第45話 『重い枷』
改めて己の在り方について見つめ直し、自分にのみ向けていた興味を周囲に広げた事で、フュフテはようやく自身を取り巻く状況を正しく認識し始めた。
二人の剣聖候補者の、シリンとウンドコ。
そもそも「剣聖」とは、剣術を極限まで極めた人物の名称。
聖人と認められるほどの実力と実績を重ね備えた者が、他者には到底成し得ないその偉業を讃え公的に贈られる称号である。
理屈で言えば、「どの段階を極限と定めるのか」についてはっきりとした基準が定められていない以上、剣聖が複数人いても何らおかしくはないのだが、こと聖王国に関してはそうもいかない。
その最たる理由は、初代の剣聖とされる人物があまりにも政治と密接な関係にあり過ぎたせいだ。
かの人物は当初、政権からは無縁の単なる一剣士に過ぎなかったのだが、時の為政者のひとり。
年若い聖職者と友誼を結んだ事により、王国の戦史に鮮烈な爪痕を残すこととなる。
国に忠誠を誓うわけでもなく、栄誉を求めるわけでもない。
ただひとりの友のために絶大な剣技を振るい戦果を上げる男を国が制御出来る筈もなく、かといって危険因子として排除することも不可能。
よって、個人で一国の浮沈に影響する戦力を何としても国に留め置くべく、ひとりの聖職者を異例の若さで教皇という名の「鞘」に押し上げ、そこに剣聖と銘打った「刃」を納めるという手段が取られたのだ。
つまり「剣聖」とは剣の道を極めた者、という意味合いだけでなく、為政者の頂点と共に国を守っていくパートナーなのだ、と暗に示唆されており、故にただひとりのみが名乗る事を許される存在となった。
そんな途方も無いものを目指して剣を振るってきた二人の男女。
互いに向かい合って対立する候補者同士が、一体何を思って剣聖という地位を求めているのかフュフテには分からないし、「どちらが剣聖に相応しいのか」という判別など以ての外だ。
とはいえ、どんな思想を持っていたとしても、「自分勝手な理屈で事を運ぼうとするウンカスに好感は抱けないな」そう感じた尻は、
「不味いですよマイケルさん......どうしましょう?」
「どうするって......やべぇのは間違いねぇけど向こうは数も増えちまったし、そう簡単に逃しちゃくれねぇだろ......。
こっちはフュフテちゃんが怪我してるからシリンちゃんくらいしか動けねぇ......くそッ! 遂にアレを使う時が来たのかッ!?」
「え? なんですか?」
すぐ隣でモニョモニョしていたマイケルに声をかける。
自分の考えに没頭していたためフュフテは今まで気が付かなかったが、マイケルの言う通り相手の人数が随分と増えている様子。
おそらくは、ウンドコのお付きで追随していた別の兵達が合流でもしたのだろう。
眼前はウンドコを含めて十数人が立ちはだかる光景となり、背後が逃げ場のない建物となっているため一種の包囲網状態だ。
なにやら語尾がモニョモニョしていて後半が聞こえなかったため、再度問いかけようとするが、
「俺様の決定だ、誰にも文句は言わせん。全員捕らえろ。
抵抗するならシリンと森の民以外は斬り捨てて構わんぞ。いけ!」
「ッ!」
ウンドコの非情な檄により、兵士達が遂に動き出した。
いまだ若干の戸惑いを払拭出来ていないのか初動の遅い彼らは、それでも上位者の命に背くという選択を持たないようで。
少しずつ迫りくる人壁にフュフテ達がじりり、と足を引く中、
「ーー止まって。それ以上は、斬るから......ッ!」
ひときわ甲高い摩擦音の後に、冷ややかな声が場に落ちる。
背後に姪っ子を庇っていたシリンが一歩踏み出し、兵達へと剣先を向けた。
抜き放った剣の軌跡は美しく、ピタリと静止したその淀みのない流れは、確かに彼女の高い技量を証明していて。
細身の女性とはいえ、剣聖候補とされる彼女の威圧に瞬時怯える男達であったが、
「ーー?」
その姿を見てすぐに気付いてしまう。
強気な台詞とは裏腹に、その切っ先が僅かに震え始めた事を。
カチカチと鳴る歯音が彼女の心情を明確に表し、乱れた呼吸と汗がそれを補足する。
時間を経れば経るほどに薄れゆく覇気を目にした兵達が、生物が本能として持つ嗜虐心を緩やかに煽られ、そのとどめとして、
「ふん、怖気づくな愚か者ども。その女に人は斬れん。ただの虚仮威しだ。さっさとかかれ!」
「お......応ッ!!」
無駄によく通る美声によって、その背を性急に後押しされた。
「大変ですよマイケルさんッ! シリンさん、めちゃくちゃビビってるじゃないですか! 全然動けそうにないですよっ!?」
「仕方ねぇだろっ!? シリンちゃんにも色々あるんだ! でも......大丈夫だッ!! このマイケル様に、任せておけ!」
迷宮内で見せた勇壮な姿とは程遠いシリンの、予想外の姿にびっくり仰天の尻が騒がしく野菜に詰め寄る。
ところが、慌てふためく尻に力強く頷き返す野菜は、なにやら自信満々の笑みを浮かべていて。
「ええっ......何が大丈夫なんですか......?」
戦力という意味ではマイケルを何も信用していないフュフテは、このままではとても不味い事になると悟り、自分が何とかするしかないと、一人けつ意を固める。
魔法が打てない、力が足りない、自信も持てない。
そんな無い無いづくしの尻は、
「彼女から......離れろッ!」
ほんのひと握りの意地を胸に、地面を強く蹴り付け跳躍。
定まらない剣身と乱れた身体強化魔法で、辛うじて兵士との鍔迫り合いに耐えるシリンの元へと果敢に飛び込んだ。
「うおっ! なんだこいつッ!」
急遽サイドから割り込んできた肌色成分の多い人物に驚く兵士は、反射的に空いていた右足でそれを蹴飛ばそうとするが、
「これでも喰らえっ!」
その突き出した足を見事なタイミングで踏み台にし、飛びかかる勢いで超接近した肌色の物体により視界一面が覆われた、その瞬間ーー。
ブシャブシャブシャーーーーッ!!!
「もごぉぉああぁぁーー!!」
プリプリの白い果実から流れ出た、土石流に等しい茶色の半固形物をゼロ距離で顔面に叩きつけられ、とてつもなく汚い色に染まりながら地に沈み、意識を手放した。
「よし! いけるっ!」
尻から残り汁を垂らすフュフテは、捨て身の尻魔法がうまく功を奏した事にガッツポーズを。
例え殺傷力に乏しく垂れ流す事しか出来ない、土魔法と呼ぶには大層不恰好な代物であっても要は使い様。
こうして至近距離で浴びせかければ、人ひとりを行動不能にするぐらいの役には立つようだ。
「コイツ! 尻から何か出すぞッ! 気をつけろッ!」
「なんだあの汚いの......魔法か? 俺に任せろ! 本物を見せてやる!」
だがしかし、フュフテのこの行いは兵士たちの警戒を招いてしまったらしく。
ウンカスに引っ付いていた魔法士らしき人物が、無様な魔法に対する返礼とばかりに両手に魔力を収束。
「やばいッ! 『新世界』ッ!!」
その動きを目にしたフュフテが相手の魔法を感知するべく、ケツを両手で大きく開いて全力で叫んだ。
途端に強く激しく鳴動して新しい世界に突入したフュフテの菊の花が、相手魔法士から火魔法の気配を伝えてくれる。
当然、今のフュフテでは迎撃に魔法を撃ち返すことは叶わない。
かといって回避すれば、すぐ背後にいるシリン達に直撃コースという状況。
「ああああーーーっッ!!」
ならば、なんとしてでも此処で勢いを削ぐしか方法はない。
中級程度の火球が撃ち出された気配を背に感じて、せめてもの抵抗がわりに尻は大洪水を穴から噴出した。がーー、
「ーーアアッ!!」
「フュフテっ!!」
現実は非情。
水魔法としては余りにも脆弱な威力の尻魔法では火勢を十全に削ぐこと能わず、フュフテの瑞々しい尻肉はこんがりと炙られて。
仮にフュフテが万全の状態であれば歯牙にもかけないレベルの魔法でも、障害を抱えた尻ではなすすべも無く。
その場にぽてり、と倒れ込んだ尻魔法士は、正座の姿勢から上体だけをうつ伏せに、剥き出しの焼け尻を兵士達に向けて力尽きた。
「へへへ、見たか。これが本当の魔法ってやつだ。なんだ? 森の民ってのは魔法に秀でてるんじゃないのか? 全然大した事ないな」
「それはお前が優秀過ぎるからだろ? あ、ウンドコ様! こいつが少々やり過ぎてしまったみたいですが、一応仕留めました! それで、あの小娘を本当に聖戦に出すおつもりで?」
驕り高ぶった魔法士が優越感に浸りきった笑みを浮かべ、それを同僚の兵士が持ち上げる。
そのまま報告という形で上司に伺いをたてると、
「はっ! 随分と脆弱なやつだな? 大体尻から出すという意味が分からん。森の民というからには、それなりの腕前で面白い見世物が作れると思ったが......。
アレはもういらん。お前たちで好きにしていいぞ? そら、ああやって尻を差し出しているんだ。意外と欲しがってるのかもしれんぞ?」
「おおッ! よいのですか!? へへへ、ウンドコ様は話の分かるお方で! 流石でございます」
下され物としてフュフテを自由にして良い流れとなり、二人の兵士のみならず周囲の男たちは皆湧き立つ。
人道を排して見れば、手柄として地位を、店の略奪という形で金を、フュフテや姪っ子を女として部下達に惜しみなく与えるウンドコは、上官としては相当に求心力のある人物なのかもしれない。
剣聖の一族という免罪符によってどんな悪逆非道も許されるのだから、性根の腐った者達にとってウンドコ=カストラムという人物は充分に忠誠を捧げるに値する主人なのだろう。
「ごめんなさい、フュフテ......私のせいで」
下劣なヤル気に活気づく集団とは対照的に、哀切に静まりかえった陣営で。
ちょっとの間、意識を飛ばしていたフュフテが目を覚まし見上げると、しゃがみ込んで覗き込む深い罪悪感に濡れたシリンの瞳に自分が映っていた。
唇を噛み締め、端に一条の赤を滲ませる彼女の表情は、今にも降り出しそうに曇っていて。
過去のトラウマに苛まれて身動きの取れなかった自分自身を責めるシリンは、それ以上言葉を紡ぐことが出来ず、ただフュフテの頬に手を当てて面を伏せる。
手のひらから流れ込む仄かな温もりは、感情表現に乏しい彼女の感謝を精一杯に伝えているのだろうか。
誰もが迂闊に声を掛けられない、時の沈滞に浸り漂いに甘んじるこの空間でーー。
「うおおおーーーッ!! この下衆どもがあああぁぁーーーッ!! すまんメイ! 俺はもう、我慢できんッ!!」
「叔父さんっ!?」
突如として咆哮をあげた野獣が、全身から猛烈な怒りを大放出。
シリンが前線に出た事で無防備となった大切な家族を背に守っていたおっさんは、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
出し抜けの雄叫びに驚く姪っ子に詫びの一言をかける男の眼光は、憤怒に染まって紅く燃えるかのよう。
元からはち切れんばかりであった筋肉がさらに膨れ上がり、せっかく着た服が全て弾け飛んで再び腰布一枚という格好にとんぼ返りだ。
とはいえ。
今度のおっさんは、さっきまでの目を背けたくなる醜態とはまるで違う。
明らかに歴戦の強者の波動を五体に巡らせて、荒ぶる気炎を吐きながら大地を振動させて歩むおっさんは一度大きく沈みこんだ後、激情のままに兵士の群れへと鬼神のごとき突貫をかけた。