第51話 素質
豪奢な室内に響く、サラサラとペンの滑る音が止まった時、爽やかな茶葉の香りが室内へ広がる。
カタリとペンが机に置かれる音が鳴ると、茶器が乗ったワゴンのカラカラという車輪の音に変わる。
「絶妙なタイミングね」
「勝手はわかりませんでしたが……
陛下のペンの進みの速さが、少し緩やかになられたので、疲労が溜まられたのかと思い、気分を変えられたいかと感じましたので、ハーブティーをご用意させて頂きました
ご気分ではなかったでしょうか……?」
ワゴンを押す手を止めたシルヴィアは、執務机に座る王太后であるアデラインへ身体を向ける。
「いいえ、合格点よ」
アデラインは、立ち上がると応接用の長椅子へ腰掛けた。
シルヴィアはアデラインが座るのを確認すると、彼女の前へ茶器の音を立てる事もなく、見事な手捌きで淹れたお茶のカップを置く。
そんなシルヴィアの様子に、アデラインは口角を少しあげるとカップに指をかけた。
一口そのお茶へ口をつけると、さらに口角を上げる。
そして、シルヴィアへ視線を向けた。
「そちらへお座りなさい」
アデラインが示したのは、彼女の前にある長椅子である。
シルヴィアは、そんな王太后の言葉に躊躇した。
何故ならば、自分は王太后の侍女として仕えるという任を受けたからだ。
しかし、目の前の最高権力者の言葉に逆らう事が許されない事もわかっていた。
そんなシルヴィアの考えを察したアデラインは、フッと表情を緩める。
「従順なのは、仕える者として賢い選択だけれども、今は気にしないで座りなさい
わたくしは、貴女とお話をしたいのよ」
王太后から、ここまで言われてしまうと臣下であるシルヴィアは従うしかない。
「お言葉に甘えさせて頂き、失礼致します」
長椅子に腰掛けたシルヴィアの表情に、アデラインは言葉を続ける。
「まだ、聞きたい事があるような表情ね
貴女の本心を知りたいから、不敬など考えずに、何でも仰有いなさい
だけれども、わたくしは隠し事や嘘偽りは好きではないわ」
「あ……、の……」
アデラインのその言葉の意味、そして穏やかな口調とは正反対の鋭い視線に、シルヴィアは覚悟を決め抱いていた疑問を尋ねる為に口を開いた。
「わたくしは、恐れ多くとも陛下の侍女に指名して頂きました
ですが……、その……
王城へ仕える侍女に支給されている装いをせず、さらに今はこうして陛下と同じ席に座らせて頂いております
わたくしへのこのような待遇は、侍女として宜しいのでしょうか?」
シルヴィアのお茶を口にしながら、アデラインは笑みを浮かべる。
「良いのよ
貴女を侍女に指名したのは、王城で預かる為の名目上の為だけだもの
侍女というより、わたくしの話し相手として側へ置くことにしたいのよ
だけれども、侍女の素質としても申し分ないわ
なかなか、主の表情や仕草から何を求めているのかすぐに察する事は難しいけれど、今日のここまでの様子は、仕える事が初めてとは思えない程の対応よ」
「お褒め頂き、恐縮至極にございます」
「セレスの血筋、というものもあるのかしら?」
アデラインのその言葉に、シルヴィアは王太后へ思わず視線を向ける。
「母が、少しの間陛下のお側で仕えていた事は存じております
下位貴族、しかもその中でもかなり下の位であり、尚且つ財政難の男爵家の令嬢であった母が、陛下のお側に仕える事が出来た等、初め信じられませんでしたが……」
「ええ
初めは、実家の財政難の為に王城の下働きとして、平民と同等の扱いで城で働いていたわ
そんな彼女を見付けて、わたくしが直接侍女としてセレスを指名したのよ」
そんな出自の母親が、当時王妃であったアデラインの侍女として仕える等、あり得る事なのだろうかと、シルヴィアは驚きを隠せない。
「セレスの頭の回転の早さや、振る舞いはとても目を引くものがあったわ
財政難の男爵の娘という事で、マナーや所作を講師からは殆ど学んではいないようではあったけれど、所作の基礎も申し分なく、基本的な振る舞いには問題もなかった
後から聞いたら、母親からの教え等で、独自で学んでいたようね
わたくしは、執務室だけでの判を押す仕事だけでは満足はしない性分なの
王城や城下町の、様々な場所を見て回る事は日課なのよ
その時に、彼女の存在を知ったの
それから、後にはわたくしからクラリス妃の侍女に推薦したのよ
納得いったかしら?」
シルヴィアの考えは全てお見通しのようなアデラインの返しに、シルヴィアは戸惑う。
「丁寧に説明して頂き、ありがとうございます」
「ふふ
いいのよ、近頃退屈していたから、このような話は面白いわ
それにしても……」
アデラインは、含みを持った笑みをシルヴィアへ向けた。
「あのレイモンド殿下が、漸く本気になったなんてね」
アデラインが、レイモンドの事を語り始め、シルヴィアの表情はピクリと揺れる。
そんなシルヴィア様子に気づいているのか、いないかわからないが、アデラインは話を続ける。
「彼はどうやって、これから貴女を守っていくのかしらね?」
シルヴィアは、アデラインは自分達の様々な事を何処まで知っているのだろうかと、ぼんやりと思った。
もし、レイモンドが語っていた先王と母の間に何かしらあったとしたら、その娘である自分の事を、こんなにも穏やかに見詰める事が出来るのだろうかとも……
そう思っているシルヴィアへ、アデラインは一通の封書をテーブルへ置く。
その封書に、何の意味が込められているのか、まだわからないシルヴィアは、どう言葉を返したら良いのか迷っていると、アデラインが先に口を開いた。
「ローランドから、わたくしと交流する為の茶会を催して欲しいとねだられたの
いつも定期的に、ローランドと話す為に庭園でお茶を楽しんでいるのよ
レイモンド殿下も、一緒に招待するのだけれどもいつも断りの返事がくるのよね
だけど、今回は同席したいと返事があったわ
その理由はきっと、色々と思うところがあったのだと思うのだけれど……
貴女は、この日はわたくしの侍女としてではなく、レイモンド殿下のパートナーとして参加してちょうだい
その中で、貴女が選んだお茶を振る舞って貰いたいと考えているのだけれど、どうかしら?」
シルヴィアにとって、ローランドは苦手な相手であった。
しかし、アデラインからこう言われてしまうと、立場的に断る事は難しく、了承するしかなかった。
レイモンドとは、アデラインの侍女に指名された理由が理由なだけに、憶測を生まない為に暫く会う事を控えた方が賢明であると話していて、アデラインへ仲介をしてもらった日から会っていない。
まだ、複雑な関係であるレイモンドと、久しぶりに会うという事に、シルヴィアは緊張と、それとは別に喜びもまた感じていた。
「力不足かもしれませんが、ご厚意に感謝して参加させて頂きたく思います」
そう返事をしたシルヴィアへ、アデラインは真意を察する事は出来ないような笑みを向ける。
シルヴィアにとって、味方であるのか、それともそうではないのかわからない、そんな王太后と同席する茶会にどんな事が待ち受けているのか、まだ何も知らない彼女であった。
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◇作者の呟き◇
なかなか、レイモンドの絡みがなくモヤモヤさせていましたら、申し訳ありません。
王太后のアデラインは、このお話の展開に必要な人物であるので、今回シルヴィアとの絡みを敢えて入れさせて頂きました。
性格的に、表向きは慈愛に満ちたと言われていますが、かなり難しく、アデラインの考えは他人が悟り難い人物であります。




