第32話 一線を引いた理由
遡る事、数日前。
レイモンドが、シルヴィアをカルロスから助けた日の夕刻。
人払いがされたレイモンドの執務室には、レイモンドと、数時間前に起こったルーベンス公爵邸でのカルロスの行為を知らされている、ラウシュ侯爵のルーカスがいた。
「殿下には、なんと御礼を申しあげたら良いか……」
「礼などいらない
シルヴィア嬢が負った心の傷を、慮ってくれればそれでいい
今回の件は……、彼の性質を見誤っていた私も、要因の一つであろうと思う」
「…………シルヴィアを助けて頂き、本当に感謝致します
ただ、公にカルロス殿を叱責する事は、控えて頂きたく思います
娘にも、落ち度がないわけではありません
娘の、社交界での体裁を守る事を考えると……」
「わかっている
こんな事を公にしたら、シルヴィア嬢に謂れのない大きな傷をつくってしまう
彼の父親である、ルーベンス公爵の耳に入れる事しか考えていない
ただ、公爵はあの息子と違って、公明正大な者だ
悪いようにはしないだろう」
「……………」
レイモンドはルーカスへそう伝えたが、未だに、複雑な表情を浮かべている。そんなルーカスに、レイモンドは訝しげな表情を向ける。
「まだ、何か言いたげな顔だな?」
「………殿下は何故、ご自分の執務を放り出してまで、臣下の娘にすぎないシルヴィアの事を、御自ら直接助けに向かわれたのでしょうか?」
「………何が言いたい?」
「もう……、シルヴィアとは距離をとって頂けませんか?
これ以上、シルヴィアには深く関わらないでください」
ルーカスの言葉に、レイモンドはじっと彼を見据えた。
「侯爵からの、その言葉はあの日から、ニ度目だな」
「私は………、殿下と娘を合わせるつもりはありませんでした
ですから、殿下が知らせも無しにあの日、娘の前に突然顔を見せられた時、お伝えしたのです
それなのに──」
「葬儀に参列するのに、連絡も何もないだろう?
懇意にしていたセレスとの最期の別れとなる、彼女の葬儀に参列する事まで、侯爵が止める権利はないと思うが?
それに、私はセレスとの約束を果たしに行ったんだ」
「貴方様が、セレスと懇意にしていた事は存じております
ですが、王族のお立場として何も連絡もなしに足を運ばれるには、葬儀だとしても軽率であったと思います
その事は、周囲への憶測を生み兼ねません」
「だから、侯爵の言葉通り、今回まで私はシルヴィア嬢を見守る事にしていた
侯爵が私の代わりに、セレスの願いを守ってくれると信じていたからだ
なのに、結果はどうだ
彼女を辛い目に合わせたまま、何も対処をしないで、挙げ句は実の妹に婚約者を奪われるような始末だ」
ルーカスは、レイモンドの言葉に複雑な表情を向ける。
「それは、私の至らなさの結果である事は否定しません
ですが、殿下ともあろうお方が、貴方様の母君の侍女であっただけの者の、ましてや本人でなくその娘に対して、そこまで拘る理由は何なのですか?
約束とはいえ、幼い時の会話の中の一つでしかないと思います
シルヴィアが、妻の娘だからですか?
セレスの事を、貴方様が母君の変わりのように思っていたから、シルヴィアを妹のように見ているのですか?
ですが、今の貴方様のシルヴィアを見る目は───」
ルーカスの言葉を、レイモンドは鋭い視線で遮った。
「反対に聞く
侯爵は、何故そんなにも、私と彼女の関わりを断ち切ろうとしている?」
「シルヴィアは未婚で、まだ若い令嬢です
殿下と懇意にしている事は、娘の将来に良くないと──」
「それは、本心からの理由なのか?」
「本心……、とは……?」
「先日、侯爵がセレスとの馴れ初めを、シルヴィア嬢にも話せないと言ったその理由からではないのか?」
「………」
少しの間、二人は無言で視線をぶつけ合う。どちらも、自分の言葉を「否」と言う気がない事を理解し合うと、先に口を開いたのはレイモンドの方であった。
「答えがないという事は、そうだと言っているようにも思えるが……
私が、彼女と距離を取るかは、彼女の判断に任せる
彼女には、私の偽りのパートナーになって欲しいと言った時に、私にも考えがあり、一線を引く言葉は掛けた
後は、どう判断するかは彼女次第だ」
「殿下っ!」
「ラウシュ侯爵」
「………っ!」
低い声で、ルーカスの名を呼ぶレイモンドの強い視線に、ルーカスは一瞬たじろぐ。
「私自身、自分の生い立ちも、彼女の生い立ちもわからない事だらけだ
憶測かもしれない考えもあり、ずっと影ながら見守っていた彼女を、もうこれからは自身の手で守りたいと思ったのだ
本当ならば、もっと早くに手を差し伸べたかった
真実を、私にだけでも明白にしてくれていたならば……、彼女を兄のように守りたいという、純粋な想いだけで済んだかもしれない
こんな感情を抱く前に───」
『万が一にでも私へ恋愛感情を口にした時は、この偽りのパートナーの関係は、終わりにする事を覚えておいてほしい』
────彼女へそんな言葉を言い放ち、一線を引いた理由……
レイモンドにとって、シルヴィアは初め、慕っていた彼女の母親の娘というだけの、妹のように感じていた存在であった。
レイモンドは、ルーカスからの『娘とは距離を置いて欲しい』という言葉を受け入れ、彼女の前にはあの葬儀以来顔を出さずに、影ながらずっと彼女の事を見守っていた。
しかし、日に日に表情を失くしていくシルヴィア。
そして、増していく社交界で囁かれる、彼女の悪評。
レイモンドには、「何故?」という、疑問しかわかなかった。
そしてレイモンドにも、自分の存在を明かさずに、そのシルヴィアの悪評を封じるには限界があった。
だが、そんな悪評を囁かれ、嘲笑の目を向けられても、シルヴィアはいつも凛と前を見据え、目立つようにはしないが困っている者を助ける振る舞いを見せていた。
それらを毎回目にする度、レイモンドは、自分の感情の変化に気が付いていく。
己とシルヴィアの生い立ちに、疑問と疑惑を抱き始めた時には、彼がその感情を偽る事は、難しくなっていた。
シルヴィアが婚約破棄されたあの場で、レイモンドは二つの感情を抱く。
それは……
何故、シルヴィアがあのように辱しめられ、心痛を感じなければならないのかという、怒り。
そして……、それとは別にもう一つの感情も抱く。
シルヴィアを、カルロスが手にしなくて良かったという、後ろめたい喜び。
こんな、邪な感情を抱く己に、レイモンドは吐き気すら感じた。
それでも、次には行動に移している自分がいたのだ。
他の者に奪われる前に、己の傍に囲ってしまおうと、言わんばかりの行動。
レイモンドは、心のなかで自嘲した。
『貴様のねじ曲がった私欲の為に、彼女がこのように傷付けられる事はあってはならない』
先程、カルロスへねじ曲がった私欲をシルヴィアへ向けるなと自分が言い放った言葉を、己へぶつけたいと──
その言葉が本当に似合うのは自分ではいかと──
(結ばれる事など、無理であるのに……
彼女と私は───)
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