第15話 『突き進む少年たち』
隊長ーーサマンサの夫であるバニードと交わした約束の日の当日。
充分な休息を取ったことでほぼ体調を取り戻したフュフテは、部隊メンバーとの顔合わせのため迷宮都市の町並みを目にしながら、目的地へと足を運んでいた。
聖王国、武力大国、魔導大国の三つの国家に囲まれ、丁度その中心に位置するこの迷宮都市は、聖王国にとって重要な地であり尚且つ他国と隣接する危険区域。
特殊な原理で魔石が産出されるこの都市の希少性は非常に高く、保有国の聖王国以外の二国からすれば喉から手が出る程に魅力に映る拠点であるため、現時点では各国の間で停戦協定が結ばれてはいるものの、ひとたび戦端が開かれれば即座に紛争地帯へと早変わりする危うさを含んでいる。
事実、過去の歴史を紐解けばこの地を巡っての争いは幾度も繰り返されており、その傷跡は今も都市外周を囲う城壁に深く刻まれたまま。
しかし、ここ数十年間戦火に見舞われていない事が影響しているのか、今こうしてフュフテの目に映る都市の住人たちは戦時特有の陰惨さなど微塵も感じさせない、活気溢れる姿で其処彼処を闊歩し平和を謳歌していた。
数日前に鳥さんと共にフュフテが最初に到着した広場を抜けた先、目的地へと真っ直ぐに続く幅広の大通りはとても賑やかで。
両脇にずらりと並ぶ大量の露店には、フュフテが見たこともない食べ物や用途の想像もつかない道具があちこちで売られていて、それに興味を惹かれた道行く通行人たちの足を見事に止める事で通路の混雑に一役買っている。
森の民の住む里では見る事の出来ない、お祭りにも近い光景にそわそわとするフュフテは、
「マイケルさん、あれは何ですか?」
「なになにフュフテちゃん! この物知りマイケルに何でも聞いてくれ! どんな事でも答えるぜ!?」
すぐ前で自分の手を引いて先導するマイケルに気になったものを次々と指差し質問して、自身の好奇心を満たしていく。
その姿はとても初々しく、体が復調したことで生来の赤みを取り戻した肌はつやつやと。
元から備えた人目を釘付けにする優れた容姿は、楽しげに瞬く金眼と笑顔でさらに魅力を上乗せして、行き交う人々を驚かせる。
何気なく目にして二度見三度見をする者、その場に硬直して凝視する者、はたまた一旦通り過ぎてから振り返り、わざわざ戻ってまで顔を確認しようとする者などがフュフテの進路上に次々と現れ、ただでさえ歩くのに難儀する通りの混雑に拍車をかけていく。
さらに言うと、フュフテが頭の天辺にちょこんと乗っけている鳥さんも、注目を集める要因となっていた。
どのようにしてかは不明だが立派に生えた二本の角を自身の体の何処かに収納したようで、綺麗な真ん丸の球体としてフュフテの頭部に鎮座する姿は、愛玩動物と言われても納得できる愛らしさに。
可愛いものに可愛いものが加わって、相乗効果の可愛らしさを周囲にばら撒いている。
当然ながら、フュフテはそんな自分達の姿にまるで頓着していない。
「なんか歩き難くなった?」くらいの感覚で、自身が渋滞の原因となっているなど全く想像もしていなかった。
代わりにそれに気付いていたのは、未だにフュフテを女の子だと勘違いしたままのマイケル少年だ。
彼は今、極上の美少女と手を繋いで歩くという幸運に舞い上がり、優越感の塊となっていた。
たいして見れたものではない面にひっつく鼻を誇らし気に膨らませ、「どうだ! 羨ましかろう! 俺の女だぜ?」と雄弁に語るしたり顔は、挨拶がわりに殴りつけたくなるぐらいに腹立たしい顔つきだ。
実際に、すれ違う何人かは自分の片腕を抑えてプルプルと、邪悪な力を解放しないように懸命に堪えている事から、どれだけマイケルの得意顔が不愉快であるかを想像して貰えることだろう。
あともうほんの少し時間が経過していれば、とうとう我慢がきかなくなった男達に袋叩きにされる所であったが、誠に残念なことに大通りは終点を迎えてしまい、目的の建物の入り口前へと二人は到着する。
大人数を容易く収容できそうな石造りの外壁の建築物。その真四角にくり抜かれた部分に存在する金属補強の木製扉の前に立つフュフテは、
「なんか、緊張してきました......」
「大丈夫だって! そりゃあ知らない奴ばっかりじゃ緊張もするだろうけどさ、フュフテちゃんはもう隊長達には会ってるし、俺だっている!
そんな不安にならなくても、大丈夫だ。俺が守ってやるよ!」
初めての環境に飛び込む際に生ずる特有の不安に苛まれて尻込みをするが、そんな少女を励ます声が隣から掛けられた。
本人としてはこの上なくキメ顔を作って言い切ったマイケルは、「これは決まったぜ!」と満足気な表情で。
もしこの場に彼が何も出来ない事を知る第三者がいれば失笑物の一言だが、心細さ一色のフュフテには効果覿面だったようで、
「嬉しいです......ありがとう、ございます......!」
少し頬を赤らめてはにかんだような、それでいて蕾が花開く瞬間にも似た心動かされる華やかな笑みを、マイケルへと向けて喜びを口にした。
目の前の美少女の、翳りを見せていた表情が、一転して目も眩むほどに艶やかに。
ましてやそれが、自分の口から出た言葉によって引き出されるのを目にして、心をざわめかせない男が果たしてこの世にいるだろうか。
「フュフテちゃん......もしかして、俺のこと......」
嫌がらずに手を繋いでくれた、というだけで容易く相手に惚れてしまうような危うさ持つ年頃であり、おまけに全くと言っていい程に女慣れしていないマイケルは、フュフテの様子を見て有らぬ方向に思考を飛ばしてしまう。
それも仕方のないことだ。
なにせ、彼は齢十五の少年。
思春期という名の翼を背中に生やし、どこまでも広がる大空を後先考えずに翔け上がることの出来る、無駄な行動力だけは一人前の男。
妄想を鱗に刻んだ昇り竜。天下御免の、チェリーボーイだ。
「おっ......おう! ま、任しとけ! へへっ!
あ、そうだ! 他の二人もな、いい奴......かはちょっと怪しいけど、悪い奴じゃねえから心配すんな!
いやっ! シリンちゃん......えっと、俺と同い年の女の子はすげー可愛いし、いい子なんだぜ? でも、もう一人がちょっと、やべえんだよな......」
持ち前の妄想力を発揮して少女が自分に気があると完全に思い込んでしまったマイケルは、興奮を隠しきれない様子で聞かれてもいないのにフュフテがまだ会った事のない二人について言及する。
念のために言っておくが、フュフテが顔を赤らめたのはもちろんマイケルに惚れた訳ではない。
「こんな事で怖気付くのは恥ずかしいよね?」という照れが理由であり、笑顔もただのお礼の産物。
全てはマイケルの思い込みというものだ。
だがしかし、思い込みほど恐ろしいものはない。
「男にとっては危険なんだよあの人......あー、だからまあ、フュフテちゃんは大丈夫だと思う。うん」
「?」
「ッ! くっ......!!」
マイケルの要領を得ない説明と不可解な内容に、不思議そうな表情でこてん、と首をかしげるフュフテは、「何がどう危険なのか」についての説明を求める仕草でマイケルを見つめる。
ところが、マイケルからは何かを堪える呻き声以外聞こえず、何も話してはくれない様子。
というのも、美少女もどきの持つ穢れを知らないかに見える楚々とした面持ちと、無垢で純真な印象を与える瞳に見上げる角度で射抜かれたマイケルは、理性を吹き飛ばされそうになっていたため、それどころではなかったのだ。
フュフテの無防備な姿は、自分に心を許してくれているからこそのもの。
そう考えるマイケルの頭の中は、純粋な欲望やら未知への戸惑いやら果てしない興奮やらがごっちゃ混ぜに、暴れに暴れて大変な事態に。
そんな状態のマイケルに、まともな話が出来る訳がない。
よって何の説明も続かなかったため、フュフテは自分で頭を悩ませる事となった。
ーー彼は一体、何を言ってるのだろう?
眼前で自分の胸を押さえて悶絶するマイケルを見ながら、フュフテは疑問を抱く。
男にとって危険なら、当然自分にとっても危険なのではないだろうか、と。
というか、さっきから少しマイケルの視線が気持ち悪い。
同い年の男の子と出会うのは初めてのため、今ひとつ心理的距離感が分からないのだが、男同士というのはこういうものなのか?
そういえば、少し年の離れた探索者のオスタさんも結構気安い感じだったなぁ、と思い出す。
マイケルの場合はどこかねっちょりとした湿気を含む視線であるが、その辺は個人差があるのかもしれない。
そんな事を考えながら、自分より少し背丈のあるマイケルを下から見上げて首を傾けていると、
「はああぁぁ......可愛いぃぃッ......ハァ、ハァ。......くっそ! まじ、攫いてえ......」
より一層奥に怪しい光を灯らせた不穏な眼光と荒い息遣いが返ってきて、自分の中の何かが警鐘を鳴らした気がした。
鳥肌ものの悪寒を感じ、本能に従って身を翻し走り出しそうになったが、ここで逃げ出したら顔合わせの約束を果たせなくなってしまうと思い、なんとか踏みとどまる。
と同時に、マイケルがやや強引に自分の手首を掴み、再び手を引いて建物内部へと足を踏み入れた。
一瞬、「何処かに連れ込まれるのか!?」と危惧したもののそんな事態にはならず、煩悩をその場に置き去りにする勢いで突き進むマイケルに引っ張られて、そのまま玄関を通り過ぎ廊下へと。
何をそんなに焦っているのかは分からないが、ひとまずは舐めるような視線から逃れられてホッとし、森の民が生活する住居とはまた違った建築技術によって作り出されたのであろう木造の屋内を、見渡しながら進む。
「宿とはまた少し造りが違うのか」と、もの珍しげにキョロキョロとしていたが、徐々にマイケルの恐怖の視線で吹き飛んだ緊張感が再び戻ってきて体が強張るのを感じた。
「え、なに? なんか今......?」
そいつを少しでも紛らわせようと頑張りながら歩いていると、ふいに進行方向から何やら女性の高い声が聴こえてきた。
前方の、一際明るい室内の光が近付くにつれて大きくなる声量は、内容は分からないながらも平穏さに欠けた響きで。
マイケルもそれに気付いたのか、声の元で何が起こっているかが気になったようで、さらに足を速める。
自身を取り巻く空気が熱を帯びてきたのは、すぐ目の前の室内入り口から漏れる暖気によるものか。それとも、明瞭に聞こえるようになった会話の熱量のせいか。
その答えは、広間ともいうべき空間に到達し、室内の四人の人物を目にした際に明らかとなったーー。