第22話 気付いてはいけない感情
王家の紋の付いた馬車で向かい合うシルヴィアとレイモンド。
レイモンドはシルヴィアをじっと見詰めたかと思うと、口を開いた。
「それで、先程の状況と、君のその頬の腫れの理由は教えてくれるのかな?」
「殿下が、ご納得されていない事はわかっておりました
それなのに、わたくしに合わせて頂きありがとうございます
先程は、殿下を継母との諍いに巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」
頭を下げるシルヴィアへ、レイモンドは小さくため息をもらす。
「君の謝罪を聞きたい訳じゃない
その頬は……、理解し難いが侯爵夫人が?」
「……………」
シルヴィアは、その問いに否定も肯定もしなかった。
だが、レイモンドはシルヴィアの表情から肯定と受け取る。そして、不快感が押し寄せてくることがわかった。
「まさかとは思うが、頻繁にそのような暴力を受けている訳ではないであろうな?」
「………っ…………」
その問いにもまた、同じような彼女の仕草に、レイモンドは眉間に皺を寄せる。
これ以上その事を問う事も憚れた。まさか、彼女を疎み蔑むだけでなく、一度でも有り得ないのに、何度も手を上げているとは思っていなかったのだ。
「……ラウシュ侯爵は、そんな状態に君が置かれている事を、まさか知らないのか……?
それとも知っていて、放置していたというのか?」
「毎日の事ではありませんし、本当にあの方が機嫌を損ねた時だけの事です
執事頭であるビルや、僅かですが現在も残っている昔からいる使用人の目の前でそんな事があった時は、父へも報告があがるのか、父から確認される事はありました
ですが、わたくしが否定していたので、その場を見ていない父が、それ以上どうこうできなかったのだと思います」
「だが、夫人が君の事を疎んで攻撃していた事は、知らない訳ではないだろう?
それに、君も何故夫人からされた事を否定し、さらに父親へ助けを求めなかった?」
レイモンドが、苛立ちを抑えながら問いかけてくる事が伝わってくる。
そんなレイモンドをシルヴィアは見詰めた。
「……殿下は、何処までわたくしの家の内情をお知りなのですか?」
「え?」
「わたくしは、直接言われた事と、巷で噂されている事しか知りません
父が、幼い頃からの婚約者であった継母との婚約を解消してまで、わたくしの母を娶り、母が亡くなるとすぐに再婚した事しか知らないのです
その状況だけなら、継母がわたくしに母親を重ね、わたくしの事を憎むのも理解出来ます
だから、継母の言葉全てを受け止めるほかにはないと、ずっと思っておりました」
「シルヴィア嬢……」
珍しく、表情や言葉に感情をわかりやすく出しているシルヴィア。そんな彼女の言葉を受け止めるかのように、レイモンドは黙って聞く。
「ですが、親族からは歓迎されずに疎まれていたわたくしの母親を、ビルをはじめ古くから仕えてくれている使用人達は、素晴らしい人であったと言うのです
だから……、わたくしは知りたいと思ったし、知らなければならないのではと思ったのです
わたくしの生まれる前に、父と母にどんな経緯や理由があって、婚約解消までして結婚したのか……
知らなければ、継母の憎しみが籠った感情を受け止める状況に戻らざるを得ないと……、諦める日々に戻ってしまうからと、思ったのです」
レイモンドは、シルヴィアが何故こんなにも考え方を変える気になったのだろうかと疑問に思ったが、それ以上に彼女が、前向きに考えられるようになった事は良かったと思った。
だからそれ以上、彼女の考え方の変化を問わなかった。
彼女が、どんな理由でそう思い至ったのか考える事を後回しにしてしまう。それはその理由が、自分であるとは思わなかったからだ。
その事が、今後様々な問題を複雑にするとは思いもよらなかった。
「私も、知っている事は断片的な事が多い
だが、侯爵が簡単に全てを話すとは思わないし
それならば、私が知っている事を伝えようか?」
シルヴィアは、簡単に教えようかという彼の言葉に驚く。だが、すぐその言葉に首を横に振った。
「いえ、殿下から簡単に教えて頂いたのでは、自分の心を強くできません
だから、わたくし自身で父と向き合ってみたいと思います
ずっと……、わたくし自身父と向き合う事を避けていた事は確かですから……
それでも、どうにもならなかった時は教えて頂けますか?」
───貴方の力なしで、強くならなければいけないから……
「そうか……
君がそう言うのならば、私は見守るよ
だが、侯爵と話し合う場を私に作らせてくれるかい?
侯爵も、家では真実を話す事は、大きな障壁がありそうだからね」
「ありがとうございます」
僅かに笑みを浮かべたシルヴィアへ、レイモンドも笑みを向ける。
話をしているうちに夜会会場に到着すると、先にレイモンドが馬車を降りる。そして、シルヴィアへ手を差し出す。
それは、毎回同じ動作であった。
シルヴィアが初めて、レイモンドと共に馬車に乗って夜会へ赴いた時は、そんな彼の振る舞いに戸惑い躊躇した。
王族であるレイモンドの手を借りる事に、畏れを抱いたのだ。
だが回数を重ねるうちに、レイモンドのエスコートを自然と受け入れている自分に気が付く。
大きく、それでいて無骨ではない長くスラリとした指。思いの他、彼の指先はヒヤリとし体温が低く感じる。
この手で、包むように己の手を握られた時、戸惑いや畏れよりも安心感がシルヴィアの心を占めた。
レイモンドの、シルヴィアを気遣い、守ってくれる姿に、初めは『どうして、そこまでしてくれるのだろう?』と、疑問しかなかった。
シルヴィアのその疑問が、別の感情へ変わってきたのは、いつからだったのだろうか……
自分は、もう二度とそんな感情は抱かないと思っていたのにも関わらず……
じっとシルヴィアが、レイモンドへ視線を向けている事に気が付いた彼は、笑みを向けながらまるで愛する者へ「どうかしたのかい?」と優しく問い掛けてくれるかのように、視線を向けてくれる。
その視線に、言葉を詰まらせたシルヴィアを癒すかのように、屋敷でスザンナから打たれた頬に優しく彼は触れた。
体温の低い彼の指先が心地よくも、さらに熱が上がるようにもシルヴィアは感じる。
彼は、ただシルヴィアの打たれた頬の具合いを心配してくれているだけで、それ以上の意図などないことは理解していても、彼女は心臓が激しく鳴る事を止められなかった。
ただ、レイモンドへこの心臓の音が伝わりませんようにと願うしか出来ず、そして、気付かぬ振りをし続ける感情を、必死に胸の奥にし舞い込んだのだ。
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