第14話 『勧誘と姦雄』
「ん......あったかい、かあ......さん......?」
夢と現実の狭間、その境界線から覚め行く意識の中で、ふと誰かの生暖かい視線と側に感じる温もりを察知したフュフテは、長時間閉じていた事で頑なに開くのを拒む瞼に力を込める。
緩慢な動きで露わになる瞳に入り込む光によって、一瞬視界が白くなるも映る景色が徐々にはっきりと。
それぞれが意味のある物体として脳に知覚を促す。
そうして見覚えのない天井を目にしたと同時に、すぐ左耳に聞こえた荒い息づかいに気付き、ゆっくりと顔をそちらに向けて、
「っ!? やっ......やあッ!!」
「ッ!! おびゅっ!? あがああああぁぁぁっ! め、目がああ!!」
変な面をした男と超至近距離で顔を合わせた事で全身に鳥肌が立ったフュフテは、反射的に防衛行動へと移行。
右手の人差し指と中指をハサミの形に変えて、血走った目線を向ける二つの穴を全力で突いた。
おそらくは、ベッドに横たわるフュフテと添い寝をしていたのだろう。
急所を突かれた若い男は耳障りな悲鳴を上げて寝台から転がり落ち、そのまま勢いよく壁際まで回転して壁面に激突。
鼻を強打でもしたのか、赤い飛沫を飛ばしてもんどり打って苦しんでいる。
「だ、誰っ......!?」
全く見覚えのない、自身と同世代くらいの少年がのたうち回る姿に動揺するフュフテは、上体を起こして毛布を胸元に手繰り寄せながら身震いをひとつする。
仕草が完全に乙女なのは、気にしてはいけない。
こうして反射的に手が出たのは、グググ先生の厳格な教育の賜物である。
『よいか、フュフテよ。お主は頭は悪いが見てくれだけは優れておる。故に、邪な輩に付け狙われる可能性を常に警戒するのだ。
もし万が一身の危険を感じた場合、考える前に即座に攻撃せよ。対話するのはそれからでも遅くはない。よいか、全力でゆくのだぞ?』
手加減など無用だ、と言いつけるグググ先生の有り難いお言葉を脳裏に反芻して、「これでいいんですね? グググ先生!」と密かな達成感を得て拳を握り締めるフュフテに、
「あんたら何やってんだい......はあ。マイケル、あんたまた碌でもない事を仕出かしたね? 自業自得だよ全く......」
「あああぁぁ......そ、その声は、サマンサさん! て、敵襲だ! 何者かが、俺の目をおおぉぉ......ッ!」
今し方入室してきたばかりのサマンサが、両手に食器を抱えた状態で声をかけた。
入り口を入ってすぐ右側の部屋の隅にひとりお祭り騒ぎで転がるマイケル少年を見て、「どうせくだらないことでもしたのだろう」と嘆息を隠すこともしないサマンサの様子からするに、彼の奇抜な振る舞いは常日頃のものである事が容易に推測される。
最も、マイケルの行いが悪意に満ちたものであった場合サマンサが容認する筈がないため、彼の行動は純粋な本能に基づいた考えなしのものなのだろう。
要するに、ナチュラルに愚かなのだ。マイケル少年は。
床で遊んでいる愚か者を放置して、
「ずいぶんと長いこと眠っていたね。調子はどうだい?」
「あ、はい。だいぶ良くなりました。ありがとうございます」
「そうかい。うん、顔色も良くなってきたみたいだね。食事、持ってきたから食べな」
フュフテの体調を気遣うサマンサは寝台へと歩み寄り、マイケルが飛ばされた方向と反対側にある木製の机に手にした食器を置く。
暖かく湯気の立つ平たい皿には、乳白色のどろりとしたシチュー状の液体が盛られている。
固形物は病人にはまだ重いから、という配慮なのかもしれないが、やたらと汁物を持ってくる女性だ。
当然長らく食事を摂取していない空腹のフュフテに断るという選択がある訳もなく、再度礼を述べてありがたく器に入った食事を頂くことにする。
すると、机上の食事に手を出した際にすぐ真横に丸まって眠る鳥さんが、ぴくりと身を震わせた。
緑、赤、黒という奇妙な色合いのモコモコの球体は当初は不気味に感じたものの、こうして見慣れてきた今ではこれはこれで悪くはないかもしれない。
誰かが外してくれたのか、それとも自ら外れたのかは分からないが、机の上で大人しく寝息をたてる鳥さんは存外かわいらしいものだ。
皿に添えられた匙を使ってゆっくりとした動作で口に液体を運ぶフュフテは、与えられた暖かい食事に感謝するとともに、ここまでしてくれるサマンサに何かの形で報いたいと考える。
彼女が居なければ、自分はもっと酷い目に遭っていたかもしれない。
与えられた恩に報いたいと感じるのは、至極当たり前というもの。
静かに食事を続けるフュフテを何も言わずに優しい視線で眺めるサマンサと、「すぴー」と気の抜ける鼻息を奏でる鳥さん。
若干一名、床でゴロゴロと煩いのがいるが、大きめの窓から射す日中の温かな日差しに包まれる室内には、穏やかな時間が緩やかに流れていて。
そんな心休まる静謐な時間は、
「失礼する」
短い一言と共に室内に入ってきたひとりの男によって、呆気なく終わりを告げた。
ちょうど食事を食べ終えて机に食器を置くフュフテが声の主に顔を向けると、そこにはサマンサと同じくらいの高い背丈の精悍な顔付きの人物が、つかつかとこちらに。
「君が、フュフテだな? 私は聖王国戦闘斥候特殊部隊の隊長をしている、バニードだ。君に用があって来た」
「ちょっとアンタ! この子はまだ病み上がりだよ!? もう少し待ってくれって言ったじゃないか!」
「すまない、愛しのサニー。だが、あいにく私は君以外の人間にかける優しさは持ち合わせていない。君が全てだ。愛している、サマンサ」
開口一番、目的を口にする男は若いながらも真っ白な髪をサラサラと揺らして、紅く光る情熱的な瞳でサマンサを射抜き唐突に愛を囁く。
そんな彼の直接的な台詞に頬を僅かに染めるサマンサは、
「すまないねフュフテ。ウチの旦那はせっかちなんだ......。本当は、あんたがもっと元気になってからにしたかったんだけどね......勘弁しておくれ」
まだ状況がよく飲み込めずにオロオロとするフュフテに、恥ずかしげに謝りの言葉をかけた。
「なに!? 隊長か? 隊長が来たのか!? くそっ、まだ目が......! 何にも見えねえ、明日も見えねえ......ッ!」
同時に部屋の隅っこからよく分からない戯言が聞こえた気もしたが、「特に聞く価値もないかな」と気にせずに、寝台の上に座ってバニードと名乗るサマンサの夫を見上げたフュフテは、
「えっ? あの、僕に用、ですか?」
「ああ、君の事は彼女から聞いた。治癒魔法が使えるそうだな。単刀直入に言おう。君に我が部隊に入って貰いたい。
我々は現在治癒魔法士を欠いているため、迷宮探索を中断している状況なのだ。だから治癒魔法を使える君という存在を是非とも内に引き入れたい。無論相応の報酬は用意しよう。
出来れば早急に返答が欲しい。今日中に......いや、今だな。今すぐに決めて貰いたい。どうだ行けるか? 答えてくれ。3......2......1......」
「落ち着きなアンタ! 性急に過ぎるよ、この子がびっくりするさね!」
ひとまずは要件とやらを聞き返すも、返ってきたのはこちらに有無を言わせぬ言葉の連弾。
それを側で聞いていたサマンサは、早口で要件をまくし立てて、急にカウントダウンを始めた夫を慌てて制止する。
急に投げられた問いと流れについていけないフュフテは、あまりの突然の展開に戸惑いを隠せず混乱してしまう。
そんな中、
「あ、ここにいたんですかマイケルさん。お母さんが呼んでいますよ。手伝って欲しい事が......って、何してるんですか?」
「うう......なに? 母ちゃんが!? いや今は無理だ......! くそうッ! 手伝いたいのは山々だがッ! 俺の目は、見えざる敵の攻撃によって負傷してしまった!
おのれ悪魔め......これは、心の瞳を開くしか、ないのかッ!?」
マイケルのうるさい喚き声を聞きつけたのか、彼を探しにきた従業員の男性が部屋の入り口から顔を出す。
なおも何かを喋っているマイケルを見て、彼が遊んでいると思ったのか、
「ははは。マイケルさんはいつも楽しそうですね。悪魔って......あ! もしかして、英雄ごっこ遊びをしてるんですか?
しょうがないですね、私も付き合いましょう!
『英雄どの! 大丈夫ですか!? これは大変だ、今直ぐ光の聖女様に治療して貰わねば! さあ、私の背にお乗り下さい!』」
「いや遊んでるんじゃねえし聖女って誰だ? どっちかって言うと母ちゃんは魔王......。え、ちょっとまって、どこ掴んでんの? いややめて、いだだだだっ!」
満面の笑みで少年の両足を掴んだ従業員さんは、すごい勢いで彼を部屋の外に引きずり出していく。
両脇に片方ずつ足を抱える従業員さんの背中に否定の声をかけるも、一向に聞き入れられる事なく床をバウンドして壁や扉に身体をぶつけて退場して行く英雄マイケル。
外野がやたらと賑やかだが、それを丸無視して思考をまとめたフュフテは、
「迷宮、探索ですか......。ええと、一応、僕がここにきた目的も魔都......迷宮にあるので、それは構わないのですが......。
あの、僕は全く迷宮探索の経験がないのですが、大丈夫でしょうか?」
「ッ! そうかッ! 君の目的も同じか! ならば都合がいい。探索経験がない事に関しても対処はするつもりだ。心配はいらない。
勿論覚えて貰う事は多々あるが、君の役割は大半を治癒魔法の行使が占める事になる。最悪、そこさえ真っ当してくれるのならば何も問題はない。
ああ、君がどれ程の腕前かという点に関してはおおよそ聞き及んではいるが、念のためこの目で確認もさせてくれ。それは後日で構わない」
自分がきちんと役目を果たせるのか、という点に少なくない不安を覗かせるも、バニードの提案に前向きな返答を返す。
フュフテから色良い返事が聞けた事に満足したのか、赤い瞳を喜色に染めるバニードは少女の懸念を払拭するように、説明を続けた。
「ならば早速話を進めるが、迷宮探索前に部隊員と顔合わせをしておきたい。といっても、君が面識がないのはあと二人だけだが。
近日中に済ませたいが、いつから行ける?」
「アンタ、せめてあと数日はこの子を休ませてあげておくれ。さすがに可哀想だよ」
「いえ、大丈夫です。あと一日貰えれば何とか......。明後日ではどうでしょうか?」
滞りなく段取りに入ろうとするバニードはこれまでの言動からするに、せっかちというよりも無駄を極端に嫌うタイプの人物なのかもしれない、とフュフテは感じた。
サマンサはどちらかというと過保護なようで、フュフテにとってはそれも大変有り難い事だがそんなにゆっくりと過ごすのも気がひける、というのも事実。
何より、こう見えてフュフテは意外と丈夫に出来ている。
そうでなければ、師匠や先生たちの地獄のような特訓に耐えられる筈がないからだ。
尻に関してはもっと丈夫だ。ちょっとやそっとじゃ、へこたれない。
「それで問題ない。当日はマイケルと一緒に来てくれればいい。では、これからよろしく頼む、フュフテ」
要件は全て終えた、という表情でほんの少し口の端を上げて笑顔を見せたバニードは、そのまま直ぐに反転して室外へと立ち去って行った。
嵐のような夫の行動に申し訳なさそうにするサマンサが、
「無理を言ってすまないね、フュフテ。あとで文句を言っとくから。全く......」
「いえそんな、全然平気ですよ。サマンサさんにはよくして貰ってばかりなので、少しでもお返しが出来たら嬉しいですし......これからよろしくお願いします」
「あんたいい子だね......。よし! 何かあってもあたしがちゃんと守ってあげるからね! 任しときな! よろしく、フュフテ」
「はい! ......じゃあ、僕はもう少し休ませて貰いますね......」
再度謝罪を述べるも、まるで気にしていないとばかりにフュフテは笑顔を見せた。
庇護欲を充分に刺激する、新たに仲間となった可愛らしい少女に優しく毛布を掛けてやったサマンサは、フュフテが静かに眠れるようにと静かに退室していく。
そんな彼女を寝台に横たわって見送ったフュフテは瞼を閉じようとする刹那、
「ああ! 英雄殿! 目の前に魔の峡谷が見えますッ! お気をつけ下さい!」
「ちょっとまてそれただの階段......ッ! へぶぅッ! あばばばばばーーッ!!」
大分遠くでゴンゴンと何かが転げ落ちる物音を耳にして、「これから騒がしくなりそうだな」と思いながら、少しの高揚感を抱き夢の世界へと意識を手放した。