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テオとエリアスの幸福な食卓  作者: 穂高絢乃(こむぎこ)
一章 変わり果てたけど生きている
11/16

11 欲


 テオドゥーロ=ヴァルガスは明るくよく笑う子どもで一見愚鈍にすら見えるが、実際のところ相手の感情をよく見ており、些細なことでもすかさず支える優しさを持っていた。

 エリアス=ハーランドは年齢に対して随分冷静で聡明な思考をしていたが、存外感情的なきらいがあり、正義感の強さから他者とぶつかることも少なくなかった。

 二人はそのまますくすく――ではないにしろ成長し、百五十年以上の時を経て再会を果たした。語り合ううちにテオドゥーロは『エリアス涙もろくなったな~』と、エリアスは『テオってこんな心広かったっけ……』と、お互いの変化、変わらない芯や癖なんかを感じていた。

 お互いの過去や知っていることを共有しあっては、大抵何かを思い出したエリアスがぽろぽろ泣き出してしまいテオドゥーロが全力でフォローに回り、ようやく笑ったエリアスとほっとしたテオドゥーロで会話を再開する……そんなことを繰り返すうちに夜が明けていた。

 泣き腫らしてうとうとし始めたエリアスを「疲れたでしょ、横になっていいよ」と寝かしつけ、テオドゥーロは客室に戻った。エリアスの復活にはしゃいで色々なものをしっちゃかめっちゃかにしてしまったのを思い出したからだ。不眠不休でも何ら問題はない彼は、エリアスより遥かに『人外であること』が板についていた。


 さっさと部屋を片付け、二人で過ごしやすいように気ままに模様替えをし、達成感に胸を張りながらふと「いやどうせまたぐちゃぐちゃにしちゃうんだろうな」と思った。テオドゥーロはおおむね貴族らしい振る舞いをしているが、食人衝動に理性の(たが)が外される時はもちろん、普段からわりと物の扱いは雑だった。

 部屋に鮮血が飛ぶと片付けが大変だと考えてから、はっと自身の考えに薄ら寒くなる。


 ―一体誰の血が飛び散ることを想像した?


「……いや、いやいや。もうエリアスのことは食べないし」


 テオドゥーロは大きく声に出してかぶりを振った。親友のことを二度も惨殺してしまったのは言わば手違いだ。彼と気づかず犯した明確な『間違い』だ。エリアスはテオドゥーロを責めはしないだろうが、もしもう一度彼の喉や胸を笑いながら裂いたとき――彼は自身の過去を思い出さずにいられるだろうか。

 テオドゥーロは大きく身震いをした。自身の想像に恐れ慄いたのではない。忘れ難い最上の美味がその舌に蘇り、反射的に身体が震えたのだ。

 テオドゥーロはぱっと口元を押さえる。


 ――ダメだ、あの時のこと思い出してこんな笑ってちゃ。


 そう強く自分をたしなめるも、何度も何度も紙芝居のように断片的に視界が蘇る。


 喉に詰まる血を吐き出そうとえずく姿も。

 生理的な涙と夥しい血に濡れた顔も。

 消え入りそうな吐息と絶え絶えに名前を呼ぶ声も。

 焦点の定まらない朧げな視線も、漏れる悲鳴も、体の内側の肉もあらわになる心臓も並ぶ骨も詰まる内臓も痙攣する足先も、事切れたあとの動かない肢体も、硬くなっていく手のひらも最後に残った薬指から僅かに滴る血の一滴すら、愛おしくて美味しくて可愛くてたまらない、こみあげる幸福感が止まらない。


 ガンッ! と大きな音がする。テオドゥーロが机に額を打ちつけて思考を断ち切ったのだ。


「……ダメだ。ダメだダメだ駄目だ食べちゃ、エルのこと食べちゃどんなに美味しくてももう……」


 呪詛のような言葉とともに昨晩のエリアスの様子を記憶から引きずり出す。うって変わったような姿だが、こちらも鮮明に脳裏に蘇った。散々嬲られその命を弄ばれ、際限なく殺され続けた日々を思い出して静かに泣いていた彼が。うなだれた、見たことがないほどか弱くすり減りきった親友の姿が。


 エリアスになんとか元気を出してもらおうと、あるいは安心してほしいと必死になっていたのは、決して演技でも嘘でもなく紛れもない本心だ。苦しい人生を経て再会できたことは、テオドゥーロにとって運命にすら思えた。ならば彼を励まし支えるのは自分の使命、天啓だとも。

 愛しい、大切だと思えば思うほど常に意識にちらつく膨大な食欲も、「エリアスは望まない、エリアスを悲しませる、エリアスを傷つける」と言い聞かせればなんとか抑えることができた。耐えるために幾度となく服の上から掴んだ自身の腿には濃い痣ができ、血が滲んですらいたが。


 愛しい。かわいい。

 愛しいは美味しい。美味しいは幸せ。

 でも、あいつの不幸は幸せじゃない。

 愛しいあいつの幸せは俺の幸せ。愛しいあいつの不幸は俺の不幸。

 ああ、でも、愛しいは……。


 切っても切り離せない、けれど決して相容れない感情が轟轟と頭で渦巻いてどれくらい経ったか。

 扉の蝶番の軋む音でテオドゥーロは顔を上げた。


 そこには愛しい親友――かろうじて『ご馳走様』よりこちらの認識が勝っていた――が立っていた。

 その表情が昨晩から今朝にかけてより随分穏やかなことにテオドゥーロは安堵して、それから自身の安堵に安堵した。よかった、俺、ちゃんとエリアスの笑顔で安心できる。


「エリアスおはよ! よく寝れた?」

「おはよう、テオ。お陰様でな。寝かせてくれてありがとう」


 エリアスは軽く腕を組むと、扉に寄りかかって首を傾げた。頭と扉が僅かにコンと音を立てる。そんな些細な仕草すら愛おしくなってしまって、テオドゥーロは慌てて机の上のオーナメントをいじりはじめた。安心したらすごい可愛く見えてきた。駄目だ顔を見るな。話題。話題。なんでもいいからどうでもいい話題。

 オーナメントのリボンの輪になった部分に指をはめつつ「ちょっとは元気になった?」と軽い調子で問いかける。心臓は密かに早鐘を打ちっぱなしだ。

 テオドゥーロの視界には映らないが、エリアスは柔らかく笑って返事をする。表情は見えなくとも、声に感情が滲んでいた。


「ああ、ありがとうな。完全復活しました」


 友人への何気ない感謝。しかし、その言葉にテオドゥーロの身体と思考は一瞬で石化した。雷が脳天に直撃したかのような衝撃の次の瞬間には石化は解け、「えっ!?」と叫びながら立ち上がっている。椅子が思いっきり後ろに飛んだ。物の扱いが雑である。


「ふ、復活って死体からってこと? 悪い俺また食べてた? 無意識に食べてた? 寝てるうちに食べてた?」

「違う違う、精神的な意味で」

「なんだよびっくりした……」


 思わずエリアスに詰め寄ってしまったテオドゥーロは、へなへなと全身の力を抜く。ついでにふぬけたパンチをお見舞いしたところ、エリアスは笑いながら手のひらで受けた。話題の流れからすれば当然、身体そのものではなく落ち込んでいた気持ちが元気になったことを意味する『完全復活』なのだが、エリアスが眠ってから始終そのことばかり考えていたテオドゥーロの早とちりも無理はない。

 眠っていた――ある意味では抵抗しようのない状態のエリアスに対して何も事を起こさなかったテオドゥーロは、自身の欲望に理性が打ち勝ったことを確信し、今度こそ本当に安心した。胸を撫でおろす思いとともに昂っていた食欲が落ち着いていく。やっぱり俺エルのこと好きだ、と思った。こいつのためなら自分の欲なんてどうでもいいや、やっぱりエルには笑っててほしいな、とも。

 気持ちの整理がついたテオドゥーロは、しっかりとエリアスの目を見て心から破顔した。


「復活したならよかった! さっすが俺のフォローのおかげだな!」

「ん、そうだな。我ながらすげーめんどくさかっただろ? あんな泣いて立ち直って泣いて立ち直ってして……よく一晩中付き合ってくれたよなあ……って。全部テオドゥーロのおかげだよ。ありがとう、テオドゥーロ、本当に」

「お、おお……なんだよそうじゃなくてつっこめよ……」


 エリアスのストレートな感謝にテオドゥーロが口ごもる。照れているのは赤みがさした頬からも緩んだ表情からも見てとれた。


 普段、と言っても同じ街に暮らしていた子供の頃、二人はお互いを「テオ」「エリアス」と呼び合っていた。エリアスからテオドゥーロは、長いから「テオ」とあだ名を、テオドゥーロからエリアスは、名前の通り「エリアス」と呼んでいた。そんなお互いの呼び名が「テオドゥーロ」「エル」と変わる時がある。大好きな親からもらった長い名前をそのまま、「テオドゥーロ」と。親しみを込めた愛称で、「エル」と。

 例えば感謝だとかケンカした時の怒りだとか、そのあとの謝罪の時だとか、喜びをわかちあう時だとか、伴う感情の良い悪いは問わず、大抵はとにかく大切な場面に。どのような場面で呼び方を使い分けているか、擦り合わせることはおろか説明することもなかった。しかしさすが親友と言うべきか、お互い共通して、『相手への何らかの感情が大きくなったとき』に呼び名が切り替わることが多かった。

 そんな名前の呼び呼ばれは、遥か長い間離れていたはずの今でも変わらないらしい。今も昔も大雑把な物差しではあるのだが――テオドゥーロは大事な『エル』に「ありがとう、『テオドゥーロ』」と言われたことが嬉しかった。

 照れくささにはにかみながら「エルが元気になってくれんならいつでもどんだけでも話聞くよ」と言うと、エリアスは「ありがと、頼もしーな」と笑った。


 食欲を通した幸福が強い衝撃のようなものだとしたら、エリアスの笑顔から受ける幸福はふわふわと柔らかな感触を伴う。恐らくごく普通の人間が持つその幸福感は、テオドゥーロが合成獣として蘇生するどころかさらに昔、奴隷時代には既に奪われてしまったものだ。

 そして『自分がいつか持っていたが無くしてしまった』ことすら覚えていないテオドゥーロは、馴染みのない嬉しさに「ああいいなあ、なんかこれ幸せだなあ」とほこほこしていた。


「なあ、テオ……」

「ん? なに?」


 エリアスは目を細めながらテオドゥーロにぐっと顔を近づけた。幸福なテオドゥーロは笑って首を傾げる。

 目を細めるのはエリアスの癖だ。嬉しいときも、怒っているときも、悲しんでいるときも。


「テオドゥーロ。俺、美味しかった?」


 だからこそ、口元に微笑をたたえて差し出された問いに、頬をひきつらせたテオドゥーロは何も答えられなかった。

 どういう意図で口にした問いなのかがわからない。自分は今責められているのか何を試されているのか判断ができない。そして何より、ようやくかたく閉めたはずの食欲の蓋が、暴力的なまでの食欲の渦が、エリアスの一言によって放たれてしまった。



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