第28話 『家畜と奴隷』
まず目に入るのは、その異様な数の頭部だ。
半径がゆうに肩幅までありそうな蛇腹状の円盤が首を覆う様相の襞襟の上には、四つの生首が四方を向く形で添えられており、それぞれが別個の生物を模していた。
正面は人の顔、左右は犬と猫、後方は豚といった異質の顔触れで、人面はともかくそれぞれの動物が人間のように愉悦を称え醜い笑みを貼り付けて。
その下に続く胴体は意外にも奇をてらったものではなく、地面に引き摺るくらいの長着を着込んだ魔術士然とした体躯であり、片手に豪奢な装丁の書物を持つ姿は学術に長けた知者を思わせる姿。
にも関わらず、一片の教えも請いたいと感じないのは、この悪魔が当たり前のように死の匂いを全身から発している事と、目にするのも不快な四つ首を怪しく巡らせているせいだろうか。
「うっ! こっち、見てくるんだけど......」
湧き上がる嫌悪感により、心底嫌そうにフュフテが歪ませる瞳が見据えた先。
壇上の淵ぎりぎりまで足を進めた悪魔が、狂乱の舞台に上がってきた新たな役者を目にして、にちゃりと粘着質に破顔する。
ーーようこそ、人畜の見世物小屋へ。
この距離では聞こえるはずも無い歓迎の一言を耳にした気がして、フュフテは悪魔的容姿の魔法士が計八つの目に爛々と異彩を灯すのを直視し、気圧されたかのように一歩下がる。
そのフュフテの仕草に満足したのか、はたまたそれ以上を披露しようと考えたのかは定かでないが、人外はフュフテから視線を切って自身の手元を注視する。
そうして歪に伸びた爪の目立つ土気色の指で書物を開くと、何をするつもりかペラペラと頁をめくり、その内の数枚をくしゃりと掴んで無造作に引き千切った。
「ーーッ!」
衆目に見せ付けるかの様相で紙片を握りしめたままに、前方に腕を突き出す魔法士が小指から弾くように指を開いていくと、重力に従って地を目指すそれらが落下しながらに蠢動。
地面に転がる頃には大きな肉塊と変じていて、赤黒い血管と新鮮な肉色をじゅくじゅくと波打たせた。
そこから生まれ出ずるのは、死から呼び戻された者たちだ。
肉の殻を破り産声を上げる彼らは、かつてこの世に生を受けた瞬間をなぞるかのように表情を歪め、涙と泣き声にさんざめく姿で。
母と呼ぶには余りにおぞましい存在に生み落とされた事を嘆くが如き悲痛な感情を、彼らは床に這い蹲りこの場にいる全てに見せつけていた。
「......なんか、出たッ!」
出すことにかけては自分の右に出る者はいない、と自負するフュフテが、今し方の誕生の光景に驚きを表していると、
「フュフテ! こっちだ! まだ息がある、来てくれッ!」
大仰な鎧と交戦するバニードが、自身に打ち下ろされる巨大な棍棒に戦斧を打ち付けながら要請する声に気付く。
「! 今いきます!」
即座にそれに答えて行動を開始しようと足を踏み出し、そこら中に四散する死者の肉片と血痕を避けながらに前進。
尚且つ、接近し過ぎてバニードと鎧の激しい戦闘に巻き込まれない位置まで行き着いたフュフテの目に留まったのは、この礼拝堂の壁際にもたれかかるように折り重なった三つの人影。
「バニードさん......この人たちは、もう......」
「全員ではない、繋いでやってくれ!」
その内の一人、入り口で出会った時に声をかけてきたゴツめの男は顔を縦に割られていて、すでに絶命しているのは明らかであり、その無残な姿にフュフテは息がつまる。
しかし、続けられたバニードの言葉に気をとりなおして残りの二人に近寄ると、裂傷甚だしく虫の息ではあるものの、確かに生きている様子。
一見しただけでは全員が死体にしか映らない中で、正確に生死を判別できるというのは経験のなせる技なのだろうか。
直接身体に触れてやっと分かるくらいの微弱な命の鼓動を目視で嗅ぎ取ることは、フュフテには難しいことだった。
ひとまず自分の役目を果たすべく、二人の探索者を仰向けに並べて寝かせ、今にもかき消えそうな命の灯火を繋ぐために治癒魔法の行使を試みることにする。
手取り早く『天使の屁』をブリっといきたい所ではあるが、
「うわっ!」
複雑な治癒魔法に集中しようとするフュフテに、すばやく襲いかかってきた物体が。
艶を失った長い茶の髪を振り乱し、甲高い金切り声を発して掴みかかろうとする死者が一体、フュフテの行いに水を差してきた。
若くして死に至ったのだろうその女性は、生前はきっと多くの異性に好かれたと思われる名残を随所に残していたが、今の彼女は血に汚れ肌は色を失い、悲憤と苦痛による滂沱の液体に塗れた姿で。
鬼女という呼び方がしっくりくるぐらいに乱れてしまった彼女を、生ある時分を知る者が目にしたら一体どういう感慨を抱くのだろうか?
そう頭の片隅によぎらせながら、フュフテは触れたら只では済まないであろう鋭く尖った彼女の指爪を躱し、
「ーーごめんなさい......!」
たったひと言だけ、刹那の哀悼を捧げたのちに、反撃に転ずる。
胸にくすぶるものを押し込めて、為すべき事を為すために繰り出した掌底を女の魔臓目掛けて打ち出すと、フュフテの意を汲み取った暗ぱんさんがそれを補助。
激烈な一打に昇華して、死体の右胸を大きく陥没させながら吹き飛ばした。
もんどり打って弾き転がる死者は、その一撃によって再び望まぬ生を断ち切られたのか。
数多の肉塊の一部に沈み、もはや起き上がることはなく、沈黙を守っている。
冷たい石床と触れる頬から伝った雫が、床一面に広がる赤と混じりあって、元の無色を儚く散らしていった。
「くっ......ッ!」
ギリッ、と歯の奥で噛み締めた音がフュフテの口から漏れる。
常は甘やかな目元を鋭く細めて、壇上の悪魔に視線を向けると、ちょうど奴もこちらを伺っていたようで、この上なく上機嫌に哄笑を奏でている様子。
そうしてひとしきり愉しみに浸った人外がピタリと笑いを治めると、ついさっき生み出した人間達を顎でしゃくり、フュフテの方へと促す。
が、床に伏した死者達のどれもが一向に動こうとしない様子が癪に触ったのか、
ビシャリ、と出し抜けに振るわれた暴威によって、内ひとりが肉片に変えられた。
脳天から体の半分くらいまでを無惨に裂き潰された死者の男性は、使えぬ道具は不要とばかりに呆気なく処分される。
それだけでなく、肉体は突如として黒ずみ、瞬く間に爛れ落ちて異常なまでに醜悪な臭気と煙を発し出した。
その過程で、この世のものとも思えない絶叫を黒い肉が木霊させ、ぐずぐずと消滅していく。
シリンやサマンサたちによって切り裂かれた時とは全く違う、異質な終わり方で。
それを為したのは、タケノコ状に尖った棒状の物体で、その表面を百以上の棘が無数に覆っており、人外の四つある顔の内のひとつ、猫面の口から長く伸ばされていた。
両手のひらで輪を作ったくらいの太さのソレは、役目を終えたと同時にシュルシュルと巻き取られて猫面の口内へと戻っていく。
恐らくであるが、それぞれの動物の顔も各々の特性を持つ同種の攻撃手段を備えているかもしれない。
そうして見せしめとも言える行いを披露した悪魔は、再び顎をしゃくって指示を出す。
眼下の、奴隷達に。
犬猫といった畜生や豚のごとき家畜に使役されることを受け入れろと、そう言わんばかりに。
死してなお死に怯える死者たちは、生み出された際に何かしらの情報を刻まれたのか、ある種の理解を得ている。
ついさっきの殺され方が、通常の死とは全く異なるということを。
魔によって蘇った者が魔によって殺められた場合、想像を絶する末路を辿る、という事実を。
悪魔に滅されるよりは遥かにマシと考えたのか。
彼らは我先に逃げ出すように、フュフテに向かって猛然と駆け出す。
その数は少なく見積もっても、十体以上は確実。
こんな数に襲われては、治療どころの話ではない。
難易度的に多大な集中を要する『天使の屁』をブリっとする猶予など、彼らが与えてくれる訳もないだろう。
だがしかし、すでに瀕死状態である二人の探索者は一刻を争う容態でもあり、至急治療を開始しなければ命が危ういのだ。
ここに来る前に、自身の尻のビリビリで地に沈めた青年の泣き顔を思い出し、最善を尽くすべくフュフテは思考を回す。
最良の治癒手段である『天使の屁』は選択出来ない。
同様に、『天使のおひねり』も意識のない彼らでは、茶色い液体を飲み下す事は難しいだろう。
であれば、もう直接身体にぶっかけるしか方法がない。
そう考えたフュフテは、『天使のおひねり』の変則的な使い方でこの窮地を乗り切るべく、尻穴に魔力を集中させて、覇気に満ちた声を張り上げた。
「ーー『天使のお漏らし』ッ!!」