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アンネワークの隣に座っていた令嬢のその後
膨らんだお腹を優しく撫でながらヴィリシモーネはレース編みを再開した。
産まれてくる子のための服なのだが自分で編むということは高位貴族になると少ない。
乳母が編むことが多く自分で編むことを嫌う夫も少なくない。
「ヴィリ」
「シモン様」
「今日は顔色が良いね」
「ありがとうございます」
第二王子の婚約者を決めるお茶会で幼いアンネワークの隣に座り世話を焼いていた令嬢だ。
あれから同じ公爵家に嫁ぐことが決まった。
「ふふっ」
「どうしたんだい?」
「あのとき第二王子殿下の婚約者にならなくて良かったと思いましたの」
「おいおい」
「わたくし今、幸せですのよ」
ヴィリシモーネは当時を思い出して笑う。
父親から何が何でも婚約者の座を勝ち取って来いと言われて、そのプレッシャーに押し潰されそうになっていた。
公爵令嬢としての立場と本人の資質の乖離で身動きが取れなくなっていたところを夫のシモンが手を差し伸べた。
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ヴィリシモーネは公爵家の長女として生を受けた。
年齢的にも第一王子の二歳下ということで王妃候補になれると当主は意気込んだ。
だが実際はジェラルディーンに決まり、事前の打診は無かった。
「いいか。第一王子殿下の婚約者の座は仕方ないにしても第二王子殿下の婚約者座は何が何でも獲得しろ」
「ですが、お父様」
「我が公爵家だけなのだぞ。王家に嫁いだ者も降嫁した者もいない。侯爵家ですらいくつかは縁戚だというのに」
公爵家としての歴史は中堅どころで可もなく不可もなくというところだが、何代かおきに野心家な当主が誕生する。
王家としては、その点を危惧しており縁戚となることを忌避していた。
「この際、第二王子が妾腹であることは妥協しよう。今まで育ててやった恩を返せ」
「・・・分かりました」
「弟のために姉らしいことをさせてやるのだ。心してやれ」
気が重く参加したくないと言い出せる雰囲気ではない。
ヴィリシモーネの友人たちは試験に合格しているが王家との繋がりを強くするよりも派閥内での結束を強くするという各々の家の方針で婚約者が決まっている。
事前に王家には断りを入れているため別日のお茶会に参加することになっていた。
侍女たちの手によってお茶会へ参加するドレスを着せられたが、それは昼のお茶会に参加するには少し不釣り合いな豪華さを持っていた。
似合う似合わないというよりも公爵家としての財力を示すためのもので、品を落とすともになっている。
ヴィリシモーネも分かってはいるが、父親が決めたドレス以外を着て行けば何をされるか分からないため大人しく着る。
「お嬢様、旦那様より伝言でございます。婚約者の座を得られなかった場合は家に帰って来るなとのことでございます」
「そう」
「お気を付けていってらっしゃいませ」
見送りには執事が一人だったが、ヴィリシモーネは気にすることなく馬車に乗り込んだ。
老齢の彼は先代の頃より仕えており、唯一当主に意見を言える立場にあった。
だが、彼がヴィリシモーネに肩入れをすればするほど当主からのヴィリシモーネへの当たりが強くなるため表立って手助けできない。
そんな複雑な事情を使用人たちも分かっているのだが、雇われの身では何もできない。
親しいと言える友人もいないお茶会など楽しいものではないが、同じ爵位の令嬢には声をかけた。
向こうも本気で婚約者の座を狙っているらしく、そのことを隠そうともしない。
他の者もにこやかに談笑しているように見えて牽制していた。
「ヴィリシモーネ様も来られていたのね」
「えぇ、ルーシー様もお元気そうで何よりですわ」
「儚さでは貴女に負けてしまうもの。それに小道具持参の令嬢もいるようですからね」
「小道具?」
「あちらにいるお子様のことよ。誰かが妹思いであるとアピールするために連れて来たようね」
小道具扱いされたのはアンネワークだが、まだ社交界にデビューもしていないため顔を知らなかった。
話題としては十歳の子が合格したと聞いてはいてもお茶会に参加させるとは誰も思っていない。
ルーシーが面倒だと言わんばかりに扇で示した先に視線を向けると、迷子だと勘違いされて逃げ出したところだった。
「連れて来たのなら目を離さないようにすべきよね。まぁおそらくあそこで小さくなっている子爵家か男爵家の誰かでしょうけど」
「連れて来たとしても城に入れるかしら?」
「そこはいくらでも言えるわ。それよりもさっきの子が戻って来たようよ」
「そうですわね」
「あの子・・・殿下に連れられて・・・どういうこと?」
フーリオンが現れたことでお茶会が始まった。
すかさずルーシーはフーリオンの隣の席を確保した。
ヴィリシモーネはアンネワークの隣に座る。
「招待を受けてくれて嬉しく思う。みな楽しんでいってくれ」
「ありがとうございます。殿下」
ルーシーが代表で礼を述べた。
それを皮切りにお茶が注がれて、円卓の菓子を思い思いに取り分ける。
ヴィリシモーネもタルトとマフィンを皿に乗せる。
一口大に切り分けて食べようとフォークを持ったところで左隣のアンネワークが目に入った。
「何かお取りしましょうか?」
「うーんと、あのいちごのマカロンが食べたいの」
「他にはありますか?」
「マフィンが食べたいの」
「マフィンだと、ナッツとチョコレートとシナモンがありますよ」
「シナモン!」
アンネワークの声で何が食べたいのかが分かったヴィリシモーネはシナモンのマフィンを皿に移した。
椅子の高さが合わず食べづらそうにしているアンネワークだったが、誰よりもお菓子を楽しんでいる。
ヴィリシモーネは少し冷めてしまったお茶を飲み、王子へ熱心にアピールをしているルーシーの話が終わるのを待った。
ときおり他の令嬢たちと会話を交えながらだが、ルーシーの言いたいことは終わったようだ。
「殿下、美味しいお菓子をありがとうございます。先日、領地の鉱脈よりエメラルドが採掘されました。夜会の宝飾にお使いいただければと存じます」
「そうか」
ヴィリシモーネは小さく微笑んで話を終わらせた。
次に控えていた侯爵家の令嬢が意気込んで話だし、あっという間にアンネワークの番になっていた。
社交界に参加していると言っても全ての令嬢と顔見知りというわけではない。
そのために各令嬢の前には色違いの薔薇が一輪置かれていた。
爵位によって色分けされているため上位の者を差し置いてアピールしなくて済む。
もちろんアンネワークの前には伯爵家を示す花が置かれている。
「・・・よろしいのですの?」
「うん?」
「次は、貴女の番ではありませんか? 何か殿下にお伝えすることはありませんの?」
公爵家と侯爵家の令嬢たちのアピールが終わり、伯爵家であるアンネワークの番になった。
ルーシーは努めて優しく問いかけた。
「王子様」
「何だい?」
「チョコレートのドーナツをください」
アンネワークから見ると反対側にあり、食べたいと思っていてもお願いするのに躊躇していた。
自分の得意な物を話すのかと思えば、お菓子のおねだりをされるとは思っていないフーリオンは、一瞬だけ驚いてから肩を震わせて笑ってから席を立った。
「貴女、何を殿下に、おっしゃって・・・」
「そうですわ。給仕のお願いをするなど、図々しいにもほどが」
ルーシーが上げた声に侯爵令嬢たちが追随するが、フーリオンが咎めないため強く出られない。
お茶会がお開きになりルーシーはめげずに残って話をしようとするがフーリオンに相手にされない。
相手にされなかったのはアンネワーク以外の全員なのだが、これから起こることにヴィリシモーネは胃が痛くなった。
さすがに試験に合格しお茶会希望者との顔合わせが終わってから発表になるが、今日のことは必ず父親の耳に入る。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました」
「旦那様がお話があるそうです」
普段着に着替えるとヴィリシモーネは執務室にいる父親を訪ねた。
ノックのあとに入出許可の声を聞きヴィリシモーネは重い扉を引く。
「第二王子殿下はどこの令嬢を庭園に誘った?」
「ワフダスマ伯爵家の令嬢を誘っていらっしゃいました」
「伯爵家だと!? この役立たずがっ!」
「旦那様っ」
ヴィリシモーネは頬を叩かれて床に倒れこんだ。
後ろに控えていた執事は暴力は見過ごせないとヴィリシモーネを庇おうとした。
だが父親の怒りは収まらず紙が飛ばないための重しを投げつける。
「いたっ」
「私の方が痛いわ。何をしていた! 公爵家の恥知らずが」
「お嬢様、血が出ております。手当をしましょう」
「よりにもよって伯爵家だと、しかもワフダスマと言えば十歳の餓鬼しかおらん。そんな餓鬼にしてやられたというのか」
「旦那様、しばし頭を冷やしていただきますようお願いいたします」
ヴィリシモーネは蟀谷のあたりを小さく切っていた。
侍女は手当てをしながら声をかけることができなかった。
服で隠れる場所ではないから夜会だけでなくお茶会もしばらくは出席できない。
「やっぱりお父様を怒らせたわね」
「お嬢様」
「修道院送りかしらね」
さすがに顔に傷を負わせたことは不味いと思ったのか父親は分かりやすく狼狽えた。
第二王子の婚約者に選ばれる選ばれない関係なく、相手からは怪我ができた経緯を聞かれる。
それが父親からの暴力の結果となると醜聞になる。
怪我が治るまでは屋敷から出るなと禁じて事態の収拾を図ろうとしたがうまくいかない。
第二王子の婚約者が伯爵家のアンネワークだと正式に発表されて貴族たちの間では騒ぎになったが、ヴィリシモーネの父はそれどころではなかった。
まだヴィリシモーネの傷が癒えていないうちに第一王子の婚約者からお茶会の招待状が送られて来たからだ。
「なぜ、第一王子殿下の婚約者がヴィリシモーネを招待するのだ」
「真意は解りかねますが、断ることはアーベンシー公爵家としては得策ではないかと」
「なぜだ。相手は同じ公爵家だ。それにまだアイツは傷物だ」
「たしかに主催者は第一王子殿下のご婚約者様ですが、場所が王家ということは非公式ながら公認ということかと」
急いで二枚目の手紙を読むと場所と時間が書かれており、王家の庭でお茶を楽しみたいと書かれていた。
そして、第一王子殿下も同席するが気兼ねしないで欲しいということも書かれている。
そうなると断るという選択肢はない。
「第一王子殿下が同席となると娘を第一側妃にという話かもしれん。すぐに返事を出せ」
「かしこまりました。旦那様・・・いえ、エドルド様、あまり先走りませんようお願いいたします」
つい一瞬前までは招待を訝しんでいたのに第一王子が同席すると分かると深読みを始める。
この調子で回りに吹聴されると実際違ったときの被害は全てヴィリシモーネに降りかかる。
それは何としても食い止めたい執事だった。