第10話 『我に秘策あり』
鳥さんのナイスアシストを受けてひとまずの危機を脱したフュフテは、続けて問われる質問に対しても慌てる事なく慎重に答えていく。
答えた内容に関しては、武力大国で師匠と別れた後に鳥さんに連れられて入国したのだ、という経緯。
自分は、師匠の目的である迷宮都市探索に同行してきただけなのだ、という事情。
よって、聖王国に対して叛意を持っている訳ではない、という弁明。
これらについて、魔道具のお墨付きを得て回答を終えたフュフテに対し、
「もういい! 確かに、きさまの話は嘘ではないようだ。......だが、だからと言って犯した罪が帳消しになる訳ではないぞ?
然るべき処罰を下さねばならん。要するに金だ。いいな?」
椅子に座りながら右足を断続的に打ち鳴らし苛立ちを示していた兵長が、「処罰」と口にした所でニタリ、と陰湿な笑みを浮かべる。
続けざまに告げられた金額は、
「ちょっと待ちな! なんでそんなに高いんだいッ! そんな大金、払える訳ないだろう!?」
「サマンサ殿は特殊なお立場でしょうから、罰則についてよくご存知ないのも無理はない。
しかし、こやつの犯した罪はそれだけ重いのですよ。不法入国、器物損壊、加えて怪我人の治療費。
これらを合わせると、罰金刑としてはこれぐらいが妥当ですな」
フュフテの隣に立つサマンサが橙の瞳を揺らして思わず食ってかかる程に、あまりにも膨大な額であった。
してやったり、とでも言いたげに愉悦を浮かべる兵長の不快な面を見て、「そういうことかッ!」とサマンサは内心でほぞを噛む。
ーーおかしいとは思っていた。
いくら魔女と同じ金眼の持ち主とはいえ、見るからに弱々しいフュフテに対して兵長自ら、しかも魔道具を使っての尋問などいささか大仰に過ぎる。
恐らくは威圧的に畳み掛けて動揺を誘い、精神を乱して意図的に魔道具を発報させて虚偽罪に問おうとしたに違いない。
それが上手くいかなければ、今のように莫大な金額を突きつけて支払えないフュフテを拘束する、という二段構えか。
この国で罪人に落ちた者は、それが人生の終わりを意味する程に悲惨な末路を辿ることになる。
「罪を犯す」という事は、「神の教えに背く」という事と同意義だからだ。
そこに更生の余地などある筈もない。あるのは隷属化という形の、家畜や物に等しい処遇のみ。
自身の行く先に暗雲が立ち込めて来たのを感じたのか身を固くするフュフテの姿を、心底愉快そうに眺める兵長の濁りきった目の中に情欲の火が灯るのが見えて、怒りが沸き上がってくる。
最初から、そのつもりだったのか。
この男は、フュフテを隷属させて好き放題にする気だ。
これだけ美しい少女であれば、それこそ筆舌に尽くし難い辱しめを受けても何らおかしくはない。
下衆な男であれば当然、むしろ手を出さなければ不能を疑うくらいに整った顔立ちと可憐な体躯。
他国であれば、たかだか兵長程度の立場でこのような好き勝手が許される訳がないだろうが、今のこの国は別。
組織の頂点から末端まで汚職が蔓延した、まさしく腐敗というに相応しい乱れ様。
聖王国と無関係である森の民出身のフュフテを、この国の事情に巻き込むのは残酷というもの。
出来ることならば罰金を肩代わりしてやりたい所だが、あいにくとそんな大金の持ち合わせが無い上に、罰金は原則一括払いでなければならない。
それに加えて、聖王国特殊部隊に所属している自分は確かに兵長よりも書面上では上位階級であるが、兵長らの正規部隊とは組織が違う以上、強引な手段は取れないのだーー。
「あんたッ! そんな事したら森の民が黙っちゃいないよ! 国際問題にでも発展させる気かい!?」
「なんの事か、分かりませんな。ま、仮に知られた所で、奴らにどうこうする力はもうないでしょう。
内輪揉めで半数以上に数を減らしたせいで、公の場から姿を消した種族など取るに足らん。そうだろう? フュフテとやら」
企みを看破したと暗に示唆するサマンサの言にあくまでシラを切る兵長の物言いを聞くに、どうやらふてぶてしさを隠す気もないらしい。
森の民という種族の内部で起こった事変について、確認の意を込めて話を振ってくる兵長と視線を合わせず、フュフテは俯いて黙り込む。
その内容はフュフテにとって、里から助けが来ないという意味以上に重いものを含んでいた。
なにせ、その内輪揉めの原因のせいで、彼は皆から異端扱いされる事になったのだから。
そうして、何かを考え込むように下を向くフュフテの姿に、サマンサはより一層の焦燥感を募らせた。
兵長の一言によってフュフテがより一層不安に囚われてしまったのではないか、そう危惧するサマンサは懸命に頭を働かせる。
そんな「まだ何か手はあるはずだ」と、打開策を必死に模索するサマンサの横で急に、
「あの、怪我人の治療代が無ければ、いくらぐらいになりますか?」
「んん? 何を言うかと思えば......。まぁ、不法入国と器物損壊だけならこれくらいだが、それを聞いてどうするのだ?」
目を伏せて黙りこくっていたフュフテが面を上げて発した問いに対し、兵長が書記の役目を担っていた部下の書き付けを引ったくり、机の上に紙片を滑らせる。
そこに記載された金額を見て、
「あ! これなら払えます!」
「な......ッ!」
ドンッ、と鈍い重量音を立ててテーブルに置かれた巾着袋を目にした兵長が、驚きの声を上げた。
上衣のウエストを縛る目的で縫い付けられた腰紐から外され、勢いをつけて机の上に投げ出された重量物は、接地した際に結び目が解けたのか。
内袋から放たれる、高価値である事を示す眩い金属の輝きに目を刺された兵長が、一驚と業腹がない交ぜの何とも言えない表情で呻き声を漏らした。
治療費抜きの金額であれば十分にまかなえる量を持つこの金袋は、フュフテが出立の際にネメシアから譲渡されたもの。
よもやこの様な使い道を想定して渡されたものではないだろうが、結果的にそれがフュフテを救う一助となった。
「ばかな......ッ! こんなみすぼらしい小娘が、このような大金をなぜ......。い、いや待て! だからどうだというのだッ!
治療費は必ず払わねばならんぞ!? これだけではまるで足りんのだ! 大体、治療費抜きという問いに何の意味がある!
きさまが治療するとでもいうのか? そんなことがーー」
ーーできるわけがない。
そう続けようとした兵長が何かに思い当たり、恐る恐るフュフテへと目をやる。
同じ考えに至ったのか、まさか、という表情で驚嘆を露わにするサマンサにひとつ頷いて、
「怪我をした人たちの所へ連れていって下さい。自分が仕出かした事ですので、自分の治癒魔法で治療します」
自身が魔に愛された森の民であることの自負を覗かせるフュフテが、覇気に溢れた顔をしつつ、尻に力を入れた。
※ ※ ※ ※
ならばやってみせろ、と荒々しく椅子を立ち上がり、扉を乱雑に開け放って部屋から出て行った兵長は、広場で負傷した者や怪鳥に怪我をさせられた者を集めるためか。
何やら大声で誰かに指示を出しているらしく、姿は見えないながらも怒気だけは響いてくる。
少々お待ち下さいと、礼儀正しく頭を下げる書記の役目をしていた男が言うには、怪我人を集めてくるのに少し時間がかかるらしかった。
その隙間時間を利用して、フュフテは今、サマンサに汁を飲まされていた。
「ほら、ゆっくり飲むんだよ。うまいかい?」
「はい......」
トロリと若干の粘度を持つその液体は温かく、ちょうど人肌と同じくらいの温度でフュフテの口内をじわりと浸していく。
汗にも似たしょっぱさと乳のような甘さが程良く調和するその味は、フュフテにとって初めての体感。
息づかいを感じられるぐらいにサマンサと密着して汁を口に注がれているフュフテの鼻腔は、汁が本来持つ香りと彼女の体臭が入り混じった独特の匂いで満たされていく。
一旦口を離しピチャピチャと音たてて舌に絡みつく液体を味わうフュフテは、久方ぶりに栄養のある水分を体内に取り込めて幸せそうだ。
サマンサもそれを目にしてご満悦な様子。
お汁タイムを挟んだことで、これから治癒魔法を使用するフュフテの体力はそれなりに回復した、という所だろう。
ーーそれにしても、とサマンサは思う。
この子が治癒魔法を使えるというのには、少々驚かされた。
森の民が魔法に秀でた種族であるというのは知識として当然あるが、それにしてもこの若さで「自分で治療する」と言えるレベルで治癒魔法を修めているのは、賞賛に値するものだ。
それだけ治癒魔法というのは難度が高く、ましてやこの聖王国において治療術士は非常に希少な存在であるため、フュフテが使用できるという可能性をはなから除外してしまっていた。
いくらなんでもそこまでは無理だろう、と。
だがしかし、もしフュフテが宣言通りの腕前を見せたのなら話は変わってくる。
自分の立場であっても、十分にこの子を内に収めるだけの大義名分を打ち立てる事が出来るだろう。
「頼むよフュフテ、頑張りな!」ーーそう心の中でエールを送るサマンサが、腕の中に抱くフュフテを見つめていると、
「準備が出来たようです。こちらへ」
室外から何がしかの合図を受けた書記の男が慇懃に口を開き、フュフテとサマンサへ自分の後について来るようにと促す。
自分の膝の上からフュフテを降ろし椅子から立ち上がったサマンサは、書記の男に頷き返すとフュフテの手を引いて扉へと向かう。
その際に、
「ありがとう、助かったよ」
入り口付近に立ったままの若めの男の手元へ、サマンサはすれ違いざまに小銭を落とす。
フュフテの食料調達にパシリとして使われた彼だが、美女とはいえなくとも魅力的な妙齢の女性から感謝を受けて悪い気はしなかったのだろう。
元々品のない顔をさらにだらしの無い笑みに変えているが、それには特に反応を返さずにサマンサは通路へと出る。
先導する書記の男に付いて歩きフュフテと共にしばし進むと、集会場といっても良いくらいに広い部屋へと案内された。
そこには、五十人ばかりの人、人、人。
兵長とその部下によって集められた多くの怪我人たちだ。
だがーー、
「あの兵長......なんて性悪なんだい......ッ!」
その中に、明らかに重傷といえる患者が幾人も混じっている。
先の騒動で負ったにしてはあまりにも酷い容体の患者の姿に、兵長の思惑が透けて見えるようだ。
断言はできないが、おそらくそこら中から今回の件に関係のない怪我人まで一緒くたにして集めて来たに違いない。
あの男はそう簡単に治療できない者を使ってまで、何としてもフュフテに治療費を払わせる方向に仕向けたいのだ。
こんな方法が罷り通ってしまう程に、兵の規律は乱れてしまっているという事か。
そして残念ながら証拠がない以上、フュフテのせいでこの怪我をしたと言われても否定は出来ない。
たとえ、客観的に見て有り得ない怪我だったとしても。
汚い。汚すぎる。
ここまで腐っているのか、この国はーー。
普段は温厚な目元を怒りの形に吊り上げて兵長を睨みつけるサマンサとは正反対に、フュフテはぽやんとした表情で治療対象の人々を眺めている。
その姿は気負いなど微塵も感じられない、見ている方が心配になるほどに能天気な様子で。
分かっているのだろうか、彼は。
治癒魔法を使うという事は、自身の魔法に欠陥を抱えているフュフテにとって、人前で尻をさらけ出すという事だ。
もしかして、常日頃から尻を出し過ぎたことで、真の裸族に目覚めてしまったのだろうか。
以前、尻の病気を治すために洞窟へと共に向かったリティリーという女性が口にした、裸族の楽園とやらにでも行くつもりなのか。
羞恥心は死んでしまったという事か。
いや、それは違う。
フュフテには、秘策があるのだ。
だからこうして、幼馴染の口目掛けてぶち込んで以来の治癒魔法を、人前で堂々と使おうとしている。
その秘策は、同じく洞窟へと向かったオスタという男からヒントを得て自分なりに昇華させた、フュフテの新しい治癒魔法。
「えっと、先程は皆さんに怪我をさせてしまい申し訳ありませんでした。お詫びに今から治療をしますので、すいませんが僕の周りに集まってもらえますか?」
サマンサの横から数歩前に出て部屋の中央で立ち止まったフュフテが、一度謝罪を述べた後に眼前の人達に向けて、責任感のこもった声で治癒魔法の開始を告げた。