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テオとエリアスの幸福な食卓  作者: 穂高絢乃(こむぎこ)
二章 穏やかは非日常
15/16

15 おかえりただいま


 テオドゥーロが買ってきた品々はどれも上質だった。

 全体的なデザインはシンプルながらも毛糸の編み方にセンスの光るセーターや、肌触りのいいシャツ。アクセントに人狼の腹の毛にまじないをかけて織り込んだらしいニットや、太陽石の魔術繊維の靴下、ブーツ、マフラーにコートにブローチにリボンに、どう見ても壁掛けのリースやヒイラギの飾りやスノードームや何やら何やら。


「ちょっと俺はリボン結べる髪の長さねえなぁ~」


 明らかに買い込みすぎである。そのことに気づいたらしく変なはにかみかたをしているテオドゥーロの髪に、エリアスは真新しいリボンをくるくる巻きつけた。


「なんか関係ないのも色々買ってきちゃったな。テンションあがっちゃって」

「いいんじゃね? ここはテオの屋敷だぜ。好きにしなよ」

「テオとエリアスの屋敷だよ。俺とエリアスの幸せな屋敷。てかお前手先不器用すぎじゃない?」


 あっという間に見事に編みこまれた、もといこの短時間でどうしてそうなるのか分からないレベルでぐちゃぐちゃになった後ろ髪とリボンとエリアスの指。絡まったそれらをほどこうとすると、途中でリボンが髪を巻きこみながら固結びになっていた。

 テオドゥーロは頭を傾けながら悪戦苦闘するが、リボンはおろかエリアスの片手まで絡まったままだ。細い指の主はオッドアイをしゅんと細めながら「取れなくなった……」と呟いている。他人事だ。


「あいてて、取れない! これどうなってんの? 俺の髪で何しようとしたの? 恨みでもあるの?」

「テオがいつも結んでるみたいにしたかっただけなんだけどなあ」

「蝶々結び? 蝶々結びは髪に巻きつけてもできないよ」

「そうなの?」


 エリアスが子供のような顔でテオドゥーロを見る。珍しくあどけない反応をする成長した幼馴染がなんだか愛おしくなってしまって、テオドゥーロは格闘を中断してエリアスの頭をよしよし撫でた。エリアスは不思議そうにしたが、いつものように黙って目を閉じる。


 信頼の証に無防備を差し出す行為が、テオドゥーロにはなんだか飼い猫のように思えた。

 指の腹で首元を撫でる。喉を鳴らすんじゃないかなんて空想を破ったのは、気管を潰されたエリアスの掠れた咳だった。

 あれ? とテオドゥーロは首を傾げる。


 ――なんで俺、首なんか絞めてるんだろ。


 人差し指と親指にくっと力を入れると、今度は咳にすらならない喘ぎが漏れる。

 このままねじ切ってしまおうか。それとももっと力を入れて肺も心臓も止めて、静かになったそれらを取り出して飲みこもうか。生唾を呑む感覚を認めた直後、テオドゥーロは手のひらの力をゆるめた。


 骨が抜けたように椅子から崩れ落ちるエリアスを支えながら、テオドゥーロは小さく甘いため息をつく。テオドゥーロの胸に頭を預け、床に座り込む形で激しく咳きこむ親友がかわいい。一時的に力が入らなくなってしまったようで、預けられた身体の重みが心地よかった。

 雪崩れ込んだ空気をうまく吸えないらしく喉の奥から酷い喘鳴音がする。肩で息をするエリアスの首元を撫でながら、テオドゥーロは慈しむように呟いた。


「……エリアスってなんか大人しくなったな。キレていいのに」


 驚くべきことに、この期に及んでエリアスの手はテオドゥーロの髪に絡まったままだった。力任せに暴れればきっとすぐに抜け出せるものを。髪を引っ張られる感覚などテオドゥーロは一切感じなかった、当たり前だろう、エリアスは何一つ抵抗しなかったのだから。


「テオドゥーロは……甘えたになったよな……」


 笑い混じりにエリアスが応じ、手の甲で口元を拭いながらようやく顔を上げた。首元にははっきりと扼殺未遂の痕がある。エリアスが小さく咳払いをすると、テオドゥーロがその首に両手を添えた。

 人差し指と親指、親指と人差し指の腹に、どくんどくんと柔らかい脈の感覚が押し当てられる。二つの頚動脈が愛しい顔に血を巡らせているのを、テオドゥーロはその目で(・・・・)見たことがあった(・・・・・・・・)。皮膚の内側で蠢く肉の筒、この筒をほんの少し破るだけで、この生き物は死んでしまうのだ。


「なあエリアスごめんな。苦しかったでしょ」

「苦しかったよ」

「怖かっただろ」

「それは別にかな」

「もう一回やったら怒る?」


 首筋にぴったり添えた手のひらをわずかに震わせながらたずねる。声まで震えてしまったのは、口元が笑いそうになるのをこらえたせいだ。

 爪を立ててはいけない、指先に力を込めてはいけない、折っても絞めても破っても貫いてもいけない。

 そんな様々な欲望がテオドゥーロを中心に渦巻いてひとつになっているのが見えないはずもないのに、エリアスは整った顔を素知らぬふうに微笑ませた。


「さあ。やってみたら?」


 見せつけるように顎を引いたその表情を挑発と呼ばずに、なんと形容しようか。

 全身の血が瞬間的に沸騰して駆け巡って――


「怒れよ! ばか!」


 真っ赤になったテオドゥーロがエリアスを押し除けた。

 絡まったリボンと髪とエリアスの指に向き直り、現実逃避のように解き始める。エリアスは笑って絡まった手を揺らした。


「止めなくてもいいのに。テオの好きにしていいんだよ? 俺なんでもするからさ」

「だからその軽率な大安売りやめろって! 俺食欲無限なんだぞ! 大変なんだぞ食欲に打ち勝つのはあー!」

「勝たなくていいじゃん。負けちゃえよ」

「ダメ! 誘うな! もう静かにしてなさいお前は!」


 テオドゥーロは首を振ってなんとか気を散らしている。言われた通りに口をつぐむエリアス。テオドゥーロが黙々と指を動かすうちにほどけていくリボンと髪。

 エリアスの指にきつく絡んでいた髪がもうすぐで外れるというところで、エリアスは急に手を握ったり開いたりした。テオドゥーロにじっと抗議の視線を向けられるとそしらぬ顔でそっぽを向き、大人しくなる。しかしテオドゥーロが作業に戻ると、今度は机の上で手のひらをジタバタ暴れさせた。打ち上げられた魚のそれだ。せっかくほどいた諸々がまたぐちゃぐちゃになった。


「エリアスコラァ!」

「あっはっは」


 エリアスが楽しそうに笑うと、その額にテオドゥーロが軽い手刀を入れる。


「結構頑張って耐えてんのに人の気も知らないで……」


 そう小さく拗ねてからはっと気付く、むしろ人の気を知り尽くした上でからかっているのだ、この男は。余計拗ねそうになったが、にこにこと楽しそうに視線を向けてくる親友と目が合うと毒気を抜かれてしまう。エリアスは自由なほうの片手で頬杖をついた。


「まあいいや、早々に食べ飽きられても困るし。俺味変できないし」

「飽きのこない味なのでそんな心配は無駄でーす。そうじゃなくて、復活待ってたらまためちゃくちゃ時間かかるだろ。それが嫌なんだよ」


 テオドゥーロの脳ではエリアスの復活と待ちぼうけがばっちりセットになっていた。

 血染めのベッドの中で余韻に絡めとられていた一度目。歓迎の準備を整えた二度目。これからの暮らしに夢を膨らませた三度目、つい先程までのそれ。どれも嫌な気はしなかったが、いないと知っているエリアスの姿を無意識に探してしまう。どことなく胸が騒ぐような、尾を引く不安がついて回る。

 要するにテオドゥーロは、もう独りぼっちだと寂しかった。そんな幸せな人間らしい感情は遥か心の奥底に閉ざして久しいため、『寂しい』という言葉がすぐには出てこなかったが。

 卓の下の足を組み直しながら、テオドゥーロは言い聞かせるような声を出す。


「俺一人でいるよりエリアスもいたほうがいいじゃん。確かに俺は今まで食べることしかテンション上がんなかったけどさ。エリアス超美味しいから何度でも食べたいけどさ。それだけじゃなくて、意味もなく遊んだりくだらないこと話したり、したいじゃん。買い物だって本当は一緒に行きたかったんだからな」

「えーそうなん?」

「そうだよ。だから今は食べませーん。はい、やっと取れた」


 きつく絡まっていたリボンと髪がほどけ、指も自由になる。指を食いちぎるかリボンか髪を切れば早かったのだろうが、平和的な解決だ。

 達成感に胸を張るテオドゥーロの頭を、エリアスは空いたばかりの手のひらで撫でた。オレンジの頭が驚いて僅かに跳ねる。自分から相手の頭を撫でることはあっても逆はなかったテオドゥーロは、丸い目でぱちぱちと瞬きをしたあと、満更でもなさそうな顔をした。エリアスは優しく声をかける。


「なあ、俺って甦るまでそんな時間かかる?」

「あー自分じゃわかんないか。かかるよー、ほんっとにかかるよ。買い物だって別に行く気なかったけど、お前全然帰ってこねーんだもん」

「そっかー。そんなテオに新情報な。俺の復活条件、時間経過じゃないよ」

「え。……えっ!?」


 頭を撫でていたエリアスの手のひらをテオドゥーロは慌てて掴む。

 時間をかけて身体を修復すると思い込んでいた彼は、まんまるに丸めた瞳をまたたかせた。


 エリアスの復活に必要な条件は、とりあえず『術の核である左手の薬指を残す』こと。そして時間の経過――ではなく、『誰の目にも触れない』ことと、『不特定の距離まで離れるか、意識の中から外す』ことが必須だった。

 条件さえ整えば一瞬なのだ。エリアスが死の底から甦るのは。


 不測の事態で研究機材の魔力が切れ灯りと計測が途絶えたほんの数秒。飼い主が急用に慌てて席を外した直後。路地裏で暴漢に嬲り殺されたところで、その暴漢が満足して立ち去りかつ周囲に誰もいなければ、『ただ倒れていただけ』かのごとくあっさり起き上がることができた。

 ただ裏を返せば、他人によって簡単に蘇りを阻止できてしまう条件だ。任意の条件を揃えるまで蘇らせたくないなら、死体のそばに見張りを置けばいい。例えば人間が入る程度の木箱の中に指を放り込んで内側から開かないよう封をして、人気のない地下かどこかに置いておく。適当な頃合いで箱を開ければ、生きた彼を簡単に捕まえることができた。

 研究には向かない特性だが拘束しやすい、支配下に置くのは容易い不死者。エリアスはそんな存在だった。


 ……という説明を、彼は親友テオドゥーロに詳しく伝えていなかった。別に思い出すのも辛いという訳ではない。蘇るたびに喰われたり話したり探検したりと忙しく、完全に忘れていただけだ。

 エリアスは意味ありげな口調で説明する。説明そのものより別の箇所に含みを持たせるような、わざとらしい口調で。


「俺、死んだら死体になるだろ。そのあと誰にも認識されなければすぐ生き返るんだ。誰の視界にも入らず、誰にも意識されてなければ、すぐ」


 つり目がちなオッドアイが悪戯に弧を描いた。相対するテオドゥーロは目を見開き、口は言葉にならない言葉を喰む。両手で握ったエリアスの片手を、困惑を逃そうとおぼつかなく玩んでいる。

 やわいベッドに薬指を寝かせたはいいが「いつ帰ってくるかなー」と常にそわつき、様子を見に行って毛布をめくっては「帰ってこねえなー」ととぼとぼ部屋を後にしたことを思い出す。

 視界に入れず、意識もせず。そうすれば即座に蘇るはずだった友人に、テオドゥーロは「時間かかりすぎ」と文句を言ってしまったのだ。


 エリアスの言葉の意味するところが、徐々にはっきりと輪郭を持っていく。同時にテオドゥーロの顔が熱されていく。頬が脳が、火にかけられるより熱い。


「そんなに俺のことばっか考えてたんだ?」


 エリアスがとどめを刺すようにくすっと微笑むと、テオドゥーロは無言のままエリアスの手を放った。空いた両手でゆっくりゆっくりと顔を覆って――勢いよく後ろに仰け反る。横髪から覗いた耳まで真っ赤だった。


「最っ初に言わなきゃ駄目だろうがッそうっ、そういう大事なことはああー!!」

「はは、ごめーん」

「ごめんじゃねえー!!」



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