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ヘイデルは深く溜め息を吐いて蟀谷を押さえた。
「サンドラの恋人のことは先代当主もご存じだ。その上で当人に任せるということのようだ」
「何を悠長なことを! サンドラには相応しい相手を」
「その相応しい相手とは誰だ? 王家か? 公爵家か? 侯爵家か? どの家もサンドラのことを詳しく知っている。学校の成績が下の中、家同士の繋がりを覚えていない。知っているか? モグルフ公爵家の特産品である絹織物を当人の前で貶したそうだ。曰く黄ばんでいて美しくない、と」
「それは・・・」
さすがのイレットも絶句するしかなかった。
王家御用達の絹織物を貶すことは王家の判断すら貶すことになり、さらにスカラッタ王国の主要輸出品目のひとつだからだ。
そんな女を家に入れたいとは誰も思わない。
公爵家からは抗議があり、それに対してヘイデルは誠心誠意応えた。
サンドラにも改めて家庭教師をつけたが集中力のなさで長続きせず、今では引き受けてくれる貴族婦人もいない。
「サンドラが公爵家を怒らせたというのは上位貴族なら皆、知っている」
「お、王家が残っているではありませんか」
「そんな畏れ多いことなど言えん。だいたい婚約者試験に受かってもいない」
イレットにとってサンドラが上位貴族に嫁ぐことこそが夢だった。
だから必死になっていたのだが、それをサンドラ自身が台無しにしている。
意気消沈したイレットは何を考えたのか全ての責任はコリーナにあると言い出した。
「そう。そうなのね。コリーナのせいなのね。すべては愛妾の子で卑しい身分のコリーナがいるからいけないのだわ。コリーナが優秀さをひけらかすからサンドラが霞んでしまうの。なんで気づかなかったのかしら」
「おい、イレット」
「オホホホホホ、そうだわ。コリーナについている家庭教師をイレットにつけましょう。今まで不遇な対応を受けていたのだから当然よね」
ヘイデルが制止する声も聞かずにイレットは執務室を出た。
まっすぐに普段は近寄ることすらしないコリーナの部屋に入る。
数年ぶりに顔を見るイレットにただならぬ気配を感じてコリーナは読んでいた本を閉じる。
「コリーナ、貴女が優秀なのは知っていますよ。でもそのおかげでサンドラが肩身の狭い思いをしているの。わかるわね?」
「はい、イレット様」
「そう、それくらい殊勝な態度でいなさいね。けして優秀であることをひけらかさないようにね」
「はい」
一言言って満足したのかイレットは部屋を出た。
扉が閉まってからコリーナはゆっくりと息を吐いた。
一体何がイレットの癇に障ったのか分からないが、コリーナは身の危険を感じる。
その夜に父親であるヘイデルに呼ばれ事情を聞くことになった。
今まで知らされていなかったコルガング家との縁談も踏まえて明かされる。
「わたくしがコルガング侯爵家へ嫁ぐのですか?」
「そうだ。あまり時間がないが両家の顔合わせもある。必要なら仕立て屋を呼んでドレスを作りなさい」
「分かりました。ですが、イレット様は大丈夫でしょうか。さきほど、わたくしに忠告をしに参りましたのよ。当日になればサンドラを代わりに連れて行くのではありませんか?」
「そのことだが、顔合わせは王家の庭でおこなうことになっている」
いくらサンドラが可愛くとも王城に押し入ることはできない。
サンドラのこともだが、イレットのことを警戒している貴族は多い。
コリーナの価値を分かっていないのはイレットとサンドラくらいなものだ。
「お父様、ひとつお願いがございます」
「なんだ?」
「婚約が締結した暁にはコルガング家にて生活ができるように取り計らってくださいませ。今のままでは何一つとして学べませんわ」
「・・・分かった。先方には願い出ておこう」
「今まで育てていただきありがとうございました」
コリーナは自分の出自も分かっているし、父親が妻であるイレットに強く出られないのも分かっている。
できる限りの範囲でコリーナは父親からの愛情を受け取っていた。
イレットがマリーに連れられてお茶会に出ている間にコリーナはドレスを作り、顔合わせの準備を進めた。
サンドラは異母妹に婚約者が出来ると知っても特に興味を示さない。
母親の目を盗んで恋人との逢瀬に精を出す。
顔合わせの日がイレットに知られないように注意し、当日もコリーナはぎりぎりまで部屋にいた。
「お嬢様、馬車の用意が整いました」
「ありがとう」
コリーナは侍女の案内で裏口から家を出た。
良くも悪くもイレットは貴族としての考えしか持たないため使用人が使用する裏口の存在に思い至らない。
明確な日程を知らせてはいないが顔合わせがあるというようなことは同じ家にいるのだから気付く。
案の定、イレットは何度も玄関ホールに顔を出していた。
コリーナは婚約者試験を受けてはいるが出自の関係でお茶会には参加していない。
中庭の一角にお茶会が準備されていた。
「こちらでお待ちください」
「ありがとうございます」
案内をしてくれた侍女と別れるとコリーナは椅子に座った。
本来なら父親も同席することになっているのだが、家を空けるとイレットに気づかれるため不在だ。
この婚約には政略的な意味しかないことにコリーナは少しだけ嘆息した。
「お待たせしてしまって申し訳ない。アングサッド侯爵令嬢」
「いえ、構いませんわ。コルガング侯爵令息」
「政略とはいえ夫婦になります。どうぞ、ルシーダとお呼びください」
「それではわたくしのこともコリーナと」
「コリーナ嬢、王家の方に許可は得ています。向こうの薔薇園に行きませんか?」
ルシーダも父親を同伴させていない。
これはコリーナ側がいないことに配慮してくれたのだろう。
「コリーナ嬢には先に謝っておかなければいけないことがあるんです」
「なんですの? 婚約前から愛人でもいらっしゃるとでも?」
「さすがにそれはありえませんよ。学院に入りましたら留学することが決まっているんです。ですので、社交デビューしてから独りにしてしまいます」
「さようでございますか」
「できるだけ長期休みに戻るようにはします」
婚約が決まったらコリーナはコルガング家で生活がしたいと願い出てはいるが、それはルシーダがいてこそのことだ。
交友の深い家同士でもないためコリーナは先のことを考えて嘆息した。
「ねぇねぇ、一輪だけ、良いでしょ?」
「だめったらだめだ。ほら帰れ」
「もうケチ、今日は大切な日なんだから薔薇が必要なの」
「ここは王家の方のための庭だ。訳の分からん奴は帰れ」
「もう!」
ポニーテールをして騎士の恰好をしたアンネワークは本物の騎士に食い下がっていた。
騎士も相手が第二王子の婚約者であるアンネワークだと分かっているが、フーリオンから直々に芝居が関わると突拍子もないことをするのでダメなものはダメだと叱って欲しいと通達されている。
「アンネワーク嬢」
「あっ! ルシーダお姉さま」
「騎士の方を困らせてはいけませんよ」
「だって、お姉さまが求婚するんでしょ?」
「えぇまぁ」
「それならお邪魔虫が必要でしょ?」
コリーナは一体、何を言い出しているのか話についていけず黙ることにしたが、ルシーダが姉と呼ばれていたり求婚を邪魔すると言ったりと聞きたいことはたくさんあった。
だが、アンネワークという名前から第二王子の婚約者であるということは分かっている。