第27話 『冒涜の始まり』
「......悪魔?」
焦燥、恐怖、悔恨、それらを綯い交ぜにくしゃくしゃの顔で跪く年若い男が口にした、少々大げさな表現を聞いて眉を顰めたバニードは、
「まず落ち着くんだ。簡潔に説明を。状況が不明では気安く請け負うことが出来ない。悪いが、仲間の命が大切なのはこちらも同じだ」
努めて冷静に、判断材料を引き出すために言葉を重ねた。
一隊を預かる立場としては至極まっとうな物言いであるが、聞きようによっては冷酷に響くバニードの姿に、青年の顔がわずかに強張る。
ただ、冷たさを感じる声音とは裏腹に、わざわざ歩み寄って膝を折り肩を力強く掴んでくるバニードの熱い眼差しに、
「あ、ああッ! すまない! て、敵は、人間じゃない。ゴツい鎧と魔法士みたいな奴の、二人。それと、奴隷のような格好の死体がたくさん。そいつらに仲間が襲われてる! 角を曲がってすぐ正面の、建物の中だ!
......俺だけ、逃がされたんだ......もうすぐ結婚するお前は、こんな所で死ぬなって......。俺は......っ!
たのむよ! あいつらを、助けて......ッ!」
込められた義心を感じ取った青年は、一縷の望みを賭けてなんとか状況を絞り出し説明するが、話す内に感情が昂ぶってきたのか、鳴咽混じりに。
「あそこか......厄介だな」
彼の言を読み解けば、置いてきた仲間はおそらく死を覚悟するほど追い詰められた戦況だろう。
そしてまた、亡者とやらがどれぐらいの数か分からない点が懸念されるが、敵が複数である事からかなりの混戦を想定すべきだ。
加えてこの青年の言う建物は、言い方は悪いが少々タチの悪い場所でもある。
この魔都では基本どこからでも死者は発生するが、それには一定の法則があり、何かしらの思念が強く残された場所から脅威度の高いモノが生まれやすいのだ。
これらを総合してある程度の危険度は測れたが、先入観を持って行動するのは愚かであり、後は直接見て判断するしかない。
そこまで瞬時に思考したバニードは、
「私とサマンサ、シリンで先に建物内に突入する。鎧には私が、シリンは魔法士を。サマンサは亡者にあたってくれ。
フュフテは彼を治療した後、すぐ現場に直行。彼の仲間が生存していれば助け出して欲しい。
マイケルは治療した彼と安全な場所で待機。いいな?
以上、各自、臨機応変に動け。行くぞ!」
すぐさま立ち上がり、部隊の面々を振り返って的確な指示を各々に言い渡す。
ピリリ、と緊迫した空気に息を呑むフュフテは、颯爽と十字路の角を曲がって消えていったバニード達を見送ると、自分に与えられた役割を果たすために、急いで怪我人の元へと走り寄った。
「あの、じっとしててください! 治癒魔法をかけますので!」
地面に手をついて涙を流す青年に、キリッとした顔でそう告げたフュフテは、その場でくるりと背を向けて尻を突き出す。
「......え?」
急に美少女の、しかも見るからに秘部をもろ出しにした尻たぶを鼻先に突きつけられて、訳が分からず困惑する青年。
あまりに意味不明な行動に涙が引っ込んでしまい、呆然と蕾を凝視することしか出来ない彼に向けて、フュフテが一発かまそうとするが、
ーーバチバチッ!
「がはぁーーッ!!」
ひときわ眩く雷光が走り、青年は白煙を上げてドサリ、と地面に崩れ落ちた。
「ああッ! 暗ぱんさん! なんてことをッ!!」
「......フュフテちゃん。トドメ刺して、どうすんの?」
またしても嫉妬心を剥き出しにした黒ぱんつによって、治療するどころか決定打を与えてしまったフュフテは、狼狽しながらも暗ぱんさんに向かってぷりぷりと怒りをあらわにする。
「今はそういう状況じゃないんです! 我慢して下さい!」と、ドレスの中の下着とケンカしている美少女を見て、「そんな彼女も可愛いな」とマイケルは思った。
内心で、「じっくり見れるなら感電も悪くない」。そう考えてしまっている時点でもう色々と手遅れである。
「仕方ないですね......。んっ! 『天使の屁』ッ!!」
緊急事態のため、多少の魔力の無駄遣いは仕方がない。
そう判断したフュフテが、ケツからぶわぁっと緑の煙を放出して、白目を剥いて気絶する男に生命の息吹を吹きかけた。
「じゃあ後は、よろしくお願いしますね!」
軽く尻を左右に振って、煙の余韻を切ったフュフテは、マイケルに一言声をかけてからその場を後に駆け出す。
後はマイケルがなんとかしてくれるだろう。そう信じて。
そのまま通路の角を曲がって直進していくと、開けた通りの正面に朽ちた建物が目に入った。
もとは礼拝堂か何かだったのだろうか。
大穴の空いた三角形の屋根の頭頂部には、見たこともない形の複雑なシンボルが掲げられていて、「悪魔崇拝でもしていたんじゃないか?」と、フュフテは不吉な印象を抱いてしまう。
まだ距離があるにも関わらずその入り口から高い金属音が鳴り響いてきた事で、すでに交戦は始まっている様子。
先程のやり取りから、おそらくは充分対処できる案件だと判断して突入したのだろうが、他人から助けを求められて即時に応じるバニードさんは見かけによらず熱い男なんだな、とフュフテは感心する。
とはいえ、これから自分もその戦場に赴くわけだから、気を引き締めなければならない。
そう認識したフュフテは、一年前に洞窟内で繰り広げた死闘以来の緊迫感に尻をヒリつかせて、全力疾走。
ついには聖堂の入り口に到着し、階段を数段駆け上がって中の光景と直面した。
「ーーッ! うっ......ひどい.....っ!」
崩れた天井から入る光量によって映し出された建物内部に広がるのは、おびただしい数の肉の塊と、それらによって流れ出た紅に染まる血戦場。
手足や頭部が欠損したもの達が、生きている筈もない身体で無数にうごめき、刃を振るう生者に次々と襲い掛かっている状況は、身の毛もよだつ悪夢の世界だ。
死者たちが群がる中心には、シリンとサマンサが。
彼女らが絶え間なく鋼による銀閃を振るう度に、周囲の亡者の肉が裂け四肢が飛び、臓物がこぼれ血が滴り落ちる。
それでもなお魔臓を破壊されていない者は動く事を止めず、妄執のように声を上げて二人に群がっていた。
すでに一度死した肉体であるせいか、噴き出す血の量はさほど多くはないものの、辺り一帯肉片で埋まるくらいの数が集まれば話は別。
大量の腐った肉が放つ臭気とむせ返るような血の匂いが肺に入り込もうとし、フュフテは思わず口に手を当てて、込み上げる胃液を飲み下した。
こんな惨状を目の前に叩きつけられれば、大抵の者は胸を悪くして吐瀉物を吐き散らし、精神を犯されて正常な思考を保てなくなってしまうだろう。
だが幸いにも、フュフテはそうはならなかった。
なぜならば、それ以上に胸に訴えかけてくるものを、眼前の光景から見つけていたからだ。
ーー彼らは、泣いていたのだ。
二人の生者に襲いかかる者、それを囲む者、体の一部を失い床に転がる者、既に魔臓を失いもの言わぬ死体に戻った者。
そのどれもが、ひとり残らず涙を流して。
血の気を失った皮膚を、唯一血の通う感情で湿らせている。
苦悶の表情を浮かべる男、哀哭に顔を歪めた女、全てを諦め達観したように笑う老人、救いを求めて泣く幼子。
彼ら彼女らは全て、服というにはあまりにお粗末なボロ切れを身に纏い、それぞれが悲鳴混じりの奇声を口にして、何かに突き動かされるように命持つ二人へと飛びかかっていく。
すでに朽ちた体を、無理矢理に操られて。
一度ついた眠りから強制的に呼び起こされ、魂の冒涜に嘆き、肉体を蹂躙されながら、再び死を味わい眠りにつく事を強制されている。
繰り返し、繰り返し。終わりなど見えない、無間地獄の如く。
当然、彼らの情動を受け止めているシリンとサマンサも、それに気付いている。
この死者達が、死してなお望まぬ行為を強要されているであろう事に。
それを行なっている胸糞の悪い輩が、この場に存在している事に。
「あれが......悪魔......ッ!」
異様な状況にたじろぎ、尻の割れ目に汗をにじませたフュフテが、この元凶であると思われる気配に目を凝らす。
シリン達が、物量に任せた死者の攻撃に防戦一方になりながらも、隙を見つけて排除しようと時たま視線を向けているその先。
少し離れた位置で、鉄鎧に身を固める大柄の異形と一騎打ちをしているバニードの、さらに向こう側。
この礼拝堂の最奥の祭壇の前で佇み、幾分か高くなった壇上から眼下を睥睨する人外が一体。
世にも醜悪な表情で、生と死の狭間を足掻く者たちを嘲笑う不快な姿を衆目に晒し、ケタケタと耳障りな笑声を響かせていた。