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テオとエリアスの幸福な食卓  作者: 穂高絢乃(こむぎこ)
一章 変わり果てたけど生きている
8/16

8 情報過多


 エリアスはテオドゥーロの翼を初めて見た。コウモリの羽のような骨組みは全て工具でできており、なんの呪文もなしに彼の背中に開いた。

 テオドゥーロは右翼から黒い石のナイフのようなものを指差しで引き抜くと、そのまま暖炉に向かって指を振る。その軌跡に沿って炎が舞う。どうやら黒曜のナイフは発火剤のようだった。

 翼はあっという間に彼の背に消えた。


「おいで、エリアス。まだ寒いから」


 書斎に移動した二人は並んでソファーに腰掛ける。

 テオドゥーロはどこから持ってきたのか大きな毛布を広げると、二人の背中に回し、すっぽりと包み込んだ。


 窓の外はすっかり陽が落ち、夜の闇に白雪が散っている。

 建物の中とはいえど、暖房器具のない部屋や廊下などは息が白くなるほど寒い。

 未だ茫然自失としているエリアスにしっかり毛布をかけながら、テオドゥーロは何冊かの本を膝の上に置き、うち一冊を開いてパラパラめくった。


「えーと……何から説明しようかな。地理からいこうか。

 俺らが生まれ育ったハスタベルクがここな。そんで今いるのが海と山脈越えたずっと北西の端の……ここ。ノーアンっていうちっさい雪国だよ。

 エリアスはどっから来た? わかる?」

「……オルスタン」

「オルスタン!?」


 テオドゥーロが素っ頓狂な声を上げる。驚いて膝が跳ねた拍子に本が膝からすとーんと滑り落ちた。

 床から拾った本をハンカチで軽くはたいてから開き直すテオドゥーロの仕草を、エリアスは『昔はこんな上品なことする奴じゃなかったのになあ』と思いながら見ていた。


「遠いなあ! オルスタンはとっくの昔に滅んでるよ。場所的にはこのへんかな」

「遠っ……え、そんなに遠いの」

「地図のほぼ端から端じゃん。エリアスよくうちの森まで来れたな。陸路でも海路でもとんでもない道だぞ、てか道ねえぞこんな遠くちゃ」


 地図の上を滑っていくテオドゥーロの指を追っていた二人が、どちらともなく顔を見合わせた。少しの間ののち、元気のないエリアスがぽつりぽつりと自身の軌跡を口にする。なんだか、雪の森から拾ってきた直後の衰弱した彼に逆戻りしているような声だった。


「俺、初めはシノアの戦争捕虜だったんだ。ハスタベルクがシノアと戦争して負けたから。その後民間企業に払い下げられて、何度も、いろんなところに転売されて。

 ……オルスタンの国軍に売られたのは覚えてる。でも滅んでたんだな。厳密に誰のとこにいてどこから来たかはわかんね……。ここも目指してきたわけじゃなくて、とにかく遠くに逃げなきゃって、いつの間にか辿り着いただけだから……」


 自身の膝の上で握った両手が震えている。先ほどまであんなに調子よく笑っていたのにと自嘲しようとした吐息すらか細くて、エリアスは苦笑いしながら奥歯を噛んだ。

 話せば話すほど軽蔑される気がして、覚えていたのに語らなかった部分もたくさんある。

 『戦争捕虜』は、彼の経歴の中でまだ一番聞こえのいい、ほんのわずかな期間を指すだけの言葉だった。


 一方で、テオドゥーロの脳裏には雪の中から拾ってきた当日のエリアスが浮かんでいた。


 ――かくまってくれんの……?


 そう囁いてぽろぽろ泣いていたことを思い出す。あの時のテオドゥーロにとって、エリアスはただただかわいい食材にしか見えていなかった。


 生命力は最高の美味だ。

 こんなに辛い目にあっても頑張って生きてるなんてすごい。生き物って、人って、食べ物って、かわいい。


 そんな下心が透けてしまわないよう平静を装うのに必死だった。

 が、今はどうだろう。

 苦しそうな表情をされると『もう大丈夫だよ』と言いたくなる。辛かったであろう境遇の片鱗を話されただけで彼を抱きしめたくてたまらない。


 『安心してほしい』。

 そんな感情には覚えがなかった――あるいは、覚えがないと錯覚する程度には遠い記憶になってしまっていた。

 ああ、だからか、とテオドゥーロは思った。

 エリアスが彼にとって別格の美味であったのは、彼が食人の化物になる遥か前から愛情を抱いていた人物だからだ。

 誰かに対する愛しさと食欲は同じものだと思っていた。食欲以外の愛しさを感じたのは、テオドゥーロが人外の身に成り果ててから初めてのことだった。


 いても経ってもいられなくなったテオドゥーロは、縮こまったエリアスの肩を思いっきり抱く。腕の中でエリアスの身体が大袈裟なくらいに跳ねたが、構わず大声を出した。


「――エリアス! ここがゴールだぞ!」

「う、おお?」

「もう逃げなくていいよ。もう宛てもなく遠くを目指したりすんなよ。俺がお前をかくまうなんて他人行儀な形じゃなくてさ、これからずっと一緒に暮らそうぜ。せっかくまた会えたんだから」


 エリアスは一瞬面くらっていたが、言葉の意味を反芻したあとに強張っていた肩の力を抜く。


「プロポーズか? 受けて立つよ。お前ウエディングドレスな」

「えっやだ……」

「はは」


 軽口を叩いた後にエリアスはすぐ俯いてしまう。目が笑っていないとは今の彼のような表情を言うのだろう。目を細めて口元を微笑ませているのに瞳はどこにもない一点を見つめ、膝の上の両手はぶるぶる震えていた。

 テオドゥーロはエリアスの左手を膝の上から取り上げると、拳を開かせて指の間に自身の右手の指を滑り込ませた。いわゆる『恋人繋ぎ』というやつだ。

 やや驚いたエリアスはテオドゥーロの顔を伺う。

 テオドゥーロは特に説明もなく視線を返すと、そのまま「よし!じゃあ次は気になる年表だ!」と勝手に話を進めた。少しだけ、エリアスの手の震えはおさまったようだった。


「どう説明しようかな。エリアス、自分の誕生日わかる?」

「え? ……っと……」

「蒼穹暦五〇二三年の柊月二十五日な」

「よく覚えてんなぁ」

「そりゃあね? 親友の誕生日ですからぁ。で、シノア-ハスタベルク戦争がエリアス爆誕から約十年後の五〇三五年ね。オルスタン公国が滅亡したのは四年後だから……五〇三九年。

 そして今見せてるこの歴史書の発行が一四九年飛んで五一八八年。

 エリアスが来る前に来た旅人が持ってた本だから、何年前かなー。下手したらもう五年くらい経ってるかも。発行してすぐのもの持ってたとも限らないし」

「……」

「うわ何その表情初めて見た。過去イチ険しい顔してんじゃん……大丈夫? ついてきてる?」

「や、ちょっと頭追いついてない」


 数字だけ早急に言われても整理ができないものだ。というよりエリアスは自分の誕生日を飲みこむところで既につまずいていた。

 誰にも祝われない自分の誕生日など遥か昔に忘れている。

 思いっきり目を細めて眉間にしわを寄せるエリアスを見かねて、テオドゥーロは軽くエリアスの顔を覗きこんだ。


「要するに、俺らが生まれてから一六五年は確実に経ってるってことだよ」

「一六五年……」

「そう。プラス何年かは経ってるんだろうけど、少なくとも一六五年は絶対経過してる。ってこと。

 どう?ここまではわかった?」

「ああ……ありがと、追いついた。……けど」

「けど?」

「……」


 エリアスはテオドゥーロからわざと顔を背けて俯く。テオドゥーロが気を引きたそうに握った手をゆらゆらさせても反応がない。

 どうしたものか迷っていたテオドゥーロがよし声をかけようと口を開くのとほぼ同時、俯いていたはずのエリアスは窓が震えるほどの大声で「一六五年!?」と叫んだ。

 さすがのテオドゥーロも肩が跳ねた。


()()()()()()、一六五年だと!? じゃあ何、なに? 普通の人間が思いっきり長生きして大団円の人生を二周できるくらいの間、俺はっ、俺はずっとあんな扱いされ続けてきたわけ?

 俺のこと散々な目に合わせた奴が順風満帆に歳を重ねて人生終えてまだクソ余るほど長い時間を?

 切り刻まれて焼かれて腐らされて嬲られて犯されて薬漬けにされて串刺しにされて晒されて嗤われて殺されて何度も何度も、何度も、謝っても懇願しても何度も、何度も……ああああああ」


 発狂。


 そう形容しても差し支えないほどの激情を叫んで捲し立てて吐き出して、最後に残ったのは酷くか弱い、絞り出すような涙声だった。


「やってらんねー……」


 ぽたぽたとスラックスに斑点が落ちる。

 エリアスはただの実験動物ではなく人間としての思考回路を持っているのだ。テオドゥーロが百年と口走ったときから、想像はついていた。それでも自分の感情までは予測できなかったのだろう。

 自由を手に入れていざ過去を振り返ったとき、解放された喜びより怒りや復讐心より深い悲しみより、呆然とした虚無感が勝つとは、思ってもみなかった。


 テオドゥーロは丸まった背を撫でようとして、思いとどまって、握った手に優しく力をこめながら「……うん」とだけ返した。


 しっとりした沈黙がおりる。

 わずかに不規則になった泣き声、呼吸。

 背に受ける毛布の重さ。

 ちらと揺れる暖炉の炎と、それに伴う影。


 窓の外の雪は時おり部屋の中の灯りを受けて煌めいて、音もなく降り積もっては真新しい白を重ねていく。

 部屋の中は暖かい。


 どんな言葉より優しい慰めだった。


「これでもさあ……なんとか取り返そうとしたんだよ俺だって。まだこんな見た目だし人生半分もいってないはずだと思って、今までろくでもない目に合わされた分これからはって……。でも……そんな長い間生かされて死んで生かされて死んで、ずっと繰り返してたなんて。

 取り返そうなんて思って馬鹿みたいじゃん。本当に人間じゃないじゃん、俺……」


 エリアス自身、吐き出したことのない弱音だった。

 なんとか幸せになろうと足掻いていただなんて、周囲に知られたらと思うと身が縮む。どんな言葉で嘲笑われどんな行動で貶められるかわからない、だからひた隠しにしてきた。

 それでも、人目を避けて孤独な死を繰り返しながら旅を続けてきたたったひとつの目的だったというのに。

 希望の光とまではいかなくても、遠く見えていた朝ぼらけの薄明かりがふつと消えてしまって今度こそ何も見えなくなったような、そんな心境だった。


「別に人間じゃなくてもよくない?」


 あっけらかんとした声はわざと作ったものか、素なのか。テオドゥーロは真剣にも何も深く考えていないようにも見える真顔でエリアスを見た。

 エリアスはゆっくりと黯い視線を返す。テオドゥーロは動じないままなだめるような声を出した。


「俺今ゾッとしてるよ。エルが人間だったら俺がお前だって気付かず食べて、なんにも取り返せずに人生終わりだったじゃん。よかったよ、エルが不死者(アンデッド)で」

「アンデッドって……魔物かよ」

「俺合成獣(キメラ)って呼ばれてるよ。人食いで不老でこんなとこにひとりで住んでるし、実際魔物とか機械とか色々混ぜられてるから。

 討伐隊組まれたことだってあるよ、100年以上前のことだけど」

「……討伐隊? マジ?」

「ん。返り討ちにした……っていうかみんな食べちゃったけどな。

 俺そこそこ強いからさ、エルのこと追ってきた奴がいたとしても絶対殺してみせるよ」


 握った手にぐっと力を入れながら、テオドゥーロは自信ありげに微笑んでみせる。

 優しくてあたたかいこの手で何人殺したのだろう、と思ってしまった。


 家に入った虫を追いかけ回して捕まえて窓の外に逃していた幼い日のテオドゥーロを思い出す。行き倒れた自分を介抱しているときの優しい眼差しも。そして、捕食者としての狂気じみた大輪の笑顔も。


 テオドゥーロは繰り返し殺されてきたエリアスを憐れんではくれるが、彼自身が人を殺すことは恐らくなんとも思っていない。

 それが良いことなのか悲しいことなのか、エリアスには判断できなかった。

 もしテオドゥーロに殺戮を躊躇う心があったなら、彼はきっと今目の前にいないだろうと、分かっていたから。


「エルも色々あったと思うけどさ、俺も昔と同じじゃないんだ。変えられちゃったし変わったよ。

 お前もそうなんだろ?」


 やけに大人びた言葉に思えた。その変化を肯定することはエリアスにとっては諦めでしかないのに、テオドゥーロは力強く口にしてみせる。

 周囲に生き方を弄ばれたとしても気持ちを切り替えれば『まあいいや』と割りきれるものなのだろうか。

 苦笑いするエリアスにテオドゥーロはなおも続ける。


「大丈夫だよ。人じゃなくなっちゃったこと、お前がひとりで受け止めきれなくても俺がいる。俺が一緒に受け止めるよ。

 俺はエルが人間じゃなくても好きだよ。そんで、俺はもう人間じゃないんだ。

 なあ、エル。エリアス。……化物になった俺でも、仲良くしてくれる?」

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