスの前で、ダンスが楽しいなどと、シルヴィアは言えなかった。
だが、シルヴィアは今夜初めて、自分より上手な相手と練習ではない時間で踊り、気持ちが高揚していく事を、身をもって感じたのだ。
「わたくしは……」
「君は?」
自分の言葉を焦らせる事もなく、穏やかに待ってくれているレイモンドに、シルヴィアは素直な言葉を口にする。
「とても、楽しかったです」
「君が楽しんでくれて、良かった」
シルヴィアの言葉を聞いて、穏やかな笑みを向けてくれるレイモンドに、シルヴィアもつられて笑みを返した事を、本人である彼女だけが気が付かなかった。
そんな彼女の笑顔に気が付き、様々な感情を胸の中に感じている者達が、この会場に幾人もいる事も、シルヴィアが知る事はなかった。
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