第42話 『おっさんラッシュ』
悲しいまでに現実を突きつけてくる雄と雌の交わりの産物。
階下に佇む者たちを下世話に上書きして耳の奥底まで官能を焼き付けた後に残るは、異様なまでの静けさであった。
誰一人として言葉を発するものはいない。
椅子に腰かけ巌のように微動だにしないおっさんはもちろんであるし、彼を取り囲む三人の少年少女においてもそれは同様。
だがそれも、必然というものかもしれない。
互いが互いに、精神上このうえなく手一杯なのだ。
おっさんは、目に入れても痛くないくらいに可愛がっていた姪っ子の変貌に、嘆きと怒りで我を忘れて。
未成年者たちは、偶然とはいえ他人の情事に首を突っ込んだ挙句、赤裸々な痴態を目の当たりにした事で茫然自失。
これでどうして会話など続けられようか?
幸いにも、階上で再び二本目の一服が始まる気配が感じられないことだけがせめてもの救い。
ひょっとすると打ち止めなのかもしれないし、単なる小休止なのかもしれない。
そうして皆が皆、一様に固まっていると、
「おい、お前達か!? この近隣で騒音の原因となっているのは!?」
出し抜けに背後から鋭い問いが発せられて、次なる厄介ごとが動き出した。
振り返った先には数人の兵士たちが集っており、各々が以前詰所で見たのと同じ武装をしていることから、わざわざここまで足を運んで来たのだろうか。
先頭の年かさの男の言い分からすれば、ひょっとすると付近の住民から通報でもあったのかもしれないーー、そうフュフテは思った。
「なんの話だ? 全く身に覚えがねえな。人違いじゃねえのか? 兵士さんよ」
「店主。今さっきあれだけの騒音を店から出しておいて、シラを切るのは少し無理があるぞ? 五軒ほど離れていても響いてきたくらい、凄い声だったからな......」
相手の問いに対してさらりと嘘を吐くおっさんを見て、フュフテはびっくりする。
「どの口が言うのか!?」と。
おっさんはどうやら、今の自分の状態を正しく把握出来ていない様子。
自分では平然を装っているつもりらしいが、そんなに血走った目をして日常を過ごしている奴はいない。
面倒ごとを避けたいという気持ちはよく分かるが、いくらなんでも「知らない」はやり過ぎだ。
ついさっきまで血の涙を流していたおっさんは、ワザとらしく大きな欠伸で眦の濡れを誤魔化しているが、残念ながら誰ひとり騙されてはくれないだろう。
商人としては一廉の人物かもしれないが、演者としてはとんだ大根役者であったらしい。
当然、熟練を思わせる兵士の男もあっさりとおっさんのヘタクソな演技を見破ったため、疑いは全く晴れていないようだ。
彼の中ではすでに疑いという段階ではなく、確信まで来てしまっているに違いない。
「ここ数日、悲鳴のようなものがこの店から聞こえ続けている、と訴えがあったんだ。何かしらの事件の可能性もある。
とにかく、一度中を調べさせてくれ。やましい事がないのなら、構わないだろう?」
「だからッ! そんなおかしな事にはなってねえッ! そうだ! あんたらの聞いたさっきの悲鳴も、出したのは俺だ! いいか? 見てろ!?」
兵士の確認に対し、何がなんでも家に踏み込ませたくないおっさんは、急に椅子から立ち上がると訳の分からない事を言い出した。
「絶対違うだろ!」と皆が気持ちをひとつにする程に苦しい言い訳であっても、おっさんの中ではこれでイケると踏んだのか。
多くの人目のある中で、漢らしさに満ち溢れた肉体が有言実行に移る。
おっさんの血走っていた瞳が、何故か円らな雰囲気をかもしだす。
荒れた唇は舐めまくったせいか、今だけはやたらと濡れ輝いていて。
膨れ上がった胸筋に逞しい両腕をぎゅっと寄せ、一本がマイケルの胴回りくらいありそうな極太のフトモモを内股に寄せたおっさんは、
「はあ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーん゛ッ! イッ......く......ラァァァーーーーッシュッ!!」
野太い嬌声をヒゲ面から発して、クネクネとシナを作り始めた。
突然そんなものを無理やり見せられたせいで、それぞれが絶望的な表情となる。
マイケルは今にも吐きそうな顔となり、シリンは両手で口元を抑えて一歩後ずさった。
兵士たちも、この世のものとは思えない不思議な圧力に屈して、二の句が継げないようで。
さきほどとはまたひと味違う異質な沈黙の中、おっさんの肉体だけが躍動を見せ、止まったら死ぬとでも言うようにクネクネを披露し続けている。
誰しもが目を覆いたくなる悲惨な光景。
ところがこの醜い風景の中で、フュフテだけはひとり感動の涙を流していた。
なぜならば、誰かのために屈辱的な姿を晒す男に、心からの讃美を送っていたからだ。
ーーきっと、このおっさんは姪っ子を守りたいのだろう。
詳しくは知らないが、大抵の宗教は淫乱な行為に非常に厳しいものだ。
ましてや宗教国家であれば、近隣に影響を及ぼす程の不謹慎な行為など、罪に問われる可能性が高いのではないか?
ひとりの旅人によって罪人へと落ちそうになった身内のために、おっさんは今必死に身体を張っている。
その行動の原点は、尻という恥部を丸出しに戦う自分と同じものだ。
たとえ誰に蔑まれようとも、自分だけはおっさんを肯定してあげなければいけない。
それが、どんなに気持ちの悪い姿であったとしても。
ぽたぽたと落ちる雫を強引に袖で拭い、尻は不満をひとつこぼす。
これだから、自分はビッチが嫌いなのだ。
ビッチは自分の事しか考えない。
気持ち良ければそれでいいのか? そのビッチ行為のせいで、周囲の人たちが苦しむことだってあるのに、どうしてそれが分からないのだろう?
正確に言うならば、姪っ子さんはビッチではないかもしれない。
ひとりの男に入れ込みすぎて、少し理性の箍が外れているだけなのかもしれない。
だけれども、現にこうしてひとりの叔父が苦しんでいる。
世間様におぞましい肉体技を披露しなければいけないくらいに、酷い目に合わせているのだ。
ならばそれは、ビッチと何も変わらない。ビッチ予備軍といってもいいくらいだ。
「人に迷惑をかけずに、気持ち良くなりなさい」
自分の先生である、かの痴女が常々そう言っていたのをふと思い出す。
一聞すると卑猥な発言に聞こえるが、突き詰めれば正論のような気もする教えだ。
彼女の目付きはいつも妖しかったし、鼻息荒くやたらと密着してくるものの、ちゃんと一線だけは守る人物の言葉には重みがある。
稀に「この子を頂戴!」と母ニュクスに詰め寄り壮絶な戦闘へと発展することはあったものの、結果的に自分は未だ清いままなのだから、彼女の指導はたぶん正しいのだ。
是非ともビチっ子さんには、この言葉を届けてあげるべきだ。
よし、それがいい。そうしようーー。
人知れず謎の決意を固めた尻は、独特の偏った思考で結論を出す。
正直フュフテの持つビッチへの偏見は、誰かが修正しないと不味いレベルに達しているのだが、それを成せる人物は早々いない。
そもそも、ビッチについて人前で語る機会など人生でそう幾らもある訳がないのだから、こればかりはどうしようもないのかもしれなかった。
「叔父さん、どうしたの? とても騒がしいけれど......?
ッ! なにそれッ! 気持ち悪いッ!! 本当にどうしたの、叔父さんッ!?」
そうこうしている内に、階下の喧騒に不審を覚えたのか。
この騒ぎの元凶である張本人が、タンタンと階段を鳴らして姿を現す。
自然と皆の視線を集める事となった彼女の姿は、一言でいうならば「艶っぽい」が適当であろう。
こちらを見返す目元は涙袋が目立つ垂れ気味のもので、しっとりと濡れたままの睫毛と合わさるとより扇情的な視線に。
軽く結い上げられた黒髪からうなじへと落ちる後れ毛が汗ばんだ肌に数本張り付いており、ほんの数刻前の激しさを暗に想起させるようで。
所々はだけた衣服から上気した柔肉が覗き、それ以外の部分も厚みが少ないせいか肢体の起伏を生々しく伝えている。
「メイお前ッ! 何故降りてきた! なんて事だっ......! もう少しで、隠し通せたのに......ッ!!」
「いやー、おっさん。それは無理だったと思うぜ?」
滑らかに肉体を動かしながら器用に服を脱いでいたおっさんは、現在腰布一枚という小汚い格好となっており、全裸まであと一歩というところ。
どこをゴールとしていたのかは定かでないが、ビチっ子の登場により彼の決意は道半ばで潰えてしまう。
左右に振りに振っていたムキムキの腰を力無く落として、おっさんは悲痛な表情で頭を抱える。
どうやらマイケルの口出しも耳には入っていないらしい。
普段厳格な叔父の、ありえない狂態。
国の兵士たちが店を囲む、異常事態。
顔見知りの少年少女の、なんとも言えない視線。
何かを伝えたそうに口をパクパクさせている、初対面の女の子。
そこまでを目にしてビチっ子メイは、ようやっと自分の身に降りかかる危機を認識し、過度の運動で火照っていた肉体が急激に冷めていくのを感じて両腕を搔き抱いた。