第8話 『変態があらわれた』
出し抜けにフュフテたちに躍り掛かる氷の刃は、中空を俊敏に舞って幾重にも獲物を取り囲み、足並みをバラバラに次々と突撃を開始した。
氷魔法によって作られたであろう刃の先端は鋭く尖り、それが発する冷気が冷酷な暗殺者を彷彿とさせている。
ひとつひとつがフュフテの腕一本分くらいの大きさであり、直撃すればあっさりと命を手放すことになるのは想像に難くない。
ましてこれだけの数に囲まれているのだ。絶体絶命とはこのことだろう。しかしーー、
迫り来る殺意は容易く四つの獲物を貫き、切り裂かれた無惨な屍がその場に横たわるーーそんな光景はありえなかった。
なぜならば、彼らは森の民。
美に愛される彼らの一族は有名だ。
だが、それと同じくらいに誰もが知っている。
美と並ぶほど、他と隔絶して『魔』に愛されているのだ、と。
※ ※ ※ ※
カシャン、と硝子が壊れるように儚げな音を立てながら、次々に目の前で氷刃が割れ落ちていく。
目を凝らすと、四人を覆う形で半球の結界が生み出されており、その表面にぶつかって自壊していた。
「ふふん、そんな攻撃じゃ、私の障壁はびくともしないわよ!」
整った口の端を好戦的に吊り上げ、右手を広げながら自慢げにニーナが笑う。
目的を果たせず力なく消えてゆく刃達を眺め、したり顔をする彼女をみて、フュフテはほんの少しばかりの嫉妬を抱く。
いとも簡単に魔法を繰り出す雄姿に。
容易く窮地を乗り切ることのできる力に。
ニーナのおかげで助かったのは事実だが、不思議と口惜しさを感じてしまうのは若さ故か。
「ふはーー、びっくりしたーー! さっすがお姉ちゃん! カッコイイ! 」
続けて声を上げたのは、ニーナの魔法を見て大興奮なサシャだ。
いきなり命を狙われてびっくりした、で済むその感性は驚きを通り越して心配になるのだが、彼女は気にもしていないだろう。
両サイドに結ばれたお下げ髪をぴょんぴょんさせて飛び跳ねるのを見るに、ずいぶん姉の格好良さに高揚しているようだが、先ほどからなぜかチラチラこちらに視線を寄越してくる。
まさか「誰かさんと違って」とでも言いたいのだろうか。 心なしか瞳が揶揄の色に染まっている気がする。
ーーよし、次になにかあったらサシャは見捨ててもいいかもしれない。うん、そうしよう。
ふと、もうひとりこの場にいるはずの無言の少女が気にかかり、そちらに目線を投げると半眼のミシャと目があった。
常と変わらない、ぱっつりと目元で切り揃えた前髪から覗く眠そうな眼は、この非常時でも健在のようで全く身の危険を覚えていないのか。
なんという図太さ、いや、肝の座りようだろうか。
ぴくりとも動かない姿は、精巧な美術品と言われても疑いを抱かないかもしれない。
怪しげな好事家にいつか攫われないか、兄弟分としてとても不安になる。いや、つい先ほどまで一緒に攫われていたわけだが。
サシャとは違った意味で頭の痛くなる姉妹に、フュフテは飛び交う刃物で覆われている天を仰いで、ため息をひとつ零した。
※ ※ ※ ※
「ところで、よくあの一瞬で結界を張れたね。すごいよニーナ」
そろそろ打ち止めなのか、目に見えて数が減ってきた攻勢を横目に、ニーナに話しかけると、
「当然よ! 私を誰だとおもってるの? ......と言いたい所だけど、これのおかげよ」
長く耳にかかる髪をさらりとかき上げ、見せつけるように耳飾りを軽く指で弾く。
キンーーと澄んだ音を立てる、緑水晶の嵌められた美しい飾りは、フュフテの見覚えのあるものだった。
「あれ? それうちの母さんのと似てるね。どうしたの?」
「もらったの、ニュクス師匠の手作りなんだって。お揃いよ!」
耳飾りをいじりながら嬉しそうに笑うニーナが、
「すごいのよ! 魔法の攻撃を感知すると警戒音が鳴って、自動で結界を展開する魔導具よ。まぁ発動だけで、結界の維持には魔力はいるんだけど」
誇らし気に言い放ったと同時に、時を分かたず続いていた氷撃が一斉に終わりを告げた。
絶え間ない氷の弾幕に大気が冷やされたのか、結界の周りには薄く霧が漂っている。
空気中の水分が具現化し辺り一面に立ち込める様は、先行きの見えない不安を助長させるかのようで。
ニーナとの会話を打ち切り、少女達を背後に庇いながら周囲の気配を伺っていると、パンパンという乾いた音と共に、前方から人影が現れた。
白い靄の中から姿を見せたのは、法衣を身に纏った壮年の男だ。
くすんだ灰色の髪はピシリと頭部に撫で付けられ、整髪料でも使っているのか短く整えられている。
縁の無い眼鏡から覗く灰の双眼は細く鋭く、痩けた頬と面長な作りが見るものに男の神経質な雰囲気を感じさせていて。
両手を打ち鳴らしての拍手は、本来他者を讃えるために行う行為だが、酷薄に歪められた口元が一切の賞賛を否定しており、あまりの不気味さにフュフテは警戒を一層強めて男の挙動を見守る。
「お見事です。加減したとはいえ、それなりの魔力を込めたものだったのですが」
見かけによらず穏やかな声音で語りかけてきた男は、白い法衣と手袋をしており、見た目だけならば敬虔な聖職者といってよい佇まいだが、冷淡で陰惨な目と口元が全てを台無しにしている。
狂信者、ならばぴったりだろうか。
「あなたは? 何者ですか?」
「これはこれは、失礼致しました。ワタクシ、名をアダムトと申します。よろしく、可愛らしいお嬢さん」
「僕は男ですが」
恭しい仕草で自己紹介をした男ーーアダムトは、フュフテの言葉を聞いて「ほぉ......」と意味深に呟き、まじまじと顔を覗き込んでくる。
「噂には聞いておりましたが、 森の民の美貌とは驚くべきものですな。なんと、美しい......。
......ところでワタクシ、見ての通り神に仕える信徒なのですが、戒律で女犯、つまり女性との交わりを禁じられているのです。
という訳ですので、今夜如何でしょうか?」
「なにがという訳、なのか全く分かりませんが、それ以上僕に近寄るな!」
唐突に一方的な事情を物語り、理解不能な惹句を提示してきたアダムト。
喋りながらじりじりと距離を縮めようとしてくる狂信者[フュフテの中では今この瞬間決定したーー]を前に、少年は魂の雄叫びを上げた。
「心配はいりませんよ。こう見えてワタクシ、それなりにこの道に精通していると自負しております。
憚りながらアナタ様を天にいざなうお手伝いをさせて頂きたいのです。いきませんか。二人で。そうーー神の国へ」
さっきまでの泰然とした姿は何処へいったというのか。
欲念に胸を膨らませこちらを見る熱の篭った眼差しは、狂おしい光に染まっており、何やら恐ろしい内容が鼻の下から吐き出され始めている。
想像したくもないがーー心なしか法衣の下の膨らみも増している気がして、フュフテは戦慄した。
洞窟内で巨漢に迫られた時とはまた違った意味で感じる身の危険に、反射的に両腕を上げて、にじり寄るアダムトを牽制する。
今ならニーナの気持ちが痛いほど良く分かる!
汚らわしい! 消えなさい!
「ーーっ!」
一条の閃光が大気を走り、着弾した法衣の聖職者を、鈍い音を立てて弾きとばした。
あまりの嫌悪感に過去のニーナと同調していていたフュフテの背後、悠然と前を差し示す人差し指から魔素を煙らせ、金の少女が口を開く。
「なに遊んでるのよ!? さっさとぶっ飛ばしなさいよ!
何フュフテ......あんた、まさか............そういう趣味じゃないでしょうね?」
振り向くとフュフテの代わりに変質者を撃退したニーナの、凛々しく大粒な双眸が胡乱げにこちらを観察していた。
彼女は、直近の危機が去った安心感と思いも寄らぬニーナの疑いに仰天し咄嗟の言葉が出ずに硬直する少年を見て、何を勘違いしたのかーー、
「え......? 嘘でしょ!? ......本当に?
じゃ、じゃあもしかして、あの男たちの前で下着脱いでたのも!? ..................ごめんなさい。
私、余計なことをしたのかしら......? でも、妹たちの教育に悪いから、そういうのは他所でやってね?」
「まって! 違うから! 何を納得してるの!? ホントやめてください、お願いします!」
「ほう、その話、詳しく聞かせていただけませんかな?」
まさに青天の霹靂とも言うべき事実に困惑するニーナと、その誤った推測を聞いて焦燥に突き動かされながら弁明に走るフュフテ。
その後方からさらりと飛んできた理知的な声の主は、声音とは裏腹に怪しく眼窩を光らせていた。
割と痛烈な一打を顔面に叩きつけられたはずのアダムトは、さしたる負傷もなく起き上がり、当たり前のように会話に参加してくる。
(この男は一体......。いや、そんなことはどうでもいい。今は自分の名誉が一大事だ)
ひとまず戦意のなさそうなアダムトを放置し、フュフテはニーナとの対話を優先させる。
どうやら彼女はフュフテの痴態を思い出し、そこから先の有らぬ想像をしているようだ。
気恥ずかし気に頬を紅潮させる今の彼女は端的に言ってとても艶めかしいーーと益体もない事を考えた所で、フュフテははたと我に帰る。
ーーいけない、狂人の情念の奔流に当てられてしまったのだろうか。
思考が乱されている。
はっ!
もしや、これがあの狂信者の手口か!
意図的に相手に不快感を与え、正常な判断力を奪うのが狙いなのか! ーー。
「......っ!」
なかなか目を合わしてくれないニーナに懸命に話しかけながら、フュフテは突然思い立った閃きに喉を一度鳴らす。
......おそろしい、とてつもなく狡猾な罠だ。
こちらを混乱させた上で、互いの信頼関係まで破壊することが奴の真の目論見なのだとしたら、なんと強力な攻撃なのだろうか。
現に、フュフテがいままで築き上げてきた人間関係が、いま脆くも崩れ去ろうとしている。
フュフテは直視しないようにそっとアダムトを横目にする。
騙されてはいけない。
あれはただの演技だ。
自分に興味がある振りをしてるだけにすぎない。
(......だからそんな、もの欲しそうに人の顔を見ないで欲しい............舌舐めずりもやめて下さい)
フュフテは現実逃避に思考を傾けながら、ふと思う。
自分はなぜ、知らなくてよいことに気付いてしまうのだろうか。
というより、知るには早過ぎることまで分かってしまうのはどうしてだろう、と。
ひょっとすると、常日頃から接している人物。
そう、何を隠そうフュフテに男を落とす必殺技を伝授した師なのだが、あの存在がその手の知識を手当たり次第に押し付けてくるせいなのか。
フュフテがいささか年不相応に成熟してしまった元凶は、間違いなくその女性にあるといえる。
そもそもあんな技を知らなければ、こうして妖しい疑惑を被ることなどなかったはずなのだ。
無事に里に帰ることができたら、人付き合いについて真剣に考え直すべきなのかもしれない。
幼馴染の密事を知ってしまい、動揺する少女。
誤解を解こうと必死に弁解する、無実の少年。
何事もなかったように復活し、話をせがみ出した狂人。
戦況は、煩悩と混乱に支配されたまま、第二の局面を迎えようとしていた。