第9話 『尋問』
「君は、人を簡単に信じすぎだ。弱者を装って利を貪る狡猾な輩は、この世の中にごまんと存在する。いつかそいつらに裏切られ傷付けられやしないかと、心配だ私は」
路上に屈み込み出会ったばかりの弱者を胸にかき抱くサマンサの脳裏にふと浮かんできたのは、彼女の身を案じて発せられた、ため息混じりの忠言。
今のように無条件に他者を庇いだてするサマンサの行いを常日頃から危惧する夫の言葉を思い出して、「ああ、またやっちまったねえ」と苦笑しつつその不満顔に心の中で謝りをひとつ入れる。
別に誰かれ構わず信じようとしている訳ではないし、そういったずる賢い人間がいる事も重々承知している。夫の言も尤もだ、と理解もできる。
ただ、気がついたら頭よりも先に身体が勝手に動いてしまうのだから仕方がない。
傷付き涙する存在を目に留めてしまった時点で、思慮や分別といったものはいつも頭の片隅へと押しやられて感情のままに振る舞う自分の行動は、確かに危ういものであるだろう。
いつそこにつけ込まれて、利用されるかも分からない。人は善人ばかりとは限らないのだから、尚更。
そうは分かっていても、困ったことに自分のこのお厄介な性分は一向になりを潜めてはくれない。
今回のことも、後で夫に知られたらきっとお小言を頂戴してしまうだろう。
まだ少し薄っすらと雫を湛える金色の瞳を覗いて、そこに安堵と喜色が垣間見えたのを目にし、「それでも」とサマンサは思う。
それでも、自分はこれでいいのではないか、とも思う。
相手からの感謝の言葉が欲しいわけでも、周りからの賞賛の声が欲しいわけでも、ない。
良い人だと思われても困るし、馬鹿だと笑われても苦笑いしか返せない。
もしも助けた相手が内心でこちらを嘲笑っていたとしたら、それはそれで仕方のない事だ。そんな風に割り切ってしまう自分は、とても変わり者なのだろう。
ならば、一体何がしたいのか? と問われれば、こう答えるしかない。
単に、放って置けないだけ。
見て見ぬ振りが、気持ち悪いだけ。
そんな、単純な理由。
だからこそ自身の行動の結果がどうであれ、後悔するつもりはないし相手を責めるつもりもない。
反省はするかもしれないが、次に似た場面に出くわせば反射的に動いてしまうのだからどうしようもない、という部分もある。
傲慢と言われても否定は出来ないし、しようとも思わない。
いずれは痛い目にあうのかもしれないが、そう簡単に染み付いた性根は変えられないという難儀な状態だ。
だけれど、今のこの子のような反応が返ってきた時は、心から「良かった」と思う。
不安に押し潰されそうにか細い声が少しずつ力を取り戻して、自分の服の裾を握る手の震えが収まっていく様子が、自身の行いを肯定してくれている気がするのだ。
言葉にしなくてもそこから伝わる感情に、どうしようもなく嬉しくなってしまう。
「助かった」と、そう言われているように思えてしまって。
くすんでくしゃくしゃに痛んでしまった黄色の髪を梳いてあげながら、ポツポツと語られる自己紹介に相槌をうち、サマンサは決意を固める。
こうなってしまったからには、もうこの子を見捨てる事は出来ない。
他者に何を言われようとも、彼女の面倒を最後まで見るという選択肢以外存在しない。
中途半端に投げ出すことを、自身の性分が良しとはしてくれないからだ。
一通りの事情を腕の中の少女から聞いて、ひとまずはこの事態に収拾をつけるべく彼女の手を引いて兵の詰所へと共に向かうことにする。
おそらくはそこでいくつかの厄介事が降りかかるに違いないが、先程も彼女に言った通り連中に手を出させるつもりは微塵もない。
出来る限りの便宜を図ってやるつもりだ。
そう心に決めて、安心させるように少女へと優しく微笑みかけるサマンサは、一部の人々から「聖母」と呼ばれるに相応しい光を瞳に灯して、緩やかに目的地へと歩き始めた。
※ ※ ※ ※
「さて、まずはきさまの名から聞かせてもらおうか」
「......フュフテです。フュフテ=ベフライエン」
簡素な木造りの椅子に座らされ、年季の入った木製のテーブル越しに向かい合う相手は、自分を悪魔の一種ではないかと未だに疑っている兵長の男。
だらしなくたるむ二重あごに中年特有の酸っぱい脂を浮かべて胡乱げにこちらを値踏みする視線は、はっきりと表情に出してはいないものの何処か反道徳な濁り交じりで。
腫れぼったい半開きの唇から覗く黄ばんだ上下の歯と歯の合間でチロチロと蠢く舌が、何かを絡め取ろうとする仕草に思えて、背筋に悪寒が走るのを感じる。
その背後に立つ二人の兵士は、彼の部下なのだろうか。
左側の若めの男は兵長と似た系統の品の無さを漂わせてニヤついているが、もう一人の壮年の男は生真面目な顔で簡素に綴られた紙片へと何かを書きつけており、その真剣な表情にまともなそうな雰囲気を感じ取ることができて、少しばかりホッとした。
もし彼まで同じ野卑な風態であったなら、ここは規律ある軍の施設ではなくならず者の拠点か何かと勘違いしてしまうところだ。
とはいえ居心地の悪さに変わりはなく、そわそわとしながら自分のすぐ右側に立つ人物を見上げると、人好きのする穏やかな微笑が返ってきた。
「側についているから大丈夫だ」と雄弁に語るサマンサの口元に確かな安らぎを得て、再び視線を前に戻すと、
「フュフテか、変わった名だな。偽名ではなかろうな? 虚偽の申告は罪を重ねるだけだぞ? 訂正するなら、今のうちだ」
のっけから疑いに満ちた態度で踏ん反り返る兵長が、机に置かれた手のひらサイズの物体をこちらに押しやり、「手を置け」とブヨブヨとしたアゴでしゃくって指示を出す。
怪訝に思いながらもおとなしく言うことを聞いて、その円形の魔石と金属の合成物の上に右の手のひらを乗せると、
「それは触れた者が発した言葉の真偽を判断する魔道具だ。誤魔化しは効かんと思え。
もう一度聞く。きさまの名は、フュフテで間違いないか?」
「......はい、間違いないです」
その反応が正であることを魔道具が示したのか、面白くなさそうに兵長が鼻を鳴らして次の質問へと移る。
出身地、趣味嗜好、この都市に来た目的といったいくつかの質問に答え、わざと嘘を吐くようにと言われた質問に答えた際に鳴った「ビーーッ!」という耳障りな音に驚きつつも、質疑応答が進んで行く中。
「フュフテ、きさまは......『金眼の魔女』か?」
「? 金眼? いえ、違います......あの、何ですかそれ?」
明らかにこの問いが重要だったのだろう。
回答した自分と全く目を合わさずに嘘を見分ける魔道具を注視する兵長とその部下達は、一向に虚偽であるという反応を示さない自分の手の下の物体を見つめて、「ふうーー」と安心の息を長々と吐いた。
そのくせ直後に自分と目を合わせて、期待外れだとばかりに舌打ちする兵長の姿に不満が募る。
一体、なんだというのか?
「どうやら、魔女本人ではないらしいな......。魔女と同じ色の目を持つからもしや、と思ったが。
『金眼の魔女』とは、異教徒を束ねる犯罪組織の首領の呼び名だ。黒衣を纏い金の瞳を持つ魔法士の女。
髪と瞳の色が金である事から、きさまと同じ森の民である可能性が極めて高い。同郷であれば何か知っているのではないか? 心当たりがあれば、素直に吐け」
「え......? いや、その......」
「より詳細を知れば思い当たるか? ならば聞け。
魔女は今より百年以上前から活動する、我が国にとって異教であるアシュレ教の指導者であり、過去この聖王国に多くの被害をもたらしてきた犯罪者だ。
特徴としては、シアと名乗る金眼金髪の絶世の美女で傍らに銀髪の不思議な一本の剣を持つ男を従えていると、資料にはそう記されている。
どうだ? 何か知らんのか?」
高圧的な態度とねちっこい容姿という事もあって兵長に対しては非常に低い好感度しか持つ事が出来ないが、かといってそれがイコール無能であるという事には繋がらない。
濁った目に一抹の鋭さを秘めて自分を睥睨する視線と共に畳み掛けるように言葉を重ねる様は、それが彼の熟練の経験に基づいた尋問術でもあり、そのあまりの勢いに呆気なく閉口させられてしまった。
心当たりがあり過ぎるのだから、より一層効果は高い。
間違いなく、その魔女とやらはネメシアのことだろう。
一本の剣、というか、どちらかというと一本の棒というのが正しいのだが、それも恐らくイアンとグググ先生であると推測出来る。
なんという事だろうか。
危ない人達だとは思っていたが、その正体が本物の犯罪者であったとは。
これはあれだろうか? ひょっとして、自分もその一味だと見なされてしまう状況なのか。
一本の剣に加えて、真っ二つに割れた盾として仲間入りをする事になるやもしれない。
それは不味い。不味すぎる。
とは言っても、馬鹿正直に告白すればいいという訳でもない。
余計な事を言った所為で神出鬼没な魔女に罰せられるかも知れないし、兵長らにこちらの言を信じて貰える保証が何もない現状、最悪の場合共犯者と目されて拘束される可能性もあるため、何とかして誤魔化したい所だ。
こちらをジッと見つめる兵長から目を逸らして俯き、考え込む振りをして動揺を悟られないように装う。
ちなみにであるが、フュフテが今触れている魔道具は、接触者の心音、発汗状態、脈速といった事項の正常値を魔石に記録しており、質問の回答の際に記録値から大きく逸脱した場合に警告音を奏でる仕様となっている。
余程訓練された者でない限りは、人は無意識に体に現れる現象をコントロールする事は難しい。
例に漏れずフュフテも現在、動揺による心拍数の増加で心音も脈も完全に異常な値を示している事だろう。
このままの状態で知らぬとでも言おうものならば、即座に魔道具は発報。
けたたましい音量とともに、フュフテは罪を重ねることとなる。
そんな状態のフュフテの額からは緊張による冷や汗がつつ、と頬を伝っている。
サマンサの抱擁によっていくらか精神の安定を取り戻したとはいえ、依然として疲弊している状態に変わりはなく、冷静な思考を持ってして事にあたるだけの精神力は今のフュフテにはない。
次から次へとダラダラと額の位置から溢れ出る雫が大量にフュフテの顔を濡らし、留まることを知らない液体が上衣の胸元を変色させる程に滴る。
「おい......っ! 大丈夫か、きさま......!?」
流石にこの変貌ぶりには驚いたのか、兵長が椅子ごと後方に後ずさり焦りの声を上げた。
それもそうだろう。
この大量の水分を汗と見るのは、どう考えても異常だ。
つまり、いきなり出た液体の発生源はフュフテではなくその頭上の主。
広場での一件以来鳴りを潜めて固く瞼を閉じていた鳥さんが、いま急に二つのつぶらな瞳を大きく開眼して、クチバシから尋常でない勢いでヨダレを放出し始めたのだ。
なぜか翼を広げたままにジーっと兵長を凝視する鳥さんは、微動だにしないままにフュフテの顔面をビッチョリと濡らし続ける。
頭から涎のシャワーを浴びているフュフテの状態は一見非常に不衛生にも見えるが、実は鳥さんの涎はとても肌に優しく癒し漂う華やかな香りを持つ不思議な液体。
その心を落ち着かせる芳醇な匂いは、失われていたフュフテの精神力を回復させ、涎に助けられる形で瞬く間に正常な心音を取り戻す事が出来た美少女もどきは、
「確かに同郷に魔女と似た特徴の人はいたと思いますが、その人はシアという名ではなかったですし、普段何をしている人なのかというのも自分はよく知らないので、分かりません」
嘘ではないが本当のことでもない曖昧な答えを平常心を保ったままに口にすることが出来、魔道具の記録した心音を逸脱せず切り抜ける事に成功した。