第21話 『お披露目』
「ちくしょう......ッ! なにやってんだ......俺」
寒期というにはまだ早いながらも、近いうちにその到来を予期させる冷風の中、ひとりの少年が花壇の縁取りに腰掛けて低いボヤキを落としていた。
戦闘斥候部隊員の拠点として国から提供されたこの建物の、随分と立派な邸宅の裏庭に作られたその一角には少年の顔によく似た野菜たちが栽培されていて、遅植えで漸く実をつけたトマトやきゅうり達が、花壇に座る仲間の苦い表情を心配そうに見つめている。
サマンサに育てられた彼らをじろりと見返して、
「くそ、どいつもこいつも人を野菜呼ばわりしやがって......こんなんと一緒にすんなよ!? 俺はもっと! もっと......ッ」
腹立たしさを沸々とよみがえらせたマイケルが八つ当たり気味に、「まとめて引っこ抜いてやろうか!」と腕をかざす。
が、育て主のサマンサに怒られるであろう未来が容易に思い浮かべられて、
「へっ、情けねえな......。こんな弱気だから、俺はなんにも出来ねえのかなぁ......」
思い切りの良さひとつ出せない自分に嫌気がさし、野菜の上にかざした手のひらを力なく下ろした。
シャルロッテに手酷く痛めつけられ、惨めに逃げ出したその足で気が付けばここへと。
サマンサ達のいた広間へと戻らなかったのは、無意識に自分の行動に恥を覚えていたからだろうか。
好意を覚えた女の子ひとり満足に助けることの出来ない、そんな自身の不甲斐なさに。
とは言っても、マイケルはシャルロッテに逆らう事などできない。
なぜならば、荷物持ちとしてこの部隊への参入を推挙してくれたのが、誰であろうシャルロッテその人だからだ。
「その正直な尻が気に入った」という独特の理由で加入を推されたという経緯を持つマイケルからすれば、本当の意味で彼女の機嫌を損なう事だけは避けるべき。
多少の乱暴な扱いはむしろありがたい。
もともと他人への興味が希薄なシャルロッテを見れば、無価値と断ずればいともあっさりとマイケルを放逐するであろうことは想像に難くない。
こうして怒られている内が華、というものだ。
「やっぱ、これしかねえのかな。......まじ怖えぇ、本当に信じていいのかよ、コレ......ッ!?」
ごそごそと、マイケルが自身のお腹辺りの服の中から取り出したのは、例の怪しげな魔術教本。
外出時は肌身離さず隠し持っているそれの頁をペラペラと捲ると、中にはいくつもの魔法構成が描かれていて。
もっとも、残念ながらそのどれもがマイケルには使用できない。
こっそり人目に付かない所で練習してみたものの、どれ一つとして発動出来なかったのだ。
本の記述が間違っているのか、それとも自分に才能がないだけなのか。
魔法に対する知識や経験を多く持たないマイケルには、そのどちらも判断がつかなかった。
ただ、全く望みが無いわけではない。
自身が変わるための一欠片の希望と大きなリスクに思い惑い、マイケルが震える手でなぞる最後の頁。
そこに刻まれた、ひとつだけ不気味な赤い文字で書かれている複雑な記号の入り乱れる構成式には、
『不可逆な変性を受け入れ、代償を捧げよ。さすれば与えられん。其を変えるは、魂の叫び』
シャルロッテが訳したのであろう注意事項がそばに記載されていて、他の構成式には無い記述にマイケルは怖気を抱く。
原文が翻訳できないマイケルには、随所随所に書かれたシャルロッテの文字でしか内容を読み取れず、さりとて不明な部分を彼女に聞くこともできない。
迷宮から発見された、というこの貴重品を研究室から勝手に拝借してきたものであるため、バレたら大目玉をくらってしまうからだ。
使ったらどうなってしまうのか。
代償とはなんなのか。
魂の叫びとは一体?
未知の領域に踏み込む決断をためらうマイケルは、暫しの間その場で魔法書と睨めっこをしていたが、遠くからサマンサが自分を探す声がして、慌てて服の中に本を隠す。
「こんな所にいたのかいマイケル? 今からフュフテを連れて迷宮に向かうから、その打ち合わせをするよ。広間においで!」
「あ、ああ! 分かった。いま行く!」
建物内から顔を出したサマンサに対して素早く返答し、花壇の煉瓦の囲いから急いで腰を上げたマイケルは、何事もなかったかのような素ぶりで屋内へと駆け出す。
変な態度を見せてこの魔法書に勘付かれてしまっては元も子もないと焦るマイケルは、いつものように慌ただしく。
表面上は悩みなどまるでなさそうな少年の胸の内を想って、囲いに植えられたままに仲間を見送る野菜たちが、彼を応援するかのように吹き付ける風で実を揺らしていた。
※ ※ ※ ※
マイケルがサマンサと共に大部屋へと戻ると、ずっとこの部屋にいたのか、隊長のバニードと美少女剣士のシリンが何やら話をしていた。
熱心に口を動かしているバニードは、どうやらフュフテの加入に関する利点をこんこんと、椅子に座るシリンに対して説いていた様子。
直刃を思わせる真っ直ぐな、一見すると黒色だが光の加減で紺青にも見える前髪の間に少しの懸念を覗かせて、
「あの魔法士をぜんぶ信用したわけじゃないけど、治癒魔法は受けることにするから。それでいいよね? それ以上は、まだ無理かな......」
「それで構わない。むしろ充分というものだ。君にも思う所はあるだろうから、ゆっくりでいい。......すまないな、シリン」
「いいよ。隊長が悪いわけじゃ、ないからね」
フュフテという魔法士に対する認識を改めたシリンが、隊長へと静かに心情を吐露する。
尻からビチャビチャしたフュフテ汁を口にしたとはいえ、それで相手の全てを理解できる筈もなく、おまけに会話で人となりを掘り下げようとした所をシャルロッテに邪魔されてしまったため、非常に中途半端な状態。
それでも前向きに捉えようとするシリンに感謝と申し訳なさを込めて、隊長のバニードは謝罪の息を吐いた。
二人のやり取りが落ち着いたの見計らい、サマンサがそっとシリンに近付いて優しく髪に触れる。
暖炉によって生まれた室内の暖かさとは別の温もりを込めて、腰まで伸びたシリンのさらりとした髪を指で梳くサマンサは、
「大丈夫だよシリン。あの子は変な子じゃないさね。ちゃんと常識を弁えた、今時珍しい魔法士だからおかしな事はしやしないよ」
「ありがと、サマンサ。......でもあの人、ずっとお尻を外に出したままだよね? それって、変じゃないのかな?」
「あんたの言いたい事も分からなくもないけど、別に誰かをみだらに誘惑しようとしてる訳じゃないだろう?
あの子も、好きで丸出しにしてるんじゃあないだろうさ!」
「だといいけど......」
シリンのわだかまりを少しでも取り除いてやろうとフュフテの弁護をするが、シリンからひとつの疑惑を投げかけられてしまう。
確かにシリンの言う通り、フュフテの格好は単純に卑猥だ。
丈の長い上衣でギリギリ下半身が隠れているとはいえ、その下に何も履いていないというのは少々どころか大分危ない。
何かの拍子に少しでも捲れてしまえば、大事な部分が容易くさらけ出されてしまう。
加えてあの美貌だ。
ただ外を歩いているだけで、見えそうで見えない部分に情欲を掻き立てられた男たちが寄ってくるのは必定。
あれがもし狙ってやっているのだとしたら、とんでもなく破廉恥な少女である。
あの若さですでに男を誘惑する事を平然と行っているとしたら、将来ろくでもない大人へと成長するだろう。
そんな子だったらどうしようーーと、シリンが今までとは少々違う意味で不安を抱いていると、またしても急に扉が、バンッ! と開け放たれて、せっかく隊長が一生懸命直したドアが吹き飛んでしまう。
「扉に何か、恨みでもあるのか......ッ!」と苦々しく呟くバニードに同調しながら騒音の先に視線を向けると、現れたのは言うまでもなく、ドアには取手というものがある事を知らない女。桃髪の狂人シャルロッテだった。
「やあやあ! 待たせてすまないね皆の衆! 少しばかり『お楽しみ』に興じ過ぎてしまったかなぁ。だけれども、そのおかげでなかなかに面白い結果となったから、皆にも見てもらおうと思う。
さあ、入ってくるんだフュフテ。その姿を皆に見せてやりなさい」
のっけからかなりの高揚を見せて鼻息荒く声を上げるシャルロッテに急かされて、入り口からひょっこりと顔を出すフュフテ。
若干の逡巡の後にトテトテと室内に足を踏み入れる、さっきまでとは全く違うフュフテの装いを目にして、一同は目を瞠いた。
衆目に姿をさらした美少女もどきの格好は、一言でいえば漆黒。
上から下まで濡れ烏の羽色で統一されていて、元からフュフテの持つ金色と肌の白さが絶妙なコントラストを奏でている。
全体的に黒を基調とした耽美で退廃的な装いの、その中心である胸元から腰にかけては、ビスチェとコルセットが混同したようなものが装着され、フュフテのもとから細いウエストをより繊細に締め上げて。
首元を半ばまで覆う生地には、前に着ていた服と同じ緑金の刺繍が控えめに施されていて、それがちょうど肩口まで続いている。
そして一番注目すべき点は、この衣装の限界まで短くされた丈の長さだ。
ドレスと言うには余りに短いその広がりは、膨らみを持たせるために極短のパニエでも着用しているのか。
そのせいで捲れあがる臀部付近はもうすでにフュフテの下尻部分が見え隠れしていて、チラチラと非常に目に悪く扇情的な光景。
さらに言うならば、そこから覗くお尻には黒の紐のような下着を確認できるが、大事な所は完全に丸出しとなっていて、果たしてこれが下着の役目を果たしているかは甚だ疑問であった。
再び纏められた頭部のお団子を飾る黒のリボンという姿は、もう完全に男である事を捨て去った悲しいほどに女性的な格好で、それは決してフュフテの本意ではないのか。
皆に穴のあくほど凝視されて、顔を赤くして涙目になっていた。
「ふおおおぉぉーーっ!! フュフテちゃんその姿はッ! た、たまんねぇ......ッ!」
先程シリンが危惧した事を再現するように、フュフテに魅了された蛾が一匹。
さっそくふらふらと覚束ない足取りのマイケルが、吸い寄せられるようにフュフテに近付いていく。とーー、
「ーーッ! ち、近寄らないでくださいッ!!」
バチチチチッ!! ーーという電撃音と共に、フュフテの両手両足から電気的刺激が走り、無防備に近づく害虫を妨害する威嚇を放った。
フュフテの肘までを覆う黒のドレスグローブと、膝上までかかるロングブーツからほとばしる稲妻に焼かれて、
「アババババ............ッ!」
全身を激しく痙攣させるマイケルは、威嚇にしてはかなり威力が高めの雷撃を浴びてしまい、焼き野菜となってその場に崩れ落ちた。
忠告虚しく、というか忠告とほぼ同時に放たれた避けようのない攻撃で気絶したマイケルを見て、
「ああッ! マイケルさんごめんなさいッ! この服、なんか嫉妬深いみたいなんです......」
非常に申し訳なさそうな表情で、厄介な状態となってしまった自身の行いを謝罪した。
フュフテの意志とは無関係に発動した激しい雷。
すぐ側にいるシャルロッテにはなんの被害も与えていないことから、おそらくは男を限定して排除する代物なのか。
死に至らしめる程の効果はないにせよ、その熱量には相当な執念が込められているようにも思える。
そんな物騒な行動を平然と行ったのは、フュフテの新しい着衣。
確固たる意志を持ってして主人に近付く虫ケラを駆除した事を誇り、高笑いを上げるように黒光りしているその物体。
際どい下履きから顔をチラつかせている、『暗黒のぱんつ』だった。