第6話 『第三漢門』
「ふわあぁぁあ、っとお............それでえ? あんたが、俺とヤってくれんのかあ?」
「我が国から出せる条件で、貴方を動かせるのはそれぐらいのものでしょう? 武王殿」
「いいねえ.......よく分かってんじゃねえか、剣聖さんよお?」
欠伸をしたことにより出た涙で、男性にしてはやや長めの睫毛を濡らす「武王」と呼ばれたその男は、角刈りの頭部を左手でボリボリと掻きながら眠そうに。
その反対の手はあぐらをかいて座る膝上に肘をついて、無精ヒゲひとつ見当たらないツルツルの顎をポリポリと。
どうしてそんなに体が痒いのだろうか。
もしかすると、変な病気持ちなのかもしれない。
それはともかく、猿のような仕草をとる武王は顔の造りがサル顔というのに加え、両耳のすぐ側から凄い量で生える凶器のようなもみあげ姿も相まり、より一層猿ざるしかった。
「正直に言いまして、今貴方に攻め込まれると我が国は困るのですよ。一時休戦の代償が私の身体ひとつで済むのであれば、安いものです」
そんなエテ公に居並ぶのは、ほぼ同年代くらいの真っ白な鎧を着た偉丈夫。
壮年から中年に差し掛かるといった年齢の男は、均整のとれた体躯の長身によく映える真紅のマントを風になびかせて。
威風堂々と直立する彼は、装飾過多の豪奢な剣を腰に佩いており、まさに「剣聖」と呼ばれるに相応しい出で立ちである。
「ずいぶんとまあ、ぶっちゃけるねえ? あんたのおキレイな国お得意の、しちめんどくせえ駆け引きとか、しねえのかい?」
「そういった類は、武王殿はお嫌いでしょう? 不興を買うのは得策ではありませんから。
ああ。ついでに言いますと、もう一国との交渉は相当額の金銀で解決する方針です。それだけ本気、ということですよ」
簡素な造りの家々が連綿と連なり広大な敷地を埋め尽くす情景を、地上より遥か高所までそびえ立つ建造物の天辺で眺めながら行われるやり取りは、国の代表同士の重要な交渉である。
常識的に考えれば、一国の行く末に関わる重大な対話をこのような高さ以外何もない、吹きっさらしの高台の上で行うなど明らかにおかしいのだが。
「ハァッハッハッハァ! いいねいいねえ! あんたいいわ、俺好みだ! あんたとヤるのは楽しそうだなあ。
それに、仕合いに差し出す相手が剣聖とは、思い切ったねえお宅の国も。
......よし! その条件でかまわねえ。うちからは手え出さねえからよ! 魔都とやらか? 好きにやりゃあいい」
「それを聞いてほっとしましたよ。感謝します、武王殿。......して、いつから始めましょうか?」
「そりゃあ、いますぐ......って、いいてえトコなんだが。どうやら、お客さんが到着したみてえだなあ?」
武力大国の首都、第一都市の中央。
政務を中心に行う目的で造られたにしては些か堅牢に過ぎる城館のすぐ隣、それを圧倒的に凌駕する高さで建造された石塔の上から目を凝らす武王。
真っ正面の城壁の大分向こう側で砂埃を挙げて一直線にここへと突き進んでいるのは、すでに第三、第二の両都市から報告があり、尚且つ各都市の妨害工作を物ともせずに突破してきた、招かざる客人だ。
「おい剣聖、見ろよあれ? まったくよお......せっかく、おもしれえ遊び相手が攻め込んできたと思ったのに。
奴さん、全然ヤる気ねえじゃねえか......。チッ、期待外れにも程があるわ」
「確かに、戦意の欠けらも見えませんね? 恐らく、目的はこの地ではないのでしょう。となると我が国のお客様、ということでしょうか?
それにしては少々、礼儀知らずの御仁のようですがね。それで、どうされるおつもりですか? 武王殿」
常人と違い極限まで研磨された肉体をもつ彼らは、普通であれば視認できる筈のない距離であってもはっきりと、常識をゆうに逸脱した視力を以ってして目標物を明確に映し出す。
己の武を鍛え上げる事にのみ心血を注いだ、結晶とも言うべき筋肉の鎧を不満気に震わせて、剣聖の問いに答える武王は、
「ああん? そうだなあ......気は乗らねえが、素通りって訳にもいかんだろ。この国のモンは皆んな、俺の家族だからよ。
死人は出てねえらしいが、好き勝手されて黙ってるなんてのは、家長のやる事じゃねえからな。
......なあ、剣聖。............どうにかして、面白くならねえかな?」
「ははは。本当に、困ったお方だ。......ではそうなる事を願って、私も少々お手伝いさせて頂きますよ。
一当てすれば、やる気になってくれるかもしれませんしね。
ああ、そのまま仕合う事になった場合は邪魔しませんので、ご心配なく」
鼻と上唇の間にちょこんと乗る真四角の髭を指で掻きながら、長としての果たすべき義務を語った。
それとは別に、どうしても自分の楽しみを諦めきれない武王の未練がましい一言に対し、剣聖は苦笑を浮かべるが、それは充分に共感を含んだ笑い方で。
所詮は、同じ穴のむじなといったところか。
武王と剣聖。
二人は本日初めて顔を合わしたにも関わらず、ごく僅かな時間を共有しただけで、古くからの知人同士が持つ言葉の要らない感覚を作り出して、阿吽の呼吸で動き出す。
澄んだ鋼の抜き放たれる、美しい音色が剣聖の腰鞘から流れると同時に、武王は立派なもみ上げに力を込める。
そうすると、両者の体から莫大な量の魔力光が、勢いよく放散された。
あぐらを解いて立ち上がる武王の顔付きは、退屈そうだった表情を一変させて獰猛な笑みを。
上品に澄まし顔をしていた剣聖は、口の端を釣り上げ好戦的な色に瞳を変えて。
戦闘狂といっても過言ではない両雄の、高まりを増していく闘気の噴出は、物理的な衝撃波を生んで、ここが周囲に物がない高所でなければ家屋の倒壊を免れないであろう暴風を伴い、爆散する。
腰だめに構えた拳と剣身の、込められすぎて地響きさえ引き起こす絶対的強者の暴力を。
入国許可を得ずに侵攻した無法者が、城門へと重なったそのタイミングで、武技と剣技を極めしふたりの人外が、全開で解き放つとーー。
「おおおらあっ!」
「ーーはぁッ!」
一瞬の閃光で、世界が沈黙した。
音という音、色という色、全てを置き去りに。
二人が手元から振り抜いた強大無比なエネルギーが一条の巨大光線となり、超高熱で進路上の空気を灼熱に変えて直進。
地はめくれ上がり、風は切り裂かれ、粉塵となった破片は瞬時に蒸発し、遠くの避難民の悲鳴はかき消されて、建物は余波で次々と倒壊し吹き飛ぶ、神の怒りを具現化した裁きの鉄槌にも等しき超常現象。
もはや彼らの行いこそが、天災そのもの。
生きとし生けるものをことごとく滅する、純然たる破壊の権化。
規格外の二者が正確無比に標的目掛けて投げかけた激烈な歓迎は、当然のように城門ごと侵入者を飲み込んで貫通する。
勢いはそれだけでは止まらずに、城外から地平線の彼方まで突き進んで破壊を繰り広げ、かなりの間を置いて大音響と地揺れ、大規模な砂煙を遠方に作って被害をやっと収めた。
「おーおー、剣聖さんよお? ちょっとばかしやり過ぎじゃねえかあ? ハァッハッ! まあ、巻き込まれた奴はいねえだろうし、ちったあスッキリしたから別にいいけどよ?」
「ははは、武王殿こそ。私は、あくまでお手伝いしただけに過ぎませんので。こちらのせいにされては困りますね。
それより、礼儀知らずの御仁ですが、どうやら中々生きの良いお人のようですよ? ほら、あちらに」
前に突き出した右の拳に高熱の余韻を残して、戦闘狂の猿王は愉快そうに哄笑を上げる。
同じく笑い声で答える、根本的には武王と同類の、力を振るう事に快感を覚える類いである剣を極めしナイスガイは、手に持つ刃の切っ先をそっと持ち上げて、標的を真っ直ぐに指し示した。
剣聖が右手に握り、城門があった場所へと向けている、宝石やら装飾やらをこれでもかとゴテゴテに飾りつけ、度が過ぎるのではないかと思える程に成金趣味の聖剣の先には、ゆらりと揺れる人影がひとつ。
武王と剣聖によるド派手な攻撃によって生まれた大規模な土煙の中で、視界不良のために黒い影にしか見えていない人物が、
ーーピイイイィィエエエェェッッーーーー!!
突如として、間近で聞いたら鼓膜に深刻なダメージを受けそうに五月蝿い悲鳴を叫ぶ。
元気百倍の奇声は例のごとく衝撃波を周囲に撒き散らし、立ちこめる煙ごと全てを吹き飛ばして、自身の優美な姿を人前にあらわす。
なんのことはない。
少し早い夕ご飯の時間を、第一都市の皆さまにお知らせだ。
真っ赤な角を天空に向けて、翼を大きく広げるつぶらな瞳の鳥帽子は、またしてもヨダレまみれで男の顔面をびちょびちょに。
その上体から降り注ぐ大量の唾液が下半身の鳥籠の中の物体めがけて落ちるが、濡れるのが嫌なのか、謎の棍棒は神速で上下左右に動き回り、不快な液体を避けまくっている。
どうしても接触を免れぬ唾液に関しては、瞬時に肉を発熱させ、触れる寸前に蒸発させて回避。
はたから見れば、「すべてを熱で蒸発させれば良いのではないか?」と思うのだが、汚らしい汁に自身の能力を使わされるのが、彼のプライドに触るのか。
時折熱で光る姿は、遠目に見るとモールス信号のように苛立ちを伝えていた。
そんな、上と下がやたらと騒がしい男、イアン=ヴァイスロードは、全身が砂ぼこりでまみれてはいるものの、まるで無傷。
あれだけの凄まじい攻撃を、いかにして防いだのだろうか。
遂には、無人の荒野を行くが如き快進撃を止められてしまったとはいえ、その肉体に傷ひとつ付ける事が出来なかったというのは、武と剣の二人の覇者にとって予想外だったかもしれない。
ーー不意に、ひとしきりの液を避け終えたグリフィス=グルニカ=グアルディオスが、ビクリ、と棒を震わせた。
『あれは......ッ! こんな所で、出会うとはな......。ヴァイスっ、我を置いて先にゆけ! フュフテを連れて、魔都へと向かうがよい!』
いつになく、感情的に。
普段滅多に見せる事のない殺気を、裏筋にビリビリとたぎらせて声を荒げる。
「それはできん。だが......フュフテの存在を知られるのは、まずい」
『ならば、フュフテだけを先に向かわせよ! どちらにせよ奴を目にした以上、我がここを去る選択などないわッ! 今日こそ、決着を付けてやろう......』
目や口といった表情器官を持っていなくとも、今のグリフィスからは十分過ぎる程に激しい感情が伝わってくる。
そのグリフィスが、抑えきれずに放つ激情は、都市の中央の石の塔に立つ人物の内の一人に。
サイドとバックを短く刈り込んだ清潔感に満ちた髪と、綺麗に整えられたあご髭。
それと同色の白い鎧で身を包む、肉体の根幹まで剣に魅入られた男。聖王国の誇る、最強武力。
その剣聖が握る、悪趣味に煌めく右手の「聖剣」へと、向けられていた。