第46話 『貴方もですか?』
「ウオオオォォーーッ!!」
猛々しい咆哮をあげて、しがらみから解き放たれた猛獣が襲来する。
目指す先には無数の獲物。
美しい少女二人という追加報酬に喜び、ウンドコの周囲で隠すことなく私利私欲に溺れている男達だ。
「ん? う、うわぁーーっ!!」
内の一人が背後の地鳴りに気づき、振り返ったと同時に絶叫。
その兵士に避ける猶予など微塵も許さない野獣は、成人男性の顔ひとつ分ぐらいありそうな拳を勢いのまま叩き込む。
直後、巨大な生物に体当たりされたかの如き激烈な音を奏でて、大の大人がひとり冗談のように宙を舞った。
「お前らみてえなクズに......姪を渡してたまるかああぁぁーーーーッ!!」
突然吹き飛び地面を抉りながら転がっていく味方に唖然とする兵達は、おっさんの怒りの波動を目にして遅まきながら事態を把握。
「怯むな! 相手は丸腰だ、全員で囲め!」
すかさず飛んだ上官の指示に即時対応する彼らは、性根こそ腐っているものの兵士としての練度は高いのだろう。
一糸乱れず扇状に展開し対象に向けて武器を構える兵らの動きは、敵ながら見事であるとしか言いようがないもので。
しかし、並みの相手であれば効果的であっただろうその対処法は、
「ムオオォォーーっ!!」
この野獣に対しては、全くの悪手。
おっさんが気迫みなぎる拳を地面に打ち込んだ瞬間に、接着点がまばゆい発光を放ちーー。
「ーーッ!」
大地が一寸悲鳴をあげた後、おっさんを中心に激しく陥没。
その衝撃によって盛り上がった地面が生き物のようにうねりを生み、津波かと思う程の猛威で兵たちに襲い掛かった。
「ぎゃあああーー!」
無駄に広く散開したことでより大きな被害を被った彼らは、土砂の濁流に巻き込まれそこかしこで叫びながら盛大に吹き飛んでいく。
埋没から姿を現した岩石と運悪く出会った者は、当然に重症。
そうでなくとも高速の土塊を身に受けて無傷でいられる者は少なく、ゆうに半数以上の兵が軽くない傷を負ったようだ。
「おっさんスゲェッ!」
ほんの少し前の不格好な踊り子から一転、勇壮溢れる戦士へと変貌を遂げたおっさんを見て歓声をあげるマイケル野菜。
シリンに助け起こしてもらいすぐそばで一緒に眺めていたフュフテも、驚きで尻肉をせわしなく揺らす。
「すごいですね......何者なんですか、あの人?」
「叔父さんは昔探索者だったの。私が小さい頃に引退してしまったのだけれど、とても有名だったのよ?
でも、こんなに怒った姿は初めて見た.......がんばって、叔父さんっ!」
フュフテの問いかけに答えつつ、熱心に叔父へと声援を送る姪っ子。
「あれ身体強化使ってるよね? それも相当高度な......」と、未だに展開している『新世界』で感じとっていた尻は、ビチっ子の話を聞いて一応の納得を得る。
もっとも、「いくら高名といっても、あれだけの強化魔法をほいほい使える者がいるのか?」という点については一抹の疑念を拭えないが。
「ふしゅうう......」
大きく抉れた穴から幾筋もの土煙が広範囲に拡散する茶白い風景の中、ひと際大きく目立つ影が徐々に姿を現す。
その主は憤怒に赤く身を焦がし口端から気炎を吐く、まさに鬼神ともいうべき存在の男。我らがおっさんだ。
怒髪天をつく、と言わんばかりに逆立った髪は見る者に獅子のたてがみを連想させ、暴力にテカる肉体と粗末な腰布一枚という野生的な姿も相まり、まさに猛獣に等しい出で立ち。
おそらくではあるが、この場の誰ひとりとしてこのような事態に陥るとは想像もつかなかったであろう。
相手は壮年をとっくに過ぎ、中年の中ほどにまで足を突っ込んだかに映る隠居者。
現役の若い探索者ならばいざ知らず……いや。
たとえそうであったとしても個々の実力差がピンからキリまで、玉石混交する探索者の中でここまでの実力者にお目にかかるというのはそうそうない事で、もはや奇跡にも近いことである。
「ふざけやがって......っ」
おっさんの大地を穿つ一撃により、負傷した味方を土中から助け出していた兵士のうち一人が、憎々しげに悪態をつく。
ついさっきまで、絶対の有利にひたっていた筈なのに。
大金を得て、いい酒を食らい、美しい女を抱く。
すぐそこまで見えていたお楽しみの時間を突如遮った邪魔者に、自分勝手な苛立ちが沸々と込み上げているようだ。
「この、罪人風情がっ!」
他にも同様の想いに駆られた男達が、一斉におっさんへと斬りかかる。
たとえ信じられない程の膂力を振るう剛の者であっても、所詮はお粗末な装備。
鍛えた鋼には到底敵うまい、そう勝ち誇った笑みを浮かべる彼らであったがーー、
「ーーなっ!?」
ガチンッ、と金属よりもなお硬質な響きを立てて、全ての刃が薄皮一枚のところで止められる。
一切の刃物を通さない、満遍なく充満するオーラに包まれたおっさんの肉体の前に驚愕の表情で染まった男達は、
「化け物めッ!」
そんな馬鹿な事があってたまるかと、次々に追加の斬撃を仁王立ちの巨躯にお見舞いする。
がしかし、そのどれもが呆気なく弾かれるばかりで、一向にダメージを与える事が出来ていない様子。
「カチカチじゃないですか......なんであんなすごい人が一般人やってるんですか?」
「そうだね......たぶん、隊長と同じくらい強いとおもう、あのひと」
眼前に広がる我が目を疑うような光景に、シリンと一緒に呆けていた尻であったが、
「......あれ?
ッ!! 不味い! このままだと、大変なことにッ!!!」
ふと何かに気付いたフュフテが、焦燥にかられて切羽詰まった声を上げる。
その目線の先には、おっさんの剥き出しの肉体を唯一守っている物。
防具というにはあまりに見窄らしい、それでも重要きわまりない最期の砦と言っても過言ではない装備。
ーーたった一枚の腰布が、今にも引き千切れそうになっていた。
確かに、おっさんはまさかの身体強化魔法を使って鉄壁の防御を肉体に付与しているのだが、何故か腰布だけはその恩恵を受けていない。
ひょっとして物に強化魔法を付与するのが苦手なのか、はたまた忘れているだけなのか。
それ故、度重なる兵士達の剣戟に肉体はまるで傷ついてはいないながらも、腰布だけはどんどんとダメージを蓄積させていく。
どうやらおっさんや兵士も含め、この場の全員がその事には気付いていない様子。
普段からやたらと下半身を気にするフュフテだけが、幸か不幸か目敏く発見してしまったらしい。
今すぐに声を上げて、この事を指摘すべきかどうか迷う尻。
平時であれば即座に伝えばいい事であるが、今は戦闘中という非常事態だ。
もしもおっさんの集中を乱してしまえば、最悪の場合肉体の強化魔法にまで影響が出て負傷してしまうやもしれない。
そうして尻が決断に踏み切れず戸惑う間にも休む事なく続けられる攻撃により、おっさんの下腹部を守る腰布はその面積を徐々に減らしていく。
充分な耐久性を失いつつある布がほつれを生み、膨れた筋肉に引っ張られて限界を感じたのかギリギリと断末魔を上げて。
「だめだ! 取り返しがつかなくなる前に......!」と、ようやく決意を固めた尻が口を開いた瞬間ーー、
ーーぶちんッ!
「ーーおおおおぉぉッ!?」
大切なものを守りきれず無念を抱いて地に落ちた守護者の後に、懸命に隠されていた存在が衆目の前であらわとなった。
男達が声を上げたのも無理はない。
何故ならば、かの守られし存在は驚嘆に値する威容を誇っていたからだ。
見るからに立派なその御身は猛々しくも天を仰ぎ、お天道さまになんら恥じる事なき清らかな態度を示している。
強固な意志と歪みひとつない直情の芯を感じさせる肉の柱は、未だ世の穢れを知らぬ純粋さに満ち溢れており、邪な心根を持つ者たちを浄化するような輝きを抱いて。
流麗なフォルムを持つ頭部が、言の葉を紡ぐとある竜の化身を彷彿とさせる貫禄を生み出し、黒いたてがみを風に靡かせながら矮小な愚物どもを静かに睥睨していた。
「くっ......! お、恐れるなッ! 所詮、ただの棒だ!!」
荒ぶる野獣かと思いきや、予想外に高貴な分身を持つおっさんに恐れ慄く兵士たちだったが、折れそうになる心を鼓舞して立ち向かう意志を見せる。
「あれはただの肉の塊に過ぎない」と己に言い聞かせた男が、いっそひと思いに切り飛ばしてやろうと粗末な一本の剣を振り下ろした。が、
「ーーッ!!」
その汚れた刃先はそそり立つ御身が纏う神秘のヴェールに、音も無く押し留められた。
どこかで見た事のある情景。
かの偉大なる王者がかつて纏っていた桃色のオーラよりもいくらか青々しい光を放つ幕を使い、男の一撃を股間で止めたおっさんは、
「オオオォォーーッ!」
ばちんっ、と相手の剣を自身の肉剣で強く弾き飛ばし、勢いよくジャンプ。
右に大きく捻った腰を遠心力たっぷりに左へと振り抜き、男の頬に肥大した棍棒を激烈にメリ込ませた。
「あ、あれはッ! グググ先生の......ッ!? どうして、あの人が!?」
「? その先生はよく知らないけど、叔父さんは若い時に銀髪の竜族に師事を受けた事があるんですって。
その方の相棒さんに、とても鍛えられたらしいわ」
おっさんのとんでもない攻撃で遥か地平線の彼方に飛んで行った兵士を眺めて、フュフテは衝撃を受ける。
ビチっ子はグググ先生の名前を知らないようだが、その情報を聞く限りではもはや間違いないだろう。
そういえば、最初に先生に会った時に「数多くの戦士を鍛えてきた」とかなんとか言っていたような気がする。
「まさか、おっさんがグググ先生の弟子だったなんてッ!!」
卒倒するような新事実を知らされた尻は、ある意味身内とも言える全裸のおっさんが暴れ回る姿を見つめてこう思う。
ーーやっぱり、グググ先生はどっかおかしい、と。
自分の時もそうであったが、なぜそんなに一点特化の鍛え方をするのだろう。
もちろん、秀でた部分を徹底的にのばすことは大事だと思う。
長所というのは、他よりも突出しているからこその長所だ。
だとしても、他にもう少しまともな教え方があってもいいんじゃないか?
自分の場合は尻からしか魔法が出ないという事情があったため、歪な育成方法となってしまったのは仕方がない。それは分かる。
しかし、おっさんの場合はあれだけ恵まれた体躯があるにも関わらず、一体どうして局部を集中的に練磨させたのか。
あの身体強化の輝きを見るに、明らかにアソコだけオーラの熟練度が桁違いに強力なのだ。
いやもしかしたら、おっさんにも自分のように何か事情があるのかもしれない。
服に強化魔法を付与するという基本すらなおざりにしてしまうくらいの、深刻な事情がーー。
解答の出ない問いにひとり悩む尻は、「あの人を兄弟子と呼ぶのはなんか嫌だなぁ」と思いつつ、バチンバチンと激しい往復を見せて荒ぶるおっさんを視線で追い、複雑なため息を重く吐き出した。