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会心の一撃

作者: 七瀬優愛

 最後に笑ったのはいつだろう。


 いつもと同じ時間。

 いつもと同じ制服。

 いつもと同じ電車。


 いつもと違うのは、千夜(ちや)のレジにクレーマーが来るか来ないか。

 それ以外は全部同じ。


 これがこの「会社」という箱で行わないといけない日常で「社会人」という生き物なのだ。


 千夜は、いつものようにシャツの上に勤務先のドラッグストアの名前が入った青色のエプロンをつけて「今日は私のところにクレーマーが来ませんように」と願った。


 千夜の仕事は、ドラッグストアの販売だ。

 千夜の勤めているドラッグストアは、ドラッグストアと言っても食品もお酒も普通のスーパーと同じように扱っている。流石にお惣菜やお弁当は置いていないけど、調味料も飲料も冷凍食品もお酒も普通のスーパーと同じようにたくさんの種類を取り扱っていた。

 だから、覚える事も最初はたくさんあった。


 まだレジの経験しかない千夜にとってお客さんに商品の場所を聞かれた時は地獄だった。例えるならゲームで急に強い敵が出てきてイライラするようなあの感覚。

 先輩に聞いても「今忙しいから」だとか「◯◯コーナーにあるよ」と口だけでしか教えてもらえず、千夜もよく分からないまま「◯◯コーナーにあります」とお客さんに伝える。そういう時に決まって起きるのが「◯◯コーナーに行ったんですけど」というお客さんの声。

 それが一番苦手だった。じゃあ、うちでは取り扱ってないです。はい、分かりました。で、終われば絶対楽だと千夜は思っている。でも、現実は甘くない。確かめもせずにそうする訳にはいかないのだ。


 それは、今日も起こった。

 OL風の女性客が「マスカラってどこにあるんですか?」と聞いてきた。マスカラくらいなら千夜にも分かる。千夜も退勤後買い物をしているからだ。

 千夜は、女性客に「3番の化粧品コーナーで取り扱ってますよ」と笑顔で返した。

 だが、女性客の表情は曇ったままだった。

「そこ探したんですけど・・・」

「お探しの商品はどこのメーカーの商品か分かりますか?」

 千夜が聞くと、女性は化粧品のメーカーを言った。

 聞いてすぐにその商品が何なのか頭にイメージができた。

 千夜は使ったことないけど、2人の姉達がいつも買っているプチプラの化粧品メーカーだった。姉達曰く「若いOLの必須アイテム」らしい。ただそれは、千夜の店で取り扱っているメーカーではなかった。

「申し訳ございません。お客様、そちらの商品はうちでは取り合っていません」

 千夜が頭を下げると、OL風の女性は小さく舌打ちをして店内に響く声で怒鳴った。

「取り扱ってないってどういうことよ!」

 店内が一瞬シンと静まり返る。でも、すぐに何事もなかったようにみんな買い物に戻る。できるだけOL風の女性と千夜と目を合わせないように。

 それは、社員も同じで先輩もパートさんもOL風の女性客と目を合わせないようにそれぞれ接客や袋の補充作業に戻った。

「ですから、うちの店舗では・・・」

 千夜が言うと、OL風の女性客は一方的に「もういいわよ!」と怒鳴るともう一度千夜を睨みつけて言った。

「あんた接客業でしょ?あり得ない」

「は?」

 思わず本音が出た。

 接客業だから何なの?店員は魔法使いでも執事でもない。だからない物はないしそれを用意することなんてできない。

 こいつ、私が店員だから何言っても良いと思ってんのか。

 ゆるくパーマのかかった茶髪のOL風の女性客がだんだん憎たらしくなってきた。

 まだ19歳だし千夜だって本当は髪を明るく染めたい。本当は、自分も姉達や目の前の彼女のようにどこかの会社の事務員になりたかった。

 でも、受かった会社がこのドラッグストアしかなかったから仕方なく店員をやってるだけで将来結婚でもできたらすぐに辞めよう、そう考えていた。

 だが、現実はそう甘くはなく今のところ出会いもない。

 同級生のほとんどは大学やら専門学校やらに通ってて青春を謳歌してるなか自分はそう言うの全部犠牲にして働いている。本当は、まだ働きたくなかったけどお金もないし夢もないから仕方なく働いているのだ。

 こっちは、ただでさえ嫌な仕事をしてるのにこの女は何なのだ。ない物はないんだから大人しく諦めろよ。

 千夜の脳内でRPGゲームのラスボスのBGMが流れ出した。このまま言われっぱなしになんて嫌だ。もう良い子じゃいられない。

 千夜は、レジから出るとOL風の女性客に無言で近づいた。彼女からキツい香水の匂いがする。

「店員がいつまでも頭ペコペコ下げてると思うなよ!」

「は?何なのあんた?それが客にとる態度なの?」

 OL風の女性はそう言うと、自分と千夜から目を逸らしていた先輩に向かって「ちょっとあんた店長呼びなさいよ!」と言った。

 店長なんて呼ばれたら私が危ない。始末書を書かないといけなくなる。下手したらクビになるかもしれない。

 千夜はそう思うと、ラスボスという名の彼女に向かってはっきり言ってやった。

「私のこと見下してんじゃねーよ!さっさと仕事行けや!このブス!」

 汚い言葉だとは分かっている。

 絶対にやってはいけないことだとは分かっている。


 でも、前にテレビの番組で嫌な客やら夫にはっきりと自分の気持ちを言ってやったという再現ドラマを見たことがある。

 これ、成功したら私もあの番組に投稿しよう。そう心に決めて千夜は脳内で流れるラスボスのBGMのボリュームをあげると脳内の千夜はラスボスにどめの一撃を刺した。

「もう二度とうちの店に来るな!」

 すると、OL風の女性は「あんたに言われなくてももう来ないわよ」と吐き捨てて店を出て行った。

 千夜の脳内では、ゲームクリアの音楽が流れ出した。

 あー、帰ってはやく昨日買った新しいゲームがしたい。

 スッキリした表情で千夜はレジに戻った。




 その後、千夜は店長にキツく叱られた。

 でも、これでいいのだ。

 絶対にダメなこととは分かっている。でも、一度くらいこんな日があってもいいじゃん。


 その日の夜、千夜は今日のことを思い出しながら楽しみにしていたゲームを本体にセットした。


 ゲームのなかでも千夜の日常のなかでも日々新しい冒険がはじまる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読ませていただいて、僕の方までゲームをクリアしたような爽快感を味わうことができました。 クレーマーのラスボス感がよく出ていたと思います。 短い話ながら、主人公の成長が感じられ、思わず拍手し…
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