第32話 『どんな敵にも、挨拶は礼儀』
フュフテが衝動的な突貫を仕掛けたことで、戦況は次なるステージへと移行。
混沌を増し行く戦場の中、唯一高みの見物を決め込む四つ首の魔法士の相対者となるべく駆け出したフュフテが、戦局を大きく動かす重要な鍵を握るーー。
「やるしか、ない......ッ!」
足を一歩前に出す毎に踏み付けそうになる朽ちた肢体を選り分け、速度を落とさず駆け抜けながら、ひとつ高みに立つ魔法士から目を離さないように。
床に散らばる幾多の障害物のせいで一足飛びとはいかないものの、一定の速度で距離を縮めていくと、すぐ側で交戦中のシリンが。
新たな鎧戦士と鋼の剣を交わす彼女とすれ違う際に、意表を突かれたような眼差しを受ける。
「何をするつもり?」と物言いたげなシリンだが、すぐに鎧戦士の重い殴打の対応に追われてこちらと会話を生むことは出来ない様子。
同時に、大量の亡者に囲まれながらも自分の行動を目にしたのか、背後の遠くからバニードの制止の声も聴こえてきた。
その響きが少し焦りを含んでいることから、バニードにとっても自分のこの行動は予想の外にあったようだ。
だが例え皆に引き止められたとしても、自分はもう止まるつもりなど全くない。
遂にはこちらの動きに気付き、「来るなら来い」と余裕の表情を浮かべている悪魔へと特攻あるのみだ。
「くっ......!」
悪魔の四つの視線と正面から交差したことで、一瞬で尻穴がビリビリと震える。
もう目と鼻の先まで近付いた事で、容赦無く浴びせられる威圧感に似たものが、より増大したためだ。
厳密に言うならば、『魔眼』を使えない自分には悪魔の強さを正確に把握することが出来ない。
魔力を目に集中させることで相手の専有魔力を可視化し強さを測る『魔眼』は、尻にしか魔力を集められない自分には使えないからだ。
だが、抜かりはない。
こういう時のために、グググ先生の元で一年も必死に修行を積んできたのだ。
「相手の強さを把握出来ない」という戦闘の初歩の初歩である欠点をそのままにしておくなど、鬼教官のグググ先生が許してくれるわけがない。
こんな事もあろうかと、ちゃんと代替え的な技術を無理矢理に習得させられている。
今自分が尻穴の周りにまとっているのは、息を吸って吐くくらいに自然に扱えるようになった魔力の薄い膜。
ぴったりと肛門に張り付けて展開することで、対象から発せられる魔力を遠く離れていても敏感に察知する事ができるという技。
菊門のヒダを震わせることで、その振動の強さで脅威度を測定するという新しい発想。
ーー『新世界』
と自分が呼んでいる、魔眼ならぬ魔尻と言っても良い新技術だ。
もっとも、普通の魔法士にとっては何の役にも立たない技巧であるため、これを習得しているのはこの世で自分ただひとりであるのは言うまでもない事。
だとしても、自分にとっては大きな進歩である。
ケツの穴を大きく開いて『新世界ッ!!』と叫ぶだけで、今まで感じた事のない世界へと行くことが出来るのだ。
具体的な修行方法としては、グググ先生がその逞しい棍棒に強弱を付けた身体強化魔法を付与させ、自分の尻穴の前で威圧感を放つのを的確に感知・分析する、というやり方だった。
『習得出来ぬのであれば、直接我がお主の尻に教え込むぞ?』という恐怖の発言のせいもあってか、死に物狂いで習得に励むことになったのは語るまでもない。
万が一。そう万が一があった場合、とても人様にお見せできない光景と体験を生じてしまう危険性があったため、おそらく人生で一二を争う集中力を発揮したと思う。
そうして今現在、決死の思いで習得した『新世界』に突入して走りながら尻で感じるのは、悪魔の潜在的脅威が相当に高いという事実。
当然、生物最強である竜の化身グググ先生には遥か及ばないが、彼の毎朝のグググ体操の時に比肩するオーラを秘めているだろう。
分かりやすくいえば、グググ体操第一の「天と地の狭間」という動きくらいの威力だ。
そのガチンガチンに固められた強固な御身を上下に激しく往復させる体操は、すぐ隣に立つだけで風圧で飛ばされそうになる程にすごい。
一度何かの間違いでうっかり接触してしまった事があり、あの時は壮絶な威力のかち上げを喰らい雲に届く高さにまで上空へと打ち上げられて、軽く死にかけてしまったのだ。
その時のグググ先生に近しい圧力を悪魔が発している事から、無防備に一撃でも食らってしまえば同様の惨事となってしまうだろうと推測する。
そして、ここから始まるのは推測ではなく、体感を伴う実戦。
十段ほどの小階段を一息に駆け上った先は、悪魔の間合いぎりぎり一歩手前。
走力による慣性で流れる身体を足の踏ん張りで留めて、いよいよかの悪魔と至近距離で対峙する。
現状、この悪魔に当たれるのは自分だけ。
他の皆は、それぞれの相手の対処に追われているからだ。
その元凶となっているのが、この悪魔的容姿の魔法士もどきだ。
こいつが次から次へと亡者や鎧戦士を本から産み出しているせいで、戦況は膠着状態から一歩も前に進む事が出来ない。
むしろ、体力に有限があるこちらが徐々に追い詰められているといっても良いくらいで。
戦況を好転させなければならない。
手が空いているのは、自分だけ。
きっと、今までの自分なら。
戦うすべをまるで持たなかった今までの自分であったなら、こうして一対一で向かい合おうなどと考えもしなかっただろう。
基本的に、ただ見ているだけ。
幼馴染や母の戦う姿を、二人の探索者の男女の守り合う姿を。
要所要所で自分の出番はあったものの、あくまで御影草などの他者に主導される形であり、自分自身が主体ではなかった。
また、修行によって体術をおさめたといっても素手では攻撃力不足のため、悔しいことに本当の意味ではひとりで戦えなかったのだ。
けれど今はーー。
ちらり、と自身の黒衣装と、尻穴を除いて大事な部分を包み込んでいる黒の下着に思いを馳せる。
暗黒のぱんつーー「暗ぱん」さんが自分と一体化し強化してくれるお陰で、人体に風穴を空けられるくらいに力を得る事が出来た。
誰かの背中に頼りきりではなく、互いの背中を預けて助け合う関係。相棒そのもの。
彼を紹介してくれたシャルロッテには、感謝しかない。
今ならば、飛躍的に向上した体術と鍛えた尻魔法で、自分独自の戦い方を展開することが可能。
これで、いよいよ戦いのお膳立てが揃った。
ここまで場が整ってなお尻込みするなど、男としてどう考えても情けない限りで、そんな事は決してあってはならない。
今日が、自分を本当の意味で変える時。
戦士としての、初陣だ!
じわじわと広がる戦意を胸の内に描き、それを形にするため目の前の存在へと視線を向ける。
間近で見るその姿は、頭部から下が人に近い形を持っている事に違和感しか感じない、言い様のない異質さで。
小物が一匹這い上がってきたところで、どうということはない。
そう頭部の内のひとつ、脂下がった顔で自分を見下してくる人面に向かい、
「お前の好きには、させないぞ!」
心持ち胸を張りながらプリッ、と尻を突きつける。
「決まった......!」と少しばかりの満足感を得て、その驕り高ぶった視線を後ろ向きに見返してやったのだが、悪魔は奇妙な生き物を見つけたかのような表情を浮かべるばかり。
そのまま、自分と悪魔の間に静かな沈黙が流れる。
一体どうしたのだろうか?
まさか、自分の尻を舐めているとでも言うのか。
確かに、尻だけを突き出して格好いい台詞を放つ今の自分の姿は、お世辞にも勇壮とは言えない。
せいぜい迷走が良いところだ。
だけれども、この悪魔は知らないだろう。
尻が、どれだけ凄いのかを。
出す事に特化した器官から全力で捻り出した時の物体が、如何に常軌を逸しているのか。
そのまま油断しているがいい。
気付いた時にはもう遅いのだ。
名乗りがわりに目の覚めるような一発を。
走り馳ける最中に充填させていた魔力の波動を、今その眼に見せつけてやる。
まずは、あいさつがわりだッ!
「ああああぁぁーーっ! こんにちはッ!!」
緊迫感に沈んでしまわないように、喉奥から大きく声を発して。
気迫を込めた儀礼語と共に、真っ二つに割かれた桃色の土台中央からすさまじい火の手を。
余裕ぶっていた悪魔目掛けて放出した火炎が、尻穴から解放されると同時に螺旋の渦を描いて一直線に対象を飲み込み、辺り一面を壮大な火災現場へと作り変える。
「もういっちょ!」
灼熱の熱線によっていっぺんに上昇した周囲の気温のせいで火照り始めた尻は、いよいよ精力的に本領を発揮。
真っ赤な焔で視界がいっぱいになる中、それに巻き込まれているであろう悪魔へとお次の礼儀を見舞って、すかさず菊の砲身に魔法の弾丸を装填。即時にぶっ放す。
「こんばんはーーッ!」
ゴオオーー、と唸りをあげる暴風を、あまりの火勢に囲まれてろくに姿を見ることの出来ない悪魔へと追加で放射。
絶妙な風量と指向性を与えたそれで悪魔を中心として円形状に閉じ込め、内で荒れ狂う炎を煽り立てるのが目的。
尻越しに見える光景は、ド派手な一本の極熱の火柱を完成させて、呑み込んだ悪魔を獄炎で焼き尽くす。
突如として戦場に現れた地獄の業火。
火と風の共演により焦熱に立ち上る炎は、この場の皆の視線を釘付けに。
余波で巻き起こる熱風に煽られて黒髪をたなびかせるシリンはもちろん、もっと離れた位置にいるバニードやサマンサも驚きを隠せず呆気にとられて。
そんな彼らの驚愕の視線を背に感じながら、尻口の照準を火柱に固定。
溜め込んだ残りの魔力全てを渾身の大砲に書き換えて、火の柱の中にいる悪魔に向けて盛大にぶちかます。
「これで終わり......さよ、おならッ!!」
ボフンーーッ! と耳をつんざく砲音を打ち上げ、度重なる魔法の連射で開ききった菊門から極大の風砲弾を。
先ほど使用した、火勢を助長させるだけの目的であった暴風とは違う、純粋な破壊のみを内包した凶器の一発。
大気を切り裂き高速で発射された風玉は、垂直に立ち昇る火柱に真っ向から激突。
その特大の砲撃は、圧倒的な重厚感で衝撃を対象に打ち付け火勢ごと巻き込み、視界全てが真っ白になったと錯覚するほどの眩い閃光を四方に振り撒いて、直後に勢いよく爆散した。