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無題  作者: ナナシ
第3章
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第16話 『勝手にピンチになる男』

 人の想い、というものに、決まった形は存在しない。

 一般的に「心」という単語で呼称されるそれは、人体に明確な器官として備わっていないにも関わらず、誰もが漠然と己の内に認識している不可思議な概念だ。

 そこから生み出されたものは、主に言葉という媒介を通して自己から他者へと伝わり、様々な想いを誰かの心へと刻んでいく。


 それは、目に見えないながらも確かに熱を持つもので。

 いまこうしてフュフテが目にしている空間も、そこに存在する人達の個々の想いが言葉という形で混ざり合い、室温が上昇したと錯覚するほどの熱気が緊迫感を伴って肌にまとわりついてくる。


「許せないよッ! あの男.......ッ! あたしが捕まえてきてやる! 離しな、アンタ!」


「落ち着くんだ、サニー! 今はシリンの治療が優先だ。私とて、あの魔法士の男を許すつもりはない。逆恨みで元仲間を襲うという卑劣な行いを、必ず罰してやらねばならないと思っている!

 だが、それよりも仲間の身の方が大切だ。そうだろう?」


 普段は穏やかな面立ちを怒り一色に染め上げて激情のままに部屋を飛び出そうとするサマンサを諭しているのは、先日フュフテが会ったばかりの男。

 フュフテを治癒魔法士として勧誘してきたサマンサの夫バニードは、妻を後ろから羽交い締めにして、その突発的行動を制止しようとしている。

 女性といえども鍛えられたサマンサの四肢は力強く、なおかつ制御出来ない感情によって身体に込められた動力が相当なものなのか、バニードは妻を抑えるのに四苦八苦の様子。


「ありがと、サマンサ。私は、大丈夫だよ」


「それの、どこが大丈夫なんだいっ!? 一歩間違えれば死んでたかもしれないんだよ! ああっ、もう! あたしは悔しいよ、シリン......。 なんであんたばっかりが、こんな目に......ッ!」


 そんな激昂するサマンサにかけられた言葉は、張り上げた訳でもないのに不思議とよく通る声で。

 短いながらも、ハッとするような語気を発した主を振り返るサマンサにつられて、フュフテもその人物へと耳目を持っていかれた。


 サマンサの嘆きを一身に受けているのは、簡素な木製の長椅子に座る、フュフテと同世代くらいの少女。

 おそらくは彼女が、マイケルがベタ褒めしていたシリンという少女なのだろう。

 均整のとれた女性らしい体躯と腰までの艶やかな長髪、加えて整ったパーツをちりばめた小顔は確かにマイケルの言う通り美少女という姿に相応しく、フュフテは「なるほど」と納得した。


 美しい容姿の女性をそれこそ見飽きる程に見てきたフュフテから見ても「可愛らしい」と思うのだから、一般的に見れば彼女の容貌は相当に優れていると言って良いのだろう。

 マイケルのような少年のみならず、正常な性癖の男子であればその顔に見惚れてしまうのも無理はない、そう思えるほどの造形。

 だがそれよりも、今フュフテの目を捉えて離さないのは、彼女が長椅子に真っ直ぐ伸ばして載せる細く長い脚、その太もも部分だった。


 別に、フュフテが女性の足に特殊な執着を持っている、という訳ではない。

 それに、彼女の綺麗な足の形が特段好みであった、とかいう話でもなかった。

 単純に、そこが大変な事になっている、という理由。

 肌着ともいうべき薄さの、爪先から腰下までを覆う脚衣に覆われるちょうど(もも)部分は、赤い液体で真っ赤だった。


 破れた黒の肌着から覗く裂傷は痛々しく血に染まり、右太ももの広範囲の脚衣を濃く濡らして。

 しかしながら、痛みに耐えて額に脂汗を浮かべている少女は一目で重傷と分かる傷を負ったにも関わらず、さして取り乱した様子もなく。

 そのことから、彼女の気丈さの一端が垣間見れるだろう。


 と、そこで、今し方この部屋に着いたばかりのフュフテとマイケルに気が付いたサマンサが、顔合わせに来てくれたことに顔を綻ばせた後に、申し訳なさそうに眉を下げる。


「ああフュフテ! 来てくれたんだね! ありがとう! ちょっと今、立て込んでいてね......。

 ......フュフテ、あんたに頼みがあるんだ。急で悪いんだけど、シリンの怪我を治してやってくれないかい?」


「あ、はい。それは別にかまわ.....」



「ーーいらない」



 ピシャリ、と拒絶の一声が、この場を鋭利に突き刺した。


 サマンサの申し出を引き受けようとしたフュフテの言を遮って断りを入れたシリンは、失血によって顔を白くしながらも毅然とした態度で。

 深緑色の勝気な瞳が少し釣り上がって見えて、それが彼女の何がしかの意志の強さを思わせている。


「何を言い出すんだいシリン! この子は腕のいい治癒魔法士だよ! この子に任せればあんたの傷もすぐに......」


「サマンサ。あなたはこの魔法士を信用しているのかもしれないけど、私は信用できない。

 ううん、違う。私は、『魔法士』を、信用できないよ」


 深手を負った傷による痛みが辛いのか、少々顔を歪めてそう述べたシリンは、


「私が知っている魔法士に、ろくな使い手はいないよ。あの魔法士の男が、いい例。

 魔法を使えることが自慢なんだろうね。傲慢な振る舞いで人を見下す言動ばかり。その上なんの信念もなく、持った力で簡単に人を傷つけようとする。

 そんな人から、治療なんて受けたくない。

 この魔法士が同じかどうかは知らないよ? でも、私は嫌。魔法士が、嫌い」


 過去自分が見てきた魔法士の行動を例に挙げて、きっぱりと魔法士そのものに対して拒絶する。


 そんなシリンに返す言葉を持たないのか、事情をよく知らないフュフテ以外の面々は押し黙ってしまう。

 事実、今彼女の負った傷は元メンバーである魔法士の私怨によって、攻撃魔法により負わされたものであるからだ。


 さらに言うならば、その魔法士の男は自分の治癒魔法の価値をよく知っており、迷宮攻略に自身が欠かせない存在であると自惚れていた。

 そのため何を勘違いしたのか、自分をこのままメンバーとして囲いたいのであればシリンを性のはけ口とする権利を寄越せ、と隊長に当然のように要求してきた録でもない男だ。


 当然ながら、隊長であるバニードがそれを容認する筈もなく、珍しくも激昂して瞬く間に男を追放。

 それを逆恨みしてシリンを襲った、というなんとも聞くに耐えない醜悪な事件が事のあらましだ。

 もちろんこの国の魔法士すべてがそんな劣悪な人物の訳ではないが、不幸にもシリンの見てきた魔法士は似たような者ばかりであり、そういった傾向が強い魔法士の割合が少なくないのもまた事実。

 これで魔法士を好きになれというのも、なかなかに酷な話だろう。


 そもそもそんな魔法士ばかりを輩出してしまう原因がこの国のシステムそのものにあるのだが、まったく持って他国生まれのフュフテには関係のない話であり、実際に「え? そんな魔法士がいるの?」と少年はびっくりしていた。


 驚きを顔に浮かべるフュフテを正面から見据えて、


「だから悪いけど、隊長があなたを治癒魔法士としてこの隊に迎えたとしても、私には最低限、関わらないで欲しい。

 剣士としての私の役割は、あなたのような後衛を守ること。それはちゃんとするから。でもそれだけ。治癒魔法も私にはいらない。欲しくないから。

 そのほうがお互い良いと思う。......違うね、私がそうして欲しいだけ、だね。......ごめんなさい」


 澄んだ翡翠を少し曇らせて、頼み込むようにシリンは頭を下げた。



 ーー納得が、いかない。



 それが、フュフテの抱いた、率直な感想。


 自分の扱いに関して、ではない。

 というのは、フュフテは自分のことをまだまだ半人前の、欠点だらけの魔法士だと思っているからだ。

 そんな自分でも必要としてくれるバニードの言は嬉しかったし、サマンサに受けた恩を返したいと思ったからこそ此処にきた。

 だから、別段彼女に自分がどう思われようとも、対して不快に思うことはなかった。



 しかし、魔法士に関しては、話が別だ。



 フュフテは魔法士である事に誇りを持っている。

 フュフテの今まで学んできた、見てきた魔法士たちは、尊敬に値する信念をもった者たちばかりだ。

 とある理由によって自分に対する態度は好ましいものではなかったが、彼ら彼女らの魔法に向き合う姿勢は真摯そのもの。


 だからこそ、今彼女の抱いている魔法士に対する見解には納得がいかない。

 直接的に言えば、「魔法士を馬鹿にするな!」というところだ。

 もっともそれを言いたい相手は彼女ではなく、彼女の見てきた魔法士たちに対して、なのだが。



「じゃあ、信用できる魔法士だと、証明したらいいんですね?」



 いつもは、ぽやんと呑気に構えている顔をキリリッ、と引き締めて、フュフテはシリンに向かって強い口調で言い放つ。

 流石にその台詞には少し虚を突かれたのか、彼女の大きな瞳がパチクリと瞬いて、その後すぐに怪訝げな面持ちへと移行する。

 整った大きな瞳というのはただ見つめられるだけで目力を発揮するものだが、シリンの緑の瞳は意志の強さも相まってより威圧的に感じ、気弱なフュフテはすぐさま気圧されてしまう。

 まるで「出来るものならやってみなさい」とでも、その目が語っているようで。


 そんなシリンに格好よく言い切ったフュフテは、直後に自身の軽いお口に後悔していた。

 思わず感情的に何も考えずに口にしてしまう、悪い癖が飛び出してしまったのだ。

 表面上は澄ました顔をしているが、内心では「しまった!」と思考が危機を感知して、高速で回転を始める。


 ーーもし自分が健全な魔法士であったならば、今のシリンの挑発的目線を受けて、「やってやろうじゃないか」とでもなったのかもしれない。

 もしくは、自信に満ち溢れた姿で正しい魔法士の在り方を見せつけるべく、「君を僕が変えて見せよう」とでも口から出たかもしれない。

 だが、それはあくまで通常の魔法士の場合だ。



 なにせ、自分の魔法は尻から出る。



 普通じゃないのだ。

 だからそんな堂々とした台詞は、間違っても口から出てこない。


 タラタラと頬に流れ始めた雫を袖で拭う自分は、過度なプレッシャーを背負った事で、さそがし必死の形相になっているだろう。

 だが、そんな瑣末なことはどうでもいい。余計な事に頭を回している場合ではない。

 考えなしに自ら足を突っ込んだ危機的状況を切り抜けるため、今はまず情報を整理する必要があるのだ。

 そのためには、普段休みがちな脳をこれでもかと活用し、一心不乱に頭を捻らねばならない。


 いくつか問題はあるが、今よりシリンから信用を勝ち取るにあたり、まずは大前提として、「彼女に対しては決して不誠実であってはならない」というのがある。

 ありにままに、正直に、自分という魔法士が純粋に人を救うために魔法を行使する人物だ、と知って貰わねばならないからだ。


 だから当然、尻から魔法が出ることを隠すのはなしだ。

 嘘や隠し事をして、信用を得られる訳がない。

 よって、全力で魔法が尻から出るところを、実演形式で見せつけてやるのだ。


 だから、「天使の屁(エンジェル・ブリーズ)」は使わない。

 もともと「天使の屁(エンジェル・ブリーズ)」は、自分が尻魔法を人に知られたくないがために編み出した魔法。

 この場には、きっと相応しくないだろう。


 それに、あの魔法は魔力消費が莫大なため、流石に自分でも連発は厳しい。

 考え無しに使えば、あっという間に魔力切れになってしまう。

 だからこれから治癒魔法士として活動するのであればそればかり使うことも出来ないし、数発で魔力切れになる魔法士と認識されてしまったら本末転倒だ。


 次に、今日初めて会ったばかりの女の子の前で、「尻を露出しなければならない」という点だ。

 流石に恥ずかしい。自分とて健全な男子だ。羞恥心くらいは持ち合わせている。

 だがしょうがない。そこは諦めるしかないだろう。

 露出狂の変態だと誤解されないことを、祈るばかりだ。


 そして最後の大きな問題は、シリンの負傷箇所にある。

 彼女の怪我をした場所が太ももの外側なら良かったのだが、困ったことに患部は太もも正面のやや内股より。

 ここを治療しようと思うと、直接シリンの患部に尻を乗せるか、股ぐらにまたがって密接しなければならないだろう。


 ありえない。

 一番、やってはいけない治療法だ。


 怪我をして痛む箇所に尻ごと体重を預けて圧迫するなど、単なる拷問だ。

 普通に殴られても、何もおかしくはない暴挙。だから、当然これはナシだ。


 そしてもう一つ。

 自分は今、下に何も履いていない。

 つまり、上半身の服以外、完全な全裸状態なのだ。


 そんな男がうら若き乙女にまたがって、変なものを剥き出しに股間を密着させて尻に力を入れ出したら、一体どうなるだろうか?


 ただの強姦魔と間違われても、何も言い訳できない。

 何を回復するつもりなのか。違うモノでも全快にしようというのか。

 下手をしたら、殺されてもおかしくはないだろう。魔法士の信用は地に堕ちて、永遠に這い上がる事はなくなってしまう。

 よって、これが一番ナシだーー。


「どうしよう......」と、ここまでを一瞬の間に思考したフュフテは、考え過ぎて頭が沸騰しそうになる。

 考えれば考えるほどに良い方法が思い浮かばず、面を伏せたまま思考の迷宮入りをしてしまいそうな状況だ。


 そんなフュフテを心配したのか、


「大丈夫かい? すまないね、こんなことになってしまって......」


 サマンサが見兼ねたように近寄り、悲しげに息を落とした、その時ーー。



 ーーこれだッ!! これしかない! サマンサさん、ありがとうッ!!



 サマンサの声を聞いた瞬間にフュフテに走った、圧倒的閃き。

 それをもたらした聖母へと、ばっと、顔を上げて凝視し、彼女に後光が差すのを幻視して眩しそうにした後に、この苦境を脱するための重要な一言を口から発した。


「サマンサさん、お願いがあります。お皿を一つ、貸してもらえませんか?」

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