第33話 『汁だくだく一丁』
「なんという尻だ......ッ! 常識を疑うな、これは......」
正面遠くの壇上で、驚異的な破壊魔法を悪魔にぶっ放したフュフテを見て、バニードは感嘆の念を抱く。
あの少女曰く、「自分の魔法は尻から出る」との言もあってか、そのあまりの不可解さのため攻撃魔法には然程期待をしていなかった。
しかし目の前でこれ程の腕前、正確には「尻前」を見せられれば、その判断は早計であったというほかないだろう。
バニード自身も魔法について多少の心得はあるので、フュフテの尻魔法が非常に優秀である事が理解出来る。
通常の手から出すというのに比べて、魔力を十全に使いこなせるポテンシャルを尻に感じて、
「尻魔法士、か。新しい時代が来るかもしれんな」
そう呟きつつ三体の亡者を薙ぎ払ったバニードは、まだまだ視界を埋め尽くす死者たちへと向けて、うんざりと言いたげにため息をひとつ。
フュフテが悪魔に当たった事で死者の供給が止まり、ようやく状況打開の兆しが見え始めたものの、この量を殲滅しきるには多少の時間がかかる。
最も、自身の『切り札』を切れば直ぐにでも終わらせる事が可能だが、こうも全身に亡者がたかるように取りついてくる状況では、それも難しい。
「まったくもって、忌々しい制約だ......」
またひとり亡者を斧で切り捨てて、その返り血を浴びた黄金色の鎧に向けて舌打ちを。
『切り札』発動に欠かせない、代々受け継ぐこの鎧の秘めた力の解放を今は諦めて、
「マイケルッ! 死体が邪魔だ、魔石を頼む!」
「っ! 任せてくれ、隊長!!」
入り口付近で屋外の亡者と切り結ぶサマンサを眺めていたマイケルへと指示を。
弾かれたように振り返ったマイケルは大きく頷くと、懐から小振りなナイフを一本取り出し、鞘から抜いてバニードの近くに転がる死体の元へと走る。
膨大な数で足場を埋めつつあるその内のひとつに屈み込み、胸元に刃物を突き立て魔臓の成れの果てをえぐり出す様は、随分と手慣れた所作だ。
迷宮探索に必要な荷物を運ぶという仕事の他に、マイケルのもう一つの主要な役目。
この「死体から魔石を採取する」という行為が、一見ただのお荷物でしかない様に見える彼の大事な任務だ。
バニードの闘いに巻き込まれないよう留意しながら動き回るマイケルは、魔石を次々と掘り出して行く。
すると、マイケルによって魔石を摘出されたものから順に、原型をボロボロと崩して塵と化していった。
「うおおぉぉ! 俺の華麗なナイフ捌きを見せてやるぜッ!」
存外に素早いその動作は、まるで黒い油虫が這い回る姿を連想させる俊敏さで、四つ足でカサカサと獲物を物色しては魔石の捕食を繰り返している。
そのおかげで生まれたスペースを上手く利用し、バニードは戦闘をより有利に展開。
何処と無く嫌悪感の漂う動きで野菜から昆虫に進化したマイケルが、はじめて役に立った瞬間でもあった。
「......気持ち悪い。マイケルは」
たまたま鎧戦士と立ち位置を入れ替えたことで、否応無しに背景でカサカサするマイケルを目にしてしまったシリンが、細く繊細な眉を潜めて嫌そうに漏らす。
過去に幾度も見ているとはいえ、昆虫類が非常に苦手なシリンにとってあの動きは鳥肌ものなのだ。
「斬ってもいいかな......? ううん、ダメだよね、やっぱり。無駄遣いする訳には、いかないし」
反射的に光剣を出しそうになる自分を抑えて、シリンは意識の外に油虫を追い出そうと苦心する。
シリンの剣の能力は、一日に四回の使用が限度。
最初の鎧戦士で既に二度使っており、残りは二回に。
一度使用する毎に莫大な魔力を消耗するため、最後の一回を使えば魔力切れで気を失ってしまうぐらいに燃費の悪い能力であり、実用性を考えれば三回目で留め置くべき代物だ。
ゆえに、幾ら気持ち悪い生物が近くを這い回っていると言っても、無闇矢鱈に発動すべきではない。
ましてや、この剣でしか倒せない相手が目の前にいるのだから尚更。
「うん。フュフテに、後で燃やしてもらおう」
閃いた名案に、パァっと顔を明るくするシリンは、つい先ほど昆虫を焼却するのに充分な火力を生み出したフュフテを思って、問題の解決を図る。
気分をスッキリさせたことで、再び自分の持ち場に集中し出したシリンは、絶対に外せない三回目の光剣を確実に当てる隙を作るべく、鋼の刃を引き絞って鎧戦士へと真っ向から仕掛けたーー。
そうして各々が戦局を前進させようとする中、ひとり慎重に尻を休ませていたフュフテは、火魔法による黒煙で隠れてしまった悪魔の挙動を警戒する。
「手応えはあった......! どうだ......?」
息もつかせぬ三連撃を見舞っての攻勢は、並みの相手であれば容易く葬り去る事が出来るだけの威力があった筈。
もちろんこの悪魔がその程度で沈むとはさらさら考えてはいないが、それなりに痛手を与えたと思いたい。
ある意味での試金石。
自身と相手の力量差を測るための、物差し代わりとなる攻撃でもある。
もしこれで、無傷であったならばーー。
「うっ!」
ゾクリ、と尻肌に怖気が走る。
次の瞬間、
ドピュッ! ドピュッ! ドピュッ!
眼前の煙を切り裂いて、時間差で撃たれた三つの塊が、高速でフュフテを襲う。
反射的に後方へ大きく飛び退いたフュフテが直前まで立っていた位置に、発射された第一射が着弾。
人の頭部ほどの大きさの透明な球体が地に触れると同時に、爆発を見せた。
直撃は避けたものの、至近距離の爆風に空中で押されたフュフテを捉える軌道で、続け様に放たれていた第二射がすぐさま接近。
今度は乳白色の球体で、触れればどうなるかは未知数。
空中で避ける事は、不可能だ。
「アアーッ!」
反射的に背中ごと倒れるように仰け反り、空中で尻穴を向けて魔力弾を放ち応戦。
誘爆を狙った一撃と白球が接触し起こった二度目の爆発は、さっきよりも大規模に。
「ーーッ!」
鼓膜が破れるかと思うほどの大音響に飲まれ、若干の被曝を受けながらも回避に成功したフュフテは、勢いよく背中から床に激突。
身体の痛みに息が詰まる中、そこにトドメの第三射が襲来。
一撃目と同じ透明な球体がまたしても爆撃を予感させるが、これは躱せない。
「暗ぱんさんッ!」
悲鳴混じりの呼びかけと共に、両手両足で身体を守り、尚且つ尻から強化魔法を大放出。
床に埋もれて亀のように縮こまったフュフテに球体が接触すると、予想通りの大爆発が発生した。
「フュフテーーッ!!」
着弾地点からもうもうと上がる爆煙に、ギャラリーが声を上げる。
同タイミングで、フュフテの初撃の煙幕から姿を表した悪魔が、意趣返しに満足した様子でゆったりと歩き出す。
その身なりは、今までと少し違っていて。
四つの内のひとつ、犬の頭部の口内からグロテスクな筒先が煙を上げていることから、三つの球体はここから放たれたのだろうか。
また、高級そうな襞襟は破れ長衣も同様に焦げており、中から覗く動物のような体毛が焼け縮れている事から、決して無傷ではなかったようで。
しかしながら、行動不能へと持って行くにはまるで足りないダメージの軽さに、それを目にしたバニード達は悪魔の強さを再認識した。
ふわり、と空気が動く。
動きがあったのは、フュフテを覆う煙たいモヤの中心。
間髪を入れず悪魔の猫面が、鋭利な棘棒を吐き伸ばし、高く振りかぶってそこに追撃を。
鞭で打つなど生易しいぐらいの打擲音と入れ違いに、悪魔目掛けて飛び出したのは、身体のあちこちに傷を作りながらも戦意充分な尻ドレスだ。
棘の鞭が引き戻されるよりも速く駆けて、果敢に攻めに転じるフュフテ。
そこから反撃に移行すると思われたが、
「うぶッ!!」
ドビュッシーッ!! と、だくだくな粘着音がとどろき渡り、フュフテの視界どころか辺り一面に濃厚な液体がぶち撒けられた。
悪魔の豚面が満を時して口から吐き出したのは、尋常ではない量の白濁した体液。
一向に止まる気配のない白の洪水に、フュフテはなすすべもなく再び地面にネチョネチョに突っ伏してしまう。
「ううっ......なにこれ、臭い、吐きそう......」
顔面からモロにぶっかけられて、そのまま全身を白くまみれさせたフュフテは、えづきそうになる悪臭と不快感に死にそうな声を漏らす。
だが、今は命を張った戦場の真っ只中。
泣き言など言っている場合ではない。
潔癖症の人間であれば発狂しそうになるぐらいの忌避感に耐えて起き上がろうとするが、
「うあっ! ぁ痛ッ!」
つるりと白液に足を滑らせてひっくり返る。
受け身も取れずに頭部を強打して転がる尻ドレスの足元はもちろん、悪魔を中心に四方八方が白の潤滑油に濡れており、もはや「白の結界」と言うに相応しい状態で。
「こんなんじゃ、まともに戦えない......!」
迂闊にその場から身動きが取れなくなったフュフテに、悪魔の人面がしてやったりと言わんばかりの笑みを。
そうして、すぐ右隣の猫面からは変幻自在で破壊力抜群な棘棒がにょろり、と。
左隣からは、卑猥な形状の筒先が再度の球体による爆撃準備を完了していて。
這い寄る死の危険から逃れるべく、誰かに助けを求めたい所だが、バニードもシリンも未だ交戦中。
自力でなんとかするにしても、足の機動力は失われて離脱は絶望的。
全力で防御に回ったとて、そう何度も耐えられる訳がない。
まぎれもない、絶体絶命のピンチ。
四つ首の悪魔が、予想外にしぶとさを見せた小物を処断する、決定的な終撃を放つ構えを見せた土壇場で。
「くっ......! やるしか、ないのか!?
肛門が死んじゃうけど、殺されるよりはマシだ.....。
頼んだよ、僕の、お尻......ッ!!」
濁った白汁とは別に、逡巡による汗を額から垂らすフュフテはーー。
この一年で培った修行の集大成。
自身の尻がぶっ壊れる前提の、危険極まりない最後の手段を。
悲壮な覚悟の中、「諸刃」の尻技を全開で解放した。