第31話 痛み
シルヴィアは、自分の私室の窓辺でぼんやりと外を眺めていた。数日前におった怪我の具合いは、大分良い。
レイモンドが、ルーベンス公爵邸へ助けに来てくれたあの後、彼は自分の乗ってきた馬車にシルヴィアを乗せると、ラウシュ侯爵邸へと送ってくれた。
その道中、我に返ったシルヴィアが何と言っても、レイモンドは自分の膝の上にシルヴィアを乗せ抱き締めたまま離す事をしなかった。
その行動の真意が何なのか、シルヴィアにはわからない。
レイモンドから、彼から触れられる事が嫌ではないかと聞かれたが、嫌ではなかった。それどころか、恐怖を感じた心が、レイモンドの与える温もりによって、癒えていった事は確かだった。そんなシルヴィアの心情が伝わったのか、侯爵邸へ着くまでその状態のままであったのだった。
レイモンドは、カルロスへあのように言い放ったが、シルヴィアの体裁なども考え、屋敷の者へは、城でレイモンドの手伝いをしている時に怪我をしたと伝えた。
それでも、本当の事は父親であるラウシュ侯爵へは伝えたようで、帰宅した父親は、シルヴィアを執務室へ呼び出す。そして、静かな口調ではあったが、強めの言葉を投げ掛けられた。
『殿下から、話しは聞いた
今回の件は、カルロスに非があるとはいえ、お前も言われるがままに一人で屋敷へ訪問したという事に、非があったと言われ兼ねない状況だ
この件で公に彼を咎める事になれば、お前の体裁に傷が付く事は確実であるし、彼とリリアとの関係性にも憶測を生む
それらを考えて、ルーベンス公爵の耳には入れるが、表だって罪に問う事は出来ないと考えるに至った』
父親の言葉に、シルヴィアは表情を変える事はない。
『そうなると思っておりましたし、咎めて欲しいとも思っておりませんので、大事にしなくて大丈夫です
わたくしの至らない行動で、お父様にもご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした』
何時ものように、物分かりの良いシルヴィアの返しに父親のルーカスは複雑な表情を浮かべる。
『………シルヴィア』
『はい』
『殿下にも伝えたが、今回の件とは別に、暫く殿下に会う事を控えた方が良いのではないかと、私は思っている』
『………それは……どうして……?』
『城に通う事も勿論だが、夜会へのエスコートも遠慮して、殿下と距離を取るべきだと思う……
お前をの評判を上げて頂いただけでなく、今回助けて頂いた感謝はあるが、殿下とこれ以上近しい間柄になったとしても、殿下には、婚姻する気持ちは今もない
未婚のお前が、そんな殿下の側に居る事は、良い結果を生まないのではないかと思うのだ』
シルヴィアは、父親に己の感情を見透かされているのだろうかと、ドキリとした。
自分の感情を自覚したばかりの今この時に、この言葉は偶然と言っては、あまりにもタイミングが良すぎたからだ。
それとも、レイモンドがシルヴィアの気持ちに気付き、ルーカスに告げたのかとも思った。
『……そうですね……
わたくしのような人間が、何時までも殿下のお側にいる事は、殿下のご評判に傷がついてしまいますもの……
お父様のお考えに従いますわ』
『そうではない』
『え……?』
ルーカスは、重々しく呟いた事にシルヴィアは、視線を父へ向ける。
『お前の立場や噂が悪いとか、そういう訳ではない
お前達が尊敬以上の感情を───
……お前と殿下がこれ以上側に居てはいけないと、思ったからだ──』
ぼんやりと窓の外を眺めるシルヴィアは、先日の父の言葉の真意は何だったのだろうかと考えていた。
あの言葉の裏に、何か父が娘へ言えない別の理由が隠れているようにも思えた。
シルヴィアが、レイモンドの側に居てはいけない理由が、シルヴィアの立場や社交界での彼女の悪い噂の他に何があるのだろうか?と……
ルーカスが言葉を言い直す前に呟いた言葉。
『尊敬以上の感情』
それは、恋愛感情を持つなという事であろうと思う。
シルヴィア自身、レイモンドとは釣り合わない立場である事は理解しているが、父はそうではないと言った。なら、どうしてその感情を抱いてはいけないのだろうか……?
「どうして……?」
彼女は、視線を移す。
そこには、先日公爵邸で肩に掛けてもらったままのレイモンドの上衣がかけられていた。
「もう、お会い出来ないようになるのなら、このままお返し出来なくなる前に、先日の事だけでなく、今までのお礼の言葉をお伝えするのと一緒に、お返ししにいった方が良いわよね……?」
────会えなくなる……
その現実に、シルヴィアはチクリと胸が痛む事をいつものように受け入れようとする。
(諦める事も、我慢する事も慣れてるもの……)
机に広げた登城許可証申請書へ、ペン先を走らせようとした時、何ともいえない思いが込み上げてきた。
それは、婚約破棄された時からのレイモンドとの関わりの日々。
あのような優しさに触れ、想いを彼に寄せない者等いるのだろうかと思う。
だからこそ、彼はそんな感情を口にしないで欲しいと一線を引いたのだろうか?
シルヴィアにとって、あの甘い日々は夢物語だったように感じる。
(僅かな日々であったけれど、お姫様になったような日々
氷姫と揶揄されているわたくしには、贅沢な日々であったと思うべきなのだろう……)
シルヴィアは、カルロスに打たれた頬の痛みよりも、レイモンドとの温かな日々を終らせるのだと、言い聞かせている胸の方が痛いと感じた。
(想いを寄せなければ、まだこの関係を続けられたのかしら……?)
そんな思いがふと過ると、そんな自分の思いに自嘲し首を横に振る。
(想いを寄せなくとも、何れかは終わりをむかえていたわ
終わりが、少し早いか遅いかの違いだけ……
それに……)
申請書にサインを入れ終わり、ペンを置く。
席を立つと、掛けられているレイモンドの上衣にそっと手を添えた。
フワリと香るレイモンドの香りに、シルヴィアは思わず顔を上衣の側に近付ける。
(好きにならない方が無理……
報われない想いだとしても……、この気持ちに気が付けて良かったと思いたい……
それに、あんなにも、こんなわたくしに優しさをくれた人だから……
優しいあの人を困らせたくない……
だから……
今こそ、氷姫と言われるような振る舞いをして、あの人が罪悪感を感じないようにしなければ……)
シルヴィアの頬に、涙が一筋零れ落ちていった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
ブックマークをつけて頂きありがとうございます!




