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テオとエリアスの幸福な食卓  作者: 穂高絢乃(こむぎこ)
二章 穏やかは非日常
13/16

13 これから二人で暮らそうね


 テオドゥーロの武器は翼だ。コウモリの羽の骨組みのような翼は全て歯車や工具でできており、その一つ一つが武器だった。黒曜の石は指を鳴らせば発火し、大小様々な銃火器に火をつける。小さなレンチは戦闘時に握れば身の丈ほどあるハンマーになる。

 中でも彼のお気に入りは透かし彫り装飾の入った大きなシャベルだ。本来土を掘り返す刃は鋭く磨き抜かれており、剣のように肉を貫ける。透かし彫りのせいでむしろ土を掻くことはできないが、緻密な装飾は鋭利な切っ先が集まって出来ており、叩きつけたあと鋸のように挽くこともできる。

 剣技も武術も一切学ぶ機会がなかった。それでも、子供の頃のテオドゥーロは機械いじりが得意だったし、今は元同族の捕食という狂気染みた本能もある。翼を形作る工具や銃を次々に手に取り撃って殴って斬りつけて潰して削ってめちゃくちゃに振り回す戦闘スタイルは、貴族然とした容姿にこそ違和感はあれど、無邪気に欲に溺れるのが好きなテオドゥーロにはよく似合っていた。


「よーいしょ、っと!」


 頭上に掲げないと運べないほど大きな目玉を、スコップに足をかけながらちょうど土を掘り返す要領で抉り抜く。テオドゥーロの足元では彼の身の丈の二倍はありそうな単眼のグリフォンが死んでいた。目玉は勿論、剛鉄のような嘴や爪から魔力を秘めた羽毛から内臓や肉に至るまで、この魔物は余すことなく金になる。これから二人で暮らすにあたり、テオドゥーロはエリアスの服を買う金を作るためにせっせと狩りをしていたのだ。


「暴れんの久しぶりだったけど結構楽しかったな。今度エリアスも連れてこようかな。あいつケンカ強かったからなー……」


 愛すべき親友と背中合わせで共闘する光景を想像し、少年のように胸を高鳴らせる。勇者ごっこをするならどっちが勇者かで揉めた日々が懐かしい。

 テオドゥーロが機械いじりが得意なら、エリアスは植物を操る魔法使いだった。当時は二人とも大人へのイタズラに役立つ程度の能力だったが、今はどうだろうか。戦争や実験を経て兵器のように強くなっているかもしれないし、長く虐げられたせいでねずみより弱くなっているかもしれない。どちらにせよ今のエリアスはただの薬指だ。人間の形に戻る前に、彼が満足げにうなずくような服を用意してあげなければならなかった。

 テオドゥーロは抉り取ったグリフォンの目玉から余計な神経やら肉やらまつ毛やらをぶちぶち取り除く。品のいい手袋が魔物の体液でぐちゃぐちゃだ。滴り落ちる血のもったいなさに気を引かれてほんの少し舐めてみたが、魔物の肉は味わえたもんじゃない。漏れそうになった『()()!』の悲鳴を『いや自分で食べてそれは失礼だろ』と呑み込みつつ、渋い顔のテオドゥーロはグリフォンの血で簡単な魔法陣を描いた。蹴りとばせば破れそうな貧弱な防壁魔法だ。その陣の中央に位置する木の幹に、虚な眼窩の獲物を手早く磔にする。翼を大きく広げた状態で、目玉が収まっていた部分には煌びやかな短剣を突き刺して。


「よーし、こんなもんかな。いいんじゃね?」


 自賛しながらテオドゥーロは二、三歩下がって陣を見渡す。

 くぼんだ眼孔に刺した剣も、粗雑な防壁魔法陣も、実用目的ではない。明らかに『見せしめに死体を晒した』形のそれは、周囲への威圧だった。

 目玉を抱えていては肉や羽を持ち運べない。かといって、死体ごと持っていって街で解体するのは目立ちすぎる。いったん屋敷に戻ってからもう一度街まで出かけていたら、きっとエリアスが帰ってきてしまう。だからここに置いていくけど――盗るなよ。そんな意味を込めて、テオドゥーロは自身を示す名前――厳密には本名である『テオドゥーロ=ヴァルガス』ではなく、彼が成り代わっていたノーアン王家血縁『イェルド=ノルデンフェルト』の名前――の入った剣と魔法陣を置いておくことにした。イェルドの名前が魔物に読めるのかは知らないが、あの短剣の紋章が誰ものものか、この辺りで知らない魔物はいない。

 彼が雪深い森の奥でたった一人、憲兵も冒険者も滅多に通らない魔物の巣窟でのんびり暮らせる理由はひとつ。その森で彼に敵う魔物(もの)がいないから、だった。


 テオドゥーロはふと自身の手のひらを見つめ、握ったり開いたりを繰り返してみた。

 手袋に隠れてはいるが、動かしていると手のひらに傷ひとつないことを実感する。昨日食人衝動に耐えるため自ら抉ったはずの傷は、跡形もなく塞がっていた。

 テオドゥーロは自己治癒能力がほとんどない。一度死んで死体をいじられ蘇生したのか、ギリギリのところで体を作り替えられ生き延びたのか、テオドゥーロ自身は知る由もない。そしてどっちでもいいやと思っている。思っているのだが、どちらにせよ時間が経っても怪我が治らないのは困りどころだった。誰かを食べるか、あるいは自分で修復を行うか――そうでもしないと傷が治らないのだ。


「エリアスに話したら、またどっか食べさせてくれるのかな」


 小さく独りごちる。そのときが楽しみなような後ろめたいような、期待とも背徳感ともわからない感情が緩やかに全身を巡る。

 すっきりとした黒髪にミステリアスな紫と深緑の瞳、挑発的な視線や仕草、痩せぎすの身体、案外低めの背丈。端麗でどことなく幻想的な幼馴染の容姿を思い浮かべながら、テオドゥーロは両手で目玉を担ぎあげ、汚れた雪を蹴って街へ向かった。

 静かに雪が降り続くその森にもかつては名前があった。しかし、百年以上前にぱったりと誰も呼ばなくなった。

 一つの屋敷を丸ごと滅ぼした。

 討伐隊が次々と呑みこまれて帰らなかった。

 人々が今なおその森を『人喰いの森』と呼んで恐れていることを……テオドゥーロは知っている。



 ◆


 重みを押しのけて起き上がれる程度に浅い場所だったとはいえ、土と雪の下だった時はさすがに「ええ……」と思った。

 机の上だった時も「いやなんでだよ」と思ったが、座り込んだその下にレースのハンカチがひいてあるのに気づいた途端頬が緩んでしまった。

 今度は、あたたかいベッドの中だった。


 目を覚ましたエリアスは、オッドアイをぼんやりと細めたまま天井を見つめている。肌に直接受ける丁重で柔らかい感触に、一周回って状況が思い出せなかった。緩く周囲を見回しながら、一瞬『誰かと寝たんだっけ? 何か必要なものあったっけ?』などと考える。上体を起こして、サイドテーブルの上を確認した途端、ようやく何もかもを思い出した。

 余白だらけの高そうな便箋には『今買ってくるのでこれで我慢しててください』とだけ書かれ、その下には比較的シンプルなシャツとセーター、少なくとも正装ではなさそうな雰囲気のスラックスが置いてある。そしてモミの木や小人をかたどったかわいいオーナメントがたくさん添えられていた。思わず小さな笑いが漏れる。そうだった、テオドゥーロにのとこに帰ってきたんだ、と改めて思い出すと、この過剰なもてなしが嬉しく感じてしまう。


「馬鹿だな、服が趣味じゃないなんて冗談なのに」


 呟くが、便箋を片手に取り上げたエリアスの表情は満更でもなさそうだ。

 用意された服に袖を通し、並べられたオーナメントを愛おしげに指でなでる。考えるのはテオドゥーロの笑顔ばかりだ。


 ――あいつこういう小物好きだったっけ。覚えてねえなあ。でもなんか木の実とか拾って窓際にせっせと並べてた気がする。


 ベッドの淵に肘をつき、首を手のひらに預けて脱力しながら、エリアスはめいっぱい幸福の余韻に浸った。



 さて、とベッドからおりるが、辺りを探してもまた靴がない。冷え切った冬場の大理石の床は素足にしみたが、冷たい寝床に慣れているどころか凍死を繰り返してきたエリアスは『まあいいや』と軽くあくびをした。そんなことより、火を入れっぱなしの暖炉のほうがよほど気になった。

 延焼防止の魔法でもかけてあるのだろうか、それともエリアスが凍えるのを案じて点けておいたのか。周りが燃えやしないか心配になったが、勝手に消すのも躊躇われてそのままにしておいた。暖房器具は触ったことがない。


 屋敷の中をぺたぺたと歩き回る。柱や調度品のひとつひとつに細かな装飾が見られ、中でも窓枠の凝りようが目立った。顔を近づけなければわからないほど緻密な彫刻から、遠くからもひと目でわかるような豪勢なものまで、無色透明な窓ガラスの縁をとにかく美しくしようという強いこだわりが感じられる。あるいは、単純に防寒の魔法を張っておくための術具なのかもしれない。決して分厚くは見えない窓ガラスは、近くに寄ってもなんら冷気を感じることはなく、エリアスは少し驚いた。粗雑な部屋の窓際ではこうはいかない。興味のままに手の甲で触れれば、さすがにヒンヤリと熱を奪われたが。

 目的もなく彷徨う長い廊下には、歩けど歩けど窓がある。美しい窓枠に切り取られた雪の風景は、それこそ降り積もる雪のようにしっとりとエリアスの心に残った。


 扉を押し開けて部屋を覗く。女子供のドレスが飾られた部屋。本棚の並ぶ書庫。食材はなく調度品だけが並ぶ広い食卓。

 どこもかしこもがうっすらと埃を被り、棺の中で眠るように静かに美しく時を止めていた。


 ――こんな広い屋敷に百年もひとりでいたんだ。


 なんとも言えない感情が細い水泡の筋のように湧く。『親友』と呼ぶに相応しい感覚の共鳴はあっても、今となってはエリアスとテオドゥーロの感情には天地ほど差が生まれている。今の『テオドゥーロ=ヴァルガス』という存在を正しく理解しようとするなら、テオドゥーロの孤独についてエリアスが連想するべきは『寂しかっただろう』ではなく『さぞ空腹だったろう』だ。

 しかし今なお人間臭さの抜けきらない不死者(アンデッド)である彼は、じわじわと足元から迫り上がる虚無感を想像し、ため息の代わりに静かに扉を閉めた。


 しんみりと感傷に浸りながら内覧をしていたエリアスだが、ある部屋に関しては扉を開けた瞬間に「うっわ何だこれ」と情緒もへったくれもない声が漏れた。

 屋敷の最奥。倉庫にしては生々しく、鍵こそかかっていないが誰かを招くには密やかすぎる。

 窓のないその部屋は、絵画や日記や手紙や似顔絵や書簡やありとあらゆる媒体で『イェルド=ノルデンフェルド』なる人物がいかに愛らしいのかを伝えていた。

 洪水のような情報量に、エリアスは思わず口の端をひくつかせる。目に入った文字を少し辿るだけで『最愛の息子』という言葉が何度も出てきた。


「……」


 反射的に全身を満たした嫌悪感を、じわじわと興味が押し除けていく。再会する前のテオドゥーロのことが知りたい。そう思って手に取った本や絵画を眺めながら、エリアスは自身の眉間がだんだんと険しく寄っていくのを自覚する。

 端的に言って気色が悪かった。

 イェルドと名のついた絵画がテオドゥーロに瓜二つなことも。姿は瓜二つなのに、浮かべる微笑は別人のようなことも。横暴で傍若無人だったその男がある期間から突然穏やかで笑みの絶えない人物になったらしいことも。十年間一切外見の変化がなくなった彼を使用人たちが気味悪がっていたことも。孫の顔が見たくて愛する息子に色々とお膳立てをしたがうまくいかなかった――そんな記述を目にしたとき、ついに紙が破れた。苛立ちのあまり指先に相当力が入っていたことに初めて気がついたエリアスは、ため息をついてうなだれた。

 日記らしいその本を閉じる。棚に戻そうとした手が止まり、ほんの一瞬考えたあと、エリアスは全身全霊の力でそれを床に叩きつけた。


「あいつを何だと思ってんだよ、道具みたいに扱いやがって……ッ!」


 怒りに任せて吐き捨てた声が小さな部屋に溶ける。衝撃で表紙が歪んだ本を思いっきり蹴飛ばしながらエリアスは舌打ちをした。

 恐らく本物のイェルドはろくでもない放蕩息子だったのだろう。それが死んだか気に入らなくて殺したかで存在しなくなり、捨てられていたテオドゥーロを人形同然に整えて理想の子供を作ったのだ。でなければ、イェルドの突然『人が変わった』ような記述の意味がわからない。

 露骨な身代わり扱いにも腹が立つが、エリアスが一番苛ついたのはその人物評だった。


 常に微笑をたたえ、無口だが使用人にも至極丁寧に接する。

 両親に従順で良く家に尽くし、決して声を荒げず、いつもにっこりと同じように微笑んでいる。

 誰もが彼を讃えるが、あまりに無駄のない淡々とした穏やかさはどこか恐ろしい――。


 少年の日のテオドゥーロとも現在の彼とも似つかない形容の数々に、彼が別の人間として生かされていた事実を突きつけられる。


 ――常に人形みたいに微笑んでる? 無口で高貴? 誰が!?


 エリアスは拳を卓に叩きつける。握った手のひらが痛かった。

 彼がいくら憤ったところで過去は変わらない。苦しいなら見なければいいものを、まるで縫い留められたようにエリアスはその部屋から出られなかった。



 ◆


「ただいまあー!」


 テオドゥーロが元気に両開きの大扉を開くと、冷たい風が雪を巻きこんで部屋の中に吹き込む。冷気と高揚感で頬を真っ赤にしながら、凱旋さながらテオドゥーロが帰宅した。


「エリアスー! ただいまー! ……あれ?」


 大量の衣類が詰まった麻袋を抱え、コートを着たままバタバタと走っていく。しかしエリアスの指を置いておいたはずの寝室に彼の姿が見えず、テオドゥーロは荷物を置いて頭を掻いた。

 ベッドは綺麗に整えられている。布団の中は冷たい。用意しておいた服と置き手紙はなくなっていた。


「エリアス……?」


 名前を呼んでみるが、当然返事はない。テオドゥーロは急に不安になった。



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