第5話 パートナー
王弟であるレイモンドから、思ってもいない相談を受け、シルヴィアは戸惑いが隠せなかった。
そんなシルヴィアへ、笑みを向けたまま、レイモンドは話を続ける。
「私に、婚約者がいない事は、君も知っているだろう?
私自身、今後も婚約者を置くつもりはない
と、いうか、伴侶を持つつもりがないんだ
要らぬ火種は、作りたくないからね」
「火種……?」
「兄上……、陛下には、王子が一人しかいない
私自身、王位継承権は早々に放棄するつもりだった
王族から臣下へ下る事も、打診していたんだ
だが、世継ぎとなる子どもが王子一人となると、その他の直系の王族は私一人という事で、継承権の放棄は勿論、臣下へ下る事も認められない
それは、君も知っているよね?」
「はい」
「そうなると、要らぬ事を考える輩が出てくる」
「要らぬ事……?」
レイモンドは、表情を消すと言葉を続けた。
「今の王政に、歪みを落とそうとする者が、少なからずこの王国内にもいるのだよ
そういう者は、私と繋がりを強くする為に、自身の娘を私に勧めてくる
そんな事を見逃し、そのような者の言いなりになれば、現状の穏やかな王族の関係性が、揺らぐ事にも繋がりかねない
だから、私は伴侶を持つつもりはないんだ
しかし、ずっと独り身でいるとね、そんな思惑がない者をいれても、周囲が煩くて敵わない
それで、君に相談をしたかったんだよ」
レイモンドの語った事に、シルヴィアは理由としては納得出来たが、それでも自分へ何故そんな事を、頼もうと思ったのかわからなかった。
「ご心境を、お察し致します
ですが、そのお相手が何故わたくしなのですか?
殿下なら、もっと他に相応しいお方が、いらっしゃるのではないですか?
殿下もわたくしの噂は、大なり小なり知っておられますよね?
性格の悪い冷徹な姉へ、慈愛をもって健気に慕う妹
その妹の気持ちを考えず、冷たくあしらう姉──」
「それは、本当の事ではないよね」
シルヴィアの次の言葉を、レイモンドの言葉が止めた。
その言葉に、何も返さないシルヴィアへ、レイモンドは言葉を続ける。
「それはただの噂に過ぎなくて、本当の君は感情表現が苦手な、普通の女の子なのではないのかな?」
レイモンドの言葉に、シルヴィアは、なんとも言えない複雑な感情が、ぐっと喉元に詰まるような感覚を覚えた。
シルヴィアを取り巻く複雑な家庭環境は、もともと感情表現が得意でなかった彼女から、素直に感情を表現する事を、尽く奪い取った。
そんな感情表現が苦手な所が、シルヴィアの目鼻立ちが、人によってはキツく感じるような少しつり目の容姿も、周囲から冷たい性格のように、感じられる事に拍車をかける。
傍目からは、素っ気なく冷たい印象を持つシルヴィアへ、庇護欲をそそるような可愛らしい容姿のリリアが、慕うように関わっているのに、シルヴィアが冷たく妹を突き放すような姿に見えて、そのような噂が大きくなっていったのだ。
シルヴィアは、今まで周囲の者が気がつかなかった自分の本当の姿を、殆ど初対面のレイモンドが気がついたのだろうかと思った。
「ですが……、噂がある事は事実です
わたくしが殿下のパートナーになった事で、殿下のご評判が落ちてしまうなんて事になったら、大変な事です
殿下なら、もっと相応しいお方がいらっしゃるのではないですか?
何故、わたくしにそんな提案をなされるのか、わかりません」
「君になら、こんな我が儘な提案を頼めるかと思った事が、一番の理由だよ
先程も言ったけれど、私は伴侶を持つつもりはないから、婚約者を置くつもりもない
私の婚約者としての立場に、自身や娘を置いて欲しいという、周囲の煩わしい話を遠ざけたいが為の、相手を探している
言うなれば、偽りのパートナー
偽りのパートナーに願うのは、割り切った考え方なんだ
パートナーでいるうちに、心を寄せてもらっては元もこもないからね」
「割り切った……?」
シルヴィアの声に、レイモンドは足を組む。
「昨夜の君の振る舞いは、場をわきまえた素晴らしいものだったと思う
普通ならば、あんな衆人環視の中で、婚約破棄を突き付けるなどという、辱しめを受けたならば、感情的になって怒りを露にしたり、泣いてすがったりと、醜態をおかす者が、殆どなのではないだろうか?
だが、君は彼の感情を逆撫でするような振る舞いをせずに、淡々と言葉をかけ、あの場から潔く去った
だが、本心はそうではなかったのではないか?
怒りや悲しみがあったのではないかと、私は思ったんだ」
「え……?」
「あの場から離れた後に、君が溢していた涙
あの涙は、少なからず政略的な婚約者への情という以上の感情を、彼に持ち合わせていたのではないのかな?」
レイモンドに、自分の感情をこのように言葉にされ、シルヴィアは何も言葉を発する事が出来ない。
その通りだったからだ。
カルロスとの婚約が結ばれた後、彼の人となりを知っていくうちに、仄かに芽生えた感情が、シルヴィアの中にはあった。
だから、彼に相応しい婚約者になりたいと思った。
将来公爵夫人になった時の為に、必死にルーベンス公爵家の領地の勉強、礼儀作法の勉強等を頑張った。
しかし、カルロスが暖かな笑みを向ける事がなくなり、自分に対して冷ややかな目で見るようになったのは、何時からだっただろうか?
そして、自分へ見せ付けるかのように、妹のリリアに執着するようになったのは……?
シルヴィアが、自分の何がいけなかったのだろうかと、ずっと思いあぐねていた中での、昨夜のカルロスからの、婚約破棄の言葉であったのだ。
「私は……」
「そんな君だから、私のこんな提案をお願いしたいと思ったんだ
君ならば、割り切った相手を演じてくれるだろうと思ったからね
君は、ラウシュ侯爵家令嬢という立場であるから、身分的にも問題ない
その見返りとまではならないと思うが、君のそのおかしな噂を、私が払拭してあげたいと思う
それと、あのような常識のなっていないルーベンス公爵子息の彼とは違う、君に相応しい相手を、探してあげよう
どうだろうか?」
シルヴィアは、自分の事を真っ直ぐ見据えてくるレイモンドの瞳を見詰めると、小さく息を吐く。
「それは、ご命令でしょうか?」
そのシルヴィアの言葉に、レイモンドは口角を上げた。
「王族の命令ならば、臣下である者は断れない
婚約破棄をされ傷ついている令嬢へ、こんな理不尽な提案をする私は、酷い人間だと思うだろうが、そう捉えてくれても構わない」
シルヴィアは、そのレイモンドの言葉に、抗えないのだと理解する。
「そのパートナーでいる期間の期限は……?」
「理解がはやくて、助かるよ
期限は……そうだな
信頼できる君の相手を見付け、君とその相手が結ばれた時はどうかな?」
シルヴィアが、レイモンドの言葉に頷こうとした時、彼の強い視線に気がつく。
「それともう一つ、万が一にでも私へ恋愛感情を口にした時は、この偽りのパートナーの関係は、終わりにする事を覚えておいてほしい」
シルヴィアは、レイモンドの言葉を頭の中で反芻し、彼を真っ直ぐ見据えた。
「畏まりました
殿下のご提案を、お受け致します」
そんなシルヴィアへ、レイモンドは微笑みの中に僅かに切なげな表情を浮かべる。
「こんな酷い願いを、君へ頼んでごめんね」
「殿下……?」
「いや……」
レイモンドは椅子から立ち上がり、シルヴィアの傍に足を進めた。そして、王族であるのにも関わらず、レイモンドが片膝を付いた事にシルヴィアは、戸惑う。
「で、殿下!?
何を……?」
そんなシルヴィアへ、穏やかな笑みをレイモンドは向けると、彼女の手をとり、手の甲へ唇を寄せた。
「これから宜しく頼むよ、シルヴィア嬢」
◇*◇*◇
レイモンドの執務室から、シルヴィアが退出し、屋敷へ帰途に着いた頃、慌ただしい足音が近付いてきた事に、気が付いたレイモンドは、小さく息を吐く。
執務室の扉から入ってきたのは、シルヴィアの父親でラウシュ侯爵のルーカスであった。
「殿下!
私に断りもなく、娘を呼びつけたとは本当ですか!?」
そんな、ルーカスにレイモンドは口を開く。
「侯爵が、私の考えをのまなかったから、直接彼女へ頼んだんだよ」
「そんな事、簡単にのめる訳がないですか!
殿下の偽りのパートナーの立場を、シルヴィアに求めるなど
さらに、娘へ傷を付ける気ですか?」
レイモンドは椅子から立ち上がると、ルーカスに背を向けるように窓へ体を向けた。
「傷を付けるなんて、心外だな
私は、あの彼女のくだらない噂を消そうと思っているし、彼女に相応しい人柄である相手も選ぶつもりだよ?
私も言わせてもらうが、侯爵の方が、間接的にでも彼女を傷付けたのではないのか?
人柄を対して把握もせずに、彼女とルーベンス公爵子息との婚約を結んだ揚げ句の結果が、昨夜のあの一件だ」
「それは、娘が幼少期の時には、最善の相手だと考えたからです
結果は、私の見込み違いでありましたが……
殿下の、今の情勢へ歪みを生みたくはないお考えは、理解しております
ですが、その事に、まだ若く婚姻前で、さらに昨夜の事があり、傷ついている娘を巻き込む事は、父親として納得しかねます」
レイモンドは、ルーカスの言葉にフッと乾いた笑みを溢すと、鋭い視線を向けた。
「何が父親だ……
彼女を、今まで放っておいたくせに……
どんな理由があったにしろ、彼女を憎しみの渦の中に放置したのは、侯爵なのでは、ないのか?
私は、自身の考えが歪んでいる事は、理解している
だが、侯爵にはその事に異を唱える資格はないと、私は思っているが?
愛娘を思ったが故の、不器用な振る舞いではすまされない
今のそなたのシルヴィア嬢への振る舞いを見たとしたら、あの方はどう思うだろうね?」
「…………っ……」
そんなレイモンドの言葉に、ルーカスは何も返す言葉がなかった。
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