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無題  作者: ナナシ
第3章
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第25話 『地雷は踏んでいくスタイルです』

 賢者とは、一般的にかしこきものを指して使われる名称である。

 ある一定のステージに到達することで得られる称号でもあるのだが、実は賢者というものは通過点に過ぎない事をご存知だろうか?

 その先には最高の境地である、「()者」という頂きが存在するのだ。


 善なる行為を行い悪しき煩悩から解き放たれたとはいえ、未だ真理を悟る事が出来ずに凡夫に甘んじている者。

 聖の境地に手をかけるには未だ足りない者たちが、賢者という段階に留まっているのである。


 それ故に、大抵の者はより多く聖の研鑽を積んではるか高みに登り詰めようとするのだが、人という生き物は誠に愚かな業を背負っているため、事はそう簡単には行かない。

 特に年若ければ若い程に多種多様な誘惑にあっさりと己を見失い、聖を極めるどころか賢者から愚者へと転落を余儀なくされる。


 そうして雑念と情熱的に奮闘した後に、再び悪を放出して賢者へと帰ってくる。それの繰り返しである。

 悲しいことに、この円環の輪に囚われ脱する術を持たない者がほとんどであり、だからこそ賢人でありながら凡夫と呼ばれてしまうのだ。


 今しがた愚者から賢者に転身したばかりの少年もご多分に漏れず、目の前にフリフリ揺れる物体に煩悩を掻き立てられ、またしても愚者へと変貌しようとしていた。

 歩くたびにふわふわと揺れる黒ドレスとその下の白い生地から覗くのは、瑞々しく弾力を主張する魅力的な果実。

 本能の赴くままに手を出してしまえば、必ず手痛いしっぺ返しを食らうであろうその割れ目をただ指をくわえて凝視するマイケルは、まさしく愚かそのものに見える。


 そんな彼の下腹部の着衣は今、中々に愉快な状態となっていた。

 賢人の副産物を身に押し隠しつつ平然を装っているようだが、未だ乾ききらない若い新陳代謝は独特の臭気を発しており、本人は頓着していないものの周囲の人間、特に女性陣には容易に勘付かれている。

 そこはかとなく賢者の叡智の残り香を身に纏うマイケルに誰も指摘はしないものの、確実に。


 その筆頭は、腰の剣帯に片手剣をぶら下げて隣歩く、細身の少女シリンだ。

 直ぐ横の賢者を中心に守る形で、前方にサマンサとフュフテ、後方に隊長のバニードという隊列で進む中、彼女は先程から漂う妙な臭いに顔を顰めていた。

 幸いにも、それが何を起点にして発せられているかシリンには分からなかったが、未知の香りがどうやら気にかかるらしく、マイケルに問いかけようか迷っている様子。


 チラチラと翡翠色を揺らして周囲の面子をうかがう彼女は、「みんな気にならないのかな?」と不思議そうに。

 ある意味純真とも言えるシリンは、言っていいものかどうか悩みつつもとうとう我慢できなくなったようで、その形の良い小さな口を開いて、


「あ痛ーーッ!!」


 マイケルにとってはご褒美になるであろう言葉を発しようとしたが、その直前に「バシンッ!」と痛そうな音が前から聞こえて、何事かと口をつぐむ。

 見ると、成人男性の身長と同じくらいの高さの薄い石壁が立ち上がり、その直ぐ下にフュフテがうずくまっていた。

 どうやら顔面を強く打った様子で、「うーー」と切ない涙声を響かせてしゃがむ少年は、目の前の細い長方形の石板を情けない表情で睨みつけている。


 なぜこのような事態になっているのか?

 その原因は、フュフテの足元の突起物にあった。


 幾何学的なパターンを描き豊かな装飾模様を生み出している石畳の中にこっそりと紛れ込んでいたそれは、地下都市への侵略者を妨害するために何者かによって仕込まれた巧妙な罠の稼働スイッチ。

 これに気付かず踏みしめてしまったために、フュフテはテコの原理のように跳ね上がった石板と真っ向から正面衝突してしまったのである。

 もっとも、危険な罠というにはいささか児戯に等しい仕掛けであり、実際モロに引っ掛かったフュフテの怪我の度合いを見ても、決して命に係わるものでないことは一目瞭然。


 おそらく、それは理解しているのであろう。

 サマンサとマイケルの二人は、床に座り込んで少量の『天使のおひねり(エンジェル・ツイスト)』を尻から出し自身の顔をピチャピチャ治療するフュフテに近寄り心配の声をかけるも、さほど深刻な表情ではない。

 また、フュフテがこうして罠に引っ掛かるのはもう何度目かの事であり、罠の危機感知を体で覚えることは迷宮初心者にとって一種の洗礼とも言える行いであるからして、中断するなど以ての外。


 しかしながら、そんな習わしなど全く知らない迷宮ビギナーの尻魔法士は、この地下迷宮に足を踏み入れて以来次々と罠にハマりまくったことで、ひとつの疑念を抱くーー。


 ーーどうして、みんな助けてくれないのだろう? と。


 というのは、当初隊長から勧誘された際、回復だけをきちんとしてくれれば問題はないし、経験不足な自分への対処はちゃんとすると言われていた。

 加えて、シリンも後衛を守るのは自分の仕事だと確かに口にしていた。

 それなのにいざ蓋を開けてみれば、何故か地面にしゃがみ込んで尻からパシャパシャタイムに突入するという不可解な結果に。さすがに、これは何かおかしいと感じてしまう。


 どう考えても、契約違反というやつだ。そうとしか考えられない。

 そもそも、どうして経験皆無の自分が最前線に配置されているんだろうか!? ーーそう混乱するフュフテは、この魔都の入り口に来た時点のことを思い返すーー。


 この地下迷宮に到達してすぐに目にした、辺り一面にそびえ立つ光る壁面。

 何の材質で作られているのか全く見当が付かないものの、視界いっぱいに大きく広がるその壁の明かりによって煌々と浮かび上がる地下都市の情景に、思わず見惚れていた時のこと。


 都市の入り口とは言ってもここは市街地の真っ只中といった風景で、見上げる天井こそ土壁であるものの、それ以外は完全にどこかの都市を訪れた気分になるぐらいに文明的な建築物が居並ぶ奇怪な場所だ。

 でありながら、悠久の年月を確かに感じさせるように、其処彼処(そこかしこ)に点在する建物の外側をツル植物が一面覆っていて、見るものに哀愁を抱かせている。

 久遠の眠りを暴かれた魔の都は、自ら発光する壁面に照らされながらもなお静けさを失わず、荘重に顕現していて。


 美しくも、もの悲しい風情に胸を突かれている間に皆は準備を終えたらしく、サマンサと自分を先頭に攻略を開始すると言われた。

 詳しく説明をねだったところ、この地下迷宮にはさまざまな罠があらゆる箇所に仕掛けられているらしく、一度発動させたり解除したりしても一向に数が減らず、気が付けば新しいものが設置されているという大層物騒な都市だそうで。

 その危険な仕掛けを発見したり解除するために、魔力感知に優れているサマンサが先頭に立って目を光らせながら進行していく、というわけだ。


 その時点で、「サマンサさんが先頭は分かるけど、どうして僕も一緒なの?」とは思ったのだ。

 後から思えば、そこで断固異議を申し立てるべきだったのだろうが、流されるままに進んでしまった結果、数々の罠に自分だけが引っかかり続けてボコボコに。

 遂には尻魔法で治療を行う羽目となってしまった。


 これまでの経緯を思い起こしつつ、尻から出した水分で痛む顔面を癒して、「一体なぜ?」と屈んだままに上を見上げれば、そこにはどうしたことか。

 非常に意欲的な眼つきで、普段と違うサマンサの迫力ある笑みが視界に映り込んできて、思わず「ヒィッ!」と喉奥で悲鳴を鳴らしてしまうーー。



 一部から聖母とまで称されるサマンサに、いったい何が起こったのか。

 その全ては、フュフテと彼以外のメンバーとの間に不幸な行き違いが生まれたことに起因する。



 ※ ※ ※ ※



 もともとバニード率いる戦闘斥候部隊の面々は、攻略未経験のフュフテを前線に出すつもりなどこれっぽっちもなかった。

 フュフテは治癒魔法士として部隊の生命線であり、皆で厳重に守護して徐々に経験を積ませていくという方針だったのだ。

 にも関わらず、その思い遣り溢れる待遇を真っ向から否定したのは、実はフュフテ自身であった。


 詳細を述べると、ちょうどフュフテが新しい衣装を皆にお披露目して、それに誘われた愚かな野菜がこんがりと焼かれてしまった時分。

 あの後の打ち合わせの時に、こういった方針でフュフテを守っていくつもりだ、と隊長のバニードはフュフテも含めた皆に口頭で言い渡した。


「フュフテ。君は今日から我々の部隊の一員となるわけだが、だからと言って、我々と同じように危険に身を晒すのが正しいとは、私は思わない。

 あくまで君は協力者という立場であるべきだ。故に出来うる限り危険から遠ざけ、君を守る事を第一に行動する方針でいく。万が一、我々が窮地に陥った際は、遠慮なく自分の安全を優先して欲しい。いいね?」


 魔都に目的がある点で合致しているとはいえ、フュフテの善意に頼っている部分も無きにしも非ず、といった現状を顧みるバニードは、命をかける場面を履き違えないようにとフュフテに伝える。

 言い換えれば、「身の安全は必ず保証するから心配はいらない」という内容でもあるのだが、当然肯定の返事が返ってくると思っていたバニードは、


「冗談じゃない!」


 フュフテから予想外の強い反発の声を向けられて、紅の瞳を少しの驚きに大きくする。

 それを発した黒いドレスの少女の顔を伺うと何か思う所があったのか、フュフテは下唇を噛み締めて険しい表情を見せている。

 その並々ならぬ強い感情を浴びせられて、


「つまり君は、我々と同じ危険を望むというのか? ......すまない、どうやら君をみくびっていたようだ。矜持を傷つけてしまった事を詫びよう。

 そうか。君にとっては、守られるだけの立場は、己の誇りを穢されるという事なのだね? それを何よりも怖れると?」


 気高い志を感じたような気がしたバニードが、再度フュフテに問い返すと、


「すごくコワい」


 内に溢れる感情に耐えるように軽く身を震わせたフュフテが、即座に呟いた。

 視線こそ下を向いてはいるものの、どこか鬼気迫る雰囲気を漂わせる少女の様子に、バニードは当初感じていたフュフテの印象を大きく上方修正した。

 庇護対象から、誇り高き戦士へ、といった具合に。


 言うまでもない事だが、この時のフュフテは全くもってバニードの話を聞いてはいない。

 自身の思考に没頭し過ぎるあまり、過去の言動の一部が勝手に口から漏れ出てしまっただけのこと。


 ところが、それに一向に気が付かないバニードは、フュフテの持つ誇り高さにひどく感銘を受けた様子で、


「見事だフュフテ。君の抱くものがそこまでとは想像だにしていなかった。その高潔さは騎士にも通ずる所があると言えよう。

 わかった。君を特別扱いはしない。あくまで我々と同じ、対等な立場の同志として行動を共にしよう。皆も、それでいいな?」


 フュフテの強い意志をしっかりと反映した結論を言葉にし、部隊員と情報共有を行う。

 そのあたりでフュフテはようやく我に返ったのだが、すでにバニードの口から語るべき事柄は述べられた後であり、半ケツドレスは「なんか話してたの?」とひとり蚊帳の外であった。



 ※ ※ ※ ※



 といった不幸なすれ違いのせいで、フュフテの扱いはとてもスパルタなものとなってしまったのだ。

 本来は誰かが罠を踏みそうになった場合にいち早く制止すべき人物であるサマンサですら、フュフテがガンガン地雷を踏み抜いていくのをにこやかに眺めるばかり。

 彼女からすれば、身体を張って危機管理を磨こうとしているフュフテの姿は、とても好ましいものに映るばかりで、罠を踏めば踏むほど嬉しくなっているようで。


 そんなサマンサの姿を見たフュフテが抱く感想など、たったひとつしか存在しなかった。



「このままじゃ、はめ殺される......ッ!! なんとかして、逃げないと......」



 最後の頼みの綱であったサマンサの変貌により、絶望の淵に叩き込まれた半ケツ少女は、尋常でないほど尻たぶを恐怖で振動させて、危険過ぎる部隊からの離脱を真剣に検討している。

 治癒魔法士を求めているなどというのは只の方便で、本当は罠で痛ぶり殺すために迷宮に連れて来られたのでは? とまで邪推しているフュフテ。

 このままでは、迷宮攻略を開始する前に逃亡者が一名出てしまうだろう。


 だがしかし、神はまだ尻を見捨ててはいなかったようで、フュフテの戦慄はあるひとりの男によって救われることとなった。

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