第8話 『鳴きたいときは泣けばいい』
ーーどうして、こうなってしまったのだろう。
「きさまっ! 抵抗をやめて大人しく、あだッ! がっ......尻尾が」
「ピエエエェェーーーー!!」
「は、話を、聞いてくださいっ!」
周囲に群がって取り囲み、フュフテを取り押さえようとする屈強な兵士達が次々に倒れ伏していく。
彼らをいなし気勢を削いで自身の大事な存在を懸命に守ろうとするその行動は、子を持つ親という生物が本能的に備えている庇護欲の発露によるものだろうか。
フュフテは今、親鳥によってその身を守護されつつも、意図しない交戦の真っ只中にあった。
「なんのつもりだ......都市を破壊しただけでなく、我々にまで危害を加えるとはッ! その禍々しい頭部と妖艶な姿......。
まさかっ! こやつ、色魔ではなかろうな!?」
「兵長! 色魔とは聖典に記された悪魔のことですか!? たしかに、言われてみれば......」
「ち、違います! そんなんじゃありませんっ! ちょっと、鳥さん落ち着いて! やめて下さい!」
「ピエッ! ピエッ! ピエエエーーーー!!」
兵士を束ねる長らしき人物の言葉に、周りの武装した兵たちは警戒の色を増してフュフテをジリジリと囲む。
色魔というのが何かはよく知らないが、悪魔呼ばわりされている以上ロクな事にならないだろう。
なにせ、この国は神の名の下に統治された宗教国家なのだから。
暴れる頭上の鳥をこのままにしておくのは不味いと判断したフュフテは、慌てて鳥帽子を頭から外そうとするが、
「うっ、抜けない......ッ!」
頭の上のふさふさの胴体を両手で掴んで押し上げるも、まるでビクともせずに。
興奮によるせいか体温よりも若干高い熱と柔らかな手触りが伝わるのみで頑として離れず、戦闘態勢に入った鳥さんは尻尾をぶんぶん振り回すばかり。
一向に収まりそうにない怪鳥の戦意と、沢山の駐屯兵士たちの敵意に晒されて、フュフテの目からは絶望の涙があふれ出た。
「なんで、こんなことに......」
当初はこのような形で入都するつもりではなかったのだ。
都市の近くに来た辺りで、自分を連れて空を飛ぶ怪鳥に地に降ろしてもらおうかと考えていた。
しかし、フュフテにとって大きな誤算だったのは、イアン達と別れてから迷宮都市に着くまでにかかった時間であった。
イアンの爆走があまりにも凄まじかったため勘違いしがちだが、本来都市と都市の間を移動するには多大な時間を費やさなければならない。
容易く次の都市に到着するなど、そう簡単にあり得る筈がないのだ。
故に、超人を失った怪鳥の速度はイアンと比べると雲泥の差。
それなりに早いとはいえ、おおよそ巨大な鳥が全力で飛行する程度のものであろう。
そうなると当然、空の旅にかかる時間は膨大な長さとなる。
優に七日間、フュフテは空を飛び続ける羽目となった。
当たり前だが、大空に食料などある訳がない。
幸いにも水分に関しては尻から出した水により補給する事が出来たが、さすがに尻から食料は出せないため空腹感は募るばかりだ。
鳥さん自体はどうやら食事の必要がないらしく、フュフテを降ろす気配もないしこちらを気遣うこともない様子。
まあ例え降ろしてもらった所で、無人地帯が広がる眼下に食料の気配などまるでないのだが。
食べるものはなく雨風にさらされ、満足に眠る事も出来ずにただひたすら尻水で生き延びねばならない。
そんな気の遠くなるような過酷極まる時間に耐えて迷宮都市が遠方に見えてきた頃には、フュフテはすっかりやつれ果ててしまっていた。
「うっ......まぶしい......」
掠れた声で重い瞼を開けるフュフテの目に、燦燦と輝く陽光が照射される。
怪鳥が急に高度を下げたせいで伏せられていた頭部が上向き、太陽と顔を合わせた事で半ば気絶に近い状態から目覚めたフュフテの見下ろす先には、壮大なひとつの都市風景が大きく広がっていた。
上空から一望する迷宮都市は、中々に奇妙な作りをしている。
まず真っ先に目がいくのは、穴の底が全く見えない巨大な大穴。
そこを始点として扇状に広がる城壁は、整然と整えられたというよりは拡大する都市に合わせて付け足されていったと言う様相で、少々いびつに形成されて延々と続いている。
その内側に内包される都市の町並みは、雑然として規則性など微塵も感じられない造りで。
都市の中央こそ大きく開けているものの、そこから無数に枝分かれした通路がありとあらゆる赤い煉瓦造りの建物の隙間に入り組んで、一体どこにどう繋がっているか見当もつかない、それこそ迷宮都市という名に相応しい複雑さ。
「やった......着いたんだ、お腹、すいた......」
ただ残念ながら死ぬほど飢えた今のフュフテには、迷宮都市の風景などまったくもって興味のないことで、脳裏に浮かぶのは「これで飢えから救われる」という一点のみ。
飢えと疲労の極限状態で情緒を感じろというのは、少々酷な話であろう。
ちなみに、もしこの時点でフュフテが怪鳥に声をかけ下降を指示するなりお願いするなりしていれば、この先の展開は未然に防ぐことが出来たかもしれない。
しかし、この時のフュフテは安心感と虚脱感に支配されていて、そこまで思考が回らなかったのだ。
故にーー。
「な、なんだあれは!? 何か飛んでくるぞ! と、止まれ!」
「おい兵長に報告しろ! 奇妙な生物が都市に侵攻! このままだと中央部にまで入り込まれるぞっ!?」
下降したことで近付いた城門付近の門番たちが盛大に慌てふためいて、頭から鳥を生やす人影に対し警戒態勢を取る状況となってしまう。
と同時に、ようやくフュフテも事態の不味さに気が付いて焦り始める。
「と、鳥さんっ! まずいよこれは......ちょ、降ろして! 降ろしてください!」
フュフテの声に反応したのか、それとも最初から着地地点を定めていたのか。
城門を飄々と通り過ぎて都市内部に無許可で入り込んだ怪鳥と尻は、高度を急激に下げて建物の屋根スレスレに滑空。
都市中央部の開けた円形の広場のような場所にバサバサと羽音を鳴り響かせて、騒がしく降り立った。
言うまでもないことだが、大きな都市にはそれに見合った数の住人が生活している。
ましてや現在は人が精力的に活動する、日中最も日が高い時刻。場所は、人通りの最も集まる大広場。
そこにある日突然、見た目が悪魔的色合いの見たことのない鳥と、それを頭に乗せた変な奴が空から降りてきたらどうなるだろうか。
普通に、大騒ぎだ。
しかしながら、このまま鳥人フュフテが大人しく突っ立っているだけであったなら、それ程深刻な事態にはならなかっただろう。
現に、周りの住人たちはびっくりして狼狽えはしているものの、逃げ出したりする者はなく呆然と鳥人を眺めている。
しばらくすれば、勇気のあるもしくは能天気な住人のひとりが、「空から降ってくるなんて、君は天使か何かかい?」と、小粋なトークをかましてきたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
ピイィエエエエェェェーーーーーー!!!!
例の如く、怪鳥がお昼ご飯の時間を、大都市の皆さまにお知らせしてしまったのだ。
唐突に放たれたそのハタ迷惑な告知は、鳥人フュフテの間近にいた人達だけでなく、周囲一帯見渡す限りの人々を衝撃波で吹っ飛ばし、通りの露天の商品は空に舞い、街路樹は葉を散らして、付近の家々の煉瓦にヒビを刻みまくった。
爆弾が爆発したに等しいテロ行為を披露した危険人物の登場に、住人たちは大パニックとなる。
今度こそひとり残らずこの場から逃げ出し、代わりにやってきたのは物々しい武装の金属音を立てて走り寄る聖王国の兵士達。
そうして、十重二十重と取り囲まれて詰問されることになった、という運びだ。
客観的に見て、フュフテが百パーセント悪い。
弁解の余地なしだ。
いや、厳密には鳥さんが悪いのだが、その鳥さんも謎の習性に従って本能の赴くままにお知らせをしただけなので、正しくは事故というべきなのかもしれない。
依然として雛を守るために暴れまわる鳥さんの暴挙に、フュフテは何も出来ずにホロホロと涙するばかり。
過酷な旅路を経たことで、体力的にも精神的にも弱りきってしまった美少女もどきには現状を打開できるだけの気力はなく、まさしく悲劇のヒロイン状態。
そのフュフテの姿を見て、さすがに兵士たちにも動揺が広がる。
見た目だけなら完璧に美少女なフュフテが嫋やかに涙する光景は、男たちの庇護欲を誘うには充分だった。
とはいえ、助けられるのなら助けてあげたいが、頭上の鳥が彼女の意思を反映しているかどうか彼らには判断つかないのもまた事実。
結果的に、囚われのお姫様が好戦的に攻撃してくるという意味不明な状況に陥り、この場の誰もが困惑して身動きが取れない中、彼らに一条の救いの手が差し伸べられた。
「どきな、あんたら! ぼーっと突っ立ってんじゃないよ役立たず供! こんな可愛い女の子を大勢で取り囲んで何のつもりだい!?
あんたらの聖典には『弱き者を虐げよ』とでも記されてるってのかい? 冗談じゃないよ」
「こ、これは、サマンサ殿! し、しかし、こやつは先程、住人に対して攻撃を......」
「そんな事は分かってるよ! けどね、あの娘を見て何とも思わないのかい!? どう見ても自分の意思じゃあないだろうさ。
大方、呪われでもしてるのかもしれないね。......あたしに任せな」
そういって兵士たちの波を掻き分けて登場したのは、屈強な男どもとさして変わらぬ背丈に明るい橙色の短髪を持つ女性兵士。
サマンサと呼ばれた彼女は、フュフテを色魔呼ばわりした兵長になんの遠慮もなく上から物言いをしている所を見るに、どうやら兵の階級の中で上位に位置する地位を所持しているのか。
自身の意見をさっさと通すと、
「今からそっちに行くよ? ほら、こっちは丸腰だ。だから危害を加えるつもりはないから安心おし」
腰にぶら下げた中剣を鞘ごとその場に放り出し、その上に身体のあちこちに忍ばせた短剣をポロポロと積んでいく。
どこに隠し持っていたのかと思える程の数で小山となった武器類には目もくれず、そのままゆっくりフュフテに向かって歩き出したサマンサに、
「ピエッ!」
ピシッと、怪鳥が鋭い一撃を見舞う。
サマンサの胸元目掛けて振るわれた一閃があくまで威嚇目的か、それとも胸当てが上等な品質であったためかは分からないが、彼女は胸を打たれても何事もなかったかのように歩みを進める。
その仕草に何かを感じたのか、強い敵意を灯しながらも鳥さんは甲高い唸り声を上げて、サマンサの出方を伺っている。
遂には触れるぐらいの距離まで近付いたサマンサは、地面にへたり込むフュフテとその頭上の鳥さんに微笑みかけると、
「もう大丈夫だ。あいつらには手出しをさせやしないからね。何か事情があるんだろ? 話してごらん?」
相手を驚かせないように出来る限り緩慢に屈み込み、両の手を涙する美少女の背へと回して優しく抱きとめた。
出し抜けに与えられた抱擁と暖かい手の温もりに、心が弱ったフュフテは呆気なく陥落し、敵だらけの中に不意に現れた味方という状況も相まって、涙腺がさらに決壊してしまう。
ーー思えば、過酷な旅路であった。
あり得ない高所から尻を痛めつけられ、無慈悲に障害物へとぶつけられ、土に埋められた挙句に顔面に尿を引っ掛けられた。
おまけに、その後に待ち受けた強制断食に心が折れた所を、武装兵士に取り囲まれて悪魔呼ばわりされる始末。
度重なる苦行に耐えに耐えた直後にこうも優しくされては、それを跳ね除ける事は難しい。
「ピエェェーー......」
泣き止まないフュフテの背中を手のひらで穏やかに撫でて、何も言わずに辛い思い出を吐き出させる様は、救いに満ちたもので。
少しばかりの罪悪感を滲ませた鳥さんの鳴き声がフュフテの嗚咽と混じり合い、サマンサの腕の中に小さく収まっていった。