第44話 『二歩進んで、一発かます』
幸運を自称する男ウンドコが口にしたのは、ひとりの少女の名。
この場の誰もが、 耳をくすぐる美物とそれを発した汚物のギャップに苛まれ煩悶する中で、唯一彼女だけは眉目を鋭利に尖らせる。
「何の用......? 私は、二度と会いたくなかったよ?」
「ふふん。相変わらず無愛想な女だ。この俺様がわざわざ来てやったのだから、感謝するのが当たり前だというに。お前はすでに俺様のモノなのだぞ?」
「意味が分からない......」
自発的に道を開ける兵士達には目もくれず至近距離まで近付いてきたウンドコは、おそらく本人的には最高のキメ顔で流し目を送っている。
もっとも、間隔のおかしい目の配置のせいでどこを見ているのか分かり辛いが。
「分からないだと? ......誰のおかげで、まだ剣聖候補に納まっていると思っているんだ、シリン?
俺様だ! この俺様の慈悲のおかげで、何の価値もないお前はまだ生きていられるんだ!
だったら黙って従え。所有物は所有物らしく、主人の言う事をただ聞いていればいい」
「それはあなたの勝手な言い分......そういう所が本当に、キライ」
無駄に一部を除いた全身からキラキラとオーラを放つ男は、非常に自己中心的な主張でシリンを押さえつけようとしている。
端々に感じられる独占欲と奇妙な顔の造形にさえ目を瞑れば、相当な美男子(?)に束縛されるかに似た状況。
もしシリンが極一部のマゾっ気に快感を覚える性質の持ち主であったなら、この状況はひとつのご褒美であったかもしれない。
しかしながら決してそうではないようで、今のシリンは身体中から隠す事なく嫌悪感を剥き出しにしていた。
仮に彼女が猫であったとしたら、毛を逆立ててフーフー威嚇する姿を見る事が出来たであろう。
「え? なに? あれ誰ですか? すごく気持ち悪いんですけど......?」
「......俺も見たのは初めてだけど、あの名前は有名だ。
確か、ウンドコ=カストロムだっけか。剣聖の次男、じゃねえかな......?」
「ええっ! あんな汚い顔してるんですか!? 剣聖ってもっとこう.......。なんか、普通にがっかりです......」
そんな二人のやり取りを後ろから見ていた尻が、隣の野菜にヒソヒソと暴言を吐く。
自分に正直過ぎるフュフテを見て、「ひでぇ、と言いたい所だけど気持ちは分かるぜ?」と同調するマイケル。
共に英雄的なものに憧れを持つ年若い少年たちにとって、剣聖という存在に連なる者があれほど珍妙な容姿というのは、本音がダダ漏れになる程に残念なのだろう。
「それで、そのウン......ウンカス? さんは、シリンさんとは一体どういう?」
「あーー......うん、俺はよく分かんねぇ! けど結構複雑な感じらしい、ってのは聞いたことがあるぜ?」
胸を張ってしたり顔の野菜を見て、フュフテは静かにため息をつく。
全然役に立たないマイケルから名前以上の情報は得られない、と悟った尻は、徐々に熱を帯び始める剣聖候補者同士の会話に耳をそばだてた。
「私は......自分の力で剣聖候補に選ばれた。確かに今はまだ力をうまく扱えないけど、可能性を認められたんだって、枢機卿さまもそうおっしゃって......」
「可能性だとッ!? そのみっともない、クズのような能力にか!? 何年も成長の兆しも見えないのは、お前が一番よく知っているだろうが。
初代剣聖と同系統でありながら、たった一本の脆弱な剣を四度生んで終わりの紛い物。
そんなもので剣聖を目指せると本気で思っているのか? いやはや、なんとも滑稽な女だ」
「ッ!! う......」
ウンカスに一刀両断されたシリンは、それが図星だったのか。
二の句が継げない彼女を目にして、下水道を徘徊するドブネズミのような口を卑しげに吊り上げる男は醜悪そのものの姿で。
そんな美と醜が混在するウンカスを見ていたフュフテが、なんだか吐き気を催してきたタイミングで、
「い、言い過ぎだと思いますッ! シリンは、すごく頑張ってるんです! 彼女を悪く言わないでっ!」
もう我慢の限界だという声が、後方から飛んできた。
ウンカスを含めた皆の視線の先には、ついさっきまで違う種類の頑張りを見せ過ぎたせいで皆に悪く言われていた女が。
「やめろメイ!」と、その行動を咎める叔父の声で我に返ったビチっ子に目を細めるウンカスは、
「ほう。ゴミの分際で俺様に意見しようとは......とんだ愚か者もいたものだ。
おい、こいつが罪人か?」
「そ、そうです。今ちょうど事実確認をしている所でして......」
「たった今、それは不要となったな。この場の全員、有罪だ。まとめて捕まえろ。この俺様の決定だ、異論はあるまい?
ああ、シリンには手を出すなよ? アレは俺様が回収するからな」
おっさんのせいで肩を負傷した兵士に確認をとった後、独裁的な裁定を下し始めた。
当然のことではあるが、この決定に納得出来ない人物はこの場に大勢いる。
意外にも尋問を遮られた兵士も含め、賄賂を使ってでも切り抜けたかったおっさんもそうであるし、いきなり巻き込まれて罪人となったマイケルは言うまでもない。
姉を守るかのように自分の背後に庇うシリンはもちろん、「なんか大変だ!」と危機感が足りない尻もびっくりしていた。
また、周囲の兵士たちも急展開に戸惑うばかり、というこの状況。
そうして、突然与えられた命令と罪に驚き混乱する敵味方の全員を、満足気な表情で見渡していたウンカスだったが、その中からあるものを見つけて声を上げた。
「ん? ちょっとまて。妙なのがいるな? おい、そこのお前。そう、尻を丸出しにしている、お前だお前。
その金の髪と瞳......まさか、森の民か? 珍しいな......一体、この国で何をしている?」
「えっ? 僕ですか......? か、観光です......」
「嘘をつけ。そんな卑猥な格好で観光するやつがいるものか。怪しいな、お前......」
急に話を振られて硬直する尻はしれっと嘘を吐くが、あっさりとばれてしまいすぐさま挙動不審となる。
「ふん。大方、あの臭い枢機卿の手駒といったところか? よもや異種族にまで手を伸ばしているとは、何を企んでいるのやら。
だがしかし、ここで俺様に見つかるとは運がないな。
おい森の民、正直に目的を言え。さもなくばその身を真っ二つに割られても文句は言えんぞ?」
「ええっ......!? その臭い人、良く知らないんですけど......?
あと、大丈夫です! もう二つに割れてますので、お気遣いなく!」
「なんだとッ!? ふざけたやつだ......。
ッ! そうだ、ちょうどいい。お前にしよう」
ただ替えの服が無いだけなのに有らぬ疑いをかけられてテンパるフュフテは、自分でも何を言っているのか、もはや判別がつかない様子。
変な汗をかく怪しさ満点の尻を凝視していたウンカスだったが、
「兄に言われて仕方なく足を運んだ所で探していたものが見つかるとは、本当に俺様は運が付いていて怖いくらいだな。
おい森の民。お前を『聖戦』に出してやる。俺様の推薦だ。光栄に思え?」
「ッ!!! せ、聖戦ッ......ふ、ふざけないでッ!!」
「どうしたシリン。懐かしくて興奮でもしたか? なんならお前がもう一度出てもいいぞ?
もっとも、喰える身内はもう居ないだろうがな。はっはっはッ!」
唐突に謎の提案をしてきた。
それに即座に反応したのは、驚くことにシリンだ。
普段滅多に表情を変えない彼女が必死の形相で声を荒げる姿に、「聖戦って何ですか?」と首を傾げていたフュフテは飛び上がって驚く。
勢い余って首が攣ってしまい、痛みに悶えて震えるフュフテに対し、
「聖戦と大層な名で呼ばれているが、ようは只の罪人同士の殺し合い。愚かな観衆に向けた見世物にすぎん。
が、これが俺様は好物でな? 面白い素材同士を争わせるのが何より興が乗るのだ。
どうだ? お前はすでに罪人だが、その戦いに勝てば罪は帳消しになるぞ。有り難いだろう?」
聖戦の概要について説明し、勧誘するウンカス。
彼の愉快で不愉快な面を見るに、本気で己の提案が素晴らしいものだと思っているのは想像に難くない。
それを見て、フュフテはひとり考える。
ーーこれはいったい、何の話だろうか?
目まぐるしく状況が移り変わり過ぎて、全く事態が飲み込めなくなってきた。
少し、整理してみよう。
まず、自分たちはシャルロッテに言われて通信の魔道具を買いに来た筈だ。
経過した時間を考えれば、ちょっとしたおつかいを済ませて、新しい服を選んでいるくらいの頃合いではなかったのか。
それがどうだろう。
店についたら熊のようなおっさんが人を殺しそうになっていた。
その上男女のあられもない声を無理矢理聞かされるという流れには、本当に驚かされる。
直後兵士に尋問される中、おっさんの変態的踊りからのビチっ子の異臭騒ぎ。
正直、この時点で意味が分からない。
いまだに、魔道具の「ま」の字も出ていないのだ。
出ているとすれば、まともじゃないの「ま」くらいのものだろう。
それだけでもうお腹がいっぱいなのに、今度は格好いい醜男が登場。
その余りにちぐはぐさに吐き気を覚えていたら、何故か罪人にされて、自分だけ殺し合いの会場に連れて行かれそうになっている。
「なんですかこれ? 僕、何か悪いことしましたか?」
変な方向に曲がってしまって痛みを訴える首の付け根を押さえて、周囲をそっと見渡す。
どうやらウンカスとシリンは最悪の決裂を起こしたようで。
互いの陣営に分かれて向き合う現況は、まもなく起こるであろう力づくの交渉に発展間違いなしだ。
なんだこれは?
自分はただ、新品の服が欲しかっただけなのに。
そもそも、本音をいえば服もどうでも良かった。
今は、お尻が、大変なのだ。
それが一番重要なことで、余所事にあまり集中出来ない。
駄目だと分かっていても、どうしても気持ちが切り替わってくれない。
考えれば考えるほどに、深く深く沈んでいく。
自分のことで精一杯に。視野は狭まり、思考は停滞を生んで。
そうして、ふと気づく。
この状態は、覚えがあるものだ、と。
ほんの少し前。
まだ自分が、尻から魔法が出る事をひた隠しにしていた時分。
周囲の状況よりも、自分の秘密で精一杯だったあの頃。
当時は、自分が無力であると信じて疑わなかった。
結果、大事な存在を失いそうになる失態を犯してしまったのは、懐かしいというには些か新鮮に過ぎる記憶と感慨だ。
繰り返してはいけない。
あの時に、決めただろう。誓っただろう。
もう二度と、後悔や嘆きに囚われて下を向いて歩く事はしない、と。
後ろ向きに生きても、何も生み出す事はないのだ、と。
失敗から学んだのに。
もう克服したと。変われたと、思った筈なのに。
気がつけば、いつの間にやら来た道を引き返そうとしている。
変わる事は、なんと難しいことか。
一度染み付いた悪癖は拭い去る事容易ではなく、ふとした狭間、無意識化の行動の折々で顔を出し、幾度も幾度も成長の停滞を促してくる。
油断、慢心、増長、過信、驕り、侮り。
似たような意味合いを持つ言葉が、何故いくつも存在するのか。
ひとつだけでは、気付くのに到底足りないからだろうか。
ならば、一体いくら戒めを積み重ねれば、それらに呑まれることなく己を律する事が出来るというのだろう。
修行によって力を得たことで、自分は特別になれたと思っていたのかもしれない。
あの悪魔との戦いを経て、知らず知らずの内に「自分は凄いんだ」と、そう勘違いしていたのかもしれない。
だからこそ、こうして落差を感じて気落ちしているのだ。
「こんなんじゃない」「本当の自分は違うんだ」
そんな風に。これでは、以前と何も変わらないではないか。
そこまで思い至ってフュフテはもう一度、顔を上げる。
求めるものは、身体的な強さではなかった。
変えたかったのは。
変えるべきは、心の強さにあったのだ。
奇しくも、今の自分は身体的には大きく弱体化してしまっている。
どんな綺麗事を並べた所でこれから先、強い戦闘力は必要となってくるのは事実。
当然、何としてでも力を取り戻す方針は変えられない。
だけど、それだけでは駄目だ。
本当の「強さ」を得るには、自分の根本的部分を研磨しなければいけない。
それを鍛え上げて初めて、正しく「変わる」事が叶うのかもしれない。
ならば、この目の前の試練を如何に乗り越えるか。
まずは、そこからはじめようーー。
どこか投げやりな雰囲気を纏っていた尻が、自身のひび割れていた部分を見つめ直したことで、ほんの少しだけ潤いを取り戻す。
いよいよ言葉を交わすのに飽いた者たちが鋼で語り出す前触れを嗅ぎ取って、フュフテは気合の一発を尻からぶちかました。