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アンネワークの顔を見るに婚約を潰してやろうという思惑はまったく見えず、善意からのことだというのはありありと分かる。
何度か顔を合わせているルシーダも時々アンネワークの思考回路についていけない。
完全に理解できるのは世の中広しといえどもフーリオンくらいのものだ。
「求婚にお邪魔虫は必要ありませんよ」
「そうなの? わたしのときにはお邪魔虫がいたから必要なのかと思ったのに」
「ようやく見つけた! アンネワーク嬢! 大人しくしてろって言っただろう」
「もう! ウォルトル様のうそつき」
「はぁ? 急に」
「ウォルトル様がお邪魔虫だけど必要だから仕方ないって言うからルシーダお姉さまのお邪魔虫になろうと思ったのに」
アンネワークとフーリオンが一緒にいるたびに護衛としてウォルトルはついて回った。
どこに行くにもついて回るからアンネワークがウォルトルのことをお邪魔虫だと言ったときに遠回しにした返答がどこか間違って解釈された。
間違った解釈でアンネワークはルシーダのお邪魔虫をしようと突っ走る。
「いやもうアンネワーク嬢が首を突っ込むとややこしい話がさらにややこしくなるから大人しく俺とお勉強してような」
「先生に出された課題は終わったわ」
「うんうん、ちょっと一般常識について勉強しような。だいたい頭はいいのに、どこかずれてんのよ。頭いいからずれてんのか?」
「にゃぁ」
「よっこらせ、ほら帰るぞ」
「人攫い!」
アンネワークを荷物のように担ぎ上げるとウォルトルは元来た道を歩き出す。
拘束から抜け出そうと足を動かすが、ウォルトルに通用するはずもなく連れ去れてしまう。
「彼女は、あのような扱いを受けてかまいませんの?」
「いつものことだからね」
「それでもあまり褒められたことではないかと」
「そうなんだけどね。そもそもアンネワーク嬢が白薔薇を欲しがったのは、今流行ってる芝居の一幕を再現したかっただけだろうし」
「芝居?」
「そう。こんな風に白薔薇を差し出しながら・・・」
造花でできた白薔薇をポケットから取り出すとルシーダはコリーナの前に跪いた。
そしてコリーナを見上げて芝居の科白を続ける。
「どんなことがあろうとも貴女を愛し続けます。この思いが本物ならば神が声を聞き届けて白薔薇に奇跡を起こしてくださるでしょう。・・・そう言うと薔薇は青くなるのです。造花なので無理ですけどね」
「ルシーダ様」
「たしかに政略結婚ではありますが、これから仲良くなれたらと思います」
「わたくしもそう思います。それにお邪魔虫がいると仲が深まるとも言います」
ウォルトルに回収されたアンネワークは建物の影からルシーダたちを見ていた。
その姿は姉を取られて拗ねる妹にしか見えず微笑ましいものとして扱われた。
今まで出自だけは高貴なものとして他の家からは見向きもされていなかったコリーナがアンネワークと親しくすることで、一気に注目を浴びた。
コルガング家は婚約解消をする気はないと明言しているが、公爵家が興味を示すとイレットが色めき立った。
コリーナを嫁がせたあとにサンドラを愛人として売り込もうと考えたのだ。
「コリーナの義理の母上にも困ったものだね」
「お義父様やお義母様にもご迷惑をおかけして申し訳ありませんわ」
「父さんと母さんは娘ができたと喜んでいるから大丈夫だよ」
婚約が無事締結されるとコリーナはコルガング家で生活を始めた。
ルシーダの両親はようやく可愛がれる娘ができたと喜び、夫人に至ってはすでに娘だと紹介してサロンを渡り歩いている。
十二歳のときに結ばれた婚約から三年が経ったが、ルシーダは留学が決まっているため社交界デビューは見送ることにした。
コリーナもルシーダが見送るならと辞退した。
「来週には行ってしまわれるのね」
「うん、手紙を書くよ」
「わたくしも書きますわ」
「それよりも本当にいいのかい?」
「えぇ決めましたの。このままでは目立ってしまいます。だから頭の悪い女だと思わせるのが一番良いと思いましたのよ」
婚約者試験に合格していることは公にしていないが知っている貴族はいる。
学院に通うようになればルシーダがいないことを逆手に取って他家の者が関わってくる可能性が高い。
ただ政治的なことも含めていろいろと問題がある学生だけが集められるクラスがある。
そのクラスに在籍する者に深く関わることは暗黙の了解で禁じているため安全とも言えた。
「僕との婚約が決まってからイレット様はサンドラ嬢を愛人にしてくれと何度も打診してきていたからね」
「真実の愛に目覚めて、コリーナと婚約していたことを後悔する、でしたかしら?」
「今流行りの芝居じゃあるまいし」
「それをガーデンパーティで言われたので驚きましたわ」
コルガング家が主催者としてルシーダとコリーナの婚約を交友関係のある貴族だけに知らせるパーティを開いた。
婚約者であるからコリーナはもちろん主催者側で参加したし、友人代表としてアンネワークとその婚約者としてフーリオンが呼ばれる。
さすがに王家は参加していないが、招待された者は上位貴族ばかりだ。
「アンネワーク嬢にも驚いたけどね」
「まさか婚約に異議を唱えるなんて思いませんもの」
「おかげで上手くまとまったけどね」
あのパーティでイレットは、ルシーダが好きなのはサンドラなのに王家の命令によってコリーナを婚約者にしなければならないと言い張った。
義理の娘であるコリーナがいかに悪女で、ルシーダが被害者なのかを語って回る。
貴族として政略結婚をすることが多いため自分の感情だけで結婚できない。
そんな人たちを敵に回した瞬間だった。
そんなに好きならさっさと子どもを作ってサンドラを愛人にすればいいと思う者が大半だ。
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コルガング家当主によってルシーダとコリーナの婚約が報告されると、目出度いことだと拍手をしようとしたときだった。
前列にいたアンネワークが異議を申し立てた。
いつぞやのように男装しているが、今度はフーリオンとお揃いだ。
「異議あり!」
「・・・アンネワーク嬢でしたな」
「そうよ。違う違う、そうだ」
フーリオンがアンネワークを止めるはずもなく困惑する当主の視線を無視する。
貴族令嬢として男装して他家のパーティに参加するということも非常識だが、好意的に受け止められているため咎められない。
「異議、とは?」
「えっと、えっと」
「第二王子殿下の婚約者であらせられるアンネワーク様の言う通りですわ。わたくしも異議がございますの」
勢いで口を挟んだだけのアンネワークは異議の理由など思いついていない。
アンネワークの思い描いた流れは、異議を申し立てたあとに姫に求婚し、そして王子と決闘し負けて立ち去るというものだ。
流行りの芝居の流れそのもので、二人の婚約に本当に異議があるわけではない。
「コリーナではコルガング家に恥をかかせることになります。どうかご聡明な当主様にはご検討いただきたく存じます」
「うっ、うわぁぁぁぁぁ」
「アンネ、おいで」
せっかく練習したのに見せ場を取られたばかりか訳の分からない科白で遮られたアンネワークは泣き出す。
アンネワークに二人きりを邪魔されることに慣れているルシーダとコリーナは展開を少し楽しみにしていた。
「あっ、アンネワーク嬢?」
「あぁ気にしないでくれ、アングサッド侯爵夫人。どうかそのまま続けてくれ。何か重大なことがあるのだろう?」
味方になろうと思ったイレットは当の本人に泣かれてしまい呼びかけるしかできない。
フーリオンはアンネワークを宥めながらイレットに続きを促した。
「いえ、ですが」
「勘違いのないように言っておくが、アンネは二人の婚約を壊したいわけじゃないぞ」
「はい?」
「・・・二人が仲良くなるようにお邪魔虫したかっただけだもん」
アンネワークの芝居好きは有名であるからお邪魔虫という発言だけで何をしようとしていたのか分かる者もいた。
二人の婚約を応援するなら邪魔しない方がいいのではないかと芝居を見ていない者は思った。
だが、アンネワークの本心が二人を応援していたものならイレットの考えとは真逆だ。
「おほん、二人の婚約は第二王子殿下の婚約者であるアンネワーク様も望んでいることだと当家では喜ばしく思う。これからの二人に幸あらんことを、乾杯」
「乾杯」
イレットが喚いたことは無かったことにして婚約発表を無理やり進めた。
非常識なことをしようとしたのはアンネワークもだが、フーリオンがいる場所では叱責しにくい。
正式な抗議の手紙を書くことに決めて当主は話題の輪をルシーダとコリーナに譲る。
「少し、いいか?」
「なんでしょうか。第二王子殿下」
「そう固くならないでくれ。ちょっとした雑談だ」
「雑談?」
「あぁ、パンジーの姫は元気か?」
何を言われても動揺しないつもりだったが、予想外のことを言われてわずかに手が震えた。
誰にも知られないようにしていたが、コルガング家当主には秘密の愛人がいた。
「そのことを誰から?」
「パンジーの姫はアンネもお気に入りなんだ。公演後に花束を持っていったら先約があったようで」
「このことは誰かに?」
「いや、見間違いかもしれないな。変装をしていたようだから、だがアンネはそうだと言い切っていたな」
アンネワークの記憶力がすごいということを知っている当主は見間違いなどではないと断言できる。
コルガング家当主が愛人を秘密にするのは妻が癇癪持ちだからだ。
そのために隠れて口の堅い女性を選んだ。
「・・・アンネワーク様のおかげで二人の絆がより一層深まったようです」
「そうか」
フーリオンは当主の秘密をちらつかせることでアンネワークへの抗議を不問にさせる。
脅しとも取れる行為だが、秘密がばれそうになったときにアンネワークに助けられると本当に頭が上がらなくなった。