第31話 『想いの一方通行』
自分ではどうあっても真似する事の出来ない冷厳な碧色の剣を目で追うフュフテ。
正確には真似しようとしても、精々が尻から一本の土色の棒を捻り出しカチカチに固めて振り回すぐらいしか出来ないだろう。
己の濁った剣とは美的にも性能的にもまるで別次元の澄んだ剣を羨みつつ、「みんな意外と出すの好きなの?」と割とどうでも良い疑問を頭に過ぎらせるフュフテだったが、
「あれ何なんですか? 魔法......じゃないですよね?」
「そうさね、あれはシリンの......というより、剣聖の資格者のみが持つ『剣』の能力だね。あの子は剣聖の候補者なんだよ」
「......剣聖? あれ? なんでしたっけ、それ......」
シリンが出したモノに興味を引かれてサマンサを見上げると、何処かで聞いたような単語が。
記憶を探って頭を捻るフュフテに対し、
「知らないのかい? この国出身じゃなくても、剣聖は有名だろうに!
剣聖ってのは、一言で言えばこの国最高の武力さ。それも桁外れの。王と並ぶ権力と武力で代々この国を守ってる存在さね。
シリンはあの能力を持っていたから、次代の候補の内のひとりとして選ばれたんだ。......それがあの子にとって、いい事だったかどうかは別にして」
「剣聖候補......すごいんですね、シリンさん」
サマンサが剣聖とシリンの関わりについての説明を。
実をいうと、フュフテはこの迷宮都市に来る前に武力大国の第三都市においてまさに剣聖その人と邂逅していたのだが、そんな事は彼の記憶には一切存在しない。
なぜならば、ちょうどあの時フュフテは目を潰されていたからだ。
グググ先生による怒りのアンモニア臭を両目に引っ掛けられて、尻水パシャパシャタイムに突入していたフュフテに、視界に遠く豆粒大に映る剣聖の姿が見える筈もなく。
その上、目が回復してすぐ鳥さんによって空の旅へと連れられてしまったため、フュフテは剣聖があの場に居たことすら認識していない。
よって、「どこかで聞いたことがある」くらいの認識であった。
「他の候補者、特に現剣聖の二人の息子にはまだ及ばないけどね、それでも充分にすごいよあの子は」
「そうなんですか......。でも、どうして急にあの剣を出したんですか?」
「さっき入れ替わる時に旦那が『普通の武器じゃ切れない』って言ってたからさ。あの子の生んだ剣なら、大抵のものは切れるからね。
ん! そろそろ動きそうだね!」
バニードと戦場を交代する際に、彼から鎧戦士の特性について聞いていたそうで。
フュフテも見ていたが、バニードの度重なる斬撃でも全く傷を負わせられなかったあの鎧を、シリンの特殊な剣ならば切る事が可能らしい。
こちらに背を向けたシリンと、右手に鋼鉄の太い打撃武器を持つ鎧。
眼前で向き合う二人の戦士の気が張り詰め、激突の予兆が垣間見えたのにサマンサが気付き目を凝らす中、フュフテもそれを追いかけると、瞬きをひとつする合間にシリンの姿がかき消えた。
「ーーえっ?」
驚きでパチパチと瞼を瞬かせると、いつ移動したのかシリンが鎧の向こう側に。
右手を振り切った体勢を取っているが、その手に光る剣の姿はなく、またしても無手の状態となった彼女を目にする。
直後ズドン、と少し離れた床上に何かが重々しい響きで落下を見せた。
音の発生地点には、持ち主から切り離された一本の腕が自重で床に軽く窪みを作っており、不細工な展示物のようで。
神速の一刀。
フュフテの目には切り落とした太刀筋どころか、シリンの身のこなしすら捉えること能わずに。
一滴の血も流れていないその茶褐色の金属塊から顔を上げ、もう一度光剣を生み出すシリンに射すくめられた、左肩から先を失った全身鎧へと視線をやると、
ーージュヴァッ!!
という熱線で溶解させられるに等しい濁音と共に、鎧戦士が正面に構えた鉄棍棒ごと腹部を一刀両断された。
胴体を断ち切った残心をのこす間も無く、気化するように立ち消えてしまった緑の光剣の残滓を右手に燻らせるシリンの背後で、一歩も初期位置から移動出来ず上下に分かれて崩れ落ちる鉄の巨体。
さきほど左腕が落下した時より余程大きな地響きで地に沈んだ鉄塊に、口を半開きに呆然としていたフュフテは、
「す......すごい。え、一瞬じゃないですか。なんですかその剣......」
光剣を霧散させてすぐ、地面に屈み込んだシリンへと驚愕の声をかける。
わずかふた振り。
二度光の剣を振るっただけで、呆気なく障害を排除してしまったシリンを見て、「バニードさんの苦労はなんだったのか?」と思うフュフテだったが、
「お疲れシリン。一撃目を外すなんて、あんたらしくもないね。危なかったじゃないか」
「うまく、間合いを、外されたから」
随分と荒い息で胸を上下させるシリンを見てその余裕の無さから、あの剣技が楽々振るえるものではない事に気づく。
現に、サマンサに支えられて立ち上がったシリンは額にかなりの汗をかいており、若干足元が覚束ない様子。
そんなシリンの肩を手で補助するサマンサは、「間合い云々はたぶん違うだろう」と考える。
確かにあの鎧戦士はそれなりの技量を有していただろうが、正直シリンの敵ではなかった筈。
にも関わらず初撃で仕留められなかったのは、シリンが頭に血を上らせ冷静さを欠いていたせいであろう。
早急に目の前の鎧を片付け、あの悪魔の元へと向かう事のみに捕らわれてしまう程に。
死者を玩具のように食い物にして使い捨てにするその姿がシリンの神経を逆撫でし、集中力を大いに乱したとも言える。
この国の支配階級とその奴隷に等しい民たちの関係を彷彿とさせるあの光景が、シリンの深く抱えているものを強烈に刺激したに違いないからだ。
「本当に、厄介な敵だったね......。それよりシリン。もう今日はあれを出すんじゃないよ? 精々あと一回。それ以上は、危険だよ!」
「......わかった。気をつける」
少し息が整ってきたシリンの顔を覗き込む形で念を押すも、視線を逸らして返事をするその姿はいまだ水面下で揺らめく殺意に濡れていて。
無理もない、と思いながらそれでも出てしまった溜息を見送るサマンサに、
「......? ちょっ!? サマンサさん! 不味いですよッ!!」
突然フュフテの焦りを帯びた呼びかけが。
壇上を見上げてぷるぷるしている桃尻の促す方向に目を向けると、ついさっきまで極上の見世物に上機嫌であった悪魔が、一転して不快さと癇癪混じりの形相でこちらを見下ろしていて。
フュフテの指し示す先にあるのは、悪魔が天に掲げ持つ、頁が全て破り捨てられ装丁のみとなった書物。
四つ首の魔法士の周囲におびただしい数の亡者がひしめいていることから、大量の召喚を行った光景をフュフテは目撃して焦りの声を上げたのだろう。
そうして、残った装本を悪魔が勢いよく地面に叩きつけると、
「ッ! 冗談じゃないよ......ッ!」
ひときわ禍々しい黒の煙が本を中心にして吹き出し、それが見る見る内に巨大な人型を形成。
生み出されたのは、見覚えがあるどころか今さっきシリンが消滅させたのと全く同じ。
光の剣でしか滅ぼす事のできない、茶褐色の全身鎧が、再び鉄棍棒を抱えてこちらへと動き出す。
それだけではない。
衆目の驚きを吟味するかの様相で挑発的に笑みを湛える悪魔は、自身の魔術師のような衣の胸元を大きく広げる。
見せつけるようにこちらに開かれた長衣の内側には、さらなる絶望が。
膨大な数の死者を呼び出し、装丁ですら不死身の鎧を生み出す悪魔の書物が、その内懐にいくつも納められていた。
真っ赤な三日月に口を歪ませる悪魔は心底嬉しそうに、フュフテたちの無駄な努力を嘲笑で労う。
所詮は己の手のひらの上であると、四つの声で高笑い、茶化し、囃し立てており、この場の見る者聞く者全てを侮辱していた。
「最悪だね。まさか一冊だけじゃなかったなんて......。
シリン、あの悪魔にはあたしが当たるよ! あいつの本を止めなきゃ、あたし達は力尽きて全滅しちまう。
あんたはもう一度鎧のやつを始末しておくれ。次は絶対に一撃で決めるんだよ、いいね!?」
「うん。でも気をつけて、あいつは」
「分かってるよ! あたしじゃそう長くは持たないだろうけど、なんとかしてみせるさね!」
暗にサマンサには荷が重いと告げるシリンに微笑みで答えて、いざ、という段になって、
「うおあああーーッ!!」
バタンッ! と盛大な音と一緒に闖入者の若者が二人、この建物の入り口に転がり込んできた。
「すまねぇッ! やっちまったッ!!」
必至の形相で開口一番に謝罪を叫ぶのは、助けを求めて来た若者と安全な場所で待機しろ、と指示を与えられた筈のマイケル。
その若者を引き連れて、何故か一番の危険地帯へと飛び込んできたマイケルの後方には、彼らを追って今まさにこの建物に入り込もうとする数十体の死者の群れが。
どう考えても、あれらから逃げてここへ駆け込んできた、という所だろう。
「はぁ、やってくれるねマイケル......あんなに沢山引き連れて何考えてるんだい......。大方、死者をおびき寄せちまうような罠でも踏んだんだろうけどね。まったく......」
悪化し始めた状況を更に悪化させた野菜に呆れるサマンサは、深い溜息まみれに。
それでも、そんな粗忽者を見捨てるという選択肢は彼女には存在しないのだろう。
「すまないねシリン。ちょっと行って片付けてくるよ。それまで耐えておくれ。それと、フュフテ」
「あ、はい」
シリンが神妙に頷くのを確認して、フュフテへと向き直ったサマンサは、
「シリンが怪我をしたら治してやっておくれ。あんただけが頼りだ。......それと、いざとなったらあんたは逃げるんだよ。退路はあたしらが開くからね」
「サマンサッ!」
「大丈夫さシリン、万が一の話だよ! それにあたしはともかく、旦那がこんな所でくたばる訳がないだろう? でも、ちゃんと言っとかないと、何が起こるか分かったもんじゃないからね。
フュフテは、あたしらに協力してくれてるだけなんだ......」
悪魔の無尽蔵とも言える書物の出現と、唐突なマイケルのやらかしという想定外の他に、まだ何かが起こる可能性もあるかもしれないという心構えも含めて、フュフテへと言付けた。
そのままマイケルのいる入り口へと駆けていったサマンサ。
接近してきた新しい鎧戦士に対応するシリン。
尋常ではない数の亡者を追加されて埋もれそうになりつつも健闘するバニード。
それぞれがそれぞれの役割と相手を受け持つ中、フュフテはひとり佇みながら考えていた。
ーーこのままで良いのだろうか? と。
自分の役割は初めにバニードから言われた通り、この部隊の治療にある。
何故か死者と戦ったりもしたが、それは非常事態だったというだけの話であり、きっと本来は皆に守られるのが当然の立ち位置なのだろう。
ーー本当にそうなのか?
そもそも、治癒魔法士が前線に出ること自体がおかしい。
グググ先生とイアンによって徹底的に近接戦闘を叩き込まれた自分は少々特殊だが、通常の魔法士は相手と距離を置いて戦うものだ。
治癒魔法士であれば尚更。
魔力切れを避けるため、誰かの背後で直接戦闘には関わらない。
それが定石というもの。
ーーそれで、満足なのか?
大体、自分は彼らの正式な仲間ではないのだ。
あくまで、「魔都の攻略」という目的が合致しているだけの、一時的な協力関係に過ぎない。
危険になったら逃げていいというなら、それは有難いくらい。
雲行きが怪しくなり次第、自分ひとり早急に避難すればいい。
ーーそれが、お前の目指すものなのか?
自分だけの時が停滞したように、周囲の喧騒が遠くに聞こえる。
肉と肉のぶつかり合いを繰り広げるバニードの雄叫びが。
確実性を取って腰の剣で鉄棒と切り結ぶシリンの金属音が。
責任を感じたのか前に出ようとするマイケルを叱りつけるサマンサの怒声が。
彼らとは、まだ出会って数日の関係。
情や絆といったものを互いに築くには、あまりに浅い付き合いだ。
おそらくだが、もしここで本当に自分が彼らを見捨てて逃げ出したとしても、きっと責められることはないだろう。
彼らが生き延びる可能性が高いかどうかは分からないが、なんとなくこの切羽詰まった状況でも何とかしそうな気もする。
無事脱出してきた彼らと合流して、危険な目に合わせた事を謝罪されるに違いない。
あくまで、協力者として。
自分だけが、本当の意味での仲間となれないままに。
埋められない溝を隔てたままに、魔都攻略を続けていくことになるのだ。
「僕は、本当は何がしたいのかな......」
そんな未来を思い浮かべるだけで言いようのない落胆を感じ、思わず迷いが溢れる。
過酷な訓練で培った危機感が告げているのだ。
壇上の悪魔が、相当に凶悪な力を所持している事を。
今の自分では、とても歯が立たないくらいに危険な存在である事を。
戦えば無事では済まない、生死の狭間を行き交う死闘となるであろう事を。
闘うべきではない。
命を賭けるには漠然に過ぎるこの想い。
自分の中でもはっきりと形に出来ない揺らぎを、理性は必死に諭し宥め賺す。
それでなお、決して目をそらすことが出来ない衝動に駆られてーー。
「フュフテ=ベフライエン! 行きますッ!」
確かな戦意を胸に満たした尻ドレスは、雑念を吹っ切るように黒ドレスの裾をひるがえして決然と床を踏みしめ、諸悪の根源である強敵へと一直線に突撃をかけた。