第20話 継母との確執
──初めから、期待する事を諦めていた訳ではなかった。
シルヴィアに母親の記憶は殆どない。微かに覚えているのは、優しい綺麗な声で、いつも歌ってくれる子守唄。そして、美しい瞳。自分の瞳の色と同じ紫色の瞳の優しい眼差しで、いつも微笑みを向けてくれている姿。
シルヴィアの母親が亡くなり、喪もあけきらない頃、父親のラウシュ侯爵が連れてきたのは、裕福な伯爵家令嬢のスザンナであった。
『シルヴィア、お前の新しいお継母様だ』
『おかあ……さま?』
『ええ、シルヴィアちゃん
本当のお母様だと思ってね
嬉しいわ、こんな愛らしい娘が出来るなんて』
シルヴィアは、父親から紹介された可愛らしい容姿の、優しい笑みを浮かべるその存在に初めて会った時、突然母親が自分の側からいなくなった淋しさが、ほんの少し軽くなったような気持ちになった。
目の前にいる新しい母になる存在は、自分の事を喜んで受け入れてくれる様子も嬉しかった。
しかし、シルヴィアのそんな気持ちは、父親のルーカスの仕事が多忙になり、屋敷にいる時間が極端に少なくなった頃から、変わっていく。
『おかあさま、お庭で摘んだお花を──』
『触らないでっ!!』
『え……』
父のルーカスが傍に居た今までとは、全く別人のようなスザンナのシルヴィアへ向ける蔑むような表情。そして、幼いシルヴィアの手を振り払い、突き放す仕草。
スザンナから手を振り払われ、シルヴィアの足元には、彼女がスザンナへプレゼントしようと思い、小さな手で摘んだ花が散らばっていた。
『馴れ馴れしく、近寄らないでちょうだい!
泥棒猫の娘の分際で!! 汚らわしいっ!』
幼いシルヴィアを睨み付けて、床に散らばる花を踏みつけスザンナはその場を去っていく。無残にも、踏まれぐちゃぐちゃになった花を、一つ一つ拾い集めていくその小さな手は震えていた。大きな紫色の瞳には涙が溜まり、その限界を超えた涙がポロポロと零れ落ちる。
突然、態度の変わった継母の様子にシルヴィアは動揺が隠せなかった。
その時シルヴィアは、自分が何か継母の気に触る事をしてしまったのだろうか思う。自分の悪い所は何処だったのだろうかと自分を責めるばかりであり、幼すぎてその本当の理由等、検討もつかなかったのだ。
スザンナの態度の裏にある本当の理由を、シルヴィアがはっきりと理解したのはいつ頃だっただろうか……?
『泥棒猫の娘』
何度も、スザンナからぶつけられた言葉。
社交界へ出る頃には、シルヴィアは嫌でも自分へぶつけられるその言葉の意味を理解した。
継母であるスザンナが、父親のルーカスの幼い頃から両家で決められていた婚約者であった事を、シルヴィアは、ある時知った。
それだけでなく、婚姻も間近かと言われ始めた頃、シルヴィアの母親に出逢った父のルーカスは、無理を通して、スザンナと婚約解消しシルヴィアの母親を娶った事も知る。
どんな内情があれ、当時世間を騒がせた話題であった。
シルヴィアの母親が、侯爵家嫡男というルーカスの身分と釣り合うような出自であれば、わだかまりが残ったとしても、複雑な事態にはならなかったのかもしれない。
しかし、母は田舎の特に目立つ事もない、男爵家の生まれであった。
身分を重んじられるこの国の貴族社会で、その事が安易に受け入られる事がないことなどわかりきっている事だ。そして、それが今のシルヴィアの立場に重くのし掛かっていたのだった。
自分を婚約解消した相手の後妻として、スザンナはルーカスと婚姻を結ぶ。その背景にどんな事があったのかまでは、シルヴィアは知らない。
だが、自分の汚点となる婚約解消の原因となった存在の娘である彼女へ、スザンナが良い感情を抱く事が出来ないだろうことは、誰でもわかる事であった。
その事をシルヴィアが知り理解した時、自分の境遇に納得がいった。また、諦めにも似た、複雑な感情を抱く。
そしてつい先日、自分が置かれたあの夜会での出来事は、母達とそっくり反対の状況であり、継母の気持ちも理解出来ない訳ではないとも感じた。
だがしかし、理解できたとしても、この状況を全て受け入れるべきなのか……?
彼女が成長した今、ただ己を責め、精神的な苦痛に怯え、堪え忍んでいた幼子ではないのだ。
◇*◇*◇
「汚らわしいっ!
高貴な身分の方に、擦り寄り、言い寄って、我が物顔でその隣に居座るなんて、血は争えないわ!!」
夜会準備でバタバタとした屋敷内には、スザンナの憎しみを込めた蔑む言葉が、パンッという乾いた音と共に響き渡る。
スザンナが憎悪の目を向ける場には、頬を押さえるシルヴィアがいた。
「本当に浅ましい子ねっ!
殿下の優しさに勘違いして、あなたが殿下へ付きまとっている事が、世間では嘲笑され嫌悪されているのがわからないの!?
これ以上、ラウシュ家の名に泥を塗らないでちょうだいっ!」
シルヴィアも今夜行われる夜会へレイモンドと出席するという事を知ったスザンナが、怒鳴り散らしていたのだ。
頬を打たれても、シルヴィアは涙を溢すのでもなく、言い返す事もなく、じっと耐えていた。
そんなシルヴィアに、スザンナはより苛立つ。
「早くそのドレスを脱ぎなさい」
「何故でしょうか?」
「はっきり言わなければわからないの?
夜会に出席するなと、言っているのよ!」
「わたくしも、招待状を頂いております」
「そんなもの急な病で欠席する等、理由なんて幾らでもつけられるでしょう!?」
「わたくしが、夜会へ出席する事で、お継母様にどのようなご迷惑をお掛けしているのですか?
殿下からのエスコートも、正式な申し出を頂いているものです
それを、今さら断るなど不敬にあたると思いますわ」
シルヴィアが珍しく言い返してきた事に、スザンナはキッと彼女を睨み付けた。
「お前の存在そのものが迷惑なのよ!
わたくしが、どれ程恥ずかしい思いをしているのか知らないお前が、言う事ではないわ!
そのふしだらな振る舞いを、何も言わずにいたら、つけあがって忌々しい!
お前の恥ずべき行動は、全てわたくしやリリアに振り掛かるのよ!!
いい加減、我が儘を言うのをやめなさい!」
「奥方様」
そんなスザンナへ、後ろで控えていた執事頭のビルが声を掛ける。
「使用人ごときが、口を挟むとは何なのよ!?」
「申し訳ありません
ですが今、レイモンド殿下がお越しになられ、シルヴィアお嬢様をお待ちにございます
殿下を、お待たせする等出来ませんので……」
ビルの言葉に、スザンナは少し考えると言葉を発し踵を返した。
「………わかったわ
この子は、夜会には出席させられないと、わたくしから殿下へお断りさせて頂くわ」
「奥方様っ
そのような事はっ!」
ビルは慌ててスザンナの後を追う。
その様子に、シルヴィアは一つ息を吐くと前を見据えた。
先日から繰り返し考えている事を、再度考える。
優しい笑みを浮かべるレイモンドの顔を思い浮かべながら……
───居心地の良い、優しさに甘えてばかりいられない。
その優しさに報いる為にも、自分の考えを改めなければ、顔向けできない。
何にも期待しないで諦める事は、困難に目を背けて逃げているのと同じ。
強い心を持たなければ、あの優しさに捕らわれてしまうから……
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