第43話 『邂逅』
二階から降りてきた黒髪の女性の登場により、おっさんの濃密な舞は終わりを告げた。
一部を除いて観るものに異様な感想しか抱かせない光景を、もう目にしなくてもよい事に心底安堵する面々は、
「私のせいなのね? ごめんなさい、叔父さん......」
地べたにしゃがみ込んでしまったおっさんの側に寄り添い、そっと助け起こす姪っ子の姿に視線を集中させる。
おっさんは不甲斐ない自分を責めて顔を歪め、姪っ子は自身の行動で叔父に迷惑かけた事を悟り目尻を濡らしていた。
その情景は互いを想い合う、血は繋がっていないながらも家族の絆を確かに感じさせる美しいものであったが、立ち上がる際に彼女からブワリと発せられた臭気により、突如として台無しとなってしまう。
ーーッ! なんだッ? この匂いは......!?
狭い店先ということもあり、割と大人数が密集する中心から発生した臭いに鼻を摘むフュフテ。
なんだろう......これは、どこかで嗅いだことのある匂いだ。
いや。
あまりはっきりと思い出したくはないが、どこかというか故郷のお姉さんの部屋で割と頻繁に充満していた香りだった。
無知な自分の好奇心の問いかけに、「オトナの香りよ? 詳しく知りたい?」と妖艶な笑みで返してきた彼女に対し、当時の自分は全力で首を横に振ったものだが、状況から考えてこれは同種のものと考えるのが妥当。
男女の営み特有のなんとも鼻に付く、しかも出来立てほやほやの新鮮な風に困惑していると、
「うっ......メイさん......そんな、やっぱりそうなのか!? ちくしょうッ! あの清楚なメイさんが!!」
「すんすん......あれ? この香り、覚えがある。前にマイケルが出してた匂い、だよね? 違う?」
すぐ隣からマイケルとシリンの声が。
マイケルに関しては、宿屋の息子であることから必然的に察したのであろうか。
どういう感情をビチっ子に抱いていたのかは不明だが、とてもショックを受けている様子。
もし、自分と同じように憧れのお姉さんの変貌に衝撃を受けているとしたら、激しい共感とともに一抹の同情を禁じ得ない。
一方シリンの方は、随分と鼻がいいようだ。
可愛らしく鼻腔をピクピクさせて首を傾げている事から、本当に分からないのかもしれない。
自分がとうの昔に失ってしまった純真無垢さを瞳に宿す彼女に、ある種の眩しさを感じて頭が痛くなってしまいそうだ。
だから、そんな澄んだ目でこっちに確認を問うのはやめて欲しい。
おそらくは迷宮内で階段を転げ落ちた後にマイケルが下半身から漂わせていたモノを言っているのだろうが、別の香りも混じっているからそれについても説明することになる。
そんな苦行は真っ平御免というものだ。
ひとまずは曖昧な答えをシリンに返したのち、ある想いを胸に宿す。
彼女の周囲には、変態が多過ぎる。
このままではいずれ、シリンまで自分の大嫌いなビッチと化してしまうに違いない。
それは何としても防がなければいけない。
教育に悪いものは、極力遠ざける!
それが、新しい仲間としての自分の大事な役割だ! ーー。
本題から著しく脱線した決意を胸に抱いた尻は、自分が常日頃から下半身を丸出しに生活している事も忘れて、卑猥からお姫様を守る「性教育の騎士」を気取っていた。
※ ※ ※ ※
「それで、娘よ。お前が騒音の原因ということで間違いはないか?
付近の住人の証言から、今この家には姦淫罪の疑いがかけられている。レアオス教徒であれば、それが何を意味するか分かるな?」
「ッ! はい......。でも! 罪は私ひとりのものです! 叔父さんは勿論、あの人にも関係はありません!」
先程家屋に踏み込むと述べた兵士の尋問に、ビチっ子メイが弾かれたように顔を上げる。
「あの人はさすらいの旅人。この国の民ではありません。ですから、どうか見逃しては頂けないでしょうか!?」
「それは......無理だ。例え他国のものであろうと、この国で罪を犯したのであれば法に従い裁きを受けるのが道理。
例外は、作れない。残念だが、諦めてその者をここに連れてきてはくれまいか?」
国教であるレアオス教の聖典では、既婚者の不義に加えて男女の婚前交渉の類いを禁忌としている。
この事項だけでなく、聖王国のあらゆる法の制定は聖典を基準にして定められているのだが、それは信仰の有無や出自に関わらずこの国で行動する者全てに適用されるのだ。
為政者の都合のみに重きを置いた、ある意味この国に相応しいシステムであるとも言えるだろう。
青い顔で固まるメイっ子を見て、幾分気の毒そうな表情を作る年嵩の男は、マイケルの父のように良識を持つごく少数のまともな兵士に見える。
その後ろに付き従う、やる気がなさそうに目の前の若い女の肢体ばかり眺めている男たちとは違って。
「......いくらだ?」
「何?」
「いくら払えば、見逃してくれる? こんなことはしたくねえが、俺にとってメイは大事な家族だ......ッ!
店の物全て持っていっても構わん、頼む! ここはひとつ、目を瞑ってくれねえかッ!?」
「叔父さんッ!!」
突然の重低音の声と一緒に、肩に置かれた手の持ち主に兵士が顔を向けると、そこには手負いの獣に等しい眼光を秘めた巨漢が。
苦渋に満ちた声音が続くのに平行して、ミシミシと握力を増す五指に左肩を潰されそうになった男は、声にならない悲鳴を上げる。
メイっ子の制止を振り切り兵士に詰め寄るおっさんは、意に添わぬやり方を行使してでもこの状況を切り抜ける覚悟のようで。
「ぐっ......! 何を、言っている!? そんな事が許されるはずがないだろう! この手を離してくれ!!」
「そんな建前はいい! 俺たちだって無知じゃあねえ......そういうやり方が裏でまかり通っている事ぐらい、知ってるんだ!
なぁ......頼むよ、大切な姪なんだ......こいつまで失ったら、俺はもう生きてはいけねえ......ッ!!」
「だ、だがしかし......」
不正を頑なに拒む兵士に畳み掛けるおっさんは、なり振り構わず悲痛な叫びを口にする。
おっさんの想いを乗せた岩の如く巨大な拳は、すでに中の骨にまでめり込んでいるのだが、それでもなお首を縦に振らない男は相当な正義感の持ち主のようで。
しかし額に大量の脂汗浮かべている事から、かなりの痛みを生じていると見える。
一見すれば拷問に近い光景であり、一体どちらが追い詰められているのか錯覚しそうになるが、誰もそれを止めるものはいない。
後ろの数人の兵達は降って湧いた臨時収入の可能性に喜び勇んで、「早く了承しろよ」といった目で男を見ているし、フュフテ達にしてもおっさんの覚悟とお金で解決するのならまだマシだ、という思いで制止が出来なかった。
そうして、このままではひとりの男が重傷を負ってしまう、という寸前になって、
「何を遊んでいるッ! 貴様ら......この俺様の時間を無駄に浪費させるとは、まさか死にたいのか?」
傲岸不遜甚しい台詞が、少し離れた所から響いてきた。
この場の誰もが接近に気付かなかったその声の主は、急に強く差した日の逆光で顔がよく見えないながらも、肩までかかる美しい黄緑色の髪をサラサラと靡かせて、徐々に歩き近づく。
「ウンドコ様......も、申し訳ありません! 少し、手間取っておりまして」
「手間取るだと? 俺様の用事以上に優先するものがこの世にあるのか? 馬鹿め」
ウンドコと呼ばれた男は上から目線の物言いにも関わらず、その類い稀な美声によって不思議と人を従える雰囲気を感じさせる。
比較的緩めの聖職者らしきローブを着ていてもはっきりと分かる、均整のとれたスタイルの良さに驚くフュフテ達は、
「サカった雄と雌を捕まえるだけで何をモタつく事がある? 関係者まとめて引きずり出して連れてくれば済むだろう。この無能共が」
間近でウンドコの顔を見たことで二重の驚愕に支配された。
よく目を凝らして見なければ、開いているのか閉じているのか判別できない極小の目らしきものは馬の面かと思う程離れている。
低く潰れた有るかどうかもわからない鼻は、それでちゃんと呼吸の役目を果たせるとでもいうのだろうか?
そんな目鼻に比べて異様にデカイ口は、腫れぼったく品のない、なのに無駄に発色だけは良い唇から不揃いな歯並びを覗かせていて。
美麗なシルエットからの期待を悉く裏切る、神の造形に真っ向から喧嘩を売るようなウンドコの顔立ちは、一言でいうとびっくりする程不細工であった。
「ほう? これはこれは。こんな所でまた逢えるとは......。
やはり俺様は幸運の神に愛された男だな。そうだろう、シリン?」
フワフワな髪を優雅にかきあげて、にちゃりと笑うウンドコは、野菜顔のマイケルの方がよっぽどマシと思えるくらいに冒涜的な気持ち悪さで、身構える美少女に情熱的な視線を注いでいた。




