第13話 『野菜を食べやさい』
集会所に集まった人々が怪我が癒えたことに喜び、治療の奇跡を行使した天使のように美しい少女に感謝と怪しい崇拝心を抱き騒つく中、サマンサと話していたフュフテは、
「ちょっとあんた! 大丈夫かい!?」
「す、すいません......少し......めまいが......」
急に頭を左右にゆらゆらとさせ、目の焦点がぼやけ始めていた。
そのまま崩折れそうになった所を咄嗟にサマンサに抱き止められたものの、気分は徐々に悪化の一途を辿るばかり。
それも無理はない話。
過酷な空の旅を経て消耗したフュフテの体力は依然として戻ってはおらず、自身の身柄を解放するためとはいえ、そんな状態で高度な治癒魔法を無理やり使用する羽目となったのだ。
当然、心身ともに限界をむかえて疲労はピークに達する。
無事治療を終える事が出来た安心感もあってか、振り絞っていた気力もついに尽きてしまったようだ。
「もういいだろう兵長!? この子はあたしが連れていくよ! それと、この子の入国手続きをちゃんとしときな!
さっきの調書で十分なはずだ。身元保証人はあたしで構わない。いい加減な事をしたら承知しないよ、いいね!?」
ぐったりとしたフュフテを自身の背中におぶりこの部屋から出ようとするサマンサは、振り返りざまに部屋の隅に立つ兵長に向かって厳しい声をかける。
有無を言わせぬ強い口調でかけられた内容に反論の術を持たない兵長は、怒りと忌々しさで顔をどす黒く染めて憎々しげに、醜い容貌をさらに醜く変えている。
それを見ていくらか溜飲を下げたサマンサは、
「サマンサ殿。先程はご挨拶も出来ずに申し訳ありません。いつも息子がお世話になっております。
そちらの少女を休ませるのであれば、うちの宿をご使用になられてはいかがでしょう?」
「? ......ああ! あんた、マイケルの父親かい!? 全然気付かなかったよ! そういえば一度前に会ったね。
......そうだね、じゃああんたの所を使わせてもらうよ。それがいいね!」
「では、私もご一緒させて頂きましょう。勤務時間はすでに終わっておりますので」
すぐ扉を出た所で待機していた書記の兵士に声をかけられて、彼が面識のある人物であった事を思い出した。
彼の息子とはあまり似ていない彫りの深い顔立ちの父親は、どうやら自分の仕事を終えて帰ろうとしていた所だったらしい。
丁度フュフテをどこで休ませるか考えていた所に提案された彼の言は非常に有難く、ましてや知人の宿であれば安心というもの。
懸念があるとすれば、この特上の美少女に思春期真っ只中の彼の息子が変な事を仕出かさないか、という事くらいだが、そこはきつく言い含めれば大丈夫だろう。
そう判断したサマンサは、何やら後方の部屋で、「お待ちください! 天使さまッ!」という叫びと共に慌ただしく人がごたつく面倒な空気を感じて、巻き込まれては御免だとばかりに足早に詰所を後にした。
※ ※ ※ ※
「はあぁぁ......シリンちゃんは、かわいいよなぁ......」
だだっ広い木造りの室内、雰囲気だけで言えばまるで飲食を専門とする酒場のような景観の中に、いくつもの木製の円卓と椅子が居並ぶそのうちの一脚に跨り、ニマニマとこの上なくだらしのない顔で椅子の背もたれに顎を乗せる少年が、何やらひとり妄言を吐いている。
マイケルという名の彼はどうやら、懸想する少女の姿を脳裏に思い浮かべているようで、その何とも言えない微妙な顔立ちに引っ付いている目みたいなモノをぼんやりとさせ、口に似たモノから唾液っぽいものを垂らして。
そんな、一目見たら忘れられない様ですぐ忘れ去られそうな容姿のマイケルが、
「お前......いい若者が、昼間っから何をしてるんだ......」
ガチャリ、という音を立てて入り口の扉が開いた直後にかけられた声に反応して、白昼夢から現実へと帰ってくる。
「お、おう! 親父、早かったな! なんだ? 客か?」
「ああ。だが、少し衰弱しているから直ぐに休ませてやりたい。部屋に空きは?」
「分かんねえ! ちょいまち、今母ちゃんいねえから、誰か呼んでくる!」
必要な事のみを述べた父親の端的な言葉に緊急性を感じたマイケルは、口元の涎を袖で拭うとすぐさま椅子から飛び退いて人を呼ぼうと動くが、その時にはすでに二人の従業員がカウンター横の小部屋から出て来ていた。
おそらくは入り口の扉が開く音で、来客を察知したのであろう。
淀みのない仕草で必要な手続きを行い、マイケルの父親の後から続いて中に入って来ていたサマンサと何事かを話している。
この宿の質の高さを感じる従業員の迅速な対応に機先を制されたマイケルは、
「なんだ、サマンサさんも一緒か。ってことは、あの背中の子が弱ってんのか?」
「そうだ。大事なお客さんだから、変な事をするんじゃないぞ? マイケル」
「病人にそんなことしねーよ! ......ん? もしかして、女か? 女なのか? どれどれ......」
「あ! コラッ!」と制止しようとする父親を無視してそろりとサマンサの背中に近づく。
その背後に背負われた少女の、変な被り物に隠された顔を覗き込んだマイケルは、
「んなッ!!!!」
目に飛び込んできたフュフテの尋常でない美少女っぷりに、大声で驚きを表した。
サマンサの背中に左頬を引っ付けてこちらに顔を向ける少女は人形と見紛う程に整った顔立ちで、少しやつれたせいか透き通る白い肌は血の気が薄れてより白く。
閉じた瞼を覆う金色の睫毛の秀美さは、黄金のカーテンがその奥に宝石を隠しているかのようで。
芸術的なラインを描く鼻筋をなぞって、行き着いた可憐な唇が温もりを求めているかに見えて、ふらふらと吸い寄せられた害虫がそれに吸い付こうとした瞬間、
「ぺっ!」
ビチャッ、という大きな水音を立てて、汚い虫の面に鳥さんが怒りのツバを吐きかけた。
「うぶッ、なんだこれ!? い! 痛い! いだだだだだっ! と、溶けるッ!」
大切な雛に無礼を働こうとしたゴミに向かって吐き出された親鳥の唾液は、今まで身内に垂らしていたものとは正反対の性質を帯びており、皮膚が溶けるのではないかと思うくらいの酸性と酷い臭気を含んだ代物。
無防備な美少女の唇を奪おうとした罪は重く、顔面の痛みに悲鳴を上げるマイケル少年は全力で水場へと走り去っていった。
「それじゃあ、あたしはこの子を寝かせてくるよ。マイケルにはちゃんと言い聞かせておいておくれ。これからこの子も一緒に行動する事になるだろうからね」
「分かりました、しっかりと躾けておきます。......うちの馬鹿息子を、よろしくお願いいたします」
呆れ顔で念を押してから、従業員に案内されて二階への階段を登って行くサマンサに深く頭をさげるマイケルの父が、息子の馬鹿さ加減に頭を悩ませていると、
「ふううぅぅーー、びっくりしたぜ! まだ顔がヒリヒリする......なあ親父。俺の顔、変になってねえか?」
「心配するな。元から変な顔だ」
顔面にかけられた刺激物を洗い流してきたマイケルが、頬をゴシゴシと擦りながら歩いてきた。
しれっと暴言を吐く父親に対して、
「変ってなんだよ! あんたの息子だろ!? ちょっとは責任とか感じねえのかよ!?」
「ふっ。残念だがな、息子よ。父さんは彫りの深い男前だ。それに母さんも、目鼻立ちのスッキリとした美人。
父さん達の良いところを全力で拒否して産まれて来た、お前が悪いッ!!」
「拒否してねえよ! 事故だ事故! なんでちょっと怒られてんの? 悲しいのは俺なんだけど?」
「黙れ小僧。なんだその、野菜みたいな顔は。......お前、本当に俺たちの息子か?」
「息子だよ! どこ疑ってんだ!? ちゃんと母ちゃんの股から産まれてきたわ! てか野菜ってなんだよ、適当か! せめて何の野菜か決めてくれ!」
憤りをぶつけるも、さらなる暴言で心を折りにくる親の姿に全力で突っ込みを入れた。
そんな息子の必死な様子に、何か感じるものがあったのだろうか。
「丁度いい機会だ。座れ」
そう言って、すぐ近くにある椅子に座ってマイケルにも同じように促す父の顔は、とても真剣な表情に。
一転してシリアスな空気に変じた空間にゴクリと喉を鳴らし、おずおずとマイケルも椅子へと座る。
本人が言う通り確かに彫りの深い端正な顔立ちは、今から何か重要な事柄に触れるような雰囲気を醸し出していて、先程の会話の流れから、「まさか......俺の出生に秘密が!?」と身構えるマイケルに対し、
「いいか、マイケル。よく聞け。
野菜というのはな、多くの栄養分を含んでいるんだ。
それによって、私達の身体は健康的に保たれているといってもいい。
さらにだ。野菜は適度に摂取する事によって病になりにくくなる、という性質も持っている。分かるか?」
「知らんわ! 何の話だ! おいこれ一体何の時間だよ!?」
厳かに言い放つ父の言葉は、全く予想外の内容であった。
意味の分からない話を続けようとする父親に反発し、ジタバタと暴れるマイケルを見て、
「慌てるなマイケル! 大事なのは、ここからだ。
つまりだな、お前は、何の野菜かはっきり決められていない事に不満を持っているようだが、それは間違いだ。
それぞれに個性を持つ野菜たち。彼らは、どれが一番かなんて決める事が出来ない者たちだ。みんな違って、みんな良いんだ。
お前もそうだ。お前の可能性は、たったひとつに絞ることなんて出来ない。無限大に広がっているんだぞ? まるで、野菜のようじゃあないか! なあ、そうだろう!? マイケル!」
「やかましいわ! 野菜に例えられて心に響くと思ってんのか! 大体、不満持ってるのはそこじゃねえよ?
野菜顔って言われた事が不満なんだよ! なにちょっと良い話風にまとめようとしてんの? びっくりだわ」
両手を広げて力説するマイケル父は、自分の言葉が息子に感動をもたらすと本気で信じていたようだ。
しかしながら実際はそんなことはなく、野菜に託した父の熱い思いはマイケルに何一つ伝わることはなかった。
このままではお互いに全く得るものがない無駄な時間になってしまうかと思われたが、
「それはそうとな、息子、マイケルよ」
「なんだよ、親父。言っとくけど、さっきみたいな訳わかんねぇ話なら聞く気はねえぞ」
再び真剣な表情になった父に対し、もはや何も信用していない顔で机に頬杖を付くマイケルの間に、新たに会話が生まれる。
「先程サマンサ殿から言われたが、さっきの少女はお前達と共に探索を行う可能性が高いそうだ」
「え、まじかよ! あんな可愛い子が!? うひょーーッ! それを先に言ってくれよ! おっしゃ! やる気が出て来たぜ!」
「落ち着け! 馬鹿息子! そう、そんなだから心配なんだ......」
「なにが?」と不満気に眉毛みたいなものを潜めるマイケルと向かい合う父親は、右手の親指と人差し指でこめかみを抑える形に悩まし気に瞼を閉じる。
「お前のそういう所が危ういんだ。いいか? お前が彼らと同行しているのは、あくまで荷物持ちとしてだ。
お前の仕事はなんだ?」
「......魔石を集めること」
「絶対守らなければならない条件は?」
「......わかってるよ。戦闘に手出しすんなってことだろ? この前のはその......ちょっと魔が差しただけだよ......」
父親の一つ一つを言い含める物言いに、マイケルの語尾が途端に弱々しくなっていく。
「分かっているならいい。変に格好良い所を見せようとして彼らに迷惑をかけるなよ。ましてや、次からはシリン殿だけではなくあの少女も一緒なのだ。
同じ失敗は許されんぞ。次はないと思えよ?」
「ああーー! もう分かったよ! ちゃんとやればいいんだろ!? はい、終わり! この話は終わり!」
これ以上はたくさんだと、態度であからさまに示したマイケルが椅子から立ち上がり、逃げるように階段を登っていく。
階下から、「まだ話は終わっていない!」と呼びかける父親の声を無視して、二階の突き当たりにある自室へと駆け込んだマイケルは、走ってきた勢いのままに寝台へとダイブする。
「ちぇっ、うるせえな親父は......。俺だって今は何もできねえ事くらい分かってるっつーの。
......でも、これがあれば、俺だって......」
そう独りごちるマイケルは、ベットの下に手を伸ばして隠していた書物を取り出す。
古い装丁の然程厚みのないその書物をこっそり開いたマイケルの目に入るのは、魔法関連の術式の一覧だ。
もう幾度も読み返した内容に目を滑らせる彼の頭の中は、魔法を使って華麗に戦う自分の姿で一杯に。
だがそれは、あまりにも浅慮というものだ。
書物一つ読んだ程度で魔法が使えるなど、幻想もいい所。
「魔法」というものに対してまるで無知な少年は、誰の指導も受けずに独学で魔法を学ぶ危険性を知らぬままに、危うい道を進もうとしていた。
それが、後に大きな失敗を招くとも知らずにーー。