7 テオドゥーロ=ヴァルガスという人間
奴隷にされたことはすぐに理解できた。
テオドゥーロの身体はしごく健康でなんの病気も持っていないうえに、育ち盛りの年齢だ。そして、両親を失ったばかりで孤児院にまだ馴染んでいなかった。
だから狙われた――あるいは売られたのだろうと理解する程度には、テオドゥーロは賢かった。
ただ、理解と納得は別だ。力の限り暴れたし、縛られそうになれば噛み付いて抵抗したりもした。
しかし、すぐに奴隷としての立場を思い知らされることになる。
まず喉を潰された。
口枷を外されたというのに言葉を話せず、意思が動物のような呻き声にしかならないのは、酷く惨めで悔しかった。
次に、少しでも抵抗すれば徹底的に痛めつけられるようになった。
鞭というものは成る程調教に向いており、肉を抉りはするが骨までは傷つけない。テオドゥーロは鞭をただの紐のようなものだと思っていた。大人の男が思いきり振り下ろしたそれを初めて受けるまでは。
強くしなる繊維が皮膚を破って身体に食い込む。それが何度も何度も繰り返される。絶えず注ぐ激痛に、潰れた喉から声にならない悲鳴をあげ続けた。
解放されたあとも恐怖も痛みも引かず、うずくまって泣きじゃくるままその場から少しも動けなかった。しばらくは、遠くで鞭の音がしたり大人の声が聞こえるだけで足がすくんで息ができなくなるほどだった。
手足から血を流しながら労働するのは普段の何十倍も苦しい。それなのに、普段通りの働きができないとまた鞭で叩かれ傷が増える。
抗議をしたくても喉から出る音は『人間の声』にはならない。『鳴き声がうるさい』『躾がなっていない』と叩かれるのは痛いうえに、本当に人間ではなく家畜として扱われているのが浮き彫りになって辛かった。
辛くて痛くて泣くことすら罰の対象になるため、だんだんとテオドゥーロは泣かなくなった。
強くなったのではなく、少しずつ意思や感情が死んでいき、酷い目にあわないための選択だけを求めるようになったのだ。
泣き喚いた仲間が長い鞭打ちの末に死んだ。ああ泣いたら痛い目に合う。勉強になった。
床に餌がばら撒かれる。ひとつでも多く拾って食べなくちゃ。明日がほんの少しでも楽になるように。
何か失敗をしたらしい。髪を掴まれ、何度も頭を壁に打ちつけられて怒られた。血の流れる額を地面に擦りつけて詫びたら少しの鞭打ちで済んだ。
初めの頃は故郷を想う気持ちが残っていた。自分がいなくなって、死んだ両親の墓はどうなっただろうか。少しの間とはいえ世話になった孤児院の人たちは自分を探してくれるだろうか、それとも、彼らに裏切られて自分はここにいるのだろうか。たった一人の親友は元気だろうか。
親友のことが脳裏をかすめるたび、『お願いだから探さないでほしい』と切望した。自分のことなど忘れてほしい。あいつは利発そうに見えて情に熱いから、正義感に任せて動いて、悪いやつに使われて自分と同じような奴隷にされるかもしれない。それだけは嫌だ。
大事な親友は、あいつは――エリアスは、元気だろうか。
笑って暮らしているだろうか。こんな地獄に落とされていないだろうか……。
苦しいことがあるたびに思い出し無事を祈っていたはずの親友の名前は、いつの間にか一切意識に引っ掛からなくなっていた。
忘れてしまったのか。あるいは、無意識に思い出ごと全て鍵をかけ、傷つけられる前にと心の奥の奥にしまいこんだのかもしれなかった。
毎日毎日ただ少しでも楽に息をすることだけを考える。首に縄をつけられても頭を踏みつけられても何も感じない。わかるのは『痛い』『苦しい』『辛い』という生理的な反応のみ。
いつしか自分が言葉を話せたことも、かつて一人の人間として日々を過ごしていたことも忘れてしまいそうなほどに、毎日、毎日、ただ鞭打たれた通りに動いていた。
彼は人間としては最底辺以下でも、労働用の奴隷としては優秀なほうだった。
反骨心がなく、痛めつければ必ず言うことを聞く従順な家畜。加えてまだ歳若く、自分からなるだけ鞭打ちを避けられるよう行動するため他の奴隷と比べて損傷も軽い。このまま順調に大人になれば、力は増して反抗はしない優良な奴隷に成長することだろう。
テオドゥーロ自身は終ぞ知ることはなかったが、体格の成長を見込まれ、実は他の奴隷より多少多めに栄養を与えられたりもしていたのだ。
そんな期待の青年奴隷テオドゥーロは、あっさり流行病に倒れてしまった。
せっかく手厚く飼育してやったのにと飼い主は大いに怒り狂い、成長を見込んで行わなかった暴行を――例えば手足を折るだとかを散々施したあと、ウジがわき腐敗臭が漂う死体集積所にゴミ同然に捨ててしまった。
このとき、テオドゥーロにはまだ息があった。病に侵され、意識も記憶ももう随分前から朧げだったにも関わらず。
こうしてテオドゥーロは哀れな奴隷として短い人生を終える――はずだった。