第29話 『尻スプリンクラー』
「ーー『天使のお漏らし』ッ!!」
上向きに身を横たえる重体の探索者を背に庇う位置で、すぐ目の前にまで迫ってきた亡者らを迎え討とうとするフュフテが、鬼気迫る顔つきで肛門を開く。
これから始まる戦闘の予感にしっとりと汗をかいていた穴口が、フュフテの体内から輸送される魔力で新たなる使命感に輝くと、
プシャアアアアァァーーーーッ!!!!
そこから大粒の透明な雫を劇的に噴出して、二人の怪我人へと大きくアーチを描き、癒しの雨を満遍なく降り注いだ。
フュフテが産み出した散水線のごとく吹き荒れる命の水は、水滴の一つ一つに治癒の効果を付与されているらしく、男達に降りかかる度に少しずつ少しずつ傷口を癒していく。
しかしながら、『屁』や『おひねり』と違って途切れ途切れの『お漏らし』では、負傷箇所に集中的に収束する訳ではないため、見た目の派手さに反してその効能に即効性はない。
とは言え、塵も積もればなんとやらでもある事から例え即時に全快とはいかなくても、この天使の飛沫は男達の命を確かに繋いでいるのだ。
故に決して中断していいものではなく、現状ではこれを行いながらの交戦が最も合理的。
そういった思惑で、シモの緩い天使の名を冠する治癒魔法を口にしたフュフテは、その間にさらに差を詰めてきた死者たちと遂に激突する。
「うあああーーッ!」
特に意味のない声を上げたフュフテが、その場で垂直に大きく跳躍。
きらきらと水飛沫を尾にひいて両足を開脚すると、同タイミングでフュフテの真下に死体の群れが殺到。
肉が叩きつけられる音が重なって、標的を掴み損ねた死者が数人その場に転がった。
右足裏に、「むぎゅっ!」っという弾力を感じながら、肌色の絨毯を容赦なく踏みしめ前方に疾走。
第一陣の猛攻を中空で回避し地に降りたその足で、すぐに来るであろう第二波に真っ向から突撃をかける。
襲いかかってくる脅威の数は多勢に無勢。
一対一ならいざ知らず、捕まってしまえばそのまま床に引き倒されて、あっという間に餌食となるのは必至。
一度でも動きを止めてしまったら、それで終いだ。
「暗ぱんさんッ!」
前転の要領で上体から倒れ込み、両手を地に付けて刹那の倒立。
その体勢から上がるフュフテの合図に、重力に従って花開くドレスの裾から顔を出した黒パンツが即座に呼応する。
「ーーっああッ!」
バチチチチッ、と紫電を両足のブーツに纏うと同時に、フュフテが天地を反転させたままの状態で大回転を披露。
裂帛の気合を込めて旋回を見せる二本の凶器が、押し寄せる無数の襲撃者を薙ぎ払う。
シャアアアアーーーッ!
止め処なく放水し続ける尻水を撒き散らして高速回転で大旋脚の攻勢を見せる姿は、まさに箍の外れたスプリンクラーの如し。
次々と飛び掛かってくる邪魔者を二つの武器で、蹴りつけ、弾き飛ばし、感電させ、焦げ付かせて、一向に寄せ付けずにぶっ飛ばしまくる。
それでいて、宙に舞う癒しの水は大怪我で意識を失う二人の元にまでしっかりと届いており、彼らの残り少なかった生命力を増強して治療を進めていた。
「ここまでやるとはな、嬉しい誤算だ。......しかし」
頭の天辺から足の先まで茶褐色の甲冑で覆われた鎧戦士と撃ち合うバニードが、激しい水音を鳴らしてくるくると闘うフュフテの勇姿に舌を巻く。
ーーあの分であれば、そうそう亡者に後れをとることはないであろう。
近接戦闘に特化した自分たち程ではないにせよ、多少動きが素早いだけの死者であれば十分に対処できるだけの力をフュフテは備えている。
一目見た時から武人としての片鱗を感じていたため、多少はできると予想していたが、この魔都に来てからそれは確信に変わった。
魔法士でありながらこれだけの近接戦闘力を有している点は、本当に見事としか言いようがない。
がしかし、それでもなおこの目の前の動く全身鎧や壇上の魔法士が相手となると、フュフテでは荷が重いのは事実であるし、このままでは直にジリ貧となるのは目に見えているーー。
戦況の不味さに赤の瞳をしかめるバニードは、正面の死者を足刀でカチ上げて大股を拡げる股間の根元から「ショワァァー」と水分を引っ掛けているフュフテから目を離すと、ひとつ高い所から観戦している四つ首の魔法士に視線を凝らす。
耳に不快な笑い声を響かせる悪魔は、手にした書物の紙片を次から次へと破り取り、大盤振る舞いとでもいうかのようにそれを周囲にばら撒いていて。
当然、そこからは新たな亡者が途切れる事なく生まれ続けており、その終わりは未だ見えない。
「何をもたついている、シリン......ッ!」
未だに死者がこの場に溢れかえっていない事から、間違いなく彼女達が生きているのは分かっているが、本来であればこの程度の足止めに苦慮する筈がないであろう少女の姿を、バニードは鎧との迫合いの最中で探す。
そうして、ようやく彼女を見つけたのだがーー。
「やはり、駄目か......」
状況変わらず、多勢の死者の処理に追われているシリンとサマンサ。
そして何より、明らかに精彩を欠き顔色を悪くして剣を振るうシリンを目に留めて、バニードは重い息を吐く。
この場の死者達の有り様を目にした時点で、シリンがこうなってしまうかもしれないという危惧が脳裏を掠めてはいたが、どうやら悪い方向に当たってしまっていたらしい。
事前に知る事は難しかったとはいえ、結果的に作戦ミスであったのは否めない。
「ーー邪魔だッ!」
先程から何度も何度も致命傷となっておかしくはない一撃を見舞っても、全く堪えた様子無く向かって来る鎧戦士。
その相手に少なくない苛立ちを込めて戦斧を叩きつけ、後方へと大きく吹き飛ばしたバニードはひとつの決断をする。
全身鎧が建物の石壁にぶち当たる衝突音と、すぐ側からやたらと激しく上がっている水音の中、この拮抗状態を打開すべく大声を出したバニードは、
「シリンッ! 聞こえるかっ!?」
「ッ! 隊長!」
「いいか!? よく聞け! いまか(プシャアアーー)えと私で敵をこ(シャアアーー)る! すぐ(ピュピュピュッ)いッ!!」
「えッ!? なに? 聞こえないッ!」
「一度で聞け! います(ショワアアーー)と言ってるんだ! 急い(プショオオーー)に向かっ(プシュップシュップシュッ)れ!」
「ちょっと......本当に、聞こえない......」
シリンに向けて指示を放つも、度重なる妨害にあって内容を伝えきる事ができない。
お互いに離れた位置で、しかも片一方は交戦中であるからして、雑音で会話が聞こえにくいというのは勿論あるだろう。
しかし、確定的にこのやり取りに文字通り『水を差してくる』人物に気付き、とうとう我慢の限界に達したバニードとシリンの二人は、
「......だから、こ(ショワッ)ーーフュフテッ! それを止めるんだッ!!」
「ーーフュフテッ! うるさいッ!!」
緊急事態ということもあり、普段の温厚さを遥か彼方へ棚上げして、激音でひとり尻水の舞を踊る存在へと怒声を上げた。
プビッ! ーーという何かが詰まったような音を高らかに尻から鳴らしたフュフテが、突然ふたりに怒鳴られた事でビクッとする。
「ご、ごめんなさい......ッ!」
ようやく自分に襲いかかる死者たちを殲滅し終えたフュフテが、とても切なそうにふたりに謝罪を。
しかし残念ながら、棒立ちになって少し俯き加減にヘコみながらも、尻から控えめに少量の水を垂れ流しているその姿は、どう見てもふざけているようにしか見えなかった。
「いや、すまない......責めるつもりではなかった」
「......ごめんね」
一生懸命に治療に励んでいたにも関わらず、理不尽に怒られたことで落ち込み涙目になってしまったフュフテの様子に、言い知れぬ罪悪感を感じるバニード。
同じくフュフテに申し訳なさを感じたシリンも、立ちはだかる死者を斬り払いつつそっと謝りを口にした。
気を取り直して、バニードは再びシリンへと指示を口にする。
今度こそ邪魔されずに正確に伝え切れた内容はバニードとシリン、互いの敵を交換するというものだった。