第18話 打ち砕かれた心
少し経ち、レイモンドがエントランスへ戻ってきた時、そこにいるはずのシルヴィアの姿がなかった。
直ぐに、その場にいた屋敷の使用人へシルヴィアの事を問うと、返ってきた言葉に二つの怒りが沸き起こる。
一つ目は、シルヴィアを少しの時間でも一人にしてしまった自分への怒り、そしてもう一つは───
◇*◇*◇
シルヴィアは、夜会の行われている屋敷の庭園にいた。
しかし、自分から進んで、この場に来たいと思って、来た訳ではない。
彼女の隣で、彼女の事を冷たい目付きで睨み付ける存在に、半ば無理矢理連れて来られたのだ。
夜会が行われている屋敷の使用人などでは、無理矢理連れ出されたシルヴィアの事を、助けるなど出来ない存在。
王族の次の位をもつ公爵家。その嫡男である彼を止められる存在など、この夜会会場では王弟のレイモンドくらいであろう。
「カルロス様
庭園で、わたくしに話などと、どのような事であるのですか?」
「いい気なもんだな?」
「何の事でしょうか……?」
「レイモンド殿下を唆して、その隣に居座り、夜会の度に殿下に纏わり付いている姿を周りへ見せびらかして、勝ったつもりか?」
「勝った……?
そんなこと──きゃっ!?」
カルロスは、シルヴィアの言葉の途中で、彼女の手首を掴むと、無理矢理引っ張った。
「何時から、殿下に色目を使っていた?」
「色目など……
そんな事しておりません」
「俺が、貴様との婚約を破棄する前から、殿下へ言い寄っていたんじゃないのか!?」
「そんな事っ──……っ!」
カルロスが、彼女の手首を掴んでいる手に力を入れた事に、痛みでシルヴィアの表情が歪む。
そんなシルヴィアの様子に動揺する事もなく、カルロスは手首を強く握ったまま、彼女を睨み付けた。
「俺に婚約を破棄されて直ぐに、殿下と親しげに夜会へ何度も出席するなど、そう勘ぐるのも当然だろう!?」
カルロスの言葉に、悔しさからか、シルヴィアから冷静さを奪い取る。
「わたくしは、貴方の相応しい妻になれるよう、ずっと必死に学んでおりました
貴方以外を見た事もありません
それなのに……っ……」
シルヴィアは、声を詰まらせ、己の負の感情と言葉を必死に抑えた。
きつく蓋をしようと、感情を殺し堪えるシルヴィアへ、カルロスの言葉と侮蔑を含む嘲笑が突き刺さる。
「ハッ、俺の為なんかでなく、公爵夫人になる為の努力だろう?
公爵家の次は王族か?
下心を持って、殿下に近づいたんだろう?
地位や権力を、こんなにも好んでいるなんてな?」
その言葉は、まだ僅かにも残っていたカルロスへの、シルヴィアの思いやりの気持ちをも打ち砕いた。
そして、今までカルロスに対して、楯突いた事などなかったシルヴィアから、本音が溢れ出す。
「あの夜会で、わたくしへ婚約破棄を突き付け、もう関わりたくないと仰有ったのは、カルロス様ではないですか?」
「何が言いたい?」
「何故何度も、わたくしにわざわざ、このように直接苦言を言われるのですか?
わたくしは、もう二度と関わりたくない存在なのでしょう?」
「関わりたくない相手であっても、リリアの姉であるお前の醜聞は、俺にも響くんだよ!
だから、わざわざ助言してやっているんだろ!?
それに、婚約破棄する前に、お前が不貞を働いていたのであれば、それ相応の対応をしなければならないしな!」
「不貞などしておりません
わたくしには、貴方しかおりませんでした
わたくしは……、貴方との婚約が決まった時から、カルロス様と一生添い遂げるのだと思い、信じておりました
ですが、貴方が添い遂げたいとお選びになられたのは、わたくしではなくリリアだった……
それが、貴方の本当のお気持ちであったのですよね?」
「そうさせたのは、お前だろう?
俺だけが、悪いと言うのか?」
「え……」
先程までのカルロスとは真逆の、感情がわからないような冷え冷えとした声と言葉が、シルヴィアに突き刺さる。
「お前が………」
「……ぃっ……」
カルロスがより強い力で、シルヴィアの細い手首を握り締めた。
そして、痛みの為に潤むシルヴィアの瞳と、月の光に照らされ輝く彼女の髪の毛に、彼は目を止める。
「もう……触れさせたのか……?」
「……っ………!
……カルロス様……離して……くださいっ……」
カルロスは、シルヴィアが掴まれている手首を痛がる事に、気を止める事はない。
カルロスは彼女を見据え、そして彼の指先が、シルヴィアの髪の毛に触れた。
「この……紫水晶の瞳も……、銀糸の髪も……俺だけの───」
「カルロス様? どちらにいらっしゃるの?」
カルロスの呟きをかき消すように、リリアが彼を探しながら呼ぶ声が聞こえてくる。
その声に、ビクリと身体を揺らしたカルロスは、舌打ちし、シルヴィアの手首から手を離した。
そして、再度シルヴィアを睨み付けると、言い捨てるかのように、言葉をぶつけ、その場を去って行く。
「いい気になっていないで、自分の立場を弁えるんだな?
殿下は、気まぐれでお前に構っているんだって事を理解していないと、後で惨めな思いをするのはお前なんだからな!」
庭園から、遠ざかっていくカルロスの後ろ姿をシルヴィアは、ただ見詰める事しか出来なかった。
ズキリと手首の痛みで我に返り、自分の手首へ目を落とすと、強く握られた事による、赤い痕がついていることに気が付く。
その痕に手で触れると、腕の痛み以上に心が痛んだ。
そして、先程カルロスから言われた言葉が、何度も心の中を反芻する。
『そうさせたのは、お前だろう?
俺だけが、悪いと言うのか?』
(カルロス様が、リリアに心を寄せたのは、わたくしのせい……?
わたくしの……何が……)
「……痛い…」
シルヴィアの呟きは、手首の痛みへなのか、それとも心の痛みへなのか、溢れ落ちていく。
その時、その声は聞こえた。
「シルヴィア嬢っ!」
「殿下……」
シルヴィアの名を呼んだのはレイモンドで、彼女を探していたのだとわかった。
レイモンドは辺りを見回す。
だが、シルヴィアを連れ出した存在の姿はすでになかった。
「何かあれば、私を呼ぶように言ったはずだ
彼は?」
「申し訳ありません、勝手にエントランスから離れてしまい……
況してや、殿下にご足労頂くなど……
カルロス様は、リリアのもとへ戻られました」
シルヴィアは、無意識に先程掴まれた手首を隠すように、反対側の手でその場所を握る。
シルヴィアのその仕草に、気が付いたレイモンドは、彼女の手首の痕に、眉間に皺を寄せた。
「それは……?」
「…………」
「…………彼か……
私が、君の側を離れたせいだね
君を一人にしてすまなかった」
レイモンドの謝罪に、シルヴィアは狼狽える。
「殿下が謝るなど、お止めください
殿下に責任などありません
わたくしが……、全てわたくしの責任なんです……」
レイモンドは、シルヴィアの手を取ると、カルロスから握り締められ赤い痕のついている手首に、そっと触れた。
「いや……、私の甘さが招いた事だ
彼がこの夜会に出席している事は知っていたし、このような事態が起こる事は想定内であったのに、君を一人にしてしまった
この手首も、それ以上に君の心を傷付けてしまったのは、彼の屈折した執着心を見誤った私の責任だ……」
「全ては、わたくしのいたらなさが招いた結果です」
いつものように、自分へ全て非があるのだとして、この件を片付けようとしたシルヴィアを、レイモンドはじっと見詰める。
「その、全て自分のせいにして胸の中に抱え込むのは、君の悪い癖だな
まあ、君の今までの環境がそうさせているのだろうが……
もう、彼とは二人きりにならない方がいい」
「二人きりになど……
カルロス様とわたくしは、もうそんな特別な間柄ではありません
あの方は、リリアを一生の相手にとお選びになったのですから……
わたくしの醜聞が、親族になる者として恥ずかしいと、苦言を言われるだけでありますので、そんなに心配なさらないでください
親族になる事は避けられないので、カルロス様がわたくしの事を気に食わないのは、当たり前の事でしょうけれど……」
「君は……、彼の事をわかっていないな」
「殿下……?」
「いや、もう君は知らなくていいことだよ
彼自身が、愚かにも君を手放し、さらにこうして何度も傷付けたのだからね
だが、約束して欲しい、今後、彼とは二人きりにならないと」
レイモンドがそう力強い口調で語る言葉に、シルヴィアはそんなにもカルロスの事を警戒するのは、何故だろう?と僅かに感じる。
そう感じながらも、自分が傷付かないよう心配してくれるているのだろうと思い、レイモンドの優しさに頷いた。
「はい、お約束致します
殿下、わたくしの事を、こんなにも気に掛けて頂き、ありがとうございます」
レイモンドは、シルヴィアのその言葉に漸く笑みを浮かべる。
「先ずは、痕が残ってはいけないから、冷やそうか」
「はい」
シルヴィアはこの時、まだ何も気が付いていなかった。
レイモンドが、ここまでカルロスの行動を危惧する訳を……
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